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黒い糸  作者: 須永 梗太郎
初日編
24/27

初日-外伝 桜の章 2

昼食を食べ終えた昼休みの終わり。体育館に向かう私の目の前を、先程まで食事を共にしていた少女が横切っていく。


姫野朱音。彼女は今朝、玄関でそう名乗った。確かに、可愛い名前に違わぬ美少女である。


「あ……」


なにか話しかけなければ、そう思っても口が思うように回らず、気の利いた言葉の一つも出てこない。


なんとか発したその一言と同時に、彼女の大きな眼が私の視線と交錯する。そこまではいいが、緊張と萎縮で二の句が告げない。考えれば考えるほどに何を言えばいいのかわからない。


何か、何か言わなければ―――


「えと、西野咲良ちゃん、だよね」


「は、はい!西野です!」


彼女の言葉に、私は大きく頭を振る。そんな阿呆みたいな私に対しても、姫野さんは優しい笑みを浮かべてくれている。きっと、この人はすごくいい人だ、と、少し安心した。


「これから体育?」


姫野さんの視線はカバンの中から見えるジャージに注がれており、その蛍光色が異様な存在感を放っていた。改めて見ても、やっぱり色々攻めすぎていると思う。


「は、はい……姫野さんは?」


「次は古典、って名前覚えててくれたんだ」


姫野さんは少し驚いたように呟いた。私はどうやら、人の名前も覚えられない少し頭の弱い子に見られているのかもしれない。今までの態度から鑑みても仕方ないところはあるとは思うけど、やっぱり切ない。


「朝挨拶してくれた時名乗ってくれたので……あの時喋れなくてごめんなさい」


「いいよ全然、藍ちゃんからは人見知りだって聞いてたし」


そう言って励ましてくれる姫野さんは天使、いや女神のようにも思えた。それと、説明してくれた藍子にも感謝したい。笑顔を向けてくれる姫野さんに、私も微笑み返してみる。


それはいいけれど、この後に何を話すかなんて決めてないし、考えてもいなかった。もちろん姫野さんばっかりに喋らせる訳にもいかない。何か、何か話題を出さなければ―――


「あの、姫野さん」


「ん?」


「……姫野さんと伏見さんって仲悪いんですか?」


我ながら最悪な質問だった。笑っていた姫野さんの右眉がピクリ、と痙攣する。


それは明らかに聞かれたくない、という気持ちの表れであろう。誰しも、他人に触れられたくない部分というのはあるに決まっていて、ここまで自分を馬鹿だと思ったことはない。


「あ、あの!?スイマセン!そんな深刻なこととは知らず私なんかが勝手に立ち入って!」


「いや全然そういうのじゃないんだけど」


姫野さんはそう言うが、明らかに触れて欲しくなさそうでいて、私が確実に地雷を踏んだことを物語っている。姫野さんは難しい顔をしながら小首を傾げてていて、多分、すごく不快に思っているに違いない。


「ほら、友達同士だと喧嘩がつきものっていうか、ほら西野さんも藍ちゃんと喧嘩したこととかない?」


「ない……ですね」


なんで素直に答えてるんだ、私の馬鹿。私のせいで姫野さんの顔に少しの焦りと驚きが浮かび上がる。


ただ、それでもとても美人だ。いや、今はそんなことはどうでもいい。


まずはこれ以上、姫野さんの機嫌は損ねないようにしたい。


「とにかく!普段はそんなに仲悪くないから!変な心配かけてごめんね?」


「いえ、こちらこそ!そうなら良かったです」


私としても、早くこの話を終えたかった。藍子の友達だというのに、仲良くなる前に嫌われてしまってはどうしようもない。それに、この件の非は全て私にある。


それなのに、気を遣ってくれる姫野さんは、やっぱり優しいんだろう。藍子は、いい友達に巡り合えたようで良かった。私も、いい加減に頑張らなければ。


「逆に藍ちゃんと西野さんは仲良さそうだよね、少し妬けちゃうくらいに」


逆に、という言葉に少し引っかかりは覚えたけれど、まさかそっちの話に戻すような真似は絶対にしない。


それに、妬けるなんて言われたのは少し意外だった。姫野さんのような、なんでも持ってそうな人が妬けるなんて言うのは少し似合わない。寧ろ、姫野さんのような引っ張ってくれて、それでいて優しい人の方が友人として、支えとして―――藍子には似合いだ。私には、きっと出来はしない。


