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まさかミケ猫 習作短編・中編

転生したらゴキヴリだった件

掲載日:2016/11/19

『この俺が過労死するとはなぁ』


 家野(いえの)清玲(せいれい)、35歳男、独身。

 三週間ぶりに自宅に帰れたと思ったら、目を回して転倒。

 そのまま帰らぬ人となった。


『さすがにコレは諦めざるをえない』


 彼の目の前には、自分の死体があった。

 死後10日ほどが過ぎ、腐敗が進んで蛆が沸いている。

 水膨れのような水泡、虫か何かに食べられた眼球。

 とてもじゃないが生き返れるとは思えなかった。


 そして、自分の新しい体を見る。

 流線形のボディ、素早く動く六本の手足。

 長い二本の触角、茶色い(はね)


『まさか生まれ変わるとはね。しかもゴキヴリ……』


 心の中で大きなため息をつく。

 彼は体長3センチほどのゴキヴリになっていた。



 天井の隙間からアパートの屋根裏に出る。

 明るい場所から逃れ、ホッと一息。

 そのまま暗い影をたどって慎重に進む。

 カサカサカサ。


『っ!!』


 彼の何倍も大きなネズミが、蜘蛛の死骸を食べている。

 幸い、まだ彼の存在に気づいてはいないようだ。


 暗い場所を辿りながら大きく迂回する。

 カサササササ。

 慎重に素早く移動し、やがて他の部屋の天井裏へとたどり着いた。


『お、この隙間暖かいなぁ……暗いし狭いし、いい感じ』


 中身は人間なのだから、ちゃんと考えて安全に生きよう。

 彼はそんな風に考えているようだ。


 残念ながら、客観的にはどう見ても立派なゴキヴリである。




 蜘蛛やヤモリに殺されかけたり、アパートの一室で腐乱死体が発見されたり。

 なんやかんやとバタバタしているうちに、三ヶ月が過ぎた。


 その間に気づいたことがある。


『ゴキヴリって絶対【回復力強化(リカバリーブースト)】みたいなスキル持ってるよな』


 彼の生活は全くの平穏無事ということはなく、数多くの怪我をしてきた。

 それでも今こうしてピンピンしているのは、人間だった頃に比べて圧倒的に回復が早かったからだ。

 一度人間として生活していた身からすると、この回復力は凄いを通り越して異常であった。


 いつかこの不思議な力を解明したい。

 彼はそんなことを考える。

 ただのゴキヴリで一生を終えるつもりはなかった。


 暗い部屋の中で、彼は一人決意する。


『俺は、心までゴキヴリにはならない』




 床に落ちた埃や髪の毛は美味しそうだが、彼はそれを決死の思いでスルーした。


 人間の心を忘れてたまるか。

 そう考えながら向かうのは、山本さんという女性の部屋だ。

 壁の角から部屋に出る。


『……よっしゃ、コンビニ弁当!』


 カサカサカサ。

 眠っている山本さんの髪に登り、その顔をこっそり覗き込む。

 なんというか……どこにでもいそうな普通の女性だ。


 振り返ると、散らかったテーブル。

 その上に食べかけのコンビニ弁当が置いてある。

 彼氏が来る日は別として、普段はだいたいこんな感じだ。


 そう、この部屋は彼にとって格好の餌場なのである。

 彼は山本さんを『餌場の女神』とこっそり呼んでいる。

 前肢を擦り合わせて祈りを捧げた。


『では、いっただきまーす!』


 ブーーーーーーン。

 彼はコンビニ弁当に飛び乗った。

 見事な着地、テンション上げ上げだ。


『豚肉旨っ!ご飯旨っ!このタレがいいね』


 バクバクモグモグ、食らいついた。

 体のサイズからしてそこまでの量は食べないが、懸命に咀嚼しエネルギーを溜め込む。


 人間のご飯を食べる。

 この行為こそが、彼の心を平穏に保っていた。

 自分が元人間であるという証明として。


 もちろん客観的には残飯に群がるただのゴキヴリでしかない。



