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黒い糸  作者: 須永 梗太郎
決意編
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決意-1

2013年4月13日(月)


あれから、一週間が過ぎ、高校生活二回目の月曜日がやってきた。


私、本郷藍子はというと、別段の成長もなく、ただ普通に日々を浪費していたわけで。


部屋の鏡に映るのも、旭陽のブレザーに着替える、なんの変哲もない寝ぼけ眼の私の姿だ。至って、中学との差異は感じない。


ただ少しの進歩があるとしたら、友人と呼べるような人が新たに二人出来たくらいだ。


姫野朱音と、伏見琴葉。


この二人に、咲良と晴香―水曜日に漸く会わせてやれた、伏見さんには最初、警戒していたみたいだけど、今では掌を返したようにすっかり懐いている―を交えた五人で昼食時テーブルを囲んでいる。


牛歩の歩みではあるが、前言撤回。私だって少しずつ進歩しているのだ。


「藍子、朝ごはん」


「うん、今行く」


私はネクタイを結ぶと、一路リビングへと向かう。リビングでは母が拵えているトーストの醸す香ばしい空気が部屋中に充満していた。


「ジャムとバター、どっちがいい?」


「何ジャム?」


「マーマレードとアプリコット」


「じゃあ、マーマレード」


椅子に着くと、皿には二枚の程よく焼き目のついたトーストに、スクランブルエッグが添えられ、カップからはポタージュスープが湯気を立てている。


あんな母ではあるが、朝食と私の髪質には執着に近いこだわりがあるようで、そこへの心配りは今まで一度も欠いたことはないらしい。


「藍子、部活は決まったの」


「いや、今日から見学開始だって」


「へえ、アテはあんの」


母はマーマレードのジャムとナイフを私の前に置くと、皿の空いているところにミニトマトを置いていく。弁当に入りきらなかったのだろう。しかし、またトマトか。


「合唱部、とか」


「あんたが、合唱?」


「変かな」


「人と話もできない人が、人前で歌えるの?」


「うるさいな」


ナイフで食パンにジャムを塗りながら、私はそう反駁する。しかし、そう言われると、少し自信がなくなってくるのも事実だ。


「まあ、悔いのないようにやりなさいよ」


「うん」


母はそう感情の篭っていない声で言うと、椅子に座る私の背後に回った。手には赤いヘアアイロンが握られている。既に熱せられているようで、近づけられただけでも熱気を感じられた。


「髪、セットするからじっとしてて」


「いいよ、自分でやるから」


「やらせろ」


こう言い出すと母は絶対に折れないので、観念して溜息を吐く。私が頑固なのは多分この人のせいだ。頑固で偏屈な母は無表情のまま、朝食を取る私の髪をヘアアイロンで挟んでいく。


「あんまり動くと首焼けるよ」


「じゃあなぜ今」


「私も忙しい」


知るか、と思いながら、無言でトーストを食む。


別段品質の高いものでもない、ただのコンビニの六枚入98円の食パンも、母の手にかかればホテルの朝食に様変わりする。こういうところはハイスペックな母である。代わりに常識と人間味が欠落した結果でもあるが。


「時間は大丈夫?」


「あと二十分で家出られれば」


「じゃあ、さっさとやるわ、首焼いたらごめん」


「謝る前に気をつけてよ」


母は淡々と私の髪を整えていく。小学校四年生までは、こんな風に毎朝セットしてもらっていたのが少し懐かしく思える。あの頃は朝五時半に叩き起されては、風呂に入れられ、常時寝不足を被っていた記憶しかない。


「……はい、できた、セット料七千円」


「ぼったくり」


「冗談よ、さっさとご飯食べて学校行きなさい」


満足げにヘアアイロンをテーブルに置くと、母は私の肩を解すように軽く揉む。


40インチのテレビに映る朝のワイドショーは流行りの男性アイドルのインタビューが司会の中年女性アナウンサーによってテンポよく進められていた。その画面の左上には6:50の赤い文字。朝食を食べ終わって、準備を整えるには申し分のない時間だ。


