#007「血が騒いでいた頃」
アラン「また、この夢か。もう、あれから十年以上の月日が流れたというのに」
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コユキ「まだ起きてらしたんですか、淀川さん?」
アラン「あぁ、宮部くん。起こしてしまったかな?」
コユキ「いいえ。ただ、部屋に蜘蛛がいるので、避難してきただけです」
アラン「二階も、店内と同じように隙間を埋めたほうが良いかもしれないね。まっ。保健所が飛んでくることは無さそうだが」
コユキ「蜘蛛って、人体に悪影響を及ぼすことは無い上に、害虫を駆除してくれる存在なんですよね?」
アラン「そうだよ。無用な殺生をするべきではない」
コユキ「極楽に登れなくなりますものね」
アラン「カンダタは救われ損ねたけど?」
コユキ「チャンスは、無いより有ったほうが良いものですよ、淀川さん」
アラン「チャンスか。前髪しかない女神だね」
コユキ「咄嗟に掴めるかどうかが、ターニング・ポイントですね」
アラン「そうだね。――そろそろ、逃げたんじゃないかな?」
コユキ「そうですね。おやすみなさい、淀川さん」
アラン「おやすみ、宮部くん」
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リツコ「亜嵐さん。昨夜は、よく寝られなかったのではなくて?」
アラン「判るかい、阿笠くん?」
リツコ「えぇ。長い付き合いですもの。また、例の悪夢を見たのではなくて?」
アラン「まさしく、そうなんだよ。しかし、そこまで当てられるとは思わなかったな」
リツコ「夏場ならベランダで星空観察という線もあるんだけど、この寒空で夜通し見るような真似はしないでしょう?」
アラン「消去法だったか。さすがに、もう三十を越えてるからね。この歳になると、否応にも身体を労わらなければならないから辛いよ」
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ケイゴ「香港のマフィア、澳門のカジノ。硝煙が漂い、派手なネオン・サインが光り、欲の油が渦巻く、ギラギラとした、どこかレトロな街並み。治安の心配を余所に、夜な夜な享楽に溺れる人間群像」
アラン「そう言われると、三流の雑誌や映画の煽り文句みたいに聞こえるから不思議だな。しかし、そういう光景が不快で苦痛な体験としてフラッシュバックする人間の立場への配慮が足りないな」
ケイゴ「当事者には、堪ったもんじゃないんでしょうな。でも、傍で見聞きする分には愉快で滑稽だ。ドッキリ番組と同じだな」
アラン「他人の不幸を嗤うな。ターゲットにされた側の気持ちを考えろ」
ケイゴ「正体は狐ではなく狸だって、あらかじめズボンの裏に仕掛けていた尻尾を出して、バイトくんをからかったくせに」
アラン「一緒にするな。玩弄するなら、お互いに笑える罪の無い悪戯の範囲内でなければならない。足の引っ張り合いのような権謀術数は、どこか底意地の悪さが漂い、陥れる仕掛け人に素直に共感できずに嫌悪感を伴うものだ」
ケイゴ「まぁ、他人に恥をかかせたり、誇りを傷付けたりするような罠を張るのは品性が良いとは言えないかもな。だけど、お互いに笑えるかどうかは、双方の器の大きさ次第では? 懐の深さや、懐の温かさにも依ると思うけどなぁ」
アラン「ほぅ。まぁ、他人を思いやる余裕が無いといけないのは、確かかもしれないな」
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アラン「都合の悪いことは時効だといって忘れたことにするくせに、過去の褒章や功績は後生大事に覚えているのは、何とも虫のいい話だ。酸いも甘いも丸ごと全部揃ってこそ、人間は人間たる。……それにしても、睡眠不足は、ゆとりを無くすものだなぁ」