6. 森の中へいざ進まん (2日目)
※翌朝の芽芽視点に戻ります。
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朝焼けの空は、まるで巨大な虹の絹織物。青や桃や橙色の雲が幾重にもたなびいていた。
岩の上に座った謎グマのミーシュカ、その横に立った私、私と同じ高さになった竜のフィオ。魔王軍の三人衆が並んで壮大な日の出を拝む。
≪朝の太陽は元気の素が詰まってるんだよ≫
キラキラした光を指の先まで取り込むところを想像するの、と説明すると、ぽよよん腹でフィオも気持ち良さそうに朝日を浴びていた。ミーシュカの極上モフモフ毛皮も神々しく輝いている。
こうしてしばらく現実逃避していたけれど、いい加減、向き合わねばならない物体が背面に鎮座ましましていた。『魔王城を囲む地獄の樹海』とでも形容したくなる、おどろおどろしさ。奥は暗くて見通せないし、巨大な針葉樹の皆々さんが無言で威圧してくる。
フィオによると、悪い魔法使いですら中に入りたがらない。『なんかね、呪われてるから嫌なんだって』ってぇ……ヤバイやん。
とはいえ、両横のロック・クライミングは運動音痴の私には到底無理だし、遠方からも丸見えになる。目の前の比較的手入れされた林を下って、敵陣ど真ん中の建造物へ近づくのも危険臭がプンプンする。
≪どんな風に呪われているかは、はっきりしないんだよね?≫
≪うん。罠とかは無かったよ。ボクは何度も入っているけど特には≫
さっきの栗鼠玉は立派な罠の一種だと思うが、水は差すまい。多分、大掛かりな仕掛けはないってことなんだろう。
ある意味、この竜だって『呪われている』と言えなくもない。国同士を戦争させようっていう極悪人に捕まっちゃったんだから、アテにしてよい感性なのやら。
それでも……森に入る以外に逃げ道が思いつかない。
おじいちゃんなら、旅先の知らない場所でどうしてた?
登山靴を解いて、麻糸の足袋型靴下を脱ぐ。入山前に靴下の内側に入れていた、おじいちゃん家の蛇苺や桃の葉っぱも取り去る。
足を肩幅に開いて、裸足で立つ。全身を一度うんと緊張させてから脱力して、踵重心で丹田に意識を置いて、目を閉じたまま深呼吸。整ったら森に入ることをイメージする。さて、呼吸が浅くなるかどうか。
こういう時は頭でこねくり回すんじゃなくて、直感を研ぎ澄ませるのだ。『考えるな、感じろ』の世界である。……うん、わからん。
≪どう? 森から危険な感じする?≫
≪よ、よくわかんない≫
横でフィオも、『大地と一体化』とやらを真似してくれていた。
上空で鳶みたいなピーッという甲高い声が響く。静かになった隙を見計らい、柏手を数回打ってみた。
音の波は……ちゃんと広がっている、と思う。濁った感じはしないもの。フィオのトカゲっぽい手だと、ぺふぺふって変な音になっちゃうけど、やっぱり淀んでなかった。
人生バクチだ。腹をくくろう。契約上、私はフィオに生きたまま食べられることを期待されているのだ。こんな開けた高台では、魔法使いが確認に来ても隠れられない。
外見を子どもドラゴンに逆行させた緑のフィオ、藍色リュックサックから顔だけ覗かせた黒珈琲色のミーシュカ、そして黒色パーカーのフードを被った私。
出立の準備を整え、右横から朝日を浴びつつ、三人で森の前に立つ。
もう一度だけ、後ろを確認。焼却炉にした固い岩は、熱でも変色せずに耐えてくれた。特殊な機械で調べない限り、竜の脱皮跡を証拠隠滅したとはバレまい。ズタボロ雑巾竜を形成していた落ち葉やホコリは、風が吹き飛ばしてくれるだろう。
「弥栄ましませ!」
最期の念押しで、森の神様にご挨拶。フィオも腰元から深くお辞儀しようとして、見事に転がった。人型じゃないんだし、首から上でいいってば。
入り口の半日陰には、カタバミらしき草が群生している。今からもぎります、と断り、ハート型の三ツ葉を採取した。一つ潰してみたけれど、速攻でかぶれる気配はない。大きめの葉っぱを内くるぶしのあたりに入れて、履きなおした靴下で挟む。
≪それも、まほう?≫
≪おじいちゃんの健康法。自然と一体化するんだって≫
フィオが真似したそうに、モジモジしている。しかし竜サイズの靴下はない。
少し思案して……大ぶりの杏子色シュシュをリュックから出す。布の綴じ目が解けて、虫食いみたいに見えるから予備用に突っ込んでいたのだけど、ちょうど活用できそう。
長い茎ごと数本抜いて、穴のなかに茎部分を通し、ハートの葉っぱだけ顔を出すようにして。フィオの前足に、花束のブレスレットみたいに通してあげた。
≪お揃いだね!≫
ご満悦のフィオが、いつも通るコースを案内してくれる。
≪それでね、ここでね、こっちに曲がるの≫
歩いて歩いて、私は激しく後悔した。せめてどこから入ってきたか、判別のつく地点で頑張るのをやめるべきだった。
そりゃ大型獣なら強引に突っ切れるだろうけどさ! 巨大な倒木の下をかいくぐったり、腰よりも高い段差の岩肌を四つん這いで上がったり。もはや『獣道』と称していいのかすら疑問だ。フィオは小さくなってもケロっとしているから、種族の違いか、ちくせう。
≪左に曲がったら、フィオが元々、旅してきた方向に戻っちゃうんだよね?≫
当初、森に隠れようとしたフィオを狙い撃ちした魔法攻撃のせいで、今以上に倒木だらけのボコボコ地面らしい。しかも、途中に変な臭いのする獣肉が大量に吐き散らかっている、と。
≪まだ行ったことがないなら、反対側にしてみない?≫
≪うん……そうなんだけど……≫
フィオが躊躇っている。そういえば、何故に逆方向を試さなかったんだろ。
「え、え、え???」
樹々が生い茂っていない場所を選びつつ、落ち葉を踏んで進んでいたら、いきなり固い何かが足元で光った! しかも数メートル先まで点々と灯っていくし!