「なに、その人好きなの?」


「全然、初めて見た」


「アンタが読んでる本のドラマ、主演この人だったわよ」


「へー」


画面では、二十代中盤くらいの色白で中性的なルックスの青年ががっつくアナウンサーに対して柔かに応じている。


確かに綺麗な顔立ちはしているが、別に、それ以上の感想もない。特に長い茶髪のウルフヘアーや、チャラチャラとしたシルバーアクセサリにはなんとなく抵抗を覚えてしまう。


星井沖哉(ほしいちゅうや)?」


「そんな名前だったかしら」


右上の青字を読み上げた私に母は、皿洗いの片手間に応じる。なにせ母は時代劇とニュースくらいしか見ず、暇さえあれば缶コーヒーを携えて読書に耽るタイプのためか、全くといっていいほど興味はないようである。


「ご馳走様」


「はいお粗末様、皿持ってきて」


テレビでは一旦CMを挟んだようで、ファミレスチェーン店の家族向けメニューが独特なテンポの曲に合わせて放映されていた。そういえば、最近ハンバーグって食べてないな、なんてふと思う。


「お母さん、今日の晩御飯さ」


「ハンバーグなら作んないわよ、今日はカレー」


「……行ってきます」


母に皿を渡して一路、自分の部屋に戻る。時間割は昨日のうちに調べているため、あとはコートを着て家を出るだけである。


クローゼットにかかる濃紺のピーコートは昨年、母が駅の方のデパートで安く買ってきたものらしく、この寒い冬を乗り切るのに適した防寒、保温性となっている。ボタンを留め、鏡で変なところが無いか確認する。回ったり、振り返るたびに母が纏めてくれたハーフアップの髪が中空に靡いた。


「……よし」


灰色のマフラーを緩く首元に巻いて、革作りの通学鞄を持ち上げる。中学と違って高校はロッカーが使えるから荷物が軽くていい。


「いってきます」


扉越しに声をかけると、数拍おいてから、気をつけなさいよと返ってきた。白い腕時計は七時五分を示している。咲良の家に向かうべく、靴を履くと私はドアノブを回したのだった。




またもやってきた東景神社。


そのいつも通りの鳥居のところには、見慣れた二つの影が戯れついている。


と言っても晴香が一方的にちょっかいを出しては咲良に怒られているだけなのだが。


「おはよう、咲良」


「あっ、おはよう、藍子」


何度となく交わした挨拶を今日も交わす。いつも通りの清々しい朝だ。空も青く澄んで、道路脇の雪も少しずつ溶け始めている。


「雪、溶けてきたね」


「そうなの、境内の方もそろそろ雪掻きシーズンはお終いかな、椿季はまだ不満げだけど」


そう言って笑う咲良の表情はまさに姉といった感じである。一人っ子の私としては羨ましい。


「雪遊び好きなんだ、雪だるまとか?」


「ううん、椿季ったら雪掻きが好きなんだって」


「……変わった子だね」


ホント、と咲良は口元に手を当てる。


ファーのついた茶色のミトン型の手袋は私の方から咲良にクリスマスにあげたものだ。やっぱり、もこもこしたものは咲良によく似合う。


ついでに私は咲良から黒革の高そうなブックカバーを買ってもらった。汚してしまうのが怖くて家でしか使えていないけど。


「……ちょっと!私への挨拶は!」


「いたのかちびっこ」


「いたよ!」


晴香は、その薄い胸を張って憤慨の様相を見せている。別にちっちゃいので何も怖くない。チワワに吠えられてるようなものだ。


「あー、おはようおはよう」


「むー」


おざなりに頭を撫でると、唸り声が聞こえてくる。迂闊に手を出すと噛まれそうだ。


もう満足したので晴香弄りはこの辺にしておく。低血糖気味の朝でも、晴香を弄るのなら朝飯前だ。


「じゃあ、学校、向かおっか」


咲良の促しで、私は、頬を膨らませる晴香の背中を押して前に進める。晴香は踏ん張ってみせているが、元々体重が軽いので結局されるがままにズルズルと前進していく姿はあまりに情けない。


