邂逅-3
「只今より、第46回旭陽高等学校入学式並びに着任式を行います、一同、起立」
教頭と思わしき、灰色のスーツを纏った初老の男性のやや高めの声を皮切りに、新入生や在校生、教師、PTAらが一斉に立ち上がる。
体育館には1000人を優に超えるであろう人数が収容されているが、それでも狭さを感じさせない。
「本校合唱部による校歌斉唱」
教頭が保護者席に会釈をし、半歩下がったところで、ステージ向かって左の黒のグランドピアノから整った調律が耳に流れてくる。中学から音楽に打ち込んできたためか、そのピアノが良い物であることに気づくのにそう時間は掛からなかった。
隣では朱音もうっとりした様にピアノの音色に傾聴している。一体このようなピアノを買う資金がどこから出ているのかという疑問は一層強くなる。
「そーいえばさ、旭陽の合唱部って確か」
思い出したように朱音がそう呟きかけた刹那―――
広い体育館すらも超越する声量、重厚な四重奏のハーモニー、伸びやかでいて優美なほどの声の響き、それは私の知っている合唱ではなかった。
「……確か全国出場校だった、よ、ね?」
私の横では朱音も、驚き惚けたように呆然としている。朱音だけでない、朱音の隣の子も、その隣も等しく同じような表情を呈していた。
「これが、旭陽合唱部……」
旭陽合唱部。
発足十年足らずの新設部でありながら発足四年目での全道制覇を皮切りに、全国へと歩を進め、各大会では賞を総ナメにした生きる伝説とも言える合唱部。
強豪校の代名詞として数えられるその強さは未だ健在で、その高校生離れした合唱から、昨年も三年連続の全国制覇に始まり、サッカーの国際親善試合の国歌斉唱を行うなど実力も実績も本物、そんな価値のある合唱を入学式で聴けるとは思っていなかった。
最後のピアノトーンが穏やかに鳴り響き、壇上の指揮者がゆっくりとタクトを振り下ろす。
「……以上、我が校合唱部による校歌斉唱でした、皆様はご着席下さい」
教頭が自信に満ち溢れたような声音でそう言い切ると、パラパラと座り出す中、誰からともなく拍手が鳴り響く。その拍手は暫く鳴り止むことはなかった。
「次に新入生を代表して、一年三組伏見琴葉さんに挨拶をお願いします」
―――伏見琴葉
私がそう逡巡してまもなく、黒髪の少女が立ち上がる。それは見まがい様もなく先ほど私の席に座っていた彼女そのものであった。
凛然と真ん中に敷かれた赤絨毯を歩く姿は小一時間前の慌てっぷりとは別人のようで、今朝咲良の言っていた、柏丘中の部長である泰然たる姿勢も伺える。
彼女は壇上に上がると、深く一礼をしてマイクを入れた。軽いハウリングが過ぎた後、彼女はゆっくりと口を開く。
「新入生の皆さん、先輩方、先生及び保護者の皆様方、おはようございます、一年三組の伏見琴葉と申します、新入生を代表して恐縮ながら挨拶させていたただきます」
凛と張った通る声や悠然とした佇まいには非の打ち所はなく、それはまるで、この舞台は彼女のために誂えられたもののようにすら感じられた。
「まず、この春から、私たちがこの旭陽の学びの庭に通えることを喜ばしく思います、それは偏に、保護者の皆様の深い慈悲や力添えのあったものと心より御礼申し上げます」
一度そう切ると、彼女は保護者席に身体を向き直し、頭を垂れる。少しの間をとってから顔を上げると、彼女はまたマイクに向き直る。
「……この旭陽高校という恵まれた環境の中、私たちは克己して勉強や部活に尽力していくことを誓い、延いては、来る進路について深慮し、また実現に向けて努力していく所存です、またこの旭陽高校は四十六年という短い歴史のなかでも、数多の優秀な人材を社会に輩出しており、私たち四十六期新入生一同も一層邁進していきたいと思っています」
「……やっぱすごいな」
横に座っていた朱音が一人でに小声で呟く。言葉とは対照的に表情は険しく、先ほどの小野寺女史を見るのに少し似通った目をしている。晴香ほどではないが、この子も感情が表情に出やすいのかもしれない。
「……あ、朱音?大丈夫?」
躊躇いがちに名前を読んだ私の声で我に返ったように、朱音は小さく、なんでもない、と返答する。私はなんとか名前が呼べたことに安堵しつつ、彼女を気にかけながらも、前方を見やる。壇上では既に伏見琴葉が挨拶を結ぼうとしているところだった。
「……最後になりますが、新入生の皆さん、この旭陽という豊かなフィールドでみなさんに出会えたことを喜ばしく思います、これからの三年間という時間を大切にして、大きく成長できるような学校生活を共にしましょう、よろしくおねがいします、これで短いですが私の挨拶を終わらせていただきます」
