海の家と冷たい思い出
潮風の当たる砂浜で数人の人影が動いていた。夏とは言えまだ涼しい時間帯で、波と戯れる人もいない。白い発泡スチロールの箱を抱え、赤髪の青年は声を張り上げた。
「これは厨房でいいですかー?」
「おう、箱から出して冷凍庫にしまってくれ」
ひげ面の男性が青年に答える。赤髪の青年、乙梨涼護は指示通りに箱を開けた。中から袋詰めにされた冷凍の肉を取りだし、冷気の中へ詰めていく。それが終わると、涼護は野菜の運び入れを始めた。
「やっぱり力のある奴がいるといいなあ! 仕事がずいぶんと楽になる」
調理場の準備を進めながら、ひげ面の男性が豪快に笑う。それを聞きつけ、紫色の髪の毛を束ねた女性が得意げに微笑んだ。
「でしょう? 私の自慢の弟子よ」
豊満な胸元を強調するように、女性――詩堂詩歩は腕を組む。その傍らでひげ面の男性が嬉しそうな顔をしていた。
この男性が今回何でも屋『Solve』に依頼をした、海の家のオーナーであった。本来入るべきだった人が急な用事で来られなくなり、代わりに『Solve』の従業員である詩歩と涼護の二人が海の家で働くことになっていた。
二人は食材を運び机を並べ、開店に向けて準備を進める。長く何でも屋をやってきたが故に、仕事もテキパキと進んでいく。開店時間の十分前にはすでに客を入れられる状態にまでなっていた。
開店早々大賑わい、ということはなかったが、ちらほらと入ってくる客数は昼頃にはかなり増えていた。店先で詩歩が呼び込みしていることもあるのかもしれなかった。露出の高い水着を着た美女がいれば、自ずと人も集まってくると言うものだ。
「オーナーさん、焼きそば2つとカレー1つです」
涼護は厨房と客席を行き来し、注文を聞いて商品を運ぶ。できあがった料理を盛りつけてカウンターに置き、それを詩歩が受け取って席に持っていく。調子のいい師匠の姿を認め、涼護は再び厨房に戻った。
「そこにある野菜、焼きそば用に切っといてくれ」
「へーい」
オーナーに言われ、涼護は包丁を握った。キャベツの芯を取り、火が通りやすいように手頃な大きさに切っていく。にんじんは薄く短冊切りに、たまねぎは半月状にしていった。慣れた手つきで包丁を動かし、ざるに移す。一区切りが付いて手を止めたとき、涼護の耳に詩歩の声が届いた。
「あら、汐那ちゃんじゃない。奇遇ねー」
涼護は思わず顔を上げた。自分の師匠が呼んだ名に聞き覚えがあったのだ。聞き間違いではないかと耳を澄ます。が、油の爆ぜる音と換気扇の音のせいで、厨房からでは会話が聞こえなかった。諦めて作業を再開しようとした涼護だったが、それはすぐに叶わなくなる。
「涼護ー、ちょっと来なさーい」
詩歩の声が厨房まで響いてくる。涼護は手にしかけていた包丁を置き、カウンターに出た。
「なんすか急に」
ひょいと顔を出すと、嬉しそうに笑う詩歩の隣に一人の少女が立っていた。長い蒼の髪の毛をした、涼護と同い年の少女。白い帽子をかぶり、袖の無いベストを羽織っている。短パンからはすらりと透き通るような足が覗いており、サンダルが足下を着飾っていた。
「こんにちは、乙梨君」
「よう」
蒼髪の少女、蜜都汐那は涼護に笑いかけた。涼護は彼女の挨拶に短く答える。
「仕事?」
「まァな。見ての通り海の家の手伝いだ。そういうお前は?」
「私も仕事。今は休憩だけどね」
「そうか」
涼護の答えはやはり素っ気ない。汐那は店に上がり、空いたカウンター席に座った。自然と二人の顔が近づく形になる。それでも涼護は顔色一つ変えず、ふっと息を吐いた。
「注文は?」
「かき氷のブルーハワイで」
「はいよ」
彼女の注文を聞き、涼護はカウンターの端に移動した。そこに置かれた機械に氷のブロックを入れ、器を置いて作動させる。ガタガタと機械は動き、細かく削られた氷が器の中に落ちていく。時折器を回して高さをそろえ、半分ほど積もったところでいったん止める。戸棚から青い色のシロップを取りだし、シャワー状の液体を氷の山に振りかける。
「ねえ、シロップ多めにかけてよ。サービスで」
「お前なあ……」
可愛らしい笑みにウインクまでつけてねだる汐那に、涼護は呆れ声だ。半分無視してもう一度氷を削っていると、奥からひげ面のオーナーが出てきた。
「いいじゃねえかよ。かわいこちゃんにサービスしてあげろって」
「そうよー、涼護。汐那ちゃんに優しくしてあげなさい」
料理を運んでオーナーが笑い、それを受け取りながら詩歩が言う。仏頂面で二人を見返す涼護に、汐那がだめ押しの笑顔を向けた。
「ね、乙梨君、いいでしょ?」
「あー、わかったわかった」