「晴香ーごーめーんーってー」


「やーだー、ゆーるーさーなーいー」


私に押されながら、晴香は不満そうな声を上げる。となると、アレしかない。


「晴香ー、愛してるよー」


「んー、ダメだな、もっと感情を込めて!」


「晴香、愛してる」


「もっと真剣に!」


「晴香……愛してる」


「少し恥じらいも入れて!」


「……その、愛してるよ、咲良」


「なぜだぁぁぁぁぁっ!」


頭を抱えて朝から元気に叫ぶ晴香を無視して、少し前を歩いていた咲良に後ろから抱きつく。


ふんわりと柔らかい栗色の髪からは朝風呂に入ったからであろうか、シャンプーの香りが色濃く漂っている。昨日漫画で読んだシーンにも似ているが、たまには、こんな悪絡みも悪くないかもしれない。


「二人とも酔っ払いみたいだよ!朝からハシタナイ!」


咲良はカタコトで文句を言いながら歩調を早める。顔はまるでお風呂から上がったばかりのように真っ赤だ。昔から咲良はウブでこんな感じなので、弄りすぎると嫌われそうでやめておく。


「ごめんね咲良、調子に乗りすぎた」


「あ、いや、その……もうちょっと、調子に乗ってても良かったんじゃ……」


「?、咲良、今なんて?」


「なんでもない!女心は複雑なの!」


なんで怒ってるのかしらないけど、咲良は大股で先に行ってしまう。


でも、途中チラチラとこっちを振り返って距離を測っているところ、本気では怒ってないようだった。案の定、すぐに咲良のペースは格段と落ちた。


「複雑なんだって、晴香」


「男の藍子には分かんないんだよ」


「言ったなガキンチョ」


晴香の頭を両手で掴んで前後に振る。空っぽの晴香の頭の中はきっと、大して使われてない脳味噌が揺れていることだろう。


「もう!遅刻するよっ!」


咲良に怒られ、私と晴香は顔を見合わせて思わず吹き出す。


咲良においていかれないように―といってもおいていくことはないだろうけど―、私は晴香の手を引いて、咲良に追従した。


去年も、その前からも本当に何も変わらない、いつも通りの朝だった。




それから数十分、私たちは旭陽の地に到着した。


小高い丘の上に位置する旭陽高校は、入学は大変な上、登校するまでも大変な、ある意味の難関校として、市内でも有名である。


まして東景地区という地下鉄は勿論、直通のバスのない辺境からくるには徒歩で来るほかない。雪が溶ければチャリ通も可能だけど、咲良がこの坂を漕ぎきる想像が万に一つもできない訳で。


既に疲労困憊の咲良に対して、晴香は先週も何度も見た景色に歓声を上げている。ナントカと煙は高いところが好きとはよく言ったものである。


「藍子見て!高い!凄く高い!」


「わかったっての」


晴香の頭を撫でながら、私は旭陽の校舎に目を移す。やはりいつ見ても荘厳で、西洋の建築に似寄った造りはどう見ても高校の学び舎とは思えず、宛ら教会のようにも見えなくもない。


ここに三年間通えるとは、やはり一週間経っても、イマイチ実感がわかない。そんなことを考えていると、私の視界の右端に写っていた集団を掻き分けるようにして、少女が一気に目の前に駆け寄ってくる。


「おはようっ藍ちゃんっ!」


その勢いのまま飛びつかれ、危うく腰から砕けそうになる。骨が脆いのか。牛乳は必須かもしれない。


「おはよう朱音、朝から元気だね」


「藍ちゃんの顔見たら元気になっちゃった、なんてね」


小さな躰で私に抱きついて屈託なく笑う。そのくせ、顔のパーツは妙に大人臭くて、何だかアンバランスな感じだ。晴香みたいに心も体も小学生というわけではなさそうである。


零距離で見ると、綺麗な亜麻色の髪を巻く旋毛(つむじ)が上からはっきりと見えた。とりあえず頭を撫で下げてみる。


「!!?」


その刹那に、朱音は脱兎がごとく後ずさる。流石にそんなに露骨に嫌がらなくても、と、私としても少しへこむわけで。でも髪の毛を触られるのが嫌なのもわかるので、非はやっぱり私にある。


