◇ 水の竜騎士:数は合わないが御紋は合う件
※引きつづき、水(青)の竜騎士クウィーヴィン視点です。
「……メメ……カチューシャ……フィオ……」
澄みきった声が辺りに鈴のように響き、『転寝癒しの樹』の枝々が優しくそよいでいます。竜の巨体で見えにくいのですが、少女が風の盾を完全に解きました。
『メメ』が本人の名前で、残りは契約獣や竜の名前だったでしょうか。どうやら私たちの竜を怖がりもせず、自己紹介を始めたようです。
「……タウ……ナイア……アルン……」
周囲を飛ぶ小さな生き物のことですね。今朝聞かされたのは、紫の小鳥一羽だけでした。ディードの前で残りの勢力を完全に隠匿していたのでしたら、相当な熟達者です。従魔契約なんて、普通は一体と成功させることすら難しいのに。
そういえば『変わった模様の子竜』と『南の太った人形』はどこへいったのでしょう。周囲を窺っても、ヘスティア様が死体を漁っているだけです。
白い犬は私たちを無視して、竜二頭の合間を軽々と飛び越えていきます。やはり契約獣なんですね、主の元へ一直線です。
すると少女は犬を、それはそれは大切そうに抱きしめ、ぽろぽろと泣きだしてしまいました。ディードがどうしてよいか解らず、滑稽なくらいに動揺しています。
親友がまともでないことを口走る前に事態の収拾を――と思ったら、竜たちに対して何かしきりに懇願していた少女が深く頭を下げ、そのまま意識を失ってしまいました。
横に倒れていくのを、『森の王』の根元がすぐさま変形して抱きとめます。魔犬も小さな契約獣三匹も竜たちも、皆が心配そうに覗きこんだものだから視界がすっかり遮られてしまいました。
二竜が身体をぴったり寄せ合ってしまったのです。竜の大陸からこちらへやってくるのは雄だけ。竜舎で互いにすれ違う時も鱗が接触するのは嫌うクセに、どういうことですか。
「メメ、大丈夫か! ダール、通してくれっ」
ディードが紫の竜を押しのけようとするのですが、当然ながらびくともしません。仕方ないからって背中をよじ登り始めましたよ。何考えているんですか!
隣の竜には触れないように注意を払ってはいますが、契約した人間以外には威嚇行動に出る可能性があります。
コールを宥めねば。慌てて両手で押し留めようとしたら……妙ですね。気は立っていないようです。少女が心配でそれどころではないということでしょうか、竜なのに。
「ディード、魔力切れじゃないですか? あれだけ高度な術をいくつも同時展開させていたのですから」
「しかし顔色が――熱がある! 相当熱い!」
まさか急性の中毒症状じゃないでしょうね。魔導士の中には、実力以上の魔術を使おうとして、非合法な薬に手を出す者もいます。薬物を使わずとも、体質的に自家中毒を起こしてしまう者もいます。
それゆえ戦闘後は、専門の回復魔導士が入念に確かめる必要があるわけでして、それは例えば――。
「お前ら、自分の竜をどかせろ!」
――ヘスティア様のような医療魔術に詳しい方のことですね。異変に気づかれ、即座に戻ってきました。
すでに返り血は落としたものの、所持品検めで手袋にふたたび血が付着したようです。新しい手袋に付け替え、両手を上に挙げ、白い魔犬へ害意がないことを表明しながら、少女の傍に近づきました。
「……いや? 魔力切れ、ではないな。自家中毒でもない。……魔力の増強剤は……一切摂取していないのか? 丸薬も? 瓶らしきものは? そうか、では単に、体力的な問題か?」
横の白い犬をヘスティア様が窺い見ると、人間の真似をして頭を横に振るではありませんか。最後の質問だけ頷いたので、ディードがやっと安堵の表情を浮かべました。
『よいですか、魔獣は従魔契約をすると賢くなるという説があります。魔導士の命令を理解しないと動けませんからね。
そして上位魔獣が従魔になった場合は、念話ができない人間の言葉でも、多少なら理解する可能性が高いと言われています。その筆頭格が――』
騎士学校時代、魔獣学の講義をしてくださった水の選帝公閣下の声が脳裏に蘇りました。
「神殿の魔導士たちとは仲間割れ……ではなく、対立関係……つまり敵、なのだな。この少女は、魔導士で……は、ないと」
この国の魔導士ではない、ということですか。ヘスティア様が従魔犬への質問を慎重に選んでいきます。
契約で縛られているのです。中にはグウェンフォール様と契約された『銀色猫』様のような、ある程度ゆるやかな隷属関係もなくはありませんが……通常は事前に術を施されており、主人の敵だと判断されれば、殺すまで狂ったように攻撃を仕掛けてくる隷獣です。
「出来れば教えてほしいのだが、契約獣は四体か? ……ではない? まさか、もっと? ……でもない?」
どういうことです。ヘスティア様が数を減らしていき、一体になったら頷きましたよ。では残りの自己紹介は何だったのでしょう。『よろしく』とか、南国では別の意味の単語だったのでしょうか。
それでは戦闘時の残りの三匹の説明がつきません。明らかに高等魔術を駆使していました。
少女の周りを飛んでいる小さな生き物たちは、薄っすらと身体が透けて、まるで小妖精の光玉のように光り始めています。魔獣学の講義に、こんな怪奇現象は一切出てきませんでした。壁の向こうの特殊生物、ですか?
