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灰色の世界  作者: ken
第一章
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第四話 =狂人と凡人=

月に一本は上げると言ったな、あれは嘘だ((


いや、ホントにお待たせしてばかりで申し訳ありません……不甲斐ないの一言です。

これからはもうすこし早く作品を届けられる様に努力しますので、皆さんこれからも拙作をよろしくお願いします。

「全くアナタという人は…………限度を弁えてください」


 校門での一件が解決した直後。学院長室内の玄関付近に立つ瞳は、頭を抱えため息を前面に押し出す形で言う。その言葉を直接受けている優次郎は、ソファに座って両足を組み、両手は後頭部で組む太々しい態度で、ケタケタと笑っている。先ほどまでの狂気じみた笑顔では無く、純粋無垢なそれだった。

 

「でもさぁ、生徒が悪行に走ったら止めるのも、教師の仕事なんでしょ?」

「だがら、『限度を弁えてください』と言っているではありませんか。

 確かに猪丸君のやった事は罰すべき事ですが、あれは明らかにやりすぎです」

「そうかなぁ。だいぶ抑えてたつもりなんだけど」


 優次郎のその言葉に、瞳は顔をしかめる。


「ほぅ……水瀬先生にとっては、相手の最強魔術の主導権を自分に移して、果てはその魔術で相手を焼き殺す事が抑えたやり方というわけですか」

「だって、先に…………えぇっと、猪丸君? だっけ? あの子が吹っかけて来たんだよ?

 それに『コロシアイしたい』って言ってきたのもあの子だし……」


 拗ねた子供の様にぶーぶー言っている優次郎を見て、瞳は呆れ気味にため息を吐いた後、『今回の件の当事者みたいだし、二人も来てくれない?』と叶に連れてこられた生徒の片割れである雪菜に視線を変える。


「月城さん、本当に猪丸君は『水瀬優次郎とコロシアイがしたい』と言ってたんですか?」

「え? あ、いえ……遠くから眺めていただけなので、私からは何とも―――――」

「言ってないよー瞳っち」

 

 言いよどんでいる雪菜に代わり、隣に座っていたもう一人、芽衣が答えた。


「まーた口癖みたいに『ぶっ殺すぞ』的な事を怒鳴り散らしてたけど、『コロシアイがしたい』とは聞いてないよ。一番近くで二人を見ていた私が言うんだから間違いないし」


 芽衣の返答にそうですか、と答えると、瞳は絶対零度の眼差しで優次郎を睨む。

 優次郎はしばしキョトンとして瞳を見つめていたが、やがて驚いた様に目を見開いた。 


「え、一緒じゃない?」

「全然違います。バターとマーガリンくらい違います」


 それはほとんど同じなのでは、と言う感想を全員が抱いたが、全て封印された。

 とりあえずバターとマーガリンは外観こそ似ているものの、成分は全く異なっているという事だけをここで述べておこう。


「………………ふふ」


 瞳の例えによって訪れた沈黙を破ったのは、叶の小さな笑い声だった。


「? どうしたんですか?」


 雪菜が首を傾げつつ叶に問う。

 

「あぁ、ごめんなさい。懐かしいやりとりだったものだから、ついね」

「さっきから気になってたんだけど、学院長や瞳っちは水瀬…………先生と仲が良いの?」


 芽衣が率直な疑問を切り出す。確かに叶と優次郎は長きにわたって対立し、魔術史に残るほどの激闘を演じた間柄なのだから顔見知りなのも分かるし、瞳も叶の妹なのだから、優次郎と面識があっても不思議ではない。だが、彼らがやっていたのは殺し合いだ。訓練では無い。命を懸けたコロシアイをしていたのだ。そんな二人とその妹が、こうやって仲良く話しているなど、信じられないのも無理はない。口にこそ出さなかったが、雪菜も同様の思いがあった様で、答えを求める様に叶をみた。

 そんな二人の心境を感じ取ったのか、叶は優しく微笑み、答える。


「えぇ。私がこの学院の三回生だった頃、ユーくんは一回生だったの。つまりは学院生時代の先輩と後輩ね。よく一緒に遊びにいったりしてたのよ?」


 あの頃のユーくんは可愛かったなぁ、と遠くを見つめて回想する叶。その当時を知らない芽衣と雪菜は勝手に可愛い優次郎を想像しようと試みたが、どうしても犯罪者としての猟奇的なイメージが強かったためで断念した。


