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黒い糸  作者: 須永 梗太郎
邂逅編
4/27

邂逅-4

「トーケイって昨年度吹奏楽部全道制覇のトーケイ中!?」


今崎さんの不意打ちに驚いた私は、座りかけた妙な体勢のまま、立ち上がっている今崎さんの大きな瞳を凝視する。


「……あ、え、えぇ……まあ……」


私がそんな曖昧な返事をしている間にも、ざわめきは少しずつ伝染していく。この声の中心は主立って元吹奏楽部の面々だろう。


しかし、台風の目であるはずの今崎さんは、そんなクラスの雰囲気には我関せずという様子であり、表情からは私に向けられた好奇心がありありと滲み出ている。


「えっと、何から聞こうかな……」


「今崎さん」


今崎さんだけでなく、それは広がっていた教室のざわめきすらも一瞬で静まり返るほど凛と響き渡る声だった。


「今は自己紹介の時間です、個人的な友好を育みたいのなら放課後にしなさい」


小野寺女史のその言葉に今崎さんは、そうですね、ごめんなさい、と頭を下げると素直に席に着く。ざわめいていた教室もそれ以上の言及もできなくなったためか、騒ぎは速やかに沈静化していった。小野寺女史も何事もなかったようにまた次の番号を呼び始めた。


「……ねぇ、藍ちゃんってそんなに有名人なの?」


朱音は事態がよく分かっていないように目を(しばた)かせている。どう答えていいものか、と私は狼狽えながらも、慎重に言葉を選ぶ。


「えっとね、私の学校の吹奏楽部が全道で優勝したんだ」


「えぇ!それって凄いじゃん!藍ちゃんかっこいいーっ」


朱音は驚いたように目を大きくしたあと、猫のように目を細める。純粋に褒められたのは久しぶりだったからか、なんだか照れくさいような気持ちになる。


「……全然凄くないよ、凄いって言ってもらったこともあんまないし」


言ってから、最後の一言は蛇足だったな、と少し後悔した。朱音にこんなことを言っても仕方ないのは分かっているだけに自分自身が少し情けなかった。


「……え?なんで?」


当たり前だが、朱音は当惑し、首を傾げている。


「……あとで話すね」


私はそう言うと、再び込み上げてきた鬱屈とした気持ちに蓋を閉じる。朱音は私の態度から何かを察したのかそれ以上、何も言わずに前に向き直る。


こうして学級活動の時間は終わり、放課のチャイムが鳴り響いた。




放課の直後、クラス内は友好を図るためか未だ賑わい続けている。私はというと、教室の後ろからその経緯をぼんやりと眺める程度にとがめている。それは私の内向的な性格だけでなく、陰鬱な思い出を思い返したことも少しなからず起因している。


「……あ、あのさ」


「は、はい?」


そんな縁どられた額縁のような景色の中から、突然一人の少女がこちら側に話しかけてくる。今崎柚梨奈、と先程そう名乗った出席番号1番の少女である。失礼だが、遠目で見るよりも想像以上に小さい。


「さっきはごめんね?私、トーケイ中って聞いてちょっと興奮してたってゆうかさ、元々空気読めないってゆうか、あーそれを言い訳にしたいんじゃないんだけど、その、嫌な気分にさせてたらごめんね?」


今崎さんは早口で捲し立てるようにそう弁解する。小さな背丈やそのマシンガントークは小学からの同級生をそれとなく彷彿とさせ、そう思うと不思議と嫌悪感は沸かなかった。


「いや、気にしないで大丈夫だy……」


「そっか良かった!もー嫌われたんじゃないかってヒヤヒヤしたよー、あ、そうそう!私のことはテキトーに呼んでくれていいから!……ってヤバッ、もうこんな時間か!バスが行ってしまう!……あっ、じゃあね本城さん!明日からよろしくねーっ!」