「――――っ!」
風がざわめき、『森の王』が巨体を揺らします。咄嗟に青竜の鱗をつかみました。そしてもう一度、少女のほうを確かめると、その前に座っていたのは白い犬ではなく、なんと九つの尾を持つ狐。
『その筆頭格が九尾の狐様です。1800年前、伝説の大魔導士シャンレイ様に様々な獣へと変化する術を伝授され、共にヴァーレッフェの礎を築かれたという、我が国の最上位に君臨する守護聖獣様です』
水の選帝公閣下はそう講義されていました。
「こっ、これは、聖獣様!」
ヘスティア様の後に続き、慌てて私やディルムッドも片膝をつきました。間違いようがありません。
王都でも田舎でも、屋外でも家庭の中でも、人々が大切に持つお守りや、日々の食事に至るまで、至る所に表現されている四色の精霊十字。その起源は、このお方の額の紋様なのです。
そして目の上の青い縁取り。こちらは神殿内の壁画に描かれています。柱の儀式で広場に集められた竜騎士や魔導士が、前を向いた時に必ず目に入る模様です。
初代聖女様亡き後すぐの昏迷の時代、神殿をもう一度立て直されたのは、青の魔導士シャンレイ様と九尾の狐様なのですから――。
「あの、ご無礼をお許しいただきたいのですが、貴女様がこの少女と契約されたということは、グウェンフォール様は、もう……」
失念していました! 魔獣契約が解かれるのは、その可能性が最も高いでしょうに。
嗚呼、聖獣様が首を縦にふられてしまう。我が国の救世主、偉大な魔導士様が月に旅立ってしまわれた。
国を揺るがす緊急事態です。
「お前たちは今から神殿ではなく、国王陛下の指示に従ってもらう。いいな?」
ヘスティア様がこちらを振り向き、襟元から首飾りを取り出しました。小規模な魔法陣が展開され、浮かび上がったのは国王紋。ディードも私も右の手袋を外し、手の平に印影を受け止めます。
首飾りの光が消えると同時に、紋様も私たちの手の中へ吸収されていきますが、陛下が常時つけておられる指輪には反応する仕組みです。万が一、神殿に反する動きをして軍法会議にかけられても、これで言い逃れができます。
ヘスティア様がこの場に残り、暗殺者を一人残さず灰にして証拠隠滅。我々二人が、急ぎ移動することになりました。
ディードが少女を、人用の運搬袋に丁寧に横たえます。すると三匹の謎の生命体も、中へ入り込みました。万全を期すなら専用の眠り薬が欠かせませんが、神殿への報告義務が発生してしまいます。国王紋は最後の切り札です。
薬なしでもメメ様が途中で目を覚まさないよう、祈るしかありませんね。
「もしや、この少女の薬丹は?」
聖獣様に私が確認すると、首を振られてしまいました。
魔導士の体調回復には、自分の魔力を長期間に渡って練り込んだ丸薬が最も優れているのです。異国の魔導士であろうと必ず所持しているはずなのですが……神殿の連中に奪われたのかもしれません。
荷物はどんな魔術が付与されているか判らないので、別の運搬袋へ。コールに用心して運ぶよう指示します。多少なら無効化する術があるのですが、今すべきことではありません。
ヘスティア様の提案に従い、まずは第三師団長閣下を頼ることにしましょう。神殿の極秘監査とか聞かされてませんと物申したいですが、そこは情報を追々すり合わせていけばよいのです。
ダルモサーレの方向へと竜を舞い上がらせました。白い犬に姿を変えた聖獣様も『森の王』の枝から枝へ、飛ぶように駆け上がってきます。
紫竜の周りに施してある防風障壁をあっさり通り抜け、ディードの抱えている荷物袋の前へと降り立ちました。
騎手の視野を遮らないよう身を低くして、袋の方へ顔を寄せられた。ディードが話していたとおり、まるで『娘を守る母親』ですね。
とはいえ聖獣様の御身に何かあってはなりません。並んで飛んでいたコールを前へ行かせ、先導役を務めることにします。
下層雲が増えていき、大気の湿度も上がっています。刻々と飛びにくい空になっていくのが、逆に助かります。これで魔導士に見つかる危険性は大幅に減りました。地上は霧が覆っていっていることでしょう。
なんと――信じられないことに、伝説の『転寝癒しの樹』が最後尾を飛んでいます。これまた、まるで少女を守るように。
興味半分で、葉を拾ったりしなくて良かったです。この魔樹の生態は謎に包まれていますから。根こそぎ奪う違法採取者だと勘違いされようものなら、新たな戦闘が勃発していたかもしれません。
竜たちはこの異常現象を大して理解していないのか、動揺する様子はなさそうです。雲の上を、悠々と飛行してくれています。
このままギリギリの天候で、ガーロイド卿閣下のご実家に辿り着けることを願うばかりです。
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