1. 魔王メメ、爆誕しました (1日目)
※この1はエグい描写が多少あります。お食事中でしたら飛ばしてください。
「ふはははは! *******!」
仄暗い密室で浮かび上がる、白ローブの怪しい集団。いい年をした大人が……総勢七人かな。うずくまる私を爛々とした目で見おろし、嘲笑っていた。
シミやそばかすだらけの肌に、がっしりした骨格の高身長。血色はすこぶる悪そうだけど、おそらく北欧系。
とはいえ、さっきから興奮気味に語る台詞には、私の知っている単語が一つも存在しない。ラテン語圏とゲルマン語圏、どちらの知識を総動員しても文字起こし不能って、おかしくないか。
~~~ちょっと前まで、澄み渡った青空が広がっていたのに。清らかな朝の生気はもうどこにもない。
近所の裏山には、縄文時代のストーンサークルが神社の奥宮として、しれっと祀られている。
山頂そばの境内で休憩しようと、狛龍さんの横にしゃがみかけた瞬間だ。世界が暗転して、不気味な床模様の中央部分にぺしょんと尻餅ついてた。
乾いた血液のような赤褐色で描かれたそれは、魔法陣ってやつだと思う。テカり具合が巨大ナメクジの通った跡みたいで気持ち悪い。
見回しても窓の一切ない重厚な密室。壁際で兵馬俑さながらに居並ぶのは、等身大の篝篭。その中で松明の炎が不規則に爆ぜる。
冷えきった床と淀んだ空気。そして鉄が錆びたような生臭さ。
いっそ悪い夢ならいいのに……。異様に研ぎ澄まされた五感全部が違うと訴えてきている。第六感目の直感は、逃げろと叫んでいた。
もし手違いで召喚したってのなら、まずは謝罪すべきじゃないか。やむを得ない事情だったとしても、私と視線を合わせようとかがんだり、猫なで声で取りつくろうとしないもんかね。
私は手負いの獣さながら、周囲を取りまく威丈高な大人たちを睨みつけた。同時に帆布のリュックをじりじりと引き寄せる。現在の私の貴重な財産。
目の前の中央祭壇もどきでは、唯一の女性が大袈裟な身振り手振りを止めようとしない。骨格的には美人の部類に入る彫りの深い顔だし、ぼんきゅっぼんって官能的なスタイルをお持ちである。
でも大型有蹄類の頭蓋骨が天井近くに並ぶグロテスクな空間では、鼻息の荒い呪われた髑髏にしか見えない。干からびた老婆みたいな白髪も違和感だらけだ。濃い化粧とヒステリックな声音が、残念度をさらに押し上げる。
背後の六人は、ぜんぶ男。体型や年齢や装飾品は様々なのに、まだら模様の白ローブと邪悪な雰囲気だけは統一されている。
オウムの嘴みたいな大きな鼻をした老人は、色とりどりの四弁の花の宝石を全身に飾りつけ、腰までの長い白髪を三つ編みにしている。それでも可愛いらしさをミジンコも感じさせないとは、これ如何に。
なで肩なのに厳つい体格、というゴマフアザラシ老人もいる。薄灰色の髪や髭に覆われた顔は、眼飛ばしてくる猿のシロガオサキそっくり。
傍に控える陰気な痩せ中年は、パシリ役なのかな。両横の老人の顔色をしきりに窺っている。色の抜けた干し草を塵取りで適当に集めたようなボサボサ髪の下に、特徴の抜け落ちたチンアナゴみたいな、ぬぼ~とした目鼻立ち。
チャラい表情の兄ちゃんもいた。巻き肩の立ち姿は体幹が傾いていて、アンタは一昔前の不良ホストですか、と突っ込みたくなる。センター分けした髪も、その下の濃いゲジゲジ眉も、もじゃっとした指の体毛も、茶色と白が小汚く混ざってリンゴ毒蛾のよう。
……オシャレは細部に宿ると私は思う。手抜きせずにちゃんと脱色しようよ。
あとは、ニヤついた筋肉マッチョのちょい悪オヤジ。過疎地のさびれた農場で、人生諦めきったメンドリ数羽を従えて、お山の大将してるオンドリと言うべきか。
鶏冠みたいな薄茶色のふさふさ頭から、「俺モテるだろ」的な勘違い男性フェロモン臭が、もわわわんと立ち上る。
でっぷりお腹の中年男は、全体的に油ギッシュなのに、なぜかおかっぱ頭だけはサラサラの爽やか路線。リンゴ毒蛾ホストとは違った意味で、大変不自然な真っ黄っきの髪だ。
――指がワキワキするっ。鬘疑惑を確かめたい衝動に駆られそうで、これ以上目の焦点を合わせるのは危険と判断。
隙を狙って体当たりして全力疾走、くらいの策しか思いつかないけれど……そもそも論として、私は運動神経ゼロである。のっけから詰んでたわ、うん。
とりあえず魔法陣もどきの中には誰も入ってこないので、観察を続行しよう。
武骨な灰色の壁面は、花崗岩の塊を出来るだけ大きく切り出して積み上げた感じ。まるでどこかに隠したミイラの棺桶から、古代の空気がひたひたと垂れ流れてきそう。
流麗な大理石が見当たらないから、イタリアっぽさはない。古典様式の装飾柱もないし、やはりヨーロッパの北のほうだろうか。
腰を浮かして魔法陣の向こう、数段下の床を覗き込み、一気に私は後悔した。
子どもっ! 死体! しかも何体もっ!
