#003「苦みのある大人」
アラン「煙草に関しては賛否両論あるところだが、僕の店では喫煙の自由を認めている。もちろん、マナーが悪ければ注意をする。しかし愛煙家にとって、大っぴらに嗜好を満喫できる希少な場所で、わざわざ自分で自分の首を締めるような振る舞いをする客は少ない」
*
アラン「駄目だ」
ケイゴ「いいじゃないですか。俺とマスターの仲でしょうに。常連の頼みを無下に断るんですか?」
アラン「常連なら、ソイツがこの店に相応しいかどうか判断できるだろう」
ケイゴ「一つくらい、毛色の違うものが混ざってたほうが人目を惹くじゃありませんか」
アラン「とにかく、駄目だ」
コユキ「ただいま。何が駄目なんですか?」
ケイゴ「バイトくん、聞いてくれよ。マスターがさぁ、そこのマガジン・ラックに、俺の勤め先の雑誌を置かせてくれないんだ」
アラン「店の品位が下がる。新聞にしろ、雑誌にしろ、文庫にしろ、変な流行に惑わされないで安定しているものでなければ、置くことを認めない」
コユキ「頑なですねぇ、淀川さんは」
ケイゴ「そうだろう? 結構、面白いスクープが乗ってるんだぜ、コレ。ホラ、こことかさぁ」
コユキ「わぁ、凄い」
――アラン、雑誌を取り上げる。
アラン「見るな、開くな、読ませるな。そんなに自社の雑誌を置いて欲しければ、ゴシップ好きが集まってそうな美容院にでも行け」
ケイゴ「この辺は、千円カット以外は、どこもかしこも小洒落た店だから、こういう雑誌を置いてくれないんだよ」
コユキ「それは困りましたね」
アラン「同情する必要は無い。需要に見合わない物を供給してる西野くんたちが、市場原理を理解してないだけに過ぎないんだからな」
ケイゴ「冷たいですね。……フゥ。やっぱり、旅は人格を変える力を持ってますね、マスター」
アラン「昔の話を持ち出すなと言ったはずだろう、西野くん」
コユキ「淀川さんは、旅人さんだったんですか?」
ケイゴ「そうだよ。マスターは学生時代、バック・パッカーだったんだ。この店を開いたのだって、諸国行脚の末に辿り着いた結論なんだ」
アラン「それくらいで勘弁してくれ」
コユキ「エェー。もっと聞きたいです」
ケイゴ「人間には、憩うための安全地帯が確保されなければならない。居場所がないと、刹那的で破壊的な人生を送らざるを得なくなってしまう。――そうですよね、マスター」
コユキ「格好良いですね、淀川さん」
アラン「やめなさい。恥ずかしくて顔から火が出そうだ」
ケイゴ「この雑誌を置いてくれないなら、まだまだ続けますよ」
コユキ「他には、他には?」
アラン「わかった。僕の負けだよ。今月号だけは、特別に置いてやろう」
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アラン「どうにも眠れないとき、僕は寝酒にテキーラを飲む。ショット・グラスで一杯だけ。ライムと塩を添えて」
――アラン、ライムを齧る。
アラン「財布事情の悪さもあるし、健康被害の教育が徹底したこともあるが、苛立ちを撒き散らす喫煙者や酔って醜態を晒す飲酒者を見て育った人間が、酒や煙草に良い印象を抱くはずがない」
――アラン、グラスを干す。
アラン「ハード・ボイルドの二枚目俳優に憧れた大人の、理想から何と程遠い姿だろう」