「じゃあ、綾瀬川先輩も水瀬…………先生とは遊んだりしてたんですか?」

「さっきから二人とも、ボクを先生って呼びづらそうだね。もう優ちゃんとかでいいよ?」


 ケタケタと笑う優次郎。その子供の様な顔を見れば、かすかに可愛い優次郎も想像できた。かすかにだが。


「まぁそうだね。叶さんの妹ちゃんって事で、瞳ちゃんとは知り合ったんだ。キミの言った通り、よく一緒に遊んだり、家に行って勉強教えたりしてたんだ。

 叶さんじゃないけど、あの頃の瞳ちゃんは可愛かったなぁ……」

「もう良いじゃないですか、そんな昔話をするために此処に来たのではありませんよ」


 ため息交じりに言う瞳だったが、それがあからさまな会話の転換である事は、誰の目にも明らかだった。


「それにしても……」


 瞳の言葉に乗っ取って、優次郎は話題を変えるための言葉を口にする。

 そして、至極退屈そうな表情を浮かべた。


「この学院の生徒たちのレベル、本当に落ちたね。トップクラスなんて言われてる猪丸君みたいな生徒、昔はゴロゴロいたのにさ」


 その言葉を受け、叶は憂いを眼に宿して笑った。


「時代の流れ……もあるのかも知れないわね。当時から新たな魔術もどんどん増えていったし、『魔術を突き詰める事』よりも『一つでも多く魔術を覚える事』が重要になってしまっているから」

「新たな魔術ねぇ。そんなの増やして何がしたいんだか」

「そんなの決まってるじゃない……」


 眼に新たな色を少し増やた叶は、微笑みを浮かべて答えた。


「あなたを倒すためよ、ユーくん。この数年間に生み出されて来た魔術たちは、全てあなたを倒すために生み出した………いえ、生み出されて(・・・・・・)しまったの(・・・・・)

 言い換えるなら、水瀬優次郎と言う脅威に立ち向かうための武器として生まれて来た、可哀想な魔術たちが、ね」


 穏やかな、それでいて何処か棘を潜ませた声音が、優次郎の耳を打つ。挑発めいた表現が混じった言葉に雪菜は顔を強張らせ、芽衣と瞳も黙って優次郎を見る。

 優次郎は黙って叶を見つめると、やがてフッと微笑んだ。


「なるほど、ボクを殺すためにね…………だとしたら、何とも申し訳ないなぁ」

「それは誰にたいして?」

「さぁね、叶さんの想像に任せますよ」


 そういうと、優次郎はゆっくりと腰を上げた。


「さて、と。来週からボクは、晴れてここの講師か……思ったんだけど、こんな中途半端な時期に授業追加しても大丈夫なんですか?」


 首を傾げ、優次郎が叶に問う。


「問題ないわ。他の教師たちには話を通してあるし、ちょうど今火曜日の3講義目が空いてるの。

 だからユー君には、その時間に授業を行ってもらうわ」

「ふーん、そりゃまた都合よく空いてたもんですね」


 少し含みのある言葉に、叶は答える様な笑みを浮かべた。

 言葉にせずとも優次郎にはその真意が伝わっていた様で、彼もまたニコリと笑う。 


「まぁ、いいけどさ。今日ってこの後、終日休校なんですよね?」

「えぇ。生徒たちも混乱している様だし、とても授業が行える状況じゃないから」

「当然だよね。いきなりあの水瀬優次郎が講師として働くなんて聞いたらさ」


 芽衣が呆れ気味に言い、瞳も小さく頷いて同意見である事を示す。それを受け、優次郎は一層笑みを深め、叶はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「なら、今の内に校内を見てまわって来ようかな」

「思い出巡りでもするつもりですか?」

「それもあるけど、ボクが在学していた頃から変わったこともあるだろうし、一応の確認にね」


 瞳の問いに答えた後、優次郎はある人物と目を合わせた。それは、今まで会話を聞くだけに徹していた雪菜である。


「えーっと、雪菜ちゃんだっけ?」

「え? あ、は、ひゃい‼‼‼」


 急に名を呼ばれ、思わずかみながら雪菜はこたえる。その返答を聞くや否や、優次郎は楽しそうにケタケタと笑った。


「そんな驚かなくてもいいじゃん。

 それより、校内を見て回るのに、雪菜ちゃんも付いてきてほしいんだけど、いいかな?」

「え? わ、私ですか!?」


 予想だにしなかった指名に、雪菜は反射的に聞き返す。

 叶と瞳は知り合いだし、芽衣は生徒会長をやっているのに対し、自分は何てことは無いただの一般生徒。役職にもついていなければ、優次郎とは初対面だ。なのにどうして、わざわざ自分を指名したのだろうか。それが雪菜には不思議でならなかった。


