第七話 =夢の意義=
これが噂の『小説を書きたくて仕方ない症候群』ですかね(錯乱)
と言うわけで、先日に引き続き投稿します。
今回で雪菜の夢に対する考え方が、少し変わって来る様です。
では、今回もよろしくお願いします。
その部屋を覆うのは、無数の黒。それ以外の色など存在しなかった。そしてその黒の中心には、人間が一人、ぽつんと座り込んでいた。
何をしているわけでもない。ただじっと一点を見つめ、微動だにしないでいる。もし、この場に他の誰かが入ってきたとしたならば、おそらくこの光景の異常さに恐れをなし、すぐさま部屋を離れるだろう。
ただ一人を除いて。
「やぁ、元気してる?」
この空間に足を踏み入れた人間。ソイツは呆気らかんとした態度で手を上げ、その座っている人間に声を掛けた。
「…………何しに来た」
「酷いなぁ。誰かさんが監禁されてるって聞いたから、心配して来てあげたっていうのに」
わざとらしく悲しい声を出すソイツに、人間はフン、と鼻を鳴らす。
「相変わらず気に食わねぇ奴だな、お前は…………」
「それはまた随分な言われ様だな。それよりさ、キミに頼みがあってきたんだけど」
「お前が? 俺に?」
嘲笑うかの様な声で、人間は言った。
「こりゃまた珍しいこった。明日は雨でも降るのかね」
「どうだろうね。もしかしたら、真っ赤な雨が降るかもしれないけど」
「…………物騒な話だな」
「キミがそれを言うのかい?」
しばしの沈黙。
そして、数秒後。
「…………面倒事か?」
「そうかも知れないね、でもキミにとって悪い話じゃないよ」
そういうと、ソイツはニヤリと笑って見せた。
「キミを此処から出してあげるよ、今すぐにさ。
ただその代わり…………お願いを一つ聞いてほしいんだ」
そこでようやく人間は態勢を変え、視線をソイツへと向けた。
ソイツは相変わらずニタニタと嫌な笑みを浮かべ、人間の前で座り込むのだった。
■ □ ■ □
人間の好物。
それは人それぞれだろう。食べ物で言えば、肉料理が好きと言う人がいれば魚が好きと言う人もいる。スポーツならば、野球好きがいればサッカー好きがいる。全員に当てはまる事では無いが、同志は少なからず存在する。好物とはそういうものだ。
だが、殆どの人間が共通して好きなものもある。その一つが、「噂話」だ。誰と誰が付き合っているとか、誰が誰と喧嘩したとか、誰々の髪はカツラだとか。そんな一見下らない話でも、特に未成年の者たちは好き好んで誰かに話したがる。そしてその話が広まっていき、噂話は広がる。
分かりやすい例は都市伝説だろうか。真偽は不明でも、その話だけが忽ち人々の間に広まっていき、最終的には噂話が名をかえ、都市伝説として定着する。いつの時代になっても、アイドルや歌手に対するパパラッチが途絶えないのがその証拠だろう。
閑話休題。
とにかく噂話とは、特に学生などの間で瞬時に広まっていく。椎名が毎日毎日ストレスが溜まると言っていた生徒たちの話も、その大半が真偽も分からない「噂話」だ。そして、それは学院の生徒たちの間にすぐに広がり、たちまち話題となる。
噂とは、いつになっても若者たちを楽しませ、そして時には行動を起こさせる起爆剤なのだ。
その事を今、優次郎は痛感させられていた。
「瞳ちゃんに雪菜ちゃんは来ると思ってたし、芽衣ちゃんもまぁ来るんだろうなーとは予想してたけど……」
彼にしては珍しく、少し戸惑いながら声を出した。その目はきょとんとしており、ただ茫然とその光景を見つめていた。
彼が着任してから、二度目の授業。
先週の閑散とした教室は何だったのか、今の教室は、多数の生徒たちで覆われていた。
相変わらず優次郎の前の席に座っている雪菜は、アハハ……と苦笑しており、その隣に座る瞳は、我関せずと言った様子で頬杖をついていた。
更にその逆側には、芽衣がニヤニヤと意地悪く微笑みながら優次郎を見つめている。
「大人気だねー優ちゃん先生」
「今日学生課で貰った出席名簿見た時から、まさかとは思ってたけど…………まさかこんなにもいるなんてね」
「先週、あれから評判になってたんだよ?
