19. 夜、お喋りする
少し前まで夏だったから、日が沈みきるのはかなり遅い。夕焼け空になっても歩かされて、とうとう黄昏時。老人と白犬の言う『森の避難場所』がやっと見つかった。古代王朝の砦の一階部分だそう。
煙が出るのを調節する魔法陣とか、立て籠もった時の生活が便利になる魔法陣とか、古代の知恵が残っている可能性が高いんだって。
固い石畳でも、爺様のマントを敷けば横になれる。崩れかけたまま蔦に覆われた壁でも、風除けにはなる。天井がないのは……星空が堪能できると解釈しよう。
≪肝心の獣除けの魔法陣は、現代基準なら最低限度といったところか。やはり劣化しておるのう……まぁ、古代竜と上位魔獣がおれば問題あるまい≫
と爺様が安全確認してくれた。うっかり口走ってる『上位魔獣』ってさ、自称『ただの猫』のカチューシャのことだよね。
ちなみに老人だけ、ただの『おじいさん』呼びじゃあ他人行儀だってことで、歩きながら仏語の『パピィ』とか中国語の『爺爺』とかインドネシア語の『カケッ』なんて候補まで検討したのだけど……日本語の『ジジサマ』で落ち着きそう。
本人的には『じじ』の音が気に入ったらしい。仏語ならziziってスラングに音が酷似して、人前で連呼するのは憚られる単語だぞ。舌先の位置が違うから、ゆっくり丁寧に発音するなら完全に別の音だけど。……意味は男性のあそこだ。
そう教えたら、なぜか逆にえらくウケた。こちら世界の老人世代のツボが解らない。
ついでに、危険なジェスチャーの有無も確かめておく。地球(の西欧)で中指おったてたら、即刻ぶん殴られても文句は言えない、と説明すると、≪原始的な世界じゃな≫と呆れられてしまう。
中指を挟んだ両側の指が、たんたん狸さん袋になるのだよ、と意味を説明したら、肉体が無くて試せないのを大いに悔しがってた。やっぱりツボが……以下略。
フィオと枯れ枝を集め、焚き火の準備をする。
屋根つき竈の魔法陣が作動してくれたお蔭で、赤団栗を握りつづけていなくても燃えてくれるし、その上では換気扇みたいなのが回転して、煙が目立たないように拡散されていく。逆向きに作動させたら、狼煙が上るらしいから、本来は救難信号装置として使うのかな。
あっという間に夜の帳が落ちた。昨日の四色四つの月との距離が急に遠のいてしまう。そのせいか、昨夜よりも暗く感じる。四つもあると、海岸沿いは潮汐が凄そう。
≪いや、実は月は一つしかないといわれておる。古から、月に一度の完全な朔を中心とする太陰暦で回っておるしのう≫
≪え? お月様は四つだよ!≫
爺様の説明に、フィオもびっくりしている。
むかしむかし、地水火風のどの属性にも見放された『魔力ゼロの王女様』が朔月の真夜中に生まれました。父親は、夜ごと悲嘆にくれる王妃を励まそうと、国中の魔法使いを集めます。一つの月を四属性各々の色に分けて夜空を照らす魔法を開発させたのです。……つまりは、天体ショー的な?
≪っていう後づけの説明でした、とかじゃなく? その王朝はとっくの大昔に滅んだのに? 今でも効力を持ちつづけられるの? なにそれ、魔法すごい!≫
≪上を歩けば光る道といい、六つ足時代の魔法は現代人からすると、どうにも意味不明というか、ド派手なわりに無駄が多いのじゃ≫
動力源はどこかの遺跡じゃないかというのが古代魔法学の定説。でも何千年も続いているのだから自然界の魔素を循環利用しているはずで……と爺様が小難しい理論を捏ねだした。
ついていけなくなったフィオと私は、お互いに顔を見合わせる。私が『わかんないよーだ』ってこっそり舌を出すと、フィオも真似した。
二人で身体をぴっとり寄せ合い、まったりしていたら、灌木や草の茂みの間から蛍のような小さな光がふわり。あちこちからシャボン玉のように浮き上がり、空へと消えていく。
≪うわぁ……六つ足の時代の王様の魔法?≫
≪あ? まさか……妖精便りのことを言うておるのか?
