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4章

どれくらい経っただろう。乱雑な動作で開けられたであろうドアの音で俺は起こされた。夢見が悪く、少々苛立った。

むんずと布団を掴み、床に投げ出す。 敷布団がずれてさらに苛立つ。


ふらつきながら電気のスイッチの前まで歩き、無造作に手を投げ出した。

照明がつき、部屋が照らし出される。いつもと変わらない自分の部屋だ。


時計の針は8時52分を指す。思った以上に長く寝ていたようだ。

体が3キロぐらい軽くなった気分だ。頭はクリアになって冴えわたり、気分は爽快である。


「おい、帰ったぞー。さっさと飯っ!」

唯一の肉親である、父の、声が、廊下に、こだまする。

刹那、俺の手が、足が、肩が、小刻みに震えだす。頭は黒々しいものに覆われた。

本能が危険信号を発し、脳内でアラートがかき鳴らされる。

体が竦む。 金縛りのように動かせなくなる。


身の重みに耐えられず、俺は情けなく崩れ落ちた。


「おい、いんだろ。さっさと来いよ。」


怒気の籠った声が投げつけられる。

一階から発せられる声なのに、俺にはよく響いた。


嫌だ。行きたくない。  怖い。 怖い。


怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


もう殴らないで。誰か。

声にならなかった叫びが俺の中でこだまする。


心で拒んでも、本能に植え付けられた服従の精神―恐怖心―には抗えず、俺は感情を押し殺し、静かな動作で階段を下った。手すりがミシリと鈍い音をあげた。



「おう、さっさと作ってくれや。」


分かった、と蚊の鳴くような声で床を片目に言う。ああ、こんな態度じゃまた殴られてしまう。そう思うとまた一段と四肢が重く感じられる。

努めて明るい声で、今日はカレーだという旨を伝えた。おう、とぶっきらぼうな返事が返ってきた。


台所に入り、作り置きしておいたカレーを寄そう。


カレーと聞くと平和的な家庭を連想させられる。

ましてや親子2人で夕食など仲睦まじいことだろう。

よって我が家に虐待などない。

手が出るのは俺が悪いからだ。 俺に躾が必要だからだ。

躾は愛あってのものだと俺は思う。

逆説的に躾を受けている俺は父に愛されてるのである。

俺は自分自身に言い聞かせる。 しかし手の震えは止まる気配も見せない。


このままではまた、殴られてしまう。  怖い。


恐怖信号が体を駆け巡り、さらに震えを増幅させる。

目の焦点も定まらず、足が竦む。鳥肌が立つ。

心なしか血の気が引いていく気もする。

恐怖に煽られ、また新たな恐怖想像を生み出し、さらに連想を広げる。

さらに、またさらにと脳に、心に、体中に、恐怖物質が蓄積する。

負のスパイラル。負の無限の樹形図。耐え難い。


もう、蹲っていたい。今すぐ部屋に籠りたい。

しかし、今逃げれば後に何があるか分かったものではない。

蹴られる?殴られる?それとも、、、?

また震えが強くなる。恐らく顔は青を通り越し白くなっているだろう。

鏡でみたらさぞ滑稽だろうな。


やっとの思いで気を取り直し、お盆を持つ。なるべく別のことを考え、前だけを見つめ運ぼうとする。リビングからは芸能人の笑う声と、下らない騒ぎ声が聞こえる。そして父の笑い声も聞こえる。父の笑い声が聞こえた。

