7. 水を探してあげましょう
フィオの視線の先には、私の膝くらいまで盛り上がった……きっちし正三角錐にカットされた人工物。ピサの斜塔みたく傾いているし、クフ王のピラミッドみたいに頂点が欠けているし、周りを覆った苔はどこも枯れて茶色くなってたけど。
≪……何コレ≫
問題はその後ろだ。小型ピラミッドよりも、少しだけ低めの素焼きの植木鉢。人間の腕がすぽっと入るくらいの穴の開いた木製の蓋を蛇杖でズラすと、まん丸な水妖怪!
……もとい、太った蛙が内部で仰向けに倒れていた。コバルト矢毒ガエルを手の平一杯まで拡大して、黒い斑紋を消したら丁度こんな感じ。
≪フィオ見て。この子、起き上がれないのかな?≫
古ぼけた鉢なのに、中は妙に光沢があってよじ登れない。底には干からびた籾殻。
これって、ネズミ捕りの罠バケツっぽいぞ。本来は途中まで水を張って、表面に籾殻を浮かべて、地面だと騙されたネズミを溺れさせるんだよ。ずいぶん昔から放置されていたのか、水は一滴も残っていないけど。
喉元がヒクヒクと上下している。私たちを敵だと思って死んだふりをしているのなら、そっとしておくべきだろう。見事に危険そうな極彩色だもの。
≪もしかしてモンスター系? 毒ガスとか毒液とかで攻撃してきたりする?≫
≪ええ?! 芽芽ちゃんのいた怖い所って、そんな怖いカエルが存在するの!?≫
いや、こっちの世界ではどうなのって話でね。地球だって、ヒキガエルやアマガエルの皮膚に分泌された神経毒なら、目や口に直接入れない限りはそこまで危険じゃないし。
≪ねぇ、なんだか、とっても苦しそうだよ……≫
フィオが悲しむので、鉢植えモドキの中に枯れ枝を数本入れてみた。衰弱しているのか、登ってくる気配がない。
罠容器ごと横へ倒すことにした。すすす……と仰向けのまま滑り落ちてきたカエルの下へ杖をあてがい、テコの原理でぐるんと引っくり返す。
無事救出したのはいいんだけど、じっとうずくまったまま。のっそりと下から瞬膜を動かしたから、死んではいないはず。久しぶりの外気を味わう刑期明けのオッサンみたい。
≪とっても重たそうだよ……お願い、さっきみたいに魔法をかけてあげて?≫
フィオが変なことを言いだした。
≪ボク、芽芽ちゃんが唱えてくれた魔法で、すっごく元気でたもん!≫
祝詞のことか。気休めかもしれないけれど、言霊って言うくらいだし……カエルの色的には、薬師瑠璃光如来の真言が合うかなぁ。
「唵、疫病を除き給え、不可触の女神よ、不浄を厭わぬ女神よ、叶え給え」
うちの里宮は江戸や明治の神仏分離政策を巧妙にかいくぐり、今でも境内に仏像が祀ってある。龍神様の湧き水もあるし、常香炉から煙は出てるし、マニ車は回っているし、因幡の白兎の石像はカモミールやタイムの草絨毯にわらわらいるし、病気を治してくださる方なら森羅万象オール・ウェル亀、という大らかな聖域だ。
凝り性の宮司さんが着任してからは、こうしたサンスクリット語の立て札まで出来たし。気功師の老人とおじいちゃんと意気投合して、三人で山頂の奥宮に鎮座する縄文時代の巨石群の研究もしてたっけ。
目を閉じて、両手を合わせて、「ふるふる」と何度も唱える。青い蛙がいきなり跳びかかってきたら怖いので、ちょっと距離は保ちつつ、ついでにお墓っぽい枯れ苔ピラミッドにも祈った。