人里離れた場所ならば、このように月光の弱まる夜は高確率で遭遇する。地層内部に発生した高純度の魔素溜まりが原因じゃ≫
ただの自然現象に過ぎん、と爺様に呆れられてしまった。四つに見える月も、光るハニカム道も、この蛍も、地球人の私からしたら全てが謎のイリュージョンだよ。
森の中を儚げに漂う光玉は、それぞれ一色、何かの色味を帯びていた。赤色のもの、橙色のもの。他には黄色に黄緑、緑のものもある。それから水色でしょ、青や藍、あと紫も……。
あまりに幻想的で、いつまでも眺めていられそう。
≪大陸の南方では、死者の魂が月に帰るという≫
≪北側のこちらだと?≫
≪精霊に仕える小妖精が、生きている人間の行いを月に報告しにいくと捉える≫
なるほど、だから『妖精便り』って呼ぶのね。
爺様の解説に頷きながら、空を見上げた。本当に何かが遠ざかった月を探して飛んでいくみたい。天界に迷い込んだかのような美しさは、魂とも妖精とも。
横を見やると、フィオが古びた煉瓦の壁に前足を預け、うっとりと夜空を眺めていた。母竜はこの光をなんと説明したのだろう。
≪あんたたち、二人並んで何を馬鹿みたいに口開けているのよ≫
――無粋な犬のせいで、一気に現実に引き戻された。
≪不思議な世界だなぁと思って≫
≪いくら不思議でも、食糧は都合よく落ちてこないわよ≫
そういや少し前からいなくなっていたよね。お花摘みかと思ったから訊ねなかったけど、その口元に咥えているのは何。
≪パン。街壁近くの作業小屋にあったわ。日中、人がいた気配が残っていたし、腐ってない筈よ≫
カチューシャってば、大きな葉っぱで包んでくれてた。気を利かせてくれるのは大変ありがたいのだけど、気持ちだけ貰うことにして、元あった所に返してくるようにお願いする。食べ物の恨みって怖いしね。
≪食べないと死ぬでしょ!≫
≪いや、人間も含めて動物って、少々食べなくても平気なように体が出来てるよ?≫
私があっさり否定するものだから、何か言いかけたカチューシャも断念して口を噤む。落胆させたかな。≪ごめんね≫と謝って、白い毛並みをありったけの感謝をこめて優しくなでた。
≪しかし切迫した状況に直面すれば、手段を選んではおられぬぞ≫
私たちのやりとりを眺めていた爺様が指摘する。
≪そうかな? 私は手段を選ぶことも大事だと思う≫
だってね、今の私は運が味方についてくれなくても、平気でいられる程の実力や資源には恵まれていない。フィオの首に巻きついた黒い糸をほどくためには、本当に沢山の幸運が必要だ。
≪正しいことをしたから必ず運に恵まれるってわけじゃないだろうけど、悪いことをしたせいで天に見放されたら、自業自得で文句の一つも言えないじゃない。
それにこれ以外、幸運を引き寄せる方法なんて思いつかないし≫
死を忘れるなかれ、メメント・モリ。
誰の肉体だって最後には訪れるもの。その先に待っているのが天国の天帝様だろうと地獄の閻魔様だろうと、真っ正面から『フィオは幸せにしてください』ってお願いできるだけの恥じない生き方をするんだ。
≪あ。爺様の宝石も、いつか返せるように頑張るね。必要な分は換金していくと思うから、お金での補填になっちゃうけど≫
カチューシャはパンを返却しに、ふたたび姿を消してしまった。焚き火の明かりを強めて、地球産の小石を寝床の四隅に配置する。夜が怖くなくなるおまじないだ。
≪ワシは死んでおる。返されても使えぬわ≫
≪でも、一族とか友達とか≫
≪かような者はおらぬ≫
≪じゃあ、爺様が死後、自分の財産を活用してほしかった所。思い入れのある孤児院とか、応援している動物保護団体とか、頑張っている無職の人用の職業支援団体とか、治ってほしい難病の研究機関とか≫
爺様、なぜにそんなに考え込むよ。どこも当てがないのかい?