三人に言われてしまえば、涼護も断ることができなかった。白く積もった氷の山にシロップをかける。青い砂糖液をたっぷり吸い込んで、小さな雪山はすっと縮んだ。スプーンを付け、汐那の前にかき氷を差し出す。
「おまちどおさん」
「ふふ、ありがとう」
汐那は笑顔で受け取り、早速かき氷を口に入れた。冷たい感覚に幸せそうに目尻を下げる。そんな彼女を見てから、涼護は厨房へと入っていった。
涼護は再び注文の受付と料理の運搬をする。あちこち移動する彼を、汐那はつまらなさそうに見つめていた。
「乙梨君」
不意に汐那は彼を呼ぶ。が、涼護はそれに応えず子ども連れの客から注文を取っている。
「乙梨君ってば」
「なんだ、いったい。注文じゃないならいかないぞ」
もう一度呼ぶと、今度は不機嫌そうな声が返ってきた。その間にも涼護は注文を奥に飛ばし、料理を運んでいってしまう。汐那ははあとため息をついた。
「少しくらい構ってくれてもいいじゃない」
「あのな、俺は今仕事中なんだっての」
もとより人手不足のために依頼されたのに、彼女一人の相手をしている訳にもいかなかった。
「つか、お前も仕事残ってるんじゃないのか?」
「うん。でもそれまではここにいてもいいでしょ?」
汐那は悪びれずに言った。現役モデルである彼女はそれなりに多忙であるはずなのなのだが、できるだけここにいたいのだと言って聞かない。涼護は呆れた目で彼女を見やった。美少女に頻繁に声をかけられているということで視線が突き刺さってくるのを感じる。きりきりと涼護の胃が痛み始めた頃、入り口に影が差した。現れた人物は真っ直ぐ汐那の元に歩き、彼女となにやら話している。二人の会話が終わったとき、汐那が立ち上がった。
「じゃあ、私行くね。それじゃ」
「おう」
手を振る彼女につられ、涼護も手を振り返す。また鋭い視線が突き刺さったが、涼護はできるだけ気にしないようにした。
日が傾いた頃、涼護と詩歩、二人の仕事は終わった。ひげ面のオーナーが満面の笑みで二人を送り出す。
「今日は助かったよ。はい、今回のお礼」
「確かに」
詩歩はオーナーから封筒を受け取り、中身を確認してカバンにしまう。二人は踵を返し、街中へと向かった。
「ああ、そうだ、にいちゃん、ちょっと待ちな」
「あン?」
呼び止められ、涼護は足を止める。オーナーは一度中に戻り、何かを持ってきた。
「疲れただろ、これ持っていきな」
そう言って、冷たい棒を手渡される。涼護が手元を見つめると、細長いビニールの筒に色の付いたアイスが詰まっていた。
「ども」
「いいって。どうせなら一緒に食べなよ」
言い含められた言葉に眉根を寄せ、涼護は帰り道に急いだ。が、振り向いたとき、彼は言われた意味を悟った。浜辺から道路に上がる階段に、夕焼けの中でもなお蒼い彼女がいたのだ。驚きで目を丸くしつつ、涼護は彼女に近づく。
「ここで待ってたのか?」
「うん。そろそろ終わると思って」
小さく頷く彼女の顔は心なしか赤く染まっているように見えた。涼護はいろいろ言いたい気持ちを抑え、乱暴に髪の毛をかきあげる。諦めたように息を吐くと、もらったアイスを膝にぶつけた。パキッと小気味よい音がして、アイスは真ん中で二つに割れる。
「食うか?」
「うん、ありがとう」
汐那はアイスの片割れを受け取った。歩き始めた二人の口に、甘く冷たい感覚が広がる。汐那は涼護の腕に抱きついた。
「なんか、恋人みたいだね」
「って、くっつくな離れろ暑いから」
涼護は腕を振り、抱きついてくる彼女を離そうとする。が、汐那はそれでも嬉しそうにすり寄った。
「口の中は冷たいもん」
「んじゃあ口の中も熱くしてやろうか?」
「……へ?」
彼の口から放たれた言葉に、汐那はきょとんとする。その意味を理解するごとに、彼女の顔はじわじわと熱を帯びていく。
「ほ、本気で言ってる?」
「あァ?」
涼護は咥えていたアイスを放し、ずいっと顔を寄せた。触れてしまいそうなほどの至近距離で、赤と蒼の瞳が交錯する。たっぷりと二呼吸、沈黙の時間が流れる。不意に赤が後ろに下がって離れた。
「冗談に決まってんだろ」
そう言って、涼護はぷいとそっぽを向いてしまう。汐那は呆然として、歩く彼の背中をしばらく見送っていた。が、やがて我に返り、慌てて後を追う。そしてその大きな背中に飛びついた。
「えい」
「だからくっつくなァ!」
人のいない海に、彼らのそんな声だけがこだましていた。
黒藤紫音さんのリクエストで二次創作でした。
せっかくなので夏っぽいネタを、と考えていたらこうなっていました。最初はメインキャラ6人でドタバタ劇でもいいかなと思ったんですが、うまく舞台設定ができず断念。
愛はたくさん込めました。が、キャライメージを崩してしまっていたらごめんなさい