なんか見ちゃいけないものが横たわってる。一、二、三……六体も、お腹を引き裂かれて一糸まとわぬ姿で死んでいた。
真ん中の遺体だけはフリルのドレスを着せられていたけど、大きなナイフが心臓にでかでかと突き刺さっている。
おまけに違和感が拭えない。だって、どの子も肌が異様な土気色なのだ。しかも頬や目の周りがこけ落ちている。
遺体の傍に並べられた豪勢な金細工のゴブレットの下は、赤黒い血溜りが散乱していた。手前の魔法陣を囲む連中に視線を戻すと、口周りの色がおかしい。
――うげぇ、この人達、血を啜ったんだ!
連中の白ローブの袖は着物のように長く、裾は地面を引きずっている。あちこちに飛んだ赤黒い染みは、よく見りゃ血痕だ。誰も彼もテンションが完全におかしい。
でもこれで、私自身が幽霊だという可能性は限りなく低くなった。ここが死後の世界ならば、死体が転がっているのは奇妙だもの。似たような魂で集まるというのなら、このレベルの悪人と同じ地獄へ飛ばされるのも納得いかないし。
……やっぱり私、悪魔儀式で召喚されちゃったっぽい。
年季の入った藍色のリュックサックをぎゅっと抱え、頭からすっぽり被っていたフードつきパーカーの端を握りしめた。
黒の薄手の上着と、撥水加工された黒色のクライミングパンツ。登山靴は焦げ茶色だけど、靴紐も黒。一年前、おじいちゃんが亡くなってから、喪服と称して暗い色ばかり選んでる気がする。そのせいかな。
日本に帰国し、お仏壇にお線香あげたのが昨夜。おじいちゃんの遺灰を撒いてあげた裏山へ、意気揚々と家を出たのが今朝。
登山口手前にある神社の里宮で狛猪さんと土地神様にご挨拶して、山の頂上の奥宮までひたすら山道を歩いて、狛龍さんたちに話しかけたのがついさっき。
銀縞模様の野良猫さんと共にまったり日光浴と思ったら、一瞬にして血生臭い密室の祭壇もどきの上だなんて、なんでこんなめに―――。
~~~~ってぇ、場の雰囲気に呑まれるな、杜芽芽! 心まで真っ黒煤まみれになってどーする! 『今・ここ』だ。この瞬間を生ききれ!
ご丁寧に人間の願いを叶えてあげる下っ端悪魔と思われちゃあ困るぜ。
私は魔グマ将軍の大親友、魔王メメ!
お前たち悪人を踏みつける総統閣下でございっ!
ハッタリ上等。目力マックスでメンチ切りまくってたら、どぉん!という轟音が突如響く。背後から巻き起こる突風に思わず身体を竦め、両手で頭を庇った。
さっきまで石壁に見えていたのに、いつの間にやら巨大扉が観音開き。何これ、ホログラム?