≪今までお給料で余った分って、どこに寄付してたの?≫
≪…………貯めた≫
≪死んだら持っていけないから意味ないじゃない≫
≪予定では、あと一年以上生きれた。何度か寿命を調べるたびに、そう出ていたからな≫
魔術ってどこまで発展しているんだ、この世界。
そして『一年』は、日数だけで単純に考えると、地球の一年半かな。この星は一年で十八箇月あって、ひと月は二十九日らしいから。
だけど、一日が十六時間と説明が続くものだから混乱してきた。でも地球の自転速度だって16で割ってもいいわけだし、地球の一時間半がこっちの一時間と似た長さなのかもしれないし……ぐるぐるしてきた頭を私が抱える横で、爺様も唸っている。
≪違法結界の突破に、かほどの魔力が奪われるとは。あまつさえ禁忌の呪術なぞ……≫
寿命はあくまで予定であって、未来が必ずしもそうなるわけではないらしい。ほら、やっぱり運などの不確定要素が絡んでくるのだ。
≪じゃあ、ゆっくり検討しておいてよ。私もフィオの黒い糸が外れない間は、余分なお金ないし、外れた後に稼ぐのも、異世界人じゃまともに雇ってもらえるか怪しいしね≫
一生かけての返済計画になるかも。フィオが隣にいるから言わないけれど、戦争が近づけば私は真っ先に死ぬ可能性も考えないといけない。契約の抜け穴、一個見つけちゃったんだよね。フィオの自己申告が正しければ、って話だけど。
≪芽芽、お前は『変わっている』とよく言われるじゃろ≫
≪え? うん。よく判ったね≫
なぜバレた。そーなんだよ、そのセリフ。どの国行っても、西洋人だろうが東洋人だろうが、少し話すと言ってくる。親なんて、事あるごとに眉をひそめて私を貶すから、もう原因を考えるの、面倒臭くなった。
≪私は、大多数がわいわい入ってる輪の外側に弾き出された、異端なんだって≫
自分と同じだ、と苦笑していたおじいちゃんを思い出す。偏屈者扱いされていたお年寄りとは妙に馬が合って、『あんたは普通じゃないね』と面白がられた。
≪私にとってはこれが『普通』なんだけどなぁ……≫
奇をてらっているわけでは決してない。いじめの標的になるから、目立つのは極力避けてるのに。気がついたら、毎回なぜか悪目立ちしているというこの悪循環。
≪ならば堂々としていろ。ついでに変人を極めろ。そうすればワシのように、周囲なぞ気にならなくなる≫
あ。爺様も変人仲間でした。しかも私よりも重度かも。
≪えー、でも周囲は警戒したほうがいいと思う。異端者って弾劾されやすいから≫
私、魔女裁判の時代だと、絶対火炙りにされていたと思う。
≪爺様だって、呪いで狙われたじゃない。いわゆる『普通』の人たちって、ナチュラルに怖いよ≫
霊山で倒れたことを思い出したのか、爺様も呻いた。あの人たちって、異端認定したら全方向で排除してくる。飛び出た釘が上向きだろうと下向きだろうと容赦ない。
会話しているとカチューシャも戻ってきて、犬と私と竜で川の字になって眠りについた。
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※「たんたん狸さん袋」が何か解らない方は、信楽焼の狸を画像検索して、足元付近に焦点合わせてください。