「そんなことないですよ、私はただ藍子の後ろに隠れてるだけですから、依存してるんです、きっと……藍子ってあんな淡白そうに見えて、実はすごい友達思いで、人のことよく見てて、優しくって、弱い人のこと放っておけないんですよ……凄いですよね、ただ少し不器用で、甘え方を知らないから人付き合いができないんです、だから姫野さんみたいな人が友達になってくれてよかった……私じゃきっと、藍子を支えることなんてできないから」


ありがとうございます、と頭を下げてから我に返る。幾分も饒舌になってしまった。さっきまでほとんど喋れなかったのに突然こうなれば、それは反応に困るに決まってる。


それでも、藍子を鑑みて分かることは、彼女には理解者が必要だということで、その適任は多分、姫野さんなわけであって。なら、微力な私が藍子のためにできるのは精々のこんな哀願くらいなものだ。


「……あっ、私ばっかり喋ってごめんなさい、退屈、でしたよね」


「ううん、寧ろ西野さんって喋れるんだなぁって感動してた」


姫野さんはそう言うと無邪気な笑顔を見せる。それは昼食での不機嫌そうな顔とはまるで別人な、華やいだ可憐な笑顔だった。もしかしたら、そんなに嫌われてないのかもしれない、いや、私がそうだといいなと思ってるだけではあるのだけれど。



「じゃあ、私そろそろ行きますね」


「うん、じゃあね」


彼女に笑顔で見送られ、私は体育館へと向かう。オリエンテーションが終わった次の体育からは四組―藍子や、姫野さんのクラスだ―と同じ時間になる。


そうなったら、また少しは喋れるだろうか。そんなことを考えながら渡り廊下の右端を歩いていく。


ここ、旭陽の校舎の設計は複雑で宛らラビリンスのようである。因みにラビリンスの語源は、ギリシャ神話において、ミノス王がミノタウロスを閉じ込めるために工匠ダイダロスに作らせた迷宮が元になっているとされており、そうなるとこの設計も何かを迷わせるためのものなんじゃないか、などと少し思慮に耽ってみる。


「はあっはあっ……どこに行ったのよあの女ァ……」


「小川うるさい、萱島、もう教室戻ろう、時間も時間」


「……それもそうね」


体育館に向かう私の反対側からぞろぞろと物々しい雰囲気の女子数名が息を切らしながら歩いてくる。


「あの女、ウチらを散々馬鹿にしやがって……!」


「それに真里谷くんまで!なんて図々しい女なの!」


「大声でやめなよ、ねぇ?小川、赤座……見られてるわよ」


中心にいた少女は、私の方に目線を送ると口元を歪ませてみせる。ただ、さっきの姫野さんのような華やかさはない。足早に通り過ぎようとする私の目の前に、先頭を歩いていた小川と呼ばれた長身の女子が立ちはだかるようにして見下ろしてくる。


「んだよ、なんか文句あんのかよ!」


「も、文句なんてないです……」


「じゃあなんでウチらのことそんな眼でみてるの?ちょっと可愛い顔してるからって調子のってない?」


これは、典型的な不良だ。逃げなきゃ、と思っても足がすくんで動かない。


前から、後ろから、少女たちがせせら笑いながら私を取り囲む。主格と思われる中心の少女はその場で、不機嫌そうにこちらを眺めていた。諌める気は、無いようである。


「あーあー、ムカつくんだよねー、そーゆー優等生ぶってるやつ」


「その綺麗な顔に傷つけてあげよっか?」


「……土下座で詫びたら許してやるよ」


三人の少女は喧々囂々と私に訴えかけてくるが、内容なんて耳に入ってこない。


怖い、ただそれだけだった。昔から私はこうだ。


怖いものがあったら、すぐ藍子の背中に回って、俯いて、震えてるだけだった。


でも藍子は、今は、いない。


―――怖いよ、藍子、助けてよ


「何か言ったらどうだよこのクソ女ァ!」


目の前で拳が振り上げられる。高く上がったその右手は、天井に吊るされた切れかけの蛍光灯に重なり、そして、そのまま私の顔めがけて飛んでくる―――筈だったのに。


私の視界の先のその拳は、中空でおかしな方向に捻け、そのまま、手首から()()()


