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黒い糸  作者: 須永 梗太郎
昵懇編
9/27

昵懇-4

「……柏丘か、まあ仕方ないよね」


静寂を破り、晴香の声が室内に響く。彼女にしては珍しい苦々しい口調であった。


それを隠すように晴香はまたカステラを口に運ぶ。


「……元々覚悟はしてたけどね」


私はそう相槌を打ちながらも、目下にあるカバン―いや、カバンというよりは、中の手袋といったほうが正しいかもしれない―に意識を向けていた。


無論、咲良と晴香には伝えておらず、それにたいした理由はないが、伝える気にもなれなかった。最も、また晴香の不機嫌を買いかねないので今は黙っておくのが得策だろう。


―――ありがとう―――


彼女の声が未だに鼓膜を残響する。あの時見せてくれた笑顔も、全て嘘だとは今の私には思えなかった。


騙されていた、とでも考えれば気が楽なのかもしれないが、そうであって欲しくない、という私にはらしくない自我が芽生え始めていた。


やはり、私の伏見琴葉への期待とでも言うべき感情は常軌を逸しているのかもしれない。


そんな思案をしている私の目の前で、晴香は口一杯に頬張っていたカステラを喉に下すと、その小さな口を開く。


「でもさ、私たちは正々堂々闘って勝ったんだからさ、そんなにビクビクする必要はないって」


晴香の言葉に、私と咲良は思わず顔を上げ、晴香を見つめる。晴香の目には一点の曇りもなく、それはどこまでも真っ直ぐだった。


「それに……わかってくれる人がいる、と思いたいな、私はあの場所で、どの学校よりも上手に演奏したって胸張って言えるからさ……多分、分かってくれる人が、いる、と思う」


力説していることが恥ずかしくなったのか、晴香は尻窄みに言葉を切るとカステラの咀嚼作業を黙々と再開する。


「……ハルの言うとおりだね、ごめん、変なこと言って、忘れて」


咲良は今にも消え入りそうな声でそう言うと、ソファに一層沈んでいくように深く座りなおす。


昔から楽天家な晴香や、無神経と言われがちな私と比べると、咲良のメンタルは甚く繊細で、一人であれこれ思い悩んでは押しつぶされてしまう傾向があった。中学後期辺りからは改善されていたものの根底の部分は根強く残っているようだった。


きっと彼女もまた、あの勝利に苛まれ続けていたのだろう。


「……また今度、東景行こっか……三人で」


私の搾り出すような台詞に、晴香は大きく頷き、咲良も首肯の意を見せる。


伏見琴葉もわかってくれている。都合のいい解釈であることは分かっていたが、それでも同じ道を志したものとして、そうであって欲しかった。恐らくはこれも、私の彼女に対しての異常な期待なのかもしれない、でも。


きっと何と言われようと私たちのしてきたことは間違いはない、そう胸を張って言えるから。




「やー、いすぎちゃったね」


「もう7時だもんね」


仄暗い月夜を灯すよう照らす街灯に沿って、私と晴香は歩いていた。


あれから昔話などに興じ続け、気がつけば携帯には母から『件名:晩御飯 本文:なし』といういつものメールが送られてきていた。


私の家は神社から約五分ほどの四階建てと、高層とは言えないマンションであり、そのマンションの斜向かいの一軒家に晴香は暮らしている。


「やっぱり、こんな風に話してる時間が一番楽しいな、藍子もそう思わない?」


「そうだね……このまま変わらないといいね」


「変わるわけないじゃん、藍子が私を嫌ったって、私は藍子のこと好きで居続けるから」


「……なにそれ」


「……わかんない」


私は堪えきれず、晴香の顔を見ながら吹き出してしまう。言うまでもなく、私が晴香を嫌う理由など思い当たらない。


「と、とにかく!私も咲良も、何があっても藍子の味方だから!」


「ありがとう」


私はそう言うと、自然と笑みが出て来る。こんな自然に笑えるのは晴香や咲良といるときくらいなのかもしれない。


「……普段無愛想なくせにいきなりそんな笑顔にならないでよ可愛いじゃん」


「ん?」


「なんでもない!」


晴香は急に叫ぶと、私を置いてずんずんと先行していってしまう。彼女を怒らせるのに思い当たる節もないので、私は彼女を追従するが、まもなく彼女は歩道の真ん中で足を止めた。


「あ、藍子!あれ!」


「うん?」


晴香が指さす先には、数多の星が南西の空に広がっていた。


北海道の日没は早く、春先でも午後七時には既に夜空を星が彩っている。


また、この東景地区は、立地的には決して田舎ではないものの、高層マンションはほぼ皆無であり、多くを一軒家や5階建て以内のマンションが占めている。また、余計な街灯の少なさや、澄んだ空気から、隠れた天体観測の名所となっていたりもする。