『ごちそうさまでした』


 心の中で呟くと、少し離れた棚の隙間に移動する。

 山本さんは寒がりなのか暖房をガンガンつける人だから、この部屋は非常に居心地が良いのだ。



 空が明るくなり、山本さんは目を覚ました。


「んんっ…………はぁ、仕事か」

『お疲れ様』

「腹減った……弁当残ってたっけ……」

『昨日ちょっとだけシェアしてもらったけど、まだあるよ』


 もちろん会話は成立していない。

 山本さんはのそのそ起き上がると、テーブルまで這いよる。

 昨日使った割り箸を逆さに持って、残りの弁当を食べた。


「はぁ……養われたい」

『養ってもらってすみません』


 お腹をボリボリ掻きながら、おならをブッと出す。

 恋人が泊まりに来てる時とはえらい違いだ。


 そして、この堕落っぷりこそが彼女の『餌場の女神』たる所以であった。




 それは突然の出会いだった。


 天井裏を歩いていると、どこからかいい匂いが漂ってくる。

 彼はそれに誘われるまま進む。

 その先に、一匹のゴキヴリがいた。


 向こうもこちらに気づいたようだ。

 カサカサと近づいてくる。


 嫌な予感がする。

 彼は警戒した。


『何か用ですか』

『ねーねー、しよーよー』


 それはメスのゴキヴリだった。

 このいい匂いは彼女か、と彼は思った。

 彼は頭を振り、理性で今の感覚を吹き飛ばす。


『ダメダメ、俺は中身は人間なんだ』

『きもちぃの、しよー?』

『イヤ、だめ、待って、近づかないで』


 言葉とは裏腹に、彼の体はその場を動かない。

 彼女はさらに近づいてくる。


 触角同士が触れ合った。

 瞬間、体に電撃が走る。


『んんっ、ま、待って――』

『はぁはぁ、きもちぃぃよ』

『あ、んぁ、何これちょっと待って』


 スリスリ、スリスリ。

 触角が擦れるごとに高まる性感。


『はぁはぁ、しよーよー、きもちぃの』

『何で、俺、こんな』

『ねーねー、うしろむいてよー』


 彼は快感に震えながら彼女に背中を向ける。

 そして、(はね)を大きく上に持ち上げた。


『いいにおいー』

『待って、俺は何を、あぁぁぁぁ』

『はぁぁん、きもちー』


 彼女は彼の背中の一部をペロペロ舐める。

 彼の体を今まで以上の快感が走る。

 理性は吹き飛び、彼は一匹のオスゴキヴリになった。


『はむ……ん、はぁはぁ、おいしー、はむ』

『っはぁ、気持ちいい、くっ……っはぁ』

『あぁん、おいしー……はむ』


 重なりあう二匹のゴキヴリ。

 理性を捨て、本能に身を任せる。

 生命の神秘とも呼ぶべき美しさがそこにはあった。


『おいしー……んぁ、ぁ、あ、ああ、くるのー』

『っ、俺も、そろそろ……』


 彼女は絶頂をむかえ、恍惚として固まる。

 彼は彼女の背後に回ると、180度反対を向いてお尻同士をくっ付けた。


 彼の生殖器が彼女に侵入する。


『っやば、気持ちいい』

『ふぁぁ、きもちーの』


 それから一時間以上の間、二匹は繋がったまま過ごした。

 彼の体からは大量の精液が彼女に注がれ続けた。




 しばらくして、彼女が妊娠した。

 正確にはお尻に卵をぶら下げている状態だが、彼はそれを妊娠と同じものだと思っている。


『俺は心までゴキヴリになっちまった』

『ねーねーごはんたべよー』


 落ち込みながらも、少しずつ彼は現状を受け入れた。

 自分はもう、人間ではなくゴキヴリなのだと。

 埃や髪の毛も食べてみたら悪くなかった。


『君とお腹の子は俺が守るよ』


 それでも、せめて責任を取ろうとするのが、彼に最後に残された人間らしさなのかもしれなかった。



 カサカサカサ。カサカサカサ。

 二匹で連れ立って餌場に移動する。

 今までは一人と一匹で食べていたコンビニ弁当。

 それを、今では一人と二匹で食べるようになった。


 ブーーーーン。ブーーーーン。