彼女は一歩下がり、最敬礼の角度まで深く一礼すると体育館を揺るがすような大きな拍手が鳴り響く。
その拍手を受けながら、彼女は壇上を降りると下手側の階段のほうに歩を進める。
完璧なスピーチを終え、本人も満足していただろう。その最初の一段に差し掛かったその時、
「キャァァッ!?」
拍手が成り終わりかけた館内に響き渡る悲鳴を上げ、彼女は階段から滑り落ちていく。それはあまりに突然のことで、私を含め体育館が水を打ったように静まり返った。
ここ旭陽高校の制服というのは極めて現代的で、制服目当てでこの学校を選択する女子もいるという噂もある。何故、こんな話を突然思い返したかというと、
伏見琴葉が転がり落ちた際に、彼女の丈の短いことで著名の旭陽のギンガムチェックのスカートは空中でフワリと舞い、それは着地し俯せに倒れている体でも、こちら側に桜色の景色を惜しげもなく見せつけているからである他にない。
「……だ、大丈夫ですか?」
階段付近の教頭に声をかけられ、彼女は恥ずかしそうに小さく頷く。そこで自分が如何なサービスショットを呈していたか気づいた様で、彼女の頬は見る間に、下着さながらに桃色に染まっていく。
「ぅ……あ……、だ、大丈夫でしゅ……」
彼女は涙声でそう応じると、素早く立ち上がり、スカートのホコリを払うと、早歩きで逃げるように自席へと戻る。顔は羞恥で桃色から真っ赤になっており、その姿は先ほどの私の席に座っていた彼女と全く同じであった。
「……藍ちゃんは何色?」
「……言いません」
朱音の冗談を苦笑いで受け流しつつ、彼女の先ほどの不可解な表情について尋ねてみる。
「そういえば、朱音、伏見さんと知り合いなの?」
「え?な、なんで?」
彼女にしてはひどく煮え切らない返事だった。何か言いたくないことがあるようだったので、極力当たり障りの無さそうなことを言う。
「いや、さっき独り言聞こえちゃって」
「そ、そっか、うん、同じ学校でね、柏丘っていうすぐそこの中学なんだけど」
「そうなんだ」
私はそこで会話を切った。彼女もそれ以上自分から話すこともなく、硬い表情のまま押し黙っている。そんな彼女の心象を気にしつつ、私はそれとなく伏見琴葉という人物に思いを馳せていた。
「藍ちゃん、部活とか決まってる?」
こうして入学式は終わりクラスの席に着くと、私は朱音に話しかけられる。彼女の表情はいつも通りに戻っていたので、私はそれ以上言及しなかった。
「まだ決まってないんだけど……合唱部いいかなって」
「あー確かにかっこよかったよねー、今度見学行ってみようか?」
「あ、そうだね」
この学校には私や咲良、晴香が中学時代所属していた吹奏楽部はない。あったらあったで入るのかもしれないが、引退後はなんとなく吹奏楽を避けつつあるのも事実だった。それは私だけでなく、咲良や晴香も同じなのかもしれない。
「そういえばさ、藍ちゃんってどこ中?」
「……東景中ってところなんだけど、知らないよね」
「とーけーちゅー?」
私の微妙な心境なぞ露知らぬであろう朱音は首を傾げている。私たちの通っていた東景中学校は一点を除けば極めて何の変哲もない中学校である。
特別、進学実績があるわけでもなく、かといって治安が悪いわけでもない。新進気鋭の新設校でもなければ、築云十年と受け継がれた伝統もない。
ましてやこの旭陽の膝下にある柏丘からすれば、さほど近くない東景中など知らなくても当然である。
「私はすぐそこの柏丘……ってさっき言ったか」
朱音はそう言うと自嘲気味に笑みを零す。柏丘中学。それは吹奏楽をする中学生なら誰もが一度は聞いたことはある吹奏楽の名門である。確認のために、私は自らではあまり出しにくかった話題を切り出す。
「あ、朱音は部活はやってなかったの?」
「ん?あぁ、帰宅部だよー、吹奏楽入ってたけど半年でやめちゃった」
「そ、そうなんだ」
冷や汗が首筋を伝っていく感触がありありとわかった。たかだか部活だというのに、ここまで怯懦な自分に嫌気がさす。
晴香や咲良はどうやり過ごしているのか、それも心配であった。もしかしたらここまで気にしているのは私だけなのかもしれないが。
そんな風に釈然としない思いを巡らせる私の思考を遮るように、教壇上で小野寺女史が一度大きく咳払いをする。表情は依然厳しいままだった。
「今後のタイムスケジュールですが、各クラス六十分の学級活動の時間が与えられています、なので自己紹介をしたいと思いますが、よろしいですか?」
彼女の提案にクラス内で首肯するような動きが見られ、小野寺女史はもう一度咳払いする。
「……一年四組の担任を務めることになりました小野寺碧です、教科は国語総合で皆さんには現代文の教鞭をとらせていただきます、部活は華道部と、弓道部の副顧問も担っています、一年生の担任を持つのは初めてなので至らぬところもありますが、一年間よろしくお願いします」