「イヤァァァァ!?痛い痛い痛い痛い!」


「罪のない女の子を虐めるから報いが来る、当然ですよね?……それとも、まだ何か勘違いしてます?」


長身の少女は手首を押さえながら膝から崩れ、悶え、のたうち回る。


その奥にいたのは、伏見琴葉。いつもの柔らかな笑みを浮かべ、地に伏す彼女に目線を合わせるようにしゃがみ込む。


それに応じて、囲んでいた二人が、仰け反るように後ずさった。まるでドラマみたいな、如何にも、というシーンである。


「貴方はいつもそうでしょう?自分には非がないと思い込む……何故ですか?どうして、自分のしたことも省みず、自らを信じられるのですか?……羨ましいですね」


伏見さんの華奢な御手は、悶える少女の手首を再び掴むと、徐ろに微笑む。その笑顔には、いつもの気品ではない、形容するならば嫌悪と殺意が入り混じったような、そんな冷酷な笑み。


少女の顔は恐怖に色を失い、嫌だ、と言わんばかりに首を振っている。


「やっと、やっと会えたんです……邪魔なんか、させませんよ?」


この言葉が誰に向けられたものなのかは分からなかった。ただ、次の瞬間、少女の右腕の関節が、ぐにゃりと歪む。


少女は死人のように顔面を蒼白させながら、地面に伏せ、唇の端から喘ぐように息を吐くことしかできていなかった。その姿には一種の憐憫の情すら感じられるほどに。


何故、伏見さんがそんなに強いのか、また、どうして彼女がここまで怒っているのかそればかりは良く分からないが。


「美香!?大丈夫!?」


「保健室!早く保健室に!」


遠巻きに見ていた少女たちは悶えるひとりを両脇に抱え込むと、一目散に逃走する。


中心にいた少女もまた、不機嫌そうに鼻を鳴らすと彼女たちと同じ道に進んでいく。どうして良いか分からず、呆然とその場に残った私を見て、伏見さんは、いつもの綺麗な笑顔で少しはにかんだ。


「……あの、伏見さん、その、」


「大丈夫?怪我はなかった?西野さん、怖かったよね?」


伏見さんは私を抱き寄せると、優しく背中を摩ってくれる。伏見さんの体は、柔らかくて、花のようないい香りが仄かにした。


「……ありがとう、ございます」


「ううん、西野さんが無事なら良かった」


伏見さんの声音は、鼓膜を通して、甘く透き通る。まるで、この世のものとは思えない、甘露のように蠱惑的な響き。


「……なんで、あんな無茶……」


「……友達のため、じゃダメかな」


友達。私は、伏見さんの為に何か、出来るのだろうか。


そして、藍子のために、ハルのために、何か出来ているのだろうか。ふとそんなことを考えた。私は、人に頼って、依存するばかりの寄生虫だ。そんな私を、友達だと認めてくれるのだろうか。


「今のことは、二人だけの内緒だよ、みんなに迷惑かけちゃうから」


彼女の言葉に、私は頷いた。無力な私には、それしかできなかったから。




結局私たちは、体育の時間に少し遅刻し、多少怒られた。伏見さんの説明のおかげでなんとかなったものの、私一人だったらと思うと、ここに来れていたかすら分からない。


「……伏見さん」


「何ですか?」


「さっきは、その、ありがとうございます」


二人しかいない更衣室の中で、私の声だけが響く。伏見さんは私に背中を向けたまま、全然、と返した。


「やっぱり、西野さん、可愛いから絡まれやすいのかも」


「そ、そんな!?伏見さんの方が可愛いですよ!?」


「お世辞でも嬉しいな」


彼女はワイシャツのボタンを外し、腕を袖から抜く。その白く心許ない華奢な腕は、先程、私を助けてくれたものとは到底思えない。


「伏見さん、何か格闘技とかやってたんですか?」


「?、あ、さっきのなら護身術です、単一の相手との徒手近接限定ですけど」


意に介したというように、伏見さんは振り返ると両手の拳で胸の前にファイティングポーズを作ってみせる。


キャミソール一枚しか纏っていない伏見さんの体はなお、心許無くなく見えた。


ノースリーブから包み隠さず見える二の腕や首周りに一切の無駄な肉付きはなく、病的なまでに白く細い。それでいながらも、キャミソールから覗く谷間に不足はなく、あまりに理想的なプロポーションは却って造形品のようにすら思えてしまう。