「!?、あ、はい……」


絶えずマシンガンを連射し続ける今崎さんに閉口しつつ、走り去っていく小さな背中に、私の名前は本郷だ、と口籠もる。最も自己紹介の私の声が小さかったのが悪いと言われてしまえば返す言葉がない。


「……なんだか強烈な子だね」


前からは皮肉が入った調子で朱音が苦笑いを浮かべている。フレンドリーではあるが、人の内側にガッツくタイプではない朱音からすれば、今崎さんの様に入り込んでくる性格は苦手なのかもしれない。


「まあ、悪い子じゃないとは思うんだけど……」


私も朱音に釣られて苦笑する。朱音は、ならいいんだけど、と小声で漏らすと、一転表情を引き締める。


「あ、あのさ、藍ちゃん」


躊躇いがちな朱音の声音で、彼女の聞かんとすることは何となく理解できた。


「……中学の話?」


「……うん、聞いても大丈夫?」


朱音の真っ直ぐな瞳を見て、あそこまで言ってはぐらかすのも不自然だろう、と私は覚悟を決めた。私は自分なりの言葉で―出来れば思い出したくない―過去の記憶を紡ぎ出す。


「……私たちの優勝って普通はありえないんだって」


「……どうゆうこと?」


「私の学校ってさ、全然強豪校じゃなかったんだ、楽器も古いし、人数も少なかったからさ、地方の予選を通過できればいい方だったんだ」


「……でも、全道で優勝したんだよね?」


私の含みのある言い方に、朱音は確認するような口調で返す。その表情は甚く真剣だった。私は飽くまで他人事のように感情を押し殺しながら話を続ける。そうでもしないと、精神が持たなかった。


「そんな学校が優勝したら普通、どう思う?」


「それって……!」


「……色々言われたよ、うちの顧問と審査員がつながってるとか、校長が賄賂渡したんじゃないかとか、部長が体売ったんじゃないか、とか」


その部長が私のことであることは伏せておいた。朱音は沈痛な面持ちのまま、伏し目がちな私の表情を伺っている。改めて、知り合った直後にする話ではなかったな、と心中で猛省する。


「……そんなことしてないんだよね?」


「……うん、私たちはただ先生の最後の大会で花道作ってあげたかっただけなのにね……頑張りすぎちゃったのかな?」


私の声が無自覚に震えていたのに気づいた。今までひた隠しにしてきた感情や記憶が堰を切ったように溢れ出してくる。


どの学校よりも努力してきた、どの学校よりも真剣だった、どの学校よりも勝ちに拘った。色々なものを失って、犠牲にして、その結果掴んだ勝利を、世間も、社会も、周りの人ですら認めてくれなかった。


「そんなことないよ、藍ちゃんたちが頑張って手に入れた優勝だもん、誰がなんと言おうと胸張って、私たちが優勝校だって言えばいいんだよ……もし文句つける奴がいたら私が殴ってやるからさ……って何も知らない私が言うのは無責任かな?」


朱音はそう言うと、ゆっくりと私の頭を撫でる。朱音の手は小さくて、とても暖かかった。


「ごめんね……今日会ったばっかりなのにこんな話して、やっぱり私ダメだね……」


私の言葉を断ち切るように朱音は立ち上がると、私の横に歩み寄り立ち膝になる。


「……朱音?」


私の呼びかけには答えず、朱音はただ私を抱きしめた。小さな体躯が私の心まで包み込むよう強く強く。


「……そんな顔してたらせっかくの美人が台無しだよ?」


朱音の優しく穏やかな声が、暖かな体温が、外にハネた髪から漂う甘いシャンプーの香りが、肌の柔らかさや拍動が。その朱音の全てが近くに感じられた。


「藍ちゃんは今までいっぱい大変な思いしてきたんだね、辛かったんだね」


朱音の指が私の髪を梳く。きっと私は今、人様には見せられないような顔をしているだろう。でも、今はそれでもよかった。漸く、今まで抱えてきた蟠りが解けていくような、自分のしてきた事を認めてくれたような、確かな私の居場所が見つかった気がしたから―――