瞬間、ノイズのようなものが脳裏を過ぎり、自分の体が横倒しになった。

勿論、お盆は手から滑り落ち、食器は砕け、カレーは床を汚した。

「おい、お前。なにふざけたことやってんだよ。」

低く、怒気の孕んだその声が耳に届く。思わず身震いした。

父が俺の元によってきた。俺は床は足音がよく響くな、とどうでもいいことを考えていた。


そして父の足が俺の体へと打ち付けられる。

「 っ、、。  」

途方もない痛みが俺を襲う。 口の中に胃酸が流れ込む。

その間にも俺の腹へ、肩へ、手のひらへ、と父の足は吸い込まれていく。

そのたびに鈍い音が響き、俺は胃酸を味わう。


父は無言でありながら、冷たい目で微笑を浮かべていた。

すると父と目が合った。父は足を俺の顔に向け、蹴りを放った。

俺の体は吹っ飛び、壁に後頭部を打ち付ける。ボーリングの球を落としたかのような音が響き渡った。何度も何度も。

俺は声にならない叫びをあげ、体を硬くする。


暫くして蹴りが止んだ。俺はちらりと父の方を見ると、ばっちりと目が合った。

「ただ蹴るだけじゃつまらねぇしな」

口元を歪ませ言い放つと、俺の頭髪へと手を伸ばしそれを掴んだ。

「こういうのもいいと思ってな。」

連続した蹴りで痛みが駆け巡る体では抵抗もできず、ただ流れに身を任せる。

接近した父からアルコールの匂いがした。酔っているのだろうか。

父は自身の腕を振り回し俺の体は大きく揺さぶられた。

そして床へと叩きつけられた。鈍い音が響く。脳味噌なんかもう混ざってしまってるのではないのだろうか。脳漿が噴き出そうだ。

口の中が切れて、口から血を吐き出す。赤黒い血だった。


父はもう2,3回蹴りを浴びせると、舌打ちしたのち家から出ていった。

乱暴に閉められたドアの音が響く。


安堵した俺は痛みに震える体を起こし、唯一負傷のない足を最大限に使って立ち上がった。

小さな喘ぎ声を上げ、ゆっくりと布巾へと手を伸ばす。取れたものの上半身の痛みでテーーブルヘ倒れこむ。そのはずみで床へも倒れこむ。

ちょうどそこに皿の破片があり、脹脛に突き刺さった。鮮やかな血が脹脛から滴る。


ひとしきり流血が収まり、俺は再度立ち上がる。

体全体にずきりと、鈍い痛みが走った。大きく腫れ上がっていた。


なんとかテーブルから布巾をとり、カレーを拭きはじめる。

布巾も手も大変に汚れ、なんとも惨めな思いだった。

同時に沸々と湧いてくるものがあったが、理性で押しとどめた。人として大事なものが失われそうな気がしたからである。



何とか拭き終え、皿も片づけ終わり、彼は自室に戻った。

そして痛みに震えるその身をベッドに投げ出した。

乱暴にドアが開けられる音がしたが、もう呼ばれることもなく、刻々と時間が経過した。



現在時刻は午後12時52分。だいぶ寝そべっていたようだ。相変わらず体の腫れは酷く動く気にもなれない。

しかし、風呂に入るためになんとか体を起こす。風呂入らないと学校で臭いとか言われそうだし。


1階には父は居らず、ただ静寂が広がっていた。父は寝たようだ。


俺の父は昔から優秀だったらしく、私立K高、国立T大、と卒業し国際経済系の企業に就職した、謂わばエリートである。

そのため、ストレスも溜まるし、疲れるのだろう。父はまだ38歳と若めだから家は格好の羽休め場であるはずだ。


風呂場につき、電気をつける。そしていそいそと服を脱ぐ。

腕が物理的に上がらず、痛みにも悶えながら脱ぐ。

鏡越しに見た俺の顔があまりにも情けなく、苦笑した。


入浴はただの苦痛でしかなかった。シャワーは地獄の業火に焼き尽くされた方がましだと、本気で思ったくらいだ。

バスタブに浸かり、傷が染みるのに悶絶してる俺はさぞかし情けなく見えたろう。


風呂で少し眠くなった俺は、さっさと着替え、さっさと部屋に戻り、さっさとベッドに横たわった。

           平和的な指導者

いつもなら閃光の聖騎士Fritzとしてネトゲにログインしてたところだが、そんな気分にもなれない。

また明日にしよう、と思い時計を見ると1時34分を指し示しており苦笑した。


ふぅ、と一息ついて、俺は電気を消しゆっくりと目を閉じ、眠りについた。


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