優ちゃん先生の授業は、他の先生じゃ絶対に教わらない様な事まで習えるって」
芽衣の話を総合すれば、どうやら先週の授業で芽衣以外にも彼の授業を盗み見ていた者がいたらしい。
そしてその生徒が、その授業内容を友人に話したところ、それが噂話となって広まった様だ。
『優次郎の授業は分かりやすい上、今まで有耶無耶になっていた部分が全て分かる様になる』
『授業中に誰かを殺したり、殺人魔術を教えるわけでは無い』
『むしろ他の先生より随分優しい』
掻い摘んでいえば、こんな所らしい。
しかし、自分が授業中に誰かを殺して見せて、しかもその方法を生徒に教え込んでいると思われていたと知れば、優次郎も多少呆れていた。
確かに冗談で雪菜にそんな事は言ったが、実際にする訳がないのだ。すれば、叶が黙っていない。
「まぁ、別に問題は無いし良いんだけど……皆本当にこの講義がどんな内容か知った上で来てるの?」
優次郎の問いかけに、三人以外の全員が一斉に首を縦に振った。
「へーぇ、今のご時世にしては珍しいもんだね。まぁ、受けてもらったからには、ボクもしっかり授業してかないとね。そんなわけで、これからよろしく」
そう言って、優次郎は照れくさそうに笑った。
「じゃあ、早速授業始めよっか。えーっと、昨日の復習から始めた方がいいかな?」
優次郎はゆっくりと黒板の前に着き、板書を始めていった。
■ □ ■ □
そのころ、優次郎の授業風景を、魔術によって生み出したモニターで見学している人物がいた。
日本魔術学院の学院長、綾瀬川叶である。
彼が多くの生徒に囲まれた中で授業をしている光景を院長室からのぞき、思わず笑みがこぼれる。学生時代からの付き合いである優次郎が、そして世間的には狂人と蔑まれ、恐れられ、忌み嫌われている彼の講義を、これだけの生徒が受講を希望したのだ。
その景色が、叶にはうれしかった。ようやく、優次郎が自分達以外の人間にも認められた様な気がしたのだ。
「嬉しそうですね、学院長」
その時、自分を呼ぶ声がして、ふとそちらを見る。
魔術思想学担当教授であり、優次郎や叶にとって恩師でもある、福原義信がそこにいた。
「ノックをしても返事が無かったもんで、失礼ながら勝手に入らせて頂きました」
「あぁ、すみません。少し集中し過ぎていた様です」
謝る叶に笑みで答え、義信は彼女の前にまで歩み寄る。
「水瀬の講義ですか?」
「えぇ、流石に私も驚きました。まさかこれほどまでに、希望する生徒がいるなんてね」
「先日の講義の内容は、三木から聞きましたよ。
学生時代からそうでしたが、やはりアイツの視点は独特で興味深いものですな」
「それを知っていたから、福原先生も私の案に賛成して下さったんでしょう?」
ニヤリと笑う叶に、義信は困った様に頭を掻いた。
そう、義信は優次郎の魔術に関する思想を知っている。そして、それこそが今の教育において重要である事も分かっていた。だからこそ周囲の反対に流される事無く、叶の案を推したのだ。
「『付け焼刃の中途半端な高位魔術は、極めつくされた一撃の下位魔術の足元にも及ばない』」
突然、そんな言葉を口にした義信は、こちらに向けられた視線に笑って見せた。
「アイツの口癖みたいなもんでしたから、今でも耳に残ってますよ」
「実際その通りなんでしょう。ユー君を倒すためにと作られた筈の魔術も、極めつくされた彼の魔術の前では意味を為さなかった事が、その証明です」
「はは。流石は綾瀬川叶さんだ。アナタが言うと、重みが違いますな」
「意地の悪い人。普段は隠しているだけで、福原先生も相当なお手並みだと言うのに」
少し意地悪を言ったつもりが逆に突かれてしまい、義信は思わず苦笑した。
叶の言う通り、義信は普段魔術を行使しようとせず、講義も魔術を使用する内容ではない。だが、一度彼の『実戦』を見たものは口をそろえる。
『能ある鷹は爪を隠すと言うが、福原義信ほど当てはまる人間はいないだろう』と。
「昔の話ですよ。もう長い事魔術を使っていませんし、行使方法も忘れてしまいました」