「うん、嫌かな?」


 首を傾げて聞いてくる優次郎に、雪菜は閉口してしばし考える。

 そして、意を決した様に顔を上げた。


「わかりました。私でよければ」

「ありがとう、助かるよ!」


 再び無邪気な笑顔を浮かべてそう言うと、優次郎は雪菜の手を取る。

 とっさの事に転びそうになったのを必死で堪え、雪菜は顔を赤くした。


「じゃあ、早速行こっか! そういう訳だから、皆またね!」

「えぇ。来週から頼んだわよ、ユーくん」

「廊下を走ってはいけませんよ」


 叶が手を振りながら笑い、瞳は呆れ気味に律儀な一言をかけると、優次郎は雪菜の手を引いて、部屋からいなくなってしまった。


「…………本当に、あの水瀬優次郎が講師になるんですね」


 二人がいなくなって数秒後、確認する様に芽衣が口を開いた。


「えぇ。ハッキリ言って、魔術に関する知識を伝授する役目に、彼ほどの適任はいないと私は考えているわ。大橋さんも知っての通り、用途を別とすれば彼の持つ魔術は素晴らしいものがある」

「それだけ?」


 叶の答えにそう問いかけたのは、瞳だった。叶はそのままの表情で、こちらを見つめる妹の顔を見る。


「本当に、それだけのために水瀬先生を講師にしたの?」


 更なる瞳の問いかけにも、叶はだんまりを決め込んだ。

 やがてあきらめた様に、瞳はため息を吐いて出口へと歩いていく。


「…………もう呼ばないのね」


 ドアノブにかかった瞳の手が、捻る寸前で止まった。


「もう『お兄ちゃん』とは呼ばないのね……昔みたいに」


 叶の問いに答える事も視線を向ける事も無く、そのまま瞳は部屋を立ち去った。

 後に残された芽衣は、ゆっくりと叶を見つめる。


「…………本当、罪作りな人ですね」


 憂いを帯びた叶の顔を見つめながら、芽衣は誰にも聞こえない声でそう言った。




      ■ □ ■ □  




 雪菜の手を引きながら、優次郎は歩き続けた。

 何やら鼻歌を歌っていたが、何の歌なのかは雪菜は知らない。少なくとも今時の歌では無いようだし、多分彼が学生の時に流行っていた歌ではないかと、どうでもいい推測がはかどる。

 本当に、子供みたいだ。

 雪菜の脳裏に浮かぶのは、ただそんな陳腐な解答。狂人を目の前にしていると言うのに、その解答は正答にはほど遠いのだろう。

 それはつまり、自分がまだ水瀬優次郎の狂気を捉えきれていないという事なのだから。


「ねぇ、雪菜ちゃん」

「ふぁっ!?」


 急に立ち止まって声を掛けられたことに、少し転びそうになりながら妙な声を出してしまった。

 少し顔を赤くしながら前を見ると、自分から手を放して向かい合う形で立っている、笑顔の優次郎を捉える事が出来た。


「ボクも元学生とはいえ、今歩き回っただけでも変わっちゃった処が結構あるみたいだからさ。

 よかったら、雪菜ちゃんのオススメポイント教えてくれない?」

「わ、私のオススメ……ですか??」


 思わず聞き返す雪菜に、うん! と満面の笑みで頷く優次郎。


「やっぱり今の学生のオススメを聞いとかないとね! 

 と言うわけで、雪菜ちゃんが好きなこの学院を紹介してよ」

「い、いきなりそんな事言われても……」


 雪菜は優次郎が在学していた頃の日本魔術学院を知らないし、かと言って自分が入ってから目新しくなった様な施設もない。したがって、何が優次郎を満足させるのかは皆目見当もつかない。

 今の彼女に出来るのは


「えっと…………が、学食…………ですかね」


 自分のお気に入りポイントを、正直に伝える事だけだった。


「学食かぁ……うん! 行ってみたいかも!