「護身術、ですか」


「……さっきの人なら少し筋を違えただけですから、大丈夫ですよ、軽いオシオキ、です」


伏見さんは物騒な言葉には似つかない端正な笑みを浮かべている。儚くも凛々しい、何だかよくわからない人だ。


「そういえば、西野さん」


「……はい?」


「放課後、少しだけ本郷さん借りてもいいですか?」


「藍子、ですか?いい、ですけど」


「よかった、もう約束しちゃってたから断られたらどうしようって」


伏見さんはそう言うと鞄からラグラン袖の白いTシャツを出して、頭から被る。


襟淵に頭が通らないようで、呻き声を上げながらモゾモゾと上半身が胎動している姿は、さっき窮地を救ってくれた恩人に対して些か失礼な感情ではあるが、なんとも言い表せないものがある。


ハルもこんなことやってそうだな、とも少し思った。最もハルの場合、バランスを崩して床で這いずり回るのが関の山だけど。いや、今はハルなんてどうでもいい。


「……約束ですか?」


「……ぷはっ、あ、いや!大丈夫です、すぐ終わりますから」


「ああ、いや!気にしないでください!」


伏見さんに気を使わせないようそう言っておく。面倒だが、ハルは私が窘めておかなければならないな、なんて思いながら私もワイシャツを脱ぐ。


「……西野さん」


「はい?」


伏見さんの大きな眼は訝しげに私の胸のあたりを見つめている。嫌らしさはないけど、なんか、こう、こそばゆい。


「あの、伏見さん……?」


「E……いや、F……?」


「あの……?」


意味深なアルファベットを唱えていた伏見さんは、はたと我に返ったようにその大きな目を見開くと、慌てたように首を左右に振ってみせる。


「……ああ、いや!なんでもないです!」


「はぁ……」


「あんな細い体のどこにあんなのが……着痩せなのか……」


伏見さんはそそくさとジャージを羽織ると制服を畳み出す。


蛍光ブルーの下地という余りにデザインがアレではあるが、伏見さんが着ると何となくありなような気もしてしまうのは不思議だ。なんて考えてるあいだにも伏見さんはブレザーを畳み終える。このままでは置いていかれてしまいそうだ。


「西野さん、早く着替えないと先生に怒られちゃいますよー」


「ああ、はい!すぐ着替えます!」


私は慌ただしくTシャツに袖を通すと、ジャージを羽織る。伏見さんは準備完了していたようで、靴紐を結び直していた。私はジャージのチャックを上げ、近づくと、顔を上げて優しく微笑んでくれる。


「行きましょうか、西野さん」


「はい!大丈夫です!」


私がそう応じると、伏見さんは私の左手をとって更衣室の扉へと向かう。握られた左手は決して心強いわけじゃないけれど、少しだけ、安心した。


「……西野さんっ」


「はい?」


「……なんでもないです!」


伏見さんは一度私の目を見てニコリと微笑むと、また前を向いて小走りで体育館の中心へと向かっていく。


しっかりと、包み込むように、私の手を握って。


まだ肌寒い春の陽射しが、窓から淡く館内に差し込んでいた。



今年のサクラはなんとか実を結びそうだ。

おひさしぶりです、須永です。

すっかり上げ忘れてました。桜の章です。

ここでは咲良から見た朱音と琴葉について書かせていただきました。

さて、次回から本格的に旭陽での生活が幕を開けます。

東景メンバーはもちろん、新キャラにもちゃんと

スポットを当てていければいいな、と。

遅くならぬよう、近いうちにあげます。……頑張ります。

それでは読んでくださった皆様に感謝を。


作者 須永 梗太郎

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