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黒い糸  作者: 須永 梗太郎
初日編
20/27

初日-9

あれから数時間が立ち、辺りは既に鉛色から夜の空へと染まり始めていた。神社から見る夕景というのも中々趣が有り、東景の未だ残雪の多い情景も心なしか風流に見える。


「やっぱ夜になると冷え込むねー……」


「ホント、春はまだ遠いね」


私の横では咲良がモコモコのファーが付いたコートを着込んで寒そうに縮こまっている。


一方晴香はと言うとあいも変わらず元気に境内を、先程友達の家から帰ってきたらしい椿季ちゃんを追いかけて走り回っていた。やっぱり、容貌はいいとこ中一くらいにしか見えない。


「お参りしたいなんてハルも突然言い出すからビックリしたよ」


「ホントね、なんの心変わりだか」


多分、ただの気まぐれだろうけど、というように苦笑すると、咲良も笑みを浮かべる。その柔らかそうな頬は寒さで少し赤くなっていて、何とも見るに忍びない。


「おりゃっ」


「ひゃっ!?」


両手で咲良の頬を捕まえると、揉みほぐす様に弄り回してやる。これで少しは温かくなっただろう。


「どう?少しは温かくなった?」


「なっ、なった、よ、うん」


咲良はそう言うものの、頬はさっきよりも更に赤みを増してしまっていた。もしかして強くやりすぎたのかもしれない。


「……でも、実家にお参りなんてなんだかあべこべだなぁ」


咲良の独り言に、私は確かに、と頷いて拝殿へと歩み出す咲良に続く。規模は小さいとは言えど、神社独特の荘厳な雰囲気は損なわれておらず、拝殿や手水所も年季が入って随分と立派な様相を醸していた。御神木はまだ少し雪を被っていて寒そうにも見えなくない。


「ねー咲良、あの木なんで縛られてるの?」


椿季ちゃんが家に戻ったらしく、駆け足でこちらに帰ってきた晴香は開口一番に疑問をぶつける。


やっぱり咲良よりも晴香の方が椿季ちゃんは外で遊びやすいのだろう。そんなインドアな姉は御神木に目を向けると、ああ、と小さく応える。


「御神木のこと?あれは注連縄(しめなわ)って言って神様の領域と私たちの住む世界を隔ててる、ってお父さんが言ってた、最近ではここに神様が宿ってるって目印にもなるかな」


「じゃあ、あの木触ったら私も神様に……」


「ハル、祟られても責任取れないよ」


木に向かって走り出していた晴香は、咲良に脅され小走りで戻ってくる。やはり、晴香の行動を制御できるのは咲良を置いて他にないだろう、などと妙な感心を覚えてみたり。


「よし、じゃあお参りだー」


「ハル、参道は真ん中を歩かない」


「えー……」


御手洗や歩き方ですらも咲良の厳しい指摘を主に晴香が受けながら、私たちは漸く拝殿の前に到着する。


咲良がこんなに拘ることも珍しいが、抑も家柄だけに当然とも言えるだろう。言いだしっぺの晴香は、再三注意されてかすっかり消沈していた。


「やれやれ、神様の相手も大変だね」


「本殿の前でそんなこと言ってたら呪われるよ」


「藍子もうちの神様を悪霊みたいにしないでよ……」


「でも咲良だってさっきそんなこと言ってたじゃーん」


「ハル、呪いと祟りは違うってば」


取り留めのないとも失礼とも取れる会話をしながら三人並列すると咲良が礼をしたのを見て私と晴香もそれに習う。


「晴香、お賽銭、二千円くらい」


「なんで私っ!?てかそんなに!?」


「お賽銭はいいよ」


咲良は苦笑いすると、一歩前に出て鈴を鳴らす。その音色はなんとも形容し難い神聖さを帯びていて、私は目を閉じて暫く聞き入ってみる。神社には普段行かないからか、なんだか新鮮に感じられた。