陰鬱とした窪地に、やっと気持ちの良いそよ風が入ってくる。それでも、やっぱり瑠璃の御仁は微動だにしない。
≪フィオ、この近くに水源ってある?≫
細菌感染なら治してあげられないけど、脱水症だったら少しは手伝えるかも。二人で水を探してみると、辺り一帯の土が岩のように固くなっていた。森ってもっと、しっとり感がある場所じゃなかったっけ? ここまでの道すがら、泉は見かけなかったし、川のせせらぎも聞こえてこなかった。
いっそのこと玄米茶を冷ましてかけるか……駄目だ、このサイズの生き物にとって、カフェインが神経毒となる可能性がある。
≪フィオは? これまでどうやって水分補給してたの?≫
≪雨がけっこう降って水たまりが出来るよ? ちょっと前までは雪も残っていたし≫
……じゃあなんで、ここだけ乾燥してるんだ。光る道と斜めったピラミッド、エメラルドグリーンの鱗に変化した小竜と瑠璃色の蛙が、殺伐とした風景のなかで悪目立ちしていた。
そんなに疲れていないらしいので、ミニフィオに低空飛行を提案。腕に巻いたシュシュを私が預かり、元来た道から湿った落ち葉の塊を持ってきてもらう。それで蛙の周りを囲み、お布団みたいに薄っすら背中も覆った。
フィオを待っている間に、周囲の土に埋もれていたピラミッドの一番上の欠片も発見したので、ぽそっと嵌める。すると頂点がはっきりして、全体が斜めっているのが余計に目立つようになってしまった。
≪このお墓もどきも、一緒に押して直してみる?≫
≪さんせーい!≫
竜のピュアさに癒される。土台との間に挟まった枯れ枝や土を、杖の先っちょで掻き出して、二人で押す方向を検分し、私の掛け声を事前にフィオに聞かせて、よし本番!
フィオ曰く、森の出入り口や光る古道の傍らには、小さな三角錐の石像が設置されている。動いたためしがないから、機械装置ではない。
しゃがんで手を合わせる人間を何度も目撃したそうな。きっと、この世界の道祖神やお地蔵さん扱いなのだろう。
「いっせーの!」
まるで磁石でも底に貼っていたかのように、一発で成功した。しかも初めてフィオが、「キュキュキュッ!」と私でも聞き取れる音を発した。
≪今の、何て意味?≫
≪え? あれれ? ちゃんと声が出た!≫
これまで、脱皮途中で首が絞めつけられていたのに加えて、無音にする魔法がかけられていたんだって。フィオが口を開ける度、超音波でも出しているのかと思ってた。
日の出を拝みながらの喉風船ポッペンポッペンは、体内の生理現象。人間のお腹が、ご飯前に勝手に鳴るのと似たようなもの。あれじゃあ、空高く飛ぶ他の竜にはSOSが届かない。
次に飛行中の竜を見かけたら二人で叫んでみる? でも竜騎士が騎乗している可能性が高い。国家公務員だよね。信用できるかどうか……。
≪すごいよ芽芽ちゃん、ホントにすごい魔法使いなんだね!≫
……いや、声ってストレスでも出なくなるらしいし。単に悪の巣窟近くの砂場から離れたせいじゃないかな。それか中途半端な脱皮状態から解放されたからとか。
でも団栗を握ったら私でも火が出せたしな。ホントのホントにどっちなんだろ?
呪文と言えばラテン語や古代ギリシャ語だ。青い蛙相手に、「癒えよ」とか「修復せよ」とでも唱えて実験しておく?
駄目だ、さっきから頭の中の思考が五月蠅い。未知の場所なんだし、『考えるな、感じよ』で全方位に意識を拡げなきゃ!