「そうですか……先生がそういうのなら、そういう事にしておきましょう」
そう言ってくすくす笑う叶の表情はとても綺麗で、それでいて無邪気だった。
「しかし、感慨深いものですな。あの水瀬がこうやって、生徒たちに教える立場になるなんて」
「嬉しいですか? 教え子のこういった姿を見るのは」
「…………えぇ、嬉しいものです」
それから二人は、しばし無言で優次郎の授業を見つめていた。
■ □ ■ □
「―――――――――これが一般的な火炎魔術の構成だよ。
と言っても、かなり大雑把な区分だけど。でも、皆がこれからこう言った形で魔術を行使しようとした場合には、これだけ覚えておけば困る事は無いと思う」
授業も後半に差し掛かり、雪菜はペンを走らせながら、ある事を思う。
優次郎の授業では、優次郎が生徒に向けて質問する事はあっても、生徒から優次郎へ説明する事がほとんど無い。
それは何故かと問われれば、答えは簡単だ。
質問する必要が無いほど、優次郎は事細かに、されど理解しやすい様に工夫した形で生徒に伝えるからである。
事実、現在黒板には優次郎が記した一般的な火炎魔術の構成が、びっしり書き込まれているが、その全てが自分たちが今まで習ってきた単語や用語を利用して説明されている。
「勿論今言った様に、これはあくまでも『一般的な火炎魔術の構成』に過ぎないけどね。
今日紹介したのは酸素、炭素、魔力を使ったものだけど、中にはこれら以外のものを使用、もしくは違う使い方で発動する魔術もある」
「例えば、どういったものですか?」
誰かが、優次郎に質問する。
それに対し、優次郎はその生徒にニコリと笑いかけ、答えてくれる。
「そうだなぁ。
例えば、『炎を発生させる魔術』じゃなくて『炎を吸収する魔術』を使用する場合は、既に炎がそこにあるわけだから、酸素と炭素を組み合わせる必要は無いよね。吸収したい炎に対して、その大きさに比例した魔力を配合させてあげれば良いだけ」
「そんな事が可能なんですか?」
「可能だよ。ボクと猪丸君の一件を見た人なら、それは理解出来るんじゃないかな」
それを聞き、生徒たちの中にある歯車が噛み合う音が、一斉に聞こえた気がした。
そうだ。確かにあの日、優次郎は猪丸健二が放った炎の龍の主導権を、自分へと変えて見せた。周りの生徒たちは目を疑ったものだが、今の話を聞けば合点がいく。
「まぁ、あの場合は猪丸君の魔力をボクの魔力に上書きするって言う作業だから、少し複雑な魔力の使い方になるんだけどね。
とにかく、炎を吸収して魔術を放つのは決して不可能なんかじゃないんだよね。炎を発生させる方が手っ取り早いから、役立たずって思われがちな魔術なのは否定できないけど。
ボクも学生時代この事を教授に話したら、『そんな事が出来たとしても、いつ使うんだ』なんて切り伏せられて終わりだったし」
ケタケタと笑う優次郎に対し、生徒たちも静かに笑った。
「でも、この前の猪丸君みたいに暴れちゃった魔術師を抑えるには、この『吸収』っていう方法はかなり便利なんだよね。将来消防士を希望してる人とかも、こういう技術があったらかなり便利だと思うよ」
言い終わると、優次郎は教卓に置いてあった腕時計を見る。
「…………そろそろ時間だね。じゃあ、今日はこの辺にしておこうかな。来週は同じ五大魔術の中の『水系魔術』に関して紐解いて行こうと思います。今言った『吸収』に関してはかなり専門的な話になってくるから、多分講義でやらないと思う。だから知りたい人がいたら、悪いけど個別に聞きに来て貰っても良いかな? じゃあ、また来週」
優次郎がそう言うのと、鐘の音がなるのはほぼ同時だった。
板書の終わった者は立ち上がり、最中の者は座ったまま会釈をする。
「さぁて、まだ書いてる人いるみたいだし、黒板はこのままにしておこうかな。
雪菜ちゃん、悪いんだけど最後消してきてくれる?」
「あ、はい! 分かりました!」
「ん。よろしくね」
そう言って教卓から離れようとした優次郎だったが、
「あの、先生……」
「ん? 何?」