≪ワタリビト!≫
いきなり脳内に、拡声器でシャウトされたかのような大音量が響き渡る。これって……さっきから何たらかんたらくっちゃべってた残念美女の声だよね。
≪エサ、クエ!≫
≪ヤクソク!≫
≪イクサ、コロセ!≫
今度は男どもの声。それぞれが一斉に私の頭の中で叫ぶものだから、キンキンする。言葉が強引にぐりぐり脳みそに捩じ込まれていくようなこの感覚。すごく気持ち悪い。すごく不快。
≪え、渡り人? わぁ、ホントだ! うっそぉ……≫
小さな男の子の声。同じく脳内に直接入ってくるのだけど、やっとまともな音量だった。
白ローブの連中が嫌悪感をあらわにしながら見つめているのは、私の背後。もう一度振り返ると、扉のギリギリまで縦横に広がるアフリカ象サイズの……太ったワニ?
中途半端に剥けた灰色の薄皮を、あちこち綿毛のようにくっつけている。これじゃあ、ボロボロになった巨大タンポポの成れの果て。よく言って、ダイエットを放棄した灰かぶり姫。
≪ホントにホント? きみって別の世界から来ちゃったの? ど、どうして?!≫
それな。私のほうが訊きたいよ。頼むからこの状況を説明してくれ。つか、私って世界を渡っちゃった人なの? そこ、決定事項なの?
でかい図体に似合わず、ピュアな声音の爬虫類。四つん這いのまま、できるかぎりの低姿勢で私に近づこうとするから、バッチリ目が合っちまう。
何故か向こうの方がビクッとなって、私を避けようと捩じった身体は小刻みに震えていた。そのせいで脱皮途中の皮が、一反木綿の集合体みたいに妖しく揺らめく。
薄皮の下から覗くのは、硬そうな鱗。ホコリや枯れ葉で汚れまくっているのだけど、ちゃんと洗ったらきっと白色……ううん、オパール?
蝋燭や松明の灯りに照らされて、皮の剥けた所だけがぽつぽつと様々な色に輝いていた。なんてキレイ。まん丸に見開いたつぶらな瞳も、とっても愛くるしい。
≪で、でも、ボクは人間食べないよ? ……もしかして、ボクが『エサ』を吐きまくったせい?! うわぁぁぁっどおしよおっ、こわいよぉぉぉっ≫
まずは落ち着け。人間なんて丸っとプチっと踏み潰せそうな、そこの巨大怪獣!
私は溜め息をつきつつ謎の生命体を凝視し、ふと思った。あ、この子、ドラゴンだわ、と。
あー、なるほどね。頭に角二本生やしてるのは東洋の龍っぽいけど、ずんぐりむっくりな体形は西洋の竜そのまんまだよ。しかも、コウモリみたいな見事な羽が背中についてるし。そーかそーか、竜か。
などと完全に感性が麻痺した私が悦に入っていると、いきなり世界が揺れた。じゃない、ぐるりと巨体が動いて、研ぎ澄まされたその爪にリュックごと掬い上げられた。
開け放たれた大扉から出て行こうとしている。強引に地面を蹴って、浮遊しはじめた。
握り潰さないよう頑張ってくれてるのかな。でも緩く抱えたせいで、恐怖のあまりダンゴムシのように丸まった私があっちへこっちへ転がってしまう。竜のお腹は猫の肉球よりもずっと硬いし、脱皮途中のささくれだった鱗が木片みたい。
い、痛い! チクチクする!
ふわんっふわんっと浮き沈みを繰り返すものだから、嵐の中で大波に揉まれまくった小舟のよう。もうどっちが上でどっちが下なのかも判らない。
き、気持ち悪い! 吐く! ヤダ何これ!
このままだと胃の中が絶対に逆流する。あるいはこの鋭利な爪にうっかりぶっすり突き刺さるのが先かも。
超怖い。もうムリ!
竜の腕の間から冷たい風が情け容赦なく叩きつけてくる中で、今日から自称魔王な私は、人生初めて気を失うという体験をしたのだった。
※しょっぱなからエグい描写で申し訳ございません。時空間を超えて生命体を召喚したがる集団ですので、命を犠牲にすることに抵抗がありません。自分以外のものに限る、という但し書きが付きますが。
次からは、ほのぼのもふもふライフへ進んで行きます。基本、ゆるかわ路線です。ここまででお見捨てなきよう、何卒お願いします。