「綺麗だね、なんか久々にちゃんと空を見たかも」


「受験でバタバタしてたからねー、昔は咲良とよく3人で星見てたっけ」


ふと晴香を見ると、彼女は幸せそうにその小さな背丈で満天の星空を見上げている。


思えば、晴香は昔から星が好きだった。彼女の言う三人で星を見たというのも、専ら、晴香の提案であることが多かった気がする。


「ねえ藍子、あの赤く綺麗に光ってる星あるでしょ?あれはオリオン座のベテルギウス、で、その左下にある白いのがおおいぬ座のシリウス、あれが私達から見える恒星の中で一番明るい星なんだ」


晴香は背伸びしながら得意げに一つづつ指を指すと、説明を加えていく。その様子は楽しそうで、見ている此方の心も温まる。


「それでね、ベテルギウスの左側にあるのがこいぬ座のプロキオンっていってね、この三つで冬の大三角って言うんだよ」


「冬の大三角か」


「そう、他の星よりうんと輝いてるでしょ?、シーズンはもう終わっちゃってんだけど、まだ見れて良かった」


晴香はそう言うと屈託なく笑う。晴香に物を教わるというのも新鮮で、彼女は本当に天体が好きなんだろう。


こんな話をしたのはいつ以来だっただろうか、と振り返ると、少しずつ思い返してくる。

あれは中学一年生になり立ての今頃だった。




2010年4月18日(日)


「遅い!一分三十秒遅刻!」


東景神社に着くやいなや時間にルーズな晴香に叱責されるというのも珍しい経験だった。私の時計は19時16分を示しており、遅刻は遅刻ではあるが、そこまで目くじらを立てることもないとは思う。


晴香は既に謎の装置の設営を整えており、咲良も境内に敷かれたブルーシートに座り晩御飯の代わりの菓子パンを食んでいる。


「ごめんごめん、で、晴香、それ何?」


私の問いに、晴香は待ってました、と言わんばかりに盛大に指を指してみせる。


「フフフ、聞いて驚け、天体望遠鏡だよワトソン君」


コナン・ドイルなんて高尚な推理小説を読んだのかはさて置き、晴香は自慢げに全く厚みのない胸を張っている。


「天体望遠鏡ってあの……?」


正直よくわかっていない私の相槌などお構いなしに、晴香はべらべらと自慢話―なのかすらも実はよくわかっていない―を始める。


「そう!お父さんのなんだけど、これは屈折式のもので、極限等級は12等星くらいまで見えて……」


呪文のように流れていく言葉に、私は力なく頷いていく。全くもって何を言っているのかよくわからなかった。仕方ないので、俗ではあるが分かりやすいことを聞いてみる。


「……これいくら位したの?」


「……うん?えっと、25万くらいってお父さんが」


「「25万!?」」


相場がわからないとは言え、予想を超える値段に私に加え、晴香の後ろでパンを咀嚼していた咲良までもが驚嘆した声を出す。


「ん?いいもの使おうと思うとそんな感じじゃない?」


今日一日で晴香がすごく遠くの人に見える。元々天体オタクなのは知っていたが知らない間にここまでに高じていたとは予想外だった。


晴香の後ろでは驚きのあまりパンを詰まらせたようで咲良が噎せ返っている。


「さ、自慢はさて置き見てもらおうか」


晴香はそう言うと右手を望遠鏡の方に泳がせる。咲良は動けないようなので、晴香の指示を受け、先を失礼することにした。


「……ここから覗けばいいの?」


「それ以外どこがあるのさー」


晴香の哄笑を買い、私も少しムッとしながらも、私はレンズに顔を近づける。


「こんな大層なもので何が見えるの」


私の突っ慳貪な物言いに、晴香は対抗するよう、こちらに顔を寄せる。


「なんでも見えるよ、月も、土星の環も、星団も」


晴香はそう言うと、私をどかしてレンズを覗くと、ノブなどを回し、ピントを調節し始める。その手つきは熟れており、眼差しも普段に類を見ないほどに真剣そのものだった。


「私たちの目では見えないものをこの子は見せてくれる、素敵でしょ?」


晴香はレンズから顔を離すと、至近距離でそう快活に笑う。晴香にしては中々ませていて、高貴な趣味だな、と思った。


「私たちの目では見えないもの、ね」


私はそう復唱するとレンズを覗き込む。


「!?」

そこに広がっていたのは限りなく広がる銀河。


数多に光る星々が所狭しと散りばめられている。勿論天体写真のようなお誂え向きなものではなかったが、そこには確かに星雲が広がっている。私は息をのみ、見入ってしまった。