≪うんと昔の人間が作った道なんだって。山の中に時々あってね、今の人間がまだ使っている所もあるから、お母さんが避けなさいって≫
≪な、なるほど?!≫
だからこっち側に来なかったのか。平べったい人工的な岩盤は、その上だけが不思議と土壌に浸食されていなかった。苔や落ち葉が覆い隠すこともない。どれも直径30センチくらいの正六角形にきっちり成型されていた。
≪なんで乗っかったら光るの?!≫
≪なんかの……まほう? たぶん?≫
単に光るだけで、触っても害はないようだ。ここに道を作ったってことは、本来は安全な場所だったんだよね?
フィオに探ってもらったところ、相変わらず人の気配もなさそうなので、蜂の巣型のタイルを辿っていくことにした。劣化して薄汚れたコンクリートにしか見えないものの、光ると真っ白に輝く。
一晩かけて大掃除した、隣を歩く竜の鱗みたい。今は緑色だけど。
「お! お宝発見!」
ゆるやかに登ったり降りたりする坂道を進むと、1メートル半くらいの立派な古杖まで転がっていた。うねり具合が、まるで下からのったりカーブを描く蛇。一番上で竜珠でも呑み込んだかのように、ひときわ大きく渦巻いてぐるり。貫録たっぷりな形だ。
『魔王メメは 魔法使いの 杖を 発見した! ▶ひろう、にげる、じゅもん』と脳内コマンド付きで浮かれていたら、フィオが申し訳なさそうに下を向く。
≪それ、違うと思う。キラキラした石が一つもくっついてないし≫
この世界の魔法使いって、腕半分くらいの石製の杖を袖に忍ばせたり、腰に差しているらしい。大型の魔法を使う時には自分と同じ身長にまで伸ばすんだって。
≪木製じゃないの?≫
≪畑にいる人間は、木の棒を持ってたよ。これよりも、もっと真っ直ぐだったけど。先の方に金属がついていて、それで土を掘るの≫
鍬とか鋤のたぐいかな……まぁいいや。グリップになりそうな瘤もあるし、蛇さん杖でも登山用のストック代わりにはなるだろう。
小枝の痕跡と節模様から推測して、生えてた時と同じ向きに立ててみた。重くないし、握ってみるとちょうど良い感じ。
フィオは要らないと思うのだけど、また真似してる。短い枝を自分で探しだして握りしめ……るのはやりにくかったらしく、しばらくすると口で横にして咥えてた。骨しゃぶっている犬じゃあるまいし、意味わかんない。でも可愛いから許す。
晴れているのに歩けば歩くほど、足元のタイルがくっきり点灯していく。私の両腕を優にはみ出す太さの幹で聳え立つ針葉樹が、太陽光を遮っているせいだ。そして日陰のくせして、低木や草の密集度合も増している。
でも変なんだよね。上を見るとカリフォルニア州のジャイアントセコイアみたいな恐竜時代の雰囲気なのに、下を見ると日本のヤブランやノシランに似た細く長い葉が茂り、地面にはヨーロッパのタイムと見た目も香りもそっくりの茎が這っている。
前をまっすぐ見ると、川辺でもないのに私と同じ身長まで伸びた巨大なフキの葉が立っていて、乾燥した地中海沿岸でもないのにエニシダのような細かい葉の低木が枝を伸ばしている。
植生がぐちゃぐちゃだ。セコイアにくっついたサルノコシカケっぽい茸は、赤色だったり黄色だったり、はたまた青や紫色だったり。中南米のサルオガセモドキのふわふわ銀葉も、この四色のどれかに染めた玉暖簾ように、いくつも垂れている。
こっちに曲がるまでは、いくら鬱蒼としていたとはいえ、北ヨーロッパの針葉樹林のテイで踏みとどまっていたのに。
しかも赤・黄色・青・紫って、昨夜の四つの月の色じゃん。こっちの世界でもお月様は狂気の象徴なのかな、狼男や吸血鬼的な。
≪うーん、でも森の深い所って、どこもこういう深い感じだよ?≫
深い感じとは、なんぞ。先を行く竜は気にならないらしい。
私はさっき拾った蛇杖で確かめないと、足元も覚束なくなってきた。フィオが枝を咥えたまま、鏡獅子みたいに首を左右にブンブン降って、私のために草木を掻き分けてくれている。
ご好意なので、ツッコミは控える。たぶん、物陰に潜む危険な虫や本物の蛇は事前に払えているのだろう。
点々と残る古代の石畳を見つけて、その上から離れなければ、なんとか進める状態。……これって、普通に遭難しかけてないか。もう山のどこら辺なのか、元いた場所より上なのか下なのか、丸っと鶴っと五里霧中。
しかも骸骨のような立ち枯れの樹が増えてきた。地面の落ち葉も灰色がかった濃淡で物寂しい。
ドブ臭い空気が淀む中、招かれざる者を引きずりこむ水妖怪でも潜んでいそう。
≪あれ、お墓がある!≫
やめて。頑張って魔王やってるけど、ホラーは超苦手なんだってば。
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※芽芽が靴下の中に植物を挟んだのは、葉っぱ療法という健康法。おじいちゃんが民間療法マニアでした。本来は腕の内側にするものですが、パッチテストも兼ねています。




