15. 魔石を回収せねばなりませぬ
≪待て。魔石を回収しろ≫
上体を起こしたゾウアザラシみたいな造形の、いかつい岩の合間をくぐり抜けたら、リュックの中の熊老人がまた変なことを言いだした。
『魔石』なるものは、魔獣の体内にある『魔核』とは違うらしい。単純に魔法の石って意味でいいのかな。
≪これよ。この石が結界の穴の四隅に固定してあるの≫
私は猫が鼻タブでくいくいっと示す先を覗き込む。
岩陰には、ダイヤモンドのように幾重にもカットされた五百円玉くらいの黒い天然石が地面すれすれで浮いていた。ブラックオパールのような無数の色彩を放っている。
さっき、虫篭の透明びよ~ん壁を木の枝で引っ張って穴をこさえたのと同じ理屈か。周囲の空気を蛇杖で突くと、石で囲われた内側は抵抗がないのに、外周りはむにょ~んとなる。
虫篭よりもずっと分厚い、タイヤのゴムみたいな弾力。あんまり力を入れると魔道士に感知されると忠告されて、慌てて杖を引っ込めた。
これを回収するのね、と手を伸ばす。
≪芽芽ちゃんっ! ダメだよ、そんな風に触っちゃダメ!≫
≪え? でも回収――≫
しろって言ったよね、老人。フィオがなぜ慌てて止めてくれたのかが理解できない。
≪魔法陣も解かずに無理矢理動かすな! 結界を張った連中に衝撃が伝わると言うておろうが! そんなことも知らんとは、やはり異世界人か。魔術は真正のど素人であったか≫
≪結界に使用中の魔石をいきなり触ろうとするとか、魔術の知識は間違いなくゼロね! この世界じゃ、一般庶民でもありえないわっ。恐ろしいほどのバカねっ≫
…………のび~る透明壁に触らなきゃ、大丈夫だと思ったんだもん。虫篭に突っ込んだ枯れ枝と似たようなものだと思ったんだもん。
≪って、また勝手に私のこと試した! するなとは言わないけど、この竜を危険に曝す可能性があるものは禁止! 神殿の魔道士を誘き寄せる可能性があるものは絶対禁止!≫
嫌ならミーシュカから出てけ、と老人を睨みつける。きみはミーシュカと私の好意で、その中に入っていられるのだよ、肝に銘じようね。
≪…………魔石の取り方を教えるぞ≫
話の逸らし方、相変わらず下手だ。反省の気配が見られないけど、場所的にまだ危険区域なので矛を納めることにする。武士の情けだかんね。
私はフィオにお礼を言って、教わったとおりに補助具の一つに魔力をこめた。今度は天道虫さんがくれた黄色の飴玉みたいなやつ。石に作用させるから、地魔法系の補助具が必要なんだって。
しばらくすると、老人の描いたという魔法陣と結界の合間から、魔石が転がり出てきた。
≪じゃ~か~ら! 素手で掴むでないわ!≫
≪ねぇ、バカなの? バカなのね!≫
…………いじめっ子二人組が五月蠅い。言われた通りに老人の斜め掛け袋を漁る。中は空っぽだ。内ポケットなんてあったっけ?
「え?! わわわっ!」
何コレ。ポケットと念じたら、急に底なし穴が出現して、腕がずぼっと嵌まったよ。うわぁ、気持ち悪い! 腕が消えたあああああっ! って、袋を放り投げたら猫がこれ見よがしに溜め息をつく。
≪魔導具なんだから、当然でしょ≫
≪まぁ、これは通常の荷物袋に擬態しておるからな。劣化防止の機能を省いた分、収納力は特級と同等じゃ≫
『特級』がどんなレベルなのか不明だけど、なんかスゴイらしい。魔法の収納袋なんだって。
≪じゃあ、このかさばってるローブも仕舞えるってこと?≫
≪……そ、それは! そのじゃな、うむ、ちと難しいかの≫
袋もローブも複雑な術式が組み込まれているから、反発して歪みが生じる危険性がどうのこうの。ゴツイ靴も術式がどうのこうの。激しく馬さん鹿さんじゃん!
≪このジジイ、結構忙しいのよ。対で作る暇なんてなかったんだから、仕方ないでしょ。
そんなことより、わたしが該当する魔石箱を念じるから、手繰り寄せなさい≫
猫が私の腕をがしっと掴む。この状態のまま内ポケットの一つをゴソゴソやると、丸い木のボールみたいな感触が手のひらにポフッと当たった。大きさのわりに軽いから中は空洞なんだと思う。
外に取り出してみると……白木をくりぬいたような、お子様サイズの蓋つきのお椀?