「……М42、オリオン大星雲、ぼんやりとしか見えないけど綺麗でしょ?」


「う、うん」


噛み締めるように呟く晴香に対し、私はそんな曖昧な返事しかできなかった。


こんなものが私の見えない世界にある、そう考えると込み上がるような興奮を覚えた。


「でもね藍子、顔を上げてみて」


「え?」


晴香に言われるがまま、私はレンズから顔を上げる。


そこには満天の星空がいつもと変わらずに広がっていた。


「M42オリオン大星雲があそこ、見える?」


140cm前半の背丈の晴香が背伸びして指さす先には、視力のそんなに芳しくない私にもぼんやりと確認できる三つの星があった。彼女の指はその真ん中を示している。


「……うん見えるよ」


「今のはさ、望遠鏡で覗いたら綺麗だったよね、でもさ」


晴香は一度そこで切ると、オリオンをなぞる様に指を動かし、赤く光る星を人差し指で射る。


「あの星、ベテルギウスって言うんだけど、どういう風に見えると思う?」


「うーん、もっと綺麗に見えるんじゃない?」


後ろから、菓子パンを無事完食し終えた咲良がこちらを眺めながら言った。私も同意見だったので続けざまに首肯する。


しかし晴香はそんな私たちを見て、ゆっくりと頭を振った。


「ううん、点と像にしか見えないんだ、あんなに綺麗に光ってても」


「そう、なの?」


咲良と私も気づけば真上を見上げそのベテルギウスを見つめていた。その恒星は煌々と光り輝いていて、筆舌に耐えない程に綺麗で神秘的だった。


「そう、ベテルギウスも、あんなに綺麗に輝いてるシリウスもプロキオンも、この子からしたら点と像にしか見えないんだよね」


その三星が冬の大三角というのは、前日、晴香に予習させられたので知っていた。晴香は少し寂しげに天体望遠鏡を撫でながら続ける。


「でもさ、私たちには赤々と光るベテルギウスも、どの星よりも光るシリウスも感じられる、きっと自分の目で見えることの方が多かったりするんだよ」


「自分の目で見えること、か」


咲良はそう感慨深そうにポツリというと、私の真横に歩み寄り、星空を眺めている。星々は依然輝き続け、鮮やかに天体を彩っていた。


「だからさ、見えないものを見ようとするのもいいけど、今、目の前にあるものを大切にしたいって私は思うな、そうでしょ?」


晴香は天体望遠鏡から手を離すと、私の胸元に飛び込んでくる。


月光に照らされた晴香の髪は艶やかに光り、四月とは言えまだ肌寒い季節に、彼女の高めの体温がより一層感じられた。


「……そうだね、でもどうして急にそんな話」


私はそう問いかけながら、晴香の短めの髪を梳くように左手の指を絡める。晴香の髪の毛の質感は柔らかく、撫でているとこちらも心地良い。横では咲良も同じように晴香の頭を撫で回している。


「昔おばあちゃんに同じ話をされてね、あの時はよくわかんなかったんだけど、最近何となくわかってきて」


「そっか、私もなんとなくわかったかも」


私の相槌に、晴香は少し照れくさそうに顔を私の胸に埋める。私の横で咲良はそんな晴香の頭を愛おしげに撫で続けていた。


東景神社から見上げた広い空には、数多の星々が遍き、燦爛と私たちを照らしていた。


私は何だか可笑しくなって、ふと笑みを零すと、徒に特に輝く恒星―シリウス―を指差し、そのままベテルギウス、プロキオンと指をなぞらす。


古から変わらない大三角とこの場を構成する歪な三角形を重ね合わせ、また私は咲良と目を合わせ、微笑みあったのだった。




「藍子ーっ!おーい!」


「ん?あ、あぁ、ごめん」


回想から我に返った私の目の前には頬を膨らませた晴香が、不満げにこちらを見上げていた。目まぐるしく変わる晴香の表情は、街灯の少ない東景の夜道でもわかりやすい。


「何?考え事?」


「うん、まあそんなとこ」


私は適当にはぐらかすと、小学生から代わり映えのしない、安心するほどに見慣れた膨れっ面を呈している晴香の頭を撫でる。


長くはなったものの、髪の毛の質感は柔らかく、彼女が変わっていないようでいて安心した。


「……変な藍子」


「晴香」


彼女の言葉を遮るように、私は長年呼びなれた名前を噛み締めるように呼ぶ。


「うん?」


「……星、綺麗だね」


私の口を突いた気障な台詞に、晴香は首を傾げ私を見上げた。


彼女の背後にはいつも通りの見慣れた景色を満天の星空が所狭しと彩っている。


「そうだね、うん、すっごく綺麗」


晴香はそう返すと、さり気ない動作で私の左手を右手で掴む。肌寒い夜でも、私よりも一回り小さな晴香の手は暖かかった。


「帰ろっか」


私の言葉に晴香はゆっくりと首を振ると、もうちょっと、と囁く。


その表情はいつもとは違って、甚く落ち着いていて、横から垣間見れる月のような柔和な微笑みは、ほんの少しだけ大人びて見えた。


「え?」


「もうちょっとだけ、星見てたいな……ダメ?」


「もうちょっとだけ、だからね」


私は晴香の問いにそれだけ答えると、ぎゅっと強く彼女の右手を握り返す。それ以上、言葉などいらなかった。無音の空間の中、繋いだ手の温もりだけが私を包み込んでいく。




悴む寒空の下、私たちはいつまでもあの日と同じ景色を二人で眺めていた。

どうも、須永です。

今回、終盤にかけての回想は珍しくシリアスでなくしっとりとするお話でした。

今回は晴香分多めで書かせてもらいましたっ!

特に喜怒哀楽の激しい晴香は書いてて楽しかったです。

次話はアナザーストーリーなるものを立て続け2話

ご覧いただきたいと思います!

Thank You For Reading!


作者:須永 梗太郎

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