1人の女生徒に呼び止められ、動きを止めた。
見れば、やはりまだ優次郎に対して恐怖心があるのか、優次郎の返答を聞いて肩を震わせていた。
「じ、実は、この辺りがまだよく分からなくて……」
「どこ? …………あぁ、火炎魔術の大きさに比例した魔力量の事か」
女生徒の持っていたノートをのぞいて、優次郎が言う。
「はい……火炎魔術が大きい程、魔力の消費量は少なくなる場合もあるって、先生はおっしゃいましたよね」
「うん、そういう場合もあるね」
「それが良くわからなくて…………本当に、そんな事が可能なんですか?」
「うん、出来るよ。少し器用に魔力を扱う必要があるけどね。
例えば―――――――」
そのまま優次郎は、女生徒が板書した内容を指さしながら、今の質問に答えていった。
女生徒は最初こそ不安そうな顔をしていたものの、徐々にその表情は明るくなっていく。
「―――――って言う事だけど、分かったかな?」
「はい! ありがとうございます!」
女生徒は笑顔で頭を下げ、板書の終わった友達らしき生徒の元へと駆けていった。
その様子を満足そうに見つめた後、今度こそ教室を出ようとしたのだが……
「先生! 私、吸収についてもっと教えてもらいたいんですけど、この後研究室に行ってもいいですか?」
「あぁ、うん良いよ。この後は予定も無いし」
「先生! 俺も!」
「はいはーい。どうぞどうぞー」
「せんせーい。質問があるんですけどー」
「はいよー、どこかなー?」
…………どうやら、まだ帰れそうになかった。
先週からは考えられないその光景を、微笑みを浮かべて見つめる少女がいた。
それは雪菜でも無ければ、芽衣でも無い……そう、瞳だ。いつもの仏頂面からは想像も出来ないような笑みで、優次郎を見つめている。
…………芽衣と雪菜からの視線に気づかずに。
「あっれー? 瞳っち、なんか嬉しそうじゃない?」
茶化す様な声音で、芽衣が瞳に言う。
すると瞳は、すぐにいつもの仏頂面に戻ってしまった。
「…………別に。下らない事言ってる暇があったら、自習室でも行って卒論を進めてきたらどうかしら」
まくしたてる様に言い、瞳は教室を出ていった。
「あれ、絶対照れてるよ」
「そう、なんですか?」
「うん! 瞳っちがああやって捲し立ててる時は、大抵そうだからさ!」
親友の芽衣が言うのなら、間違いないのだろう。そんな事を思いながら、雪菜は視線を優次郎へと向けた。
優次郎の授業は、確かに分かりやすいし、テンポも良い。生徒目線に立った形で進めてくれるのが、その一番の理由だろう。生徒の立場で考えるからこそ、一年生から四年生まで全員が分かる様な授業が出来るのだ。そして教えている事は化学、つまり『時代遅れ』かもしれないが、それは確実に将来を考える生徒たち、すなわち魔術師の卵たちにとって有意義な内容だ。
だからこそ、今のように更に追及しようと優次郎に質問する生徒がいて、彼は質問攻めにあっているのだろう。
だが………雪菜の心境は複雑だった。
優次郎がこういう先生だと知り、嬉しいのは事実だ。その授業は自分の理念にとても役立つ分野だし、受けていて何の不満も無い。優次郎も質問すれば必ず答えるし、他の講師の様に『こういうものだから』で済ませる事は決してなく、全て順序だてて説明してくれる。
だからこそ、雪菜には分からなくなった。
彼は自分で言った。自分は何人もの人間を殺したと。それも毎日の様に。
そう言った人間を救いたい。それが雪菜の理想とする魔術師だ。
だが、初めて会った優次郎は、彼女が抱いていたイメージとは似ても似つかない。むしろかなり優しく、人間味あふれる様にも見える。
だとしたらだ。自分は狂人である優次郎を救いたいと思っていたが、果たして救う必要などあるのだろうか。
もしかしたら、狂人なんて呼ばれている者は全て彼の様な人間なのか。
ならば、自分の出る幕など無いのではないか。
優次郎の講義を受ける事で、自分の夢に一歩ずつ近づいているにも関わらず、雪菜はその夢の有り方に疑問を抱き始めていた。