第百十六話 =狂気の科学者(マッド・サイエンティスト)=
第百十六話です。よろしくお願いいたします。
「………失礼ですが、どなたですか?」
しばし間をおき、真衣が問う。その瞳には、突然目の前に現れた辰正に対しての警戒の色が見て取れた。おそらくこの学院の教師だという事は分かる。
だが、しかし、だからこそ、おかしい。
今の通り、この男は突然、二人の前に現れた。
そう、突然に。
「聞いているのは俺の方なんだがな。それと、そんな気味の悪い敬語は止めてもらえないか? 吐き気がする」
「…………あら、そう」
さも面倒くさそうに。頭をがしがしと掻きながら吐き捨てられた言葉に、真衣も応える。
「なら、お望み通り答えてあげる。そうよ、私は大橋真衣」
「そうか。俺は篠田辰正。9月からここで教師をしている」
真衣の返答を受け、辰正も応える。
「アンタの話は少しだけ聞いてる。澄田さんと揉めてるらしいな」
「その表現は少し違和感がありますが……それより篠田先生はどうしてここに?」
「澄田さんと同じですよ」
返答をきき、納得する。
本当に面倒だ、とばかりに辰正はため息をもらした。
「まぁそれは良いですけど、澄田さん。今言った通り、アンタは手を出しちゃいけない」
「しかし、この人は……」
「あんまり聞こえなかったですが、玲央先輩のことでも言われたんでしょ?」
図星。
無言によってそれを伝えた。
「だったら尚更、アンタまで堕ちちゃ不味いでしょ。多分ですが、玲央先輩に何かがあった時、止められるのはきっとアンタだ。そのアンタがこっち側に来てしまったらいけない。玲央先輩が暴れ出したら、叶先輩でも優でも苦労しますよ。玲央先輩、ああ見えて結構武闘派なんで」
美沙子は驚きを隠せなかった。辰正が言ったことは、正に昨日、玲央から言われた事だったから。まるで自分たちの会話を全部聞いていたのではないかと思えるほどに。
「だから、此処は下がっといてください。この人の相手なら、俺がするんで」
辰正はゆっくりと歩を進め、美沙子の前に立った。そして、対峙する。その相手である真衣もまた、警戒を弱めずに辰正を睨み続けている。
しばし、無言の戦争。
口火を切ったのは、真衣だった。
「アナタ……一体何者かしら」
「さっき言っただろ」
「とぼけないでちょうだい。これでも私、魔力の気配には敏感な方なの。なのに――――――――アナタからは、魔力を微塵も感じない」
それが、真衣が辰正を警戒する理由。
普通ならば、真衣はやって来る辰正の気配に気づけた筈だった。だが、彼は突然やってきた。気配など全く無いままに。
「アンタ、科学都市って知ってるか」
「……知ってるわ」
「だったら、それが答えだ」
意味が分からない。
そういうように、真衣が目を細めた。
「まぁ良いわ。それより、アナタも災難ね。私いま、とても機嫌が悪いの」
不意に、禍々しい気が辺りに充満し、美沙子は思わず膝をついた。嘔気が彼女を襲う。一秒でも早く、この場から離れたいと、本気でそう思うほどに。
だが、彼女の前に立つ辰正は、ポーカーフェイスを貫いていた。
「なるほど、これが『呪術』か」
「……これを浴びても変わらない所は褒めてあげる。でも残念、私も遊んでいられるほど暇じゃないの。そこの女も、さっさと殺さないといけないし」
ゆっくりと。
真衣が右手を辰正へ向ける。その中には、どす黒く渦巻く未知の力があった。
「だから初めましてだけど―――――さよならよ」
その力が解き放たれ、辰正へと向かっていく。
咄嗟に、美沙子は魔術を発動しようとするが――――。
「手を出さないでくださいって言ったでしょ」
真衣から解き放たれた力を見つめたまま、辰正が言った。
「しかし貴方は―――――ッ!」
ドォォォォォォン‼‼‼
言い終わる前に、衝撃と硝煙が辰正の身体を直撃する。
突風によって美沙子の目は閉じられ、真衣もゆっくりと右手を下ろした。
そして。
「―――――大丈夫です」
真衣と美沙子の目が、同時に見開かれた。
煙が晴れ、視界が明瞭になっていく。
何の事は無い。
辰正は、そこに立っていた。何事も無かったかのように。
信じられない。真衣の目がそう訴えていた。