 場所は今もA棟の二階なのかな?」

「あ、はい。そうです」

「じゃあ、いこっか!」


 そういうと、優次郎は真っすぐ学食へ向けて歩いて行った。

 良くも悪くも素直な反応を見せる彼の背中に、一瞬惚けて見せた後、雪菜はその後ろをついていった。



      ■ □ ■ □  



 と言うわけで、今学食は異様な雰囲気に包まれていた。

 授業もないし、早めに食事を取って帰ろうとしていた生徒たちの視線は皆一点に集中し、その中心から少しずれた場所にいる雪菜も、ただ茫然とその光景を見つめるしかなかった。

 そして、


「あー美味しい! やっぱりここの学食は天下一品だね!」


 全ての中心に位置する優次郎は、大量の食事をかきこみながら、満面の笑みを浮かべていた。


「昔となーんにも変わってないみたいで安心したよ! 揚げ物も炒め物も焼き物も、そんじょそこらの定食屋よりよっぽど美味しいしね! 雪菜ちゃんもそう思うでしょ?」

「そ、そうですね……」


 こんな細い体の、どこにそんな胃袋が付いているのだろう。体質だとしたら、年頃の女の子である雪菜からしてみれば、何とも羨ましい事だ。

 カツ丼、親子丼、空揚げ定食に炒飯と、この学食のほぼ全てのメニューを網羅した優次郎の昼食風景を見つめながら、雪菜は1人、自分自身が頼んだ日替わりランチをゆっくりと口に運んでいく。

 そして何より驚いたのは、彼の顔を見た瞬間、それまで談笑をしていた生徒たちが、まるで息を合わせたかの様に一斉に静まり返ったのと同時に、1人の調理員の女性がため息を漏らし、何も言わずにこれだけの量の食事を作り、優次郎の前に差し出した事だ。

 年は20代後半から30代前半と言った様子だが、おそらく彼女も学生時代の優次郎を知っているのだろう。


「おーい、雪菜ちゃーん?」

「ふぇ!?」


 その声に我に返ってみれば、雪菜の目の前には優次郎の顔があった。

 あまりに至近距離に顔を赤らめ、少し上体を後ろに反らす。


「やっと気が付いた。雪菜ちゃんってさ、よく会話の途中で自分の世界にトリップするんだね?」

「あ、えっと……す、すみません」


 笑顔の優次郎に、雪菜は恥ずかしそうに謝罪した。

 朝も同じような事を芽衣に言われたのを思い出し、直さなければと1人決心する。


「いや、ボクは別にいいけどさ。でも気を付けた方がいいよー? 短気な人とか、それで怒っちゃうからさ」

「は、はい。気を付けます……」

「ボクの学生時代の親友も、すっごい短気だったからさー。ボクがちょっとボーっとしてたら、いきなりボクの髪ひっつかんで『話聞け』って言うんだもん。まぁ謝ったら許してくれたんだけど」

「そ、そうですか」


 水瀬優次郎の学生時代の親友。その単語に少し興味も沸いたが、雪菜はそれを封じ込める事にした。

 それ以上に、雪菜には興味を持った事がある。いや、興味と言うよりは、疑問と言った方が近いのかもしれない。

 目の前で食事を食べ終わり、つまようじで歯を掃除している優次郎を見つめながら、雪菜は1人思う。


 この人は、本当に「狂人」と呼ばれる様な人間なのだろうか?


 子供の様に笑い、はしゃぎ、美味しいものをたらふく食べるその姿は、ごく普通の青年にしか見えない。この青年が、本当に何人もの人間を殺害したのだろうか。

 だが、朝猪丸健二と対峙していた彼の笑顔が、異常なものだったというのもまた事実だ。一体、どっちが彼の本来の姿なのだろうか。

 ボーっと優次郎を見つめて考える雪菜と目を合わせ、優次郎は微笑みを浮かべた。

 そして、ただ一言。



「…………殺したよ」



 そう、呟いた。

 雪菜は目を見開き、彼の何とも形容しがたい微笑みを見つめる。


「来る日も来る日も、何人も何十人も…………殺した数なんて、多いって事以外分からなくなるくらいにさ」


 突如語られた言葉に、雪菜もその周りにいる生徒たちも、ただただ茫然と彼を見つめるしかなかった。


「じゃあ、雪菜ちゃんがボクを案内してくれてるお礼に、一つだけ質問に答える事にするよ」

「質問……?」

「そう。何でもいいよ。皆の間じゃあ不明なんて言われてる殺人の方法でも、何で人を殺したのかでも……雪菜ちゃんの質問に、なーんでも答えてあげる」


 だから、言ってごらん?