 二匹で弁当に飛び乗る。


『いっただきまーす!』

『まーす!』


 受け入れてみれば、意外とこの生活も悪くない。

 そんなことを彼は思い始めていた。



 彼が注ぎ込んだ子種はまだまだ彼女の中に残っていた。

 彼女は最初の卵を産み落とし、すぐに次の卵を孕む。

 産み落とした卵は、彼が暖かくて目立たない場所に移動した。


 どんな子が産まれるんだろう。

 男の子かな、女の子かな。

 俺に似てイケメンか、彼女に似てアホの子か。

 そんな風に、彼は孵化を楽しみに待った。


 そして、ついにその時がきた。


『そろそろ生まれる……!』


 彼は知らなかった。

 彼女が産み落としたのは正確には卵鞘というもので、中には沢山の卵が入っていたこと。

 それらが孵化すると、一気に40匹くらいの子供になること。


『みー!みー!』

『みーみー!』

『みみ?みー!みー!』

『みーみーみー、みー!』


 孵化は迫力のある絵面だった。

 それでも、彼は子供たちが可愛いと心底思った。

 野生は厳しいが、一匹でも多くの子供に生き残って欲しい。

 そう願った。




 それは、彼女が三つ目の卵を妊娠している時だった。

 天井裏を移動する中、ふと彼女の方に目を向ける。


『ごはんたべ――』

『危ないっ!』


 間一髪。

 彼らの何倍も体の大きいネズミが、彼女を捕らえようとしていたのだ。

 彼は彼女を体当たりで押し退け、代わりにネズミが降り下ろした前肢を受け止めた。


『あ……あ……あ……』

『逃げろ、俺が引き付ける』


 彼女は恐怖で固まっている。

 彼は声を荒げた。


『卵を、子供を守れ! 君は母親だろう!!』

『っ! わかった』

『行け! ここは俺がなんとかする』


 カサササササ。

 彼女は急いで後方へ逃げていく。

 それを追いかけようとするネズミ。


『おい、お前はこっちだ』


 彼はネズミの前に踊り出ると、捕まるか捕まらないかギリギリのラインで相手を挑発した。

 ネズミはちょろちょろする彼に気をとられ、彼女を見逃した。


 ドクン。

 彼の小さい心臓が脈打つ。


 先ほどネズミから受けた傷は決して浅くはない。

 体の一部が押し潰され、回復不能なほど破壊されている。


 ドクン。

 彼は考える。


 恐らく自分はここまでだろう。

 でもせめて、出来る限り相手を追い詰めて、彼女と子供たちを守りたい。


 ドクン。

 危機的状況に、彼の本能が能力のリミッターを外す。



『ははは……ゴキヴリってこんなことも出来るんだな』


 彼は不敵に笑った。


『スキル【回復力強化(リカバリーブースト)】を解除』


 彼の体を回復させようとしていた働きが止まる。

 もう手遅れなのだから、それで良いと彼は判断した。

 そしてそのリソースを、別のスキルに利用する。


『スキル【時間圧縮(ヘイスト)】を発動』


 瞬間、世界の進みが遅くなる。

 いや、彼の時間だけが速くなったのだ。


 しかも、単純な移動速度強化ではない。

 時間を圧縮しているため、運動も思考も神経反射もその全ての速度が圧倒的に跳ね上がった。



 ネズミにとっては厄介な相手だった。

 パワーでは圧倒的に勝っている。

 もう一発当たれば確実に捕食できる。


 だがその一発がなかなか当たらない。

 次第にフラストレーションが溜まっていった。


『ほらネズ公、こっちに来いよ』


 彼は近くの穴を抜けてアパートの一室に入る。

 ネズミも彼を追いかけ、その穴を抜けた。


『!?』


 見失ったか。

 ネズミは辺りの匂いを嗅ぐ。

 一度傷を与えていたため、体液の臭いは色濃く残っていた。


 匂いをたどり部屋の角へと向かう。

 すると、小さいトンネルの向こうに獲物を見つけた。


『くっ、見つかったか……』


 彼の焦った様子にネズミは少し溜飲を下げる。