あれから一時間ほど経ったのだろうか。教室は閑としており、私と朱音しか残っていない。他の生徒は軒並み下校したようで、晴香や咲良が来たわけでもない。特にせっかちな矮躯な少女に、恐らく友人を待つという選択肢はないだろう。


そして私はというと、朱音の横で彼女が購買の自販機で買ってきてくれたココアを啜っていた。


「ごめんね、いろいろ気を遣わせちゃって」


反省する私に対し、朱音は口に運んでいたコーンポタージュの缶を机の上に置く。


「ううん、気にしないでよ……ここだけの話泣いてる藍ちゃん可愛かったし♪」


「へ、変なこと言わないでよ!?」


「ふふっ、照れてる藍ちゃんも可愛いなー」


「……もう……朱音の方が可愛いのに」


「お?本気にしちゃうよー?」


朱音はそういうと屈託なく笑い、それに釣られて私も頬が緩んでしまう。入学式の日にこの子に出会えたことは大きな幸運だった。晴香や咲良といい友人に恵まれる星回りには感謝しなければならない。


「もう12時半かぁ、そろそろ帰ろっか、お腹すいちゃったね」


朱音は時計を見やりそう言うと、自分のリュックサックを背負う。小さな背丈の彼女が背負うと、やけに大きく見えた。私も自らのスクールバックを持ち上げたところで、今しがた記憶の外にあった内容されている物質の存在を思い起こす。


「……あっ!手袋!」


「手袋?」


頭に疑問符を浮かべる朱音に、私は口下手なりに説明をする。


「これ三組の伏見さんのなんだけど……私の机に置いてっちゃって」


「……藍ちゃん、伏見さんと知り合いなの?」


伏見琴葉の名を出した途端、朱音の表情が露骨に曇ったのがわかった。ここで朱音の気分を損ねたくなかった私は即座に会話を切り上げようとする。


「え?うん、さっきだけどね……まだいるかな、もしかしたら探してるかもしれないし……」


「そ、そっか、そっかそっか……」


朱音は焦燥を隠そうとするように、しきりに頷いている。その態度は数時間一緒にいた彼女の様子とは明らかに解離している。


「……朱音?」


「ん?……あぁ!伏見さんね!私、玄関の方探してくるね!」


「え、ああ、うん……」


私の返事も待たず、朱音は慌ただしく教室を飛び出していく。心配するのと同時に、少し寂しいような気もしながら、私は独り三組の教室に向かったのだった。




三組の教室の扉は閉まっており、扉の上窓からは中には一人の少女が机に突っ伏しているのが確認できる。もしかして、という思いを胸に私は戸を手の甲で叩く。


「……すいませーん」


「……はい」


酷く涙声で帰ってきた返事は、先程大仰なスピーチをしていた少女の声にほかならない。なぜ泣いているのか、そんな一般的な疑問さえ忘れるよう、私は木製扉を開けると、引き込まれるように丁度四組でいう私の席に歩み寄る。


何が私をそうさせているのかはわからないが、言うなれば伏見琴葉という人間へのへの好奇心、とでも形容できるだろうか。


「えと、あの、伏見琴葉さん、だよね?」


「グスッ……そうですが……」


彼女は私の呼びかけでゆっくりと顔を上げる。魅力的な大きな眼は赤く充血し、涙が長い睫毛を濡らしている。誰かの言葉を借りるようだが折角の美人が勿体無い。


「あの、大丈夫ですか?」


おどおどしながら小声で聞く私を一瞥し、彼女は震え声で呟く。


「……手袋、なくしちゃって」


彼女の搾り出すような言葉に、胸が締め付けられるような思いがした。私のカバンの中に入っている手袋はおそらくとても大切なもので、きっと彼女はこの時間までずっと校内を捜し歩いていたのだろう。もっと早くに届けていれば彼女が泣くことはなかったのかもしれない。