 ニッと嗤って(・・・)、優次郎は雪菜に問う。

 突然の事に、雪菜の思考はしばらく停止していた。だが、再び稼働を始めたときには、たった一つの言葉が彼女の脳裏に浮かび、それは口をついて空気を揺らす。


「本当に、なんでも答えてくれるんですね?」

「うん。約束するよ」

「じゃあ……」


 間髪入れずに、雪菜は再び口をひらいた。

 彼女が優次郎に聞きたい事など、一つしかない。

 たった一つの、彼女の想い。



「初めて人を殺した時……………先生は、どう思いましたか?」



 その瞬間、優次郎の顔から、表情が消えた。

 周りの生徒たちは、息をのんでその光景を見つめている。そこに恐怖があったとしても、興味本位で見てしまう人間の本能に包まれながらも、雪菜はまっすぐに優次郎を見つめ、答えを待った。

 やがて、優次郎が口を開こうとした時、


「…………おい、水瀬」


 1人の、凛とした女性の声が割り込んできた。

 優次郎は表情を変えず、雪菜はハッとした様にそちらを見上げれば、先ほど優次郎の食事を用意していた女性が立っている。

 長い黒髪を首当たりで結び、目は細めできりっとした印象を受ける。割と長身で、黒いエプロンがよく似合う。可愛いというよりは、綺麗でカッコいい女性だった。


「なに? しーちゃん」


 首を傾げて問う優次郎。それに対し、しーちゃんと呼ばれた女性、この学食の長でもある『三木椎名みき・しいな』はため息をついた。


「なに? じゃねぇだろ。そういう物騒な話は、学食ここじゃ止してくれないかい? うちは生徒たちの安息の場なんでね」

「あぁ、ごめんごめん。そうだったね」


 先ほどまでの冷めた表情が嘘のように、優次郎はニコリと笑った。


「それから、アンタお代は? こんだけ喰っといて、ただ飯にしろなんて言うんじゃないだろうね」

「残念ながら、今無一文なんだよね」

「そうかいそうかい…………無一文で学食に飯食いにくるなんざ、いい度胸してるね」

「そんな怒らないでよ。叶さんに言って、ボクの給料から天引きしてもらって払うから」


 両手を前でぶんぶんと振りながら、困った様に笑う優次郎。それを見て、椎名は再びため息を漏らすと、そのまま視線を周囲の生徒たちへと向けた。


「あんたらも、こんな奴見つめてないでさっさと食べな。こっちが誠心誠意作った飯を冷やすつもりかい?」


 そういうと、生徒たちは一斉に慌てた様子で体を戻し、食事を取りはじめた。彼女の一喝で、再び学食に元の風景が戻ってきたのは、流石というべきだろうか。


「じゃあ、雪菜ちゃんも食べ終わったみたいだし、ボクたちも行こっか」

「え? あ、はい!」


 優次郎に言われ、雪菜は我に返る。

 よく見れば、確かに自分が頼んだランチメニューは、綺麗に食べ終わっていた。最早、自分が食べた事すら分からなくなるほど世界に入り込んでいたと思うと、雪菜は顔を赤くした。



「…………つまらない」



「……え?」


 突然、驚くほど冷めた声が、雪菜の耳を打つ。

 見れば優次郎が、どこか寂し気な笑みを浮かべて彼女を見つめていた。


「さっきの質問の答えだよ。つまらない……そう思った」


 それだけ言うと、優次郎は従業員に「ごちそう様でした」と頭を下げ、学食を後にした。

 彼の答えの真意を測りかねていた雪菜は、そのまま従業員に礼を言って、彼の後を追った。



 その後は、特に何もなく。彼に今の学園を案内してその日は終了した。

 彼と別れ、帰路についた後も、雪菜の頭の中は優次郎で支配されたまま。

 彼女が知りたかった答えは、彼女が辿りつきたかった場所から、更に彼女を遠ざけてしまった様だ。

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