一切の表情や抑揚のない喋り方は宛らサイボーグである。女史は軽く頭を下げて座ろうとすると、最前列のあたりで真っ直ぐと手が挙がっている。
「先生!質問です!」
「……何ですか?」
胡乱げに問いかける女史に、質問者の少女は明朗な口調でこう言った。
「彼氏はいますか?」
意表をついた、ある意味高校生らしい質問に小野寺先生は、表情を変えないまま殺気を漲らせる。ターミネーターのテーマが後ろにかかっていてもおかしくないくらいである。
「……彼氏はいないです」
小野寺先生は蔑みに近い冷たい眼差しを質問者に向けている。流石に教育者としては如何なものか、とは思うが、当の質問者は堪えていない様である。
小野寺先生は仕切り直すように、じゃあ、一番からお願いします、と言うとパイプ椅子に腰掛ける。
すると、今まさに質問を投げかけていた少女が立ち上がった。
「一番、今崎柚梨奈です!イマザキです!そこのところ間違えないようにお願いします!出身は山一つ越えたところにある石嶺中ってところです!私含め五人しか来てないので寂しいです、なので気軽に話しかけてください!部活は中学時代、新聞部に入ってました!高校では合唱部に入ろうと思っているので誰か一緒に見学行きましょう!あ、みんなに聞かれるから先に言っときますが、身長は147.7cmです!でも今年中に160cm行く予定です!よろしくお願いしますっ!」
新聞部のジャーナリズムに恥じない、ハキハキと矢継ぎ早に話すハーフ顔の少女に辟易しつつも、小野寺女史はありがとうございました、と拍手を始める。それが伝染するようにクラス中に広がり、その拍子が収まる頃に二番の女子が自己紹介を始める。
「……自己紹介って何話せばいいのかわからないよね」
まるで私の心中を察したように、朱音は憂いを帯びた口調で呟く。私も、そうだね、と返し、自己紹介をしている人達の話に耳を傾ける。
出身中学校や中学時の部活は勿論、これから入りたい部活なんかについても言及している人が多く、こういう舞台が苦手な私からすればみんな慣れているな、という印象をひしひしと感じてしまう。
「次、三十番、姫野さん、おねがいします」
女史の無機質な呼名で、姫野さんはゆっくりと立ち上がる。立てば芍薬、という使い古された言葉も様になるようで、男子陣が息を呑むのが聞こえてくる。
「えっと、三十番の姫野朱音です、柏丘中学から来ました、姫とか朱音とか好きに呼んでください、中学時代は帰宅部だったので高校では何か部活に入ろうと思っています、なので見学とか行く時は誘ってください、これから一年間みんなと仲良くしていきたいのでよろしくお願いしますっ!」
朱音は軽く会釈して微笑むと席に着く。彼女に向けられた男子の目は燦爛と輝いており、ここまで完璧な自己紹介をされると後続には辛いものがある。まして朱音の様な可愛い子の後だと落差が否めない。
「ありがとうございました、次、三十一番、本郷さん、おねがいします」
私は覚悟を決めて立ち上がると、精一杯の笑みを取り繕う。どんな酷い顔になっているかは想像したくなかった。
「さ、三十一番、本郷藍子です、東景中学校から来ました、えっと、中学時代は吹奏楽部でクラリネット吹いてました、あ、あの、こ……高校では合唱部に入ろうかなと思っています、よろしくお願いします……」
最前列まで聞こえていたのか分からないような小声で挨拶を終えると、暫く友人は出来そうにないなと思いながら、私は席に着こうとする。
「あれ!今、トーケイ中の吹部って言ったよね!?」
「……へ?」
ハイトーンボイスが教室に響き、周囲の視線は座りかけている最中呼び止められ、変な体勢を呈している私と、最前列で立ち上がりこちらに大きな眼を向けている今崎さんの両方に注がれる。最前列まで聞こえていた、という安堵は場に不相応なほど、妙な緊張が走り抜けていく。
―私たちの通っていた東景中学校は一点を除けば極めて何の変哲もない中学校である―
「トーケイって昨年度吹奏楽部全道制覇のトーケイ中!?」
―そう、全国の誰一人予期していなかった、無名であった私たち吹奏楽部が全道優勝を成し遂げたこと以外は―
あけましておめでとうございます。
どうも須永梗太郎です。
ついに第3話を投稿させていただきました。
如何だったでしょうか?
シリアス方面に足を突っ込みつつも、
あくまでも基本スタンスは変わっておりません(笑)
そんなこんなで、第4話でも琴葉ちゃんが活躍する予定です(笑)
アドバイスは随時受け付けておりますので、読者の皆さん
今後ともよろしくお願いいたします(*・ω・)