「……あの、その、忘れてってた手袋、えっと、その、あ、あります」


罪悪感やら後ろめたさやらで、自分でも何を言っているか訳が分からないような散文を並べる私を、目の前の彼女はその充血した大きな瞳をより見開いて見つめている。


「え、ほ、ホント?」


「は、はい、私の机の中に入ってまし……」


「ありがとう本郷さんっ!」


「!?」


私の小声の説明を遮るように、彼女は立ち上がると、私目掛けて両手を広げそのまま飛び込んでくる。


「ありがとう……!ホントにありがとう……!!」


「ど、どういたしまして?」


彼女の艶やかな髪が私の頬を撫でる。当の私はというと混乱を極め、この香りは、シャンプーはツバキだろうか、などとどうでもいい思案に耽る他なかった。


美人を前にした男子の気持ちとは果たしてこういうものなのだろうか。今日一日で美人に抱きしめてもらったり、抱きしめたりと随分と多忙であり、もしも私が男なら一生の女運を使いきっていてもおかしくはないだろう。


「えと、あの、伏見さん?」


「えっ、あっ!いきなりゴメンナサイ……!……あ、痛っ!」


伏見さんは磁石の反発ように私から離れると、その勢いで先程座っていた椅子に腰をぶつけている。


「だ、大丈夫ですか?」


「アハハハ、大丈夫、大丈夫……」


伏見さんが落ち着きを取り戻したところで、私は鞄に仕舞っておいた黒毛糸の手袋を取り出す。それは手編みのもので、決して綺麗な形とは言えないが、暖かそうでなにより、温もりを感じられた。


「これ、どうぞ」


「よかった、ほんとによかった……!」


彼女は、私が怖ず怖ずと手渡した手袋を受け取ると、愛おしげに抱きしめる。その表情を見てか、私も安堵した。


「……あの、その手袋って何か思い入れとかあるんですか?」


余計なこととは思いながらも、彼女の嬉しそうな顔を見て尋ねずにはいられなかった。彼女はその安堵に満ちた表情を穏やかに綻ばせ、昔話をするような調子で呟いた。


「……お母さんが私に編んでくれたんです、夜鍋なんて今時流行んないんですけど、私、嬉しくって」


彼女は手袋を眺めながら、ポツリポツリと話す。その表情は柔らかく、その手袋に詰まる思い出や年季、そしていかに大切にされていたかが彼女の話す節々からなんとなく読み取れた。


「……指のところが(ほつ)れちゃって……もっと大切に使ってればよかったかな……」


「……私、直しましょうか?」


思わずそう口走ってから余計なお世話であることに気がついた。彼女の笑顔がもう少し見ていたかったのか、或いはまた話す口実が欲しかったのか、それは自分にもわからなかった。


「……いいんですか?」


彼女は少し驚いたように私の目を見つめている。却って迷惑かと思ったが、その澄んだ瞳からはそのような感情は感じられなかったことに少しなからず安心する。


「え、あ、伏見さんが良ければ……直せます、はい」


彼女の目が直視できず、視線が宙を舞いながらしどろもどろになる私に、彼女は今日一番の笑顔で一言、『ありがとう』と伝えてくれた。




この時、私はまだ違和感を感じ取ることはできなかった。

そして勿論、こんな様々な偶然と不運の連続で奇しくも巡りあった私たちが

向かう先など、この時はまだ知る由もなかったのである。


こんな風に、私、本郷藍子と彼女、伏見琴葉の歪な物語は幕を開けたのだった。

どうも、須永梗太郎です。

まだまだ肌寒い季節ですね。

さて、この度第4話、そして邂逅編完結です!

長かったですね……ご愛読してくださっている皆様に感謝です。

次章では晴香や咲良が活躍予定です。

それでは、風邪など召されませんように。

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