何をしたのか。美沙子の目がそう問うていた。
だが、辰正は二人の疑問に答えることなく、自分の身体にまとわりつく黒い煙に手を翳した。
「…………多少の体調不良は感じるが、ダメージは無し。しかし魔力とは違う、未知の強大な力あり。そんな所か」
辰正はぶつぶつと何やら呟いているが、二人には聞こえない。
疑問が頭蓋骨を埋め尽くし、耳からの情報を遮断している。
「予想とは少し違ったが、大方こんなもんか……やっぱり自分の身体で実験するのが一番手っ取り早いな」
「実験……?」
美沙子の疑問に、今度は答える。
「えぇ。呪術ってもんがどんなもんか分からなかったんでね。自分で受けてみれば、多少は解明できるかと」
「もし死んでしまっていたらどうするつもりだったんですか!」
思わず美沙子が叫んだ。
呪術が何なのか分からないから知りたかったから自分の身体で受けた。
それは一歩間違えれば自殺行為だ。
だが―――――美沙子は知らなかった。
「死んだら、そん時は『当たれば死ぬ』という実験データが取れる。それだけの話でしょ」
今度は、何も言えなかった。
この青年は、一体何を言っているんだろうか。
「データさえ取れれば、澄田さんが証人になって先輩方や優に伝えればいい。医者であるアンタには理解出来ないでしょうし、してほしいとも思わないですけど、俺の命なんて、俺にとっちゃ都合のいい実験材料の一つでしかありませんよ」
驚愕と共に、妙に納得する。
彼は水瀬優次郎の親友だ。だったら……彼もそうであっても、何もおかしくはない。
この篠田辰正という科学者もまた――――――狂ってしまっているのだ。
言葉を失い黙り込む美沙子には目もくれず、今度は真衣の方を見つめた。
「一つ聞きたい事がある」
「何、かしら」
少し詰まりながら、真衣が答えた。
「呪術ってのは―――――――『相手の魔力に直接ダメージを与えるもの』って事で合ってるか?」
「ッ‼」
息をのむ音が聞こえる。
それが答えか、と納得し、辰正は次の言葉を紡いだ。
「魔術師にとっちゃ、どんな呪術でもかすっただけで致命傷ってわけか……とんでも無い代物だな。こりゃ存在自体が抹消されるのも当然ってわけか」
「だったら……だったら何故、アナタは生きているの‼‼」
初めて。真衣が感情を剥き出しにして吠えた。
在り得ない。在り得る筈がない。こんな人間になど、会った事が無い。疑問が渦巻き、答えはどこにも見当たらず、真衣の心は荒波を立てていた。
だが、そんな彼女を前にしても、辰正は無表情を貫いた。
「だからさっきも言っただろ。それが答えだ」
「何を……っ」
「大体、何でどいつもコイツも『地球上に存在する全ての人間が魔力を保持している』って前提で話を進めている?」
ぴしゃりと、辰正が言い放った。
「そんな考えに至るのは『魔術があって当たり前』の世の中で過ごしているからだ。
もしそうなら、何故、科学なんてものが存在する? 何故、数千年の間人類は魔力を発見できなかった? 何故――――――俺は今、生きている?」
真衣と美沙子の頭に浮かんだ、一つの在り得ない推測。
馬鹿馬鹿しい。そんな事、ある筈がない。
数分前までの彼女たちならそう思っただろう。
だが、今目の前にいる青年が、彼女たちの世界を百八十度ひっくり返した。
そして―――――その答えを、辰正が声として放った。
「俺の身体には、魔力なんてものは存在しない……だから、呪術が俺に効く道理もない。ただ、それだけの話だ」
今回もありがとうございました!
辰正について謎な部分も今まで多かったですが、少しずつ彼の思想などが判明しました。
こいつヤバいです。
自分でも書いてて「何言ってんだこいつ……」って思っちゃいましたよ。
美沙子さん、もっと辰正の事苦手になりそう……この先どうなることやら。
そんな感じの百十六話です。
今回少し短いですが、区切りが良いのでこの辺で。
屋上もどうなっているか気になりますが、次回も辰正たちの話かなと思っています。
今後の展開も、どうぞお見逃しなく。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いいたします!