「ナニヲスルダァーーーッ!?」


「ごめんね、晴香の感じでつい」


驚愕の表情のまま固まってる朱音に頭を下げてみる。朱音は瞬きをするとようやく平静を取り戻したようだった。その頬は今朝食べたミニトマトみたいに真っ赤だ。


「も、もう!藍ちゃんのエッチ……」


「待って」


朱音曰く、姉として育ったからそういうのは慣れてない、不意打ちは勘弁して欲しい、とのことだった。撫でていい、と聞いて撫でさせてくれるのかは不明だが。それと、朱音を撫でる方向性で進んでいた自分にもびっくりだ。


「私も撫でてー、あ、おはよう姫ちゃんー」


「おはよ、晴ちゃん」


今までどっか行ってたらしい晴香が戻ってくるや否や、いきなり催促される。


意外なことに背丈が同じくらいの二人である。間違ったフリして朱音を撫でてみようかなんて少し思ったけど、うるさいから晴香をおざなりに撫でておく。


多分ちびっこを見ると撫でたくなるのは、絶対コイツのせいだ。身体にそういう風に刷り込まれてるに決まってる。


「藍子ー、咲良は?」


「ずっと私の背中に隠れてるけど」


「まだ人見知りしてんの!?もう一週間だよ!?」


晴香に引っ張られ、咲良は私の背中から顔だけを出している。今にも泣き出しそうな表情である。朝の元気はどこに行った。いや、よく考えて元気だったのは私と晴香だ。


そんな借りてきた猫―いや、咲良はどっちかというと犬っぽいけど―みたいに大人しい神社の令嬢は、私のコートの裾をキュッと握ったまま俯いている。人見知りとあがり症は当面は治りそうにない。


「おはよー咲良ちゃん」


「……おはよう……朱音ちゃんっ」


名前まで言えるようになった。進歩進歩。しかし、教室でどんな風に過ごしてるのかが甚だ心配である。


「よし、じゃ教室向かおう!」


「今日はせっかちだね、晴香」


「数学の宿題終わってない!オニガワラに殺される!」


コイツは昔から苦手のものを残しておいては泣きを見ていた。子供の頃からピーマンを残してはお母さんに怒られるような子だったようで、私の知っている限りでも小学校の自由研究や読書感想文、中学校に至っては高校への出願書でさえも面倒くさがって残しておいて、担任に焼きを入れられている。やっぱり、晴香は一切成長していないようだ。


「咲良ぁ、よかったら宿題―――」


「……やだよ」


「ケチ!いいよ!舞依に教えてもらうから!」


晴香は私の後ろの咲良に対し、逆ギレしてふんぞり返っている。これには朱音も苦笑い。私も呆れて笑うしかない。


「舞依って新しい友達?」


「友だ……うぅん、多分そう」


なぜ口篭ったかはともかくとして、晴香は相変わらずの人当たりの良さで何とかなっているようである。私もまあ、友達はそう多くないが、今のところ問題ない。唯一にして大きな問題があるのは。


「……藍子ぉ……東景帰りたいぃぃ……」


「……晴香、行こっか」


「……うん」


背中越しに涙声で呻く幼馴染みの悲愴を感じながら、私たちは旭陽の玄関の戸を潜ったのだった。

どうも須永です。

この度新章、決意編のスタートということで、メインキャストたちが少しずつ混じり合い、関わり合っていきます。

それぞれの思惑の糸が交差し、絡み合うその先には何が待っているのでしょうか?そしてその糸の色は……何色なのでしょうか。

それは、皆様の目で見届けてあげてください。

それではまた次話、近いうちにお会いしましょう。


追伸 恐縮ですが、感想やご意見ご指摘もあれば是非ともお聞かせいただけると大変嬉しいです。


作者:須永 梗太郎

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