10. 死体を説得せねばなりませぬ
※芽芽視点に戻ります。
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「魔障退散! 南無阿弥陀仏!」
≪め、芽芽ちゃん?≫
≪悪いお化けを追い払う呪文!≫
フィオも心得たとばかりに、近くに落ちていた枝を口に咥えると、隣に来て首をブンブン振りはじめる。いや、肉体のないアンデッド系は波動が肝心なんだよ。音波攻撃だよ。
一旦、蛇杖を振るのを片手だけにしてリュックを下ろし、急いでフィオにガムランボール心臓のミーシュカを渡す。君はこの子を振りたまえ。そしたら音が鳴るから。
≪生きてる人間の気配は、相変わらずゼロなんだよね?≫
≪うん! 大きな獣も中くらいの獣もいないよ!≫
フィオの言う『大きな獣』は熊や竜サイズ、つまり成人と同等の大きさ以上。『中くらい』は狼や猪サイズだ。
魔王軍三人で仲良く、シャンシャンシャン。
神社仏閣で音色を逐一確かめ厳選購入した、いくつもの水琴鈴や宝来鈴が鳴る。つまりこの杖は、山奥で修業を極めた天狗の錫杖で、神様に愛された巫女さんの聖なる神楽鈴だ。加えて、うねうね蛇さん杖は神様のお使いであり、注連縄の化身だ。私がそう決めたのだからそうなのだ!
言葉には魂が宿る。名は体を表す。異論は受け付けない。
澄み渡った青空。辺りは、真上の太陽から降り注がれた陽の気で満ちている。地面の老人と猫は、ピクリとも動かない。そしてシャンシャンシャンは……続けると疲労を蓄積する。ここらで別のムーブを試すか。大丈夫、私は魔王、魔王は強い、強いは…………駄目だ、緊張してるせいで浮かばない。
勇気を出して近づいてみると、がっしりした北欧系の骨格に赤みの消えた白肌。昨夜の密室と同じ人種だ。
横向きの頭部は、大半がフードで覆われている。腰までの白い髪と髭のウェーブが山姥みたい。口からダラリと零れて固まっている血の塊や、カッと見開かれたままの眼球は、見なかったことにしよう。
遠目には中世の修道士っぽい足元までの濃い紺色ローブは、木漏れ日が当たっているのに光沢がまったくない。丁寧に編まれた背広のような生地。
よく見ると縫製技術も高い。というか、時代区分が掴めない。ケープも付いてて、近代イギリス紳士のインバネスコートみたく見えてきたし。
異世界の常識なら、どこのどんな団体に所属しているのか判るだろうか。
フィオに訊ねると、項垂れてしまう。少なくとも悪い魔法使いの制服は全員が白一色だったらしい……洗濯、大変だな。
靴はくるぶしの上まで裏革で覆ったモカシンのようなもの。足底部分も厚手の革……いや、これってゴム底なのかな。やっぱり地球の時代区分で推理しようとすると、頭が混乱する。
高級ペルシャ猫っぽい真っ黒毛玉の剥製も不気味。目がまるでこっちを睨んでいるようで落ち着かない。
≪ねぇ、あそこに袋が落ちてるけど、この人の持ち物かな?≫
遺体から少し離れた道端に、肩から掛ける細長い荷物袋がぽつんと転がっていた。罠シリーズは十年か二十年は放置されてたんじゃないかって風化具合だから、これは該当しないと思う。つい数日前まで現役だった感が漂ってる。フィオを誘って近づいてみよう。
≪結構いい縫製のバックだね≫
素材は帆布なのかな、厚手のがっしりした暗い薄青色の布。
中央にこぶし大の模様が薄緑のグラデーションで刺繍してある。枝を大きく広げた菩提樹のようなモチーフだ。
留め具は金属。ベルトなんかと同じピン式バックルやリング式バックルが付いている。ちょっと動かして地面に隠れていた部分を覗き込むと、肩掛け部分の太紐は一本しかないから、片方の肩に引っ掛けるか斜め掛けするのだろう。
染色技術といい、現代社会でも普通に商品化されていそうなシロモノである。
これなら私のリュックも変じゃないかも? 今履いている靴と違って、蛍光色や極採色じゃなく、地味な藍色一色だし。中はファスナーだけど、同じくピン式バックルで上から蓋をするようになってるし。ショルダー部分の紐調整がプラスチックなのが気になるが、暗めの藍色だし見逃してくれないかな、うーん。
≪あの、おじいさん。中、見せてもらってもいいですか? ダメかな……≫
魔法使いの仲間かも知れないし、悪人かもしれない。でも、だから荷物を漁っていいなんて道理はないと思う。
私は背負っていたリュックを置いて正座した。若干距離は置きつつ、老人も猫も見える場所から、念話でフィオと自分の自己紹介をする。
直接何か酷いことをされたわけではないので、魔王云々とハッタリをかますつもりもない。
そもそも論として、こちらの世界には魔王も魔族も存在しない。「たぶん」が一杯くっついたフィオ情報だけど、しつこく魔王と念じてみたら、≪えっと、わるい王様? 人間の?≫と困惑してたし。
同じ体勢を試みた緑竜が真横に倒れるというハプニングを挟み、結界に閉じ込められて困っていること、脱出しようと試行錯誤していること、外の世界がよく解らないので出来るだけ情報を集めたいこと、を懇々と説明した。
そして大変失礼ながら、お金に換えられるものがあるのなら譲ってほしいともお願いする。……ぶっちゃけ、占有離脱物横領罪です。遺体に話しかけたって、犯罪が軽くなるわけでもなく、単なる自己満足です。最低です、すみません。
私は白髪老人と黒猫に向かって深々と頭を下げる。正座を断念したフィオが、ミーシュカを抱えたまま、横で首を振って一緒にぺこりとお辞儀してくれた。
≪あ、でもせめて、お弔いさせてください≫
昨日は頂上の神社に寄った直後に小豆の豆腐な展開になってしまったが、本来ならあの後、途中まで下りて、隣の山へ伝い、おじいちゃんの遺灰を撒いた辺りで一休みするつもりだったのだ。
どこいったかな。リュックから縮緬風呂敷を出して広げ、巾着袋や魔法瓶をその上に並べていく。あちこち引っ掻き回し、底のほうに潜む小さなビロード袋をやっと発掘できた。
≪音叉と申しまして、こちらの水晶の塊をこの金属の先で叩きますと、周囲を浄化する音が出るとのもっぱらの評判なのです≫
……なんかお商売人の売り口上みたくなってきた。普通はお線香するのだろうけど、山火事になったら怖いから火の出るものは避けたのですよ。プラス故人の趣味と相なりまして、こういう厄除け浄化グッズに落ちついたのです、はい。
私は先端の尖った水晶原石に中指くらいの長さの音叉を当て、辺りに倍音を響かせる。
りぃぃぃんっと澄んだ音色に合わせて、杖もシャンシャン振った。フィオはミーシュカのガムランボールで、クワララン。
三人合わせて、魔界のお祓い音楽隊でござい。