胸元をトントン叩く。うん、落ち着いてきた。フィオが真似をするので、心臓の辺りを軽くね、と注意しておく。竜の胸腺の位置なんて判らないけど、元気になるおまじないだと思えば、多少のプラシーボ効果はあるだろう。
ということで枯れ木に囲まれるという殺風景の中、二人並んで光る道の上に立つ。
ゴリラになってドラミングのセッションしてみた。
≪これね、私の星にいる、筋肉ムキムキの、森の主みたいな大きくて優しい獣の仕草なんだよ!≫
≪こうすると大きくて優しくなれるんだね!≫
なんとかなるんじゃないかと思えてくるから、おまじないって不思議。
≪そうだよ! 私たちは心も体も強いから、きっと大丈夫!≫
≪すごく強いね! きっときっと大丈夫だね!≫
瑠璃色の蛙が、苔ピラミッドの横で太腿を悠然と上げた。まるでお相撲さんだ。
元気になってきたらしい。私たちに同意するかのように、フュルルルルル! と何度か鳴いてくれる。
矢毒蛙のような派手な見た目と、河鹿蛙のような繊細な歌声ゆえに、『ギャップガエル』と命名。
フィオが運んできた濡れ落ち葉の中に再び潜ると、今度はツヤツヤ輝く青い実を出してきた。蛇の髭の実を数倍大きくした感じ。ぷにぷにした蛙手で押して、落ち葉に阻まれて、また押して。何をしてるんだろう。
≪芽芽ちゃんに贈り物?≫
鶴の恩返し的な? だとしたら落ち葉を運んだフィオにじゃないの?
謙虚な竜が激しく辞退するので、ポケットのある私が預かることにした。ついにコロコロこっち側に転がってきたのを、ひょいと摘まむ。南天みたいに固くて……ひんやり冷たい。
そういや、さっきの団栗。反対側のポケットに手を入れると、まだ温かい。これを握って火が出たってことは、こっちの実だと水でも出たりして?
まずは水の神様にご挨拶。そして空気中の酸素のペアをこっちに寄せる、とイメージ。極小の水素ペアは拡散しちゃっているだろうから、上の雲や下の土、あちこちからかき集める。そしてH2Oを2セットずつ、高速でくっつける!
「ひょわっ!」
パンッという爆発音がして、親指の爪先ほどの水滴が私の足元に飛び散った。
≪すごい!≫
いや、フィオ、変だよこの世界。気味が悪くなってきた。なのにギャップガエルが、期待のこもった眼差しで熱心に見上げてくる。
仕方ないので、今度はピラミッド下の窪みめがけて水の玉を作る。池サイズは無理だから、せめて水溜りを。
……あれ、なんだかふら~っとしてきた。
≪芽芽ちゃん! 魔法の使いすぎだよ!≫
母竜によると、魔法というのは体内に取り込んだ自然界のエネルギーから生成するものらしい。なので貯蔵量をオーバーすると、一気に身動きとれなくなってしまう。
≪それ……先に言って……≫
私が呟くと、フィオがしゅうううん、と項垂れた。責めてないってば! 私が勝手にやったんだから、もう。
なるべく明るい表情を作って、小竜を安心させなきゃ。
ちょっと休憩しようよ、と断って、私はリュックの中のフルーツチップスを漁った。
フィオは、まだお腹が空かないらしい。でも水溜りの横にちょこんと座って、ギャップガエルの優しい歌声をうっとり聴いている。
私が近づきすぎると危険だよと注意すると、≪毒は多分ないと思う≫と、のほほんと応える。竜的にそういうのが何となく判るんだって。……だったら悪徳魔法使いも初めから避けよーよ。
≪脱皮の時は色々と鈍くなっちゃうの。魔法も使えないし≫
だから本当は洞窟の奥なんかに事前に籠もっておくんだと。母竜を亡くしたばかりのフィオは、そういう判断がまだ一人で出来ないらしい。
≪そりゃ仕方ないよ。経験則ってのは、どうしても回数こなさないとね。でも、今回で一個、賢くなったじゃん≫
≪そ、そうかな? だったらいいな≫
照れたフィオが、エメラルドグリーンの身体を左右にゆらゆらと揺すった。魔王軍のくせして、天使か!