≪木ではない。浮遊石をくりぬいたのじゃ。荷物の軽量化を兼ねておるからの≫
『浮遊石』は魔石の一種。役割を絞って量産されたものは、黒以外の色になるらしい。浮遊石は、ほわんとした象牙色。
荷物の中に入れておくと、一定の範囲が軽くなる。上質のものなら、大男が抱える酒樽数個ぶんでも羽のような軽さになる。これは魔石用の箱も兼ねているから、≪浮遊石としては、そこそこのレベル≫。……あかん、標準がわからん。
それでも私のリュックに入れたり、ローブにくるんだりしたら、きっととっても軽くなるとのこと。俄然やる気が出てきた。猫に腕にしがみついてもらって、残りの三つのお椀も取り出した。
足元の地面すれすれで浮遊している黒い魔石二つは、お椀とその蓋の間にカポっと挟んで、それぞれ回収。頭上に浮かんだ二つ……は無理だ。老人、どんだけ背が高いの。
≪身体系の魔術は下手なのね。この程度、さっさと浮かべばいいでしょ≫
翼のない猫が私の頭より高く跳んだかと思うと、すかさず肉球パンチをかました。一撃で転がり出た魔石は、地上までゆっくりと降下していく。今のって、完全に素手だよね?
≪だってこの男の契約獣だもの。鍵なんて必要ないわ。
それに最初からわたしが穴を閉じたら、魔石にどう反応するかを見れないじゃない≫
≪あとは魔力循環の速度もな。術者以外は暴ぜる罠を仕掛けておいたのじゃが、史上最短の解呪じゃったぞ。ただし空中浮遊に手間取った点は、鍛錬が足りぬのう≫
年長二人組が私をおもちゃ扱いしてる。しかも暴発って何ソレ。抗議しかけたら、≪さほど危険ではない≫って、だ~か~ら! どの程度か標準がわかんないし! 知識が足りなさすぎて、わじわじするっ。
私はむすっと膨れフグのまま、魔石入りの浮遊石お椀を一つ、老人の斜め掛け袋に詰め込んだ。提案された通りに、丸めたローブの中央にも一つ押し込んで、リュックには二つ。
荷物を抱え直したら、ホントに羽みたいに軽くなった! 魔法、スゴイ!
って、魔法のお椀も、魔法の収納袋も、魔法のローブも、魔法の靴も、熊老人の手作りなのよね、改めて考えると。これで『しがない教師』は無理があると思う。
他にも証拠を積み上げて、いつか正体を自白させちゃる!
決意も新たに、巨石群の一帯を抜ける。時々足場を取られそうになってたから、ふたたび古代の砂利道に戻ってホッとした。
でも、ここまで民家も掘っ立て小屋も全然見えなかった。視界は背の高い針葉樹林が遮っていて、里の風景の断片すら窺えない。ひたすら歩くのも不安になってくる。
≪フィオ、一つ訊いてもいい?≫
さっきから気になっていたことを切りだす。私と同じ背丈の緑竜は、呑気そうに≪いーよー≫と応えた。
≪奴隷契約のこと、解ってたんでしょ≫
私が老人を問い詰めているとき、驚く様子もなかったし、話にも加わろうとしなかった。猫が連峰の話をしたときも、自分には関係ないようなフリしてた。
もしかして、無理だって諦めてる?
≪…………うん。ごめんね≫
≪謝るところじゃないから! 謝るとしたら、むしろ人間の私だし!
ほんと、ごめん。最低だよね、人間。こんな契約、絶対にしちゃいけない。
巻き込まれた魔獣にだって失礼だよ、そんな非道な理由で殺されるなんて浮かばれないよ。
フィオはもっと、浮かばれないよね、やってられないよね。ほんと、ごめん≫
あー悔しい。さっきまで我慢できた涙が、とうとう限界値を突破した。フィオが、ますます悲しそうな顔をする。
≪ごめん、泣き止む! 私は泣く権利ない。泣いていいのはフィオだもん≫
袖口でごしごし目元を拭って、なんとか涙を押し留めようとした。
≪そんなことないよ。芽芽ちゃんが泣いてくれて、ボクうれしいもん。ありがとう≫
そんなこと言われたら、涙が止まらない。ああもう、罵倒して。人間なんて自分勝手だって、怒ってよ。
≪無理だよ~。芽芽ちゃん、好きだもん≫
≪うぇぇぇぇっ。フィ~オ~っ≫
あかん、涙が次から次に決壊を超えちゃう。
フィオのもきゅもきゅな肩にぎゅむっと抱きついた。老人のハイジャックならぬ熊ジャックによりミーシュカとのもふもふが失われた今、私の癒しは竜の鱗しか残されていないのだ。
≪そこのお花畑組。真剣うざいから、泣き止んでくれるかしら≫
……この猫、キライ。
フィオの爪の垢でも煎じて飲んでろ。
私は右足をちょっと上げ、しっしっと軽く蹴る真似をした。猫がおしっこの時に後ろ足で砂かける感じね。角度的にも距離的にもまったく当たってないけど。
しばらくすると、先頭の片耳へにょんこ猫がくるりと振り返った。
≪小娘、ここから先は念話のみ。音立てないでよ≫
≪え、なんで?≫
≪もうすぐ霊山の出入り口なの。傍に管理小屋が建ってて、常時、数人の兵士が詰めているのよ≫
さっきの結界が出口じゃなかったのか。でも音立てなくても、姿が丸見えなら捕まっちゃうじゃん。
≪だから次の角を曲がったら、竜に乗るか、身体強化の魔術を使うかするの! 横手が急な崖になっているからそこを駆け下りなさい≫
うん。この猫、さらっと言ってることおかしい。