 獲物をなぶるような気持ちで彼を見つめる。


『来るなー!』


 獲物の悲鳴に気をよくし、彼を捕まえるために突進する。

 小さいトンネルに入った。



 ベチャ。

 トンネルの床に、ネズミの手足が貼り付いた。



 その部屋の住人は佐々木さんという。

 物音に神経質で、大のネズミ嫌い。

 ネズミホイホイが仕掛けられていることを、前々から彼は知っていたのだ。




『へへ、ざまぁ見ろ……はぁ、にしても、俺もここまでか』


 ネズミ退治には成功したものの、彼はもう一歩も動けなかった。

 スキル【時間圧縮(ヘイスト)】の効果は既に切れ、回復の見込みもなく、後は死を待つのみ。


 だが、不思議と悲壮感はない。

 これで終わりかもしれないし、また別のものに転生するのかもしれないが、それすらも気になりはしない。


 ただ、愛するものを守れたという満足感。

 それだけを胸に抱き、彼の意識はゆっくり遠ざかっていった。









『で、なんで俺生きてるんだろう』


 彼の頭に疑問が浮かぶ。

 よく見ると、前の体よりも一回り小さくなっていた。

 もちろんゴキヴリボディである。


『あ、おかえりー』


 目の前には彼女がいた。

 全ての卵を出産し終えてしばらく、彼女の生命力もまた風前の灯火となっている。


『俺、死んだんじゃなかったっけ』

『うん、そーだよー』

『なんで俺ここにいるんだ』

『?』


 彼女には彼の疑問が理解できないようだ。

 しきりに首をかしげている。


 カサカサ。カサカサ。

 背後から足音がして、彼は振り返る。

 そこには、彼そっくりのゴキヴリと彼女そっくりのゴキヴリが合わせて20匹ほどひしめき合っていた。


『これは……どういう状態だ』

『お前は、俺なのか?』

『え、お前も?』

『どうして俺がこんなにいるんだ』


 彼そっくりのゴキヴリは揃って混乱の最中にいた。


『おかえりー』

『ありがとねー』

『こわいの、でなくなったよー』

『ごはんたべよー』


 彼女そっくりのゴキヴリは彼女そのものだった。

 それを見て、彼はなんとなく理解する。


『集合自我……とかいうやつなのか?』


 一匹だけで自我を持つのではなく、集団で自我を持つ。

 そんなことが物理的に可能なのかは分からないが、目の前の現象はそうとしか考えられなかった。

 彼がそう考えると同時に、目の前の彼らも納得し始める。


『なるほどなぁ』

『正確には集合自我も個別自我もあるみたいだけど』

『種族の本能も広義での集合自我なのかもね』

『微妙に彼女とも自我が混ざってるみたいだ』


 並列でそれぞれが考えて、それが自動的にみんなに共有される感覚。

 ゴキヴリって、人間が思ってる以上に高度な生き物なのかもしれない。

 彼はゴキヴリの秘める可能性にうち震えた。


『もうすこししたら、きもちーのしよーねー』

『……おう、楽しみにしてる』

『へへへー』


 彼は彼女にそっと寄り添った。




 カサカサカサ。

 カサカサカサ。

 カサカサカサ。


 天井裏にはネズミ以外にも天敵はいる。

 生まれたての子が蜘蛛の巣に引っ掛かることも多い。


 ブーーーーン。

 ブーーーーン。


 たまに人間に見つかることもある。

 彼自身スリッパで叩き潰されたことも数回ある。


『ごはんたべよー』

『餌場の女神は今彼氏が来てるからな』

『じゃー、ぬけげさんは?』

『そうだな、抜け毛さんちの風呂場に行くか』

『そうしよー』


 それでも、転生したての頃よりは楽しく暮らている。

 下手したら人間時代よりも……。



『落ち込むこともあるけれど、俺ゴキヴリが好きです』

『すきでーす』


 彼はいずれこの世界で最も有名なゴキヴリになるのだが、それはまた別のお話。

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