「藍子、礼」


「え、あ、うん」


既に頭を下げている二人に挟まれ、出遅れたように私も頭を下げる。二礼二拍手一礼。確か出雲大社を除けばそうだったはず―これも他でもない咲良の受け売りなのだが―だ。


そういえば願い事というのはいつすればいいのだろうか。そうしている間に咲良が甲高い柏手を二回立て続けて鳴らす。きっとこのタイミングでいいのだろう。


―――この縁が末永く続いて、いつまでも三人でいれますように


縁結び、とは少し違うかもしれないが、きっとこれくらいなら叶えてくれるだろう。ましてや咲良の守護神なら尚更そう思えた。


最後に一礼すると、私たちは拝殿をあとにする。夜が近づき、寒さが余計に身に染みてきた。


「藍子はなにお願いしたのー?」


「内緒、晴香は?」


「じゃあ私も内緒ー、叶ったら教えてあげなくもないかなー」


「勿体振りやがって」


なんとなく晴香の低い頭を掴んで上下に揺らす。理由もなく本当になんとなく。


「やめ、あぁぁ脳が揺れる!」


「ハルの脳味噌がスカスカだから揺れるんじゃない?」


「流石にそれは傷つく……って藍子、そろそろ吐くからやめて!?」


「はいはい」


くだらない事を話しながら拝道を三人で歩いていく私たちの上では夕焼けが既に終わりを迎え、辺りはどんどん闇に染まり始めていた。


時刻は六時になる間近である。北海道では、四月は未だ冬といっても差し支えない。


「じゃあ、私たちはそろそろ帰ろっか」


「うん、咲良、また明日ねーっ!」


「バイバイ、藍子、ハル、またいつでも来てね」


咲良は柔らかで育ちの良さそうな微笑で私たちに小さく手を振る。


頬は寒さで真っ赤ではあるが、こうして見るとやはり友人の贔屓目を抜いてもかなり可愛い。あとは極度の人見知りさえ克服すれば彼氏くらいはできそうなものだが。そうなってほしくはないのだけれども。


「……藍子、どしたの?」


「え?何が?」


「なんか、咲良に見とれてた?」


「なんで私が咲良に見とれるのさ、ほら、もう帰るよ」


「んー……うん」


煮え切らない晴香の手を引いて、家路へと足を踏み出す。


どうやら私は昨日の今日でおかしいようだ。昔からこういう感情はなかったわけではないのだが、こう、高校に入学してからは堰を切ったように溢れ出しては歯止めが利かない。


咲良にせよ、伏見琴葉にせよ、ただの友人であることに変わりはない、はずだというのに。


この感情がこの先、晴香や朱音にまで至るのかもしれないと思うと、背筋が凍りついて、生きている心地がしない。外がさっきにもまして余計にも寒く感じた。


「藍子、顔色悪いよ?大丈夫?」


「うん、大丈夫、少し寒いだけだから」


「本当?風邪とか流行ってるんだから気をつけなよー?」


「うん、ありがとう」


「どいたまーのりたまー」


「……なんだそれ」


「うん、私の持ちネタ、今思いついた」


私に向かってVサインを突きつける晴香は、何だかんだ小学校から何も変わってない。私のテンションが低いとこうして巫山戯てみたりするとこも。


「あー今日の晩ご飯はなんだろうなー、お兄ちゃんが帰ってくるから多分麻婆豆腐だな、うん」


「あ、お兄さん帰ってきてるんだ」


「そー、バイトの休み取れたから今日帰ってくるんだってー」


晴香のお兄さんの煌一(こういち)さんは晴香の四歳上の大学二年生で、北海道で一番の偏差値を持つ大学に浪人なしで入学を果たし、今はバイトをしながら一人暮らしをしているらしい。


ちなみに性格は風変わりではあるが、晴香の兄かと疑うほど温厚篤実で、私たちが遊びに行ったときもお菓子を差し入れてくれるなどの経緯が有り、咲良が唯一普通に話せる男性でもあったりする。というか麻婆豆腐が好きだったのか。


「なに、藍子もお兄ちゃんに会いたい?」


「いや、いいよ、一家団欒を楽しみなさい」


そうは言うが、兄弟のいない私からすれば、妹のいる咲良や兄のいる晴香が少しだけ羨ましい。ましてうちは父も単身赴任の身のため、事実母と二人暮らしだ。家が騒がしくなることも、母の奇行を除けばあまりない。


「お兄ちゃん、藍子と咲良もアサコウに受かったって言ったら喜んでたよ」


「そうなんだ、期待に添えたようで何より」


私たちが旭陽を目指しだしたきっかけもOBである煌一さんから聞いた話によるもので、勉強を教わることも屡々あった。少し変わった人ではあるが、いい人であることに変わりはない。


今度、機会があれば咲良も伴って挨拶に行きたいものだな、などと思いながら、私は晴香の横を歩く。夕陽は段々沈み、辺りは闇の割合が大きくなっており、東景地区の少ない街灯もポツリポツリと灯り始めた。


「じゃあ、晴香、気をつけてね」


「うん、じゃあねー」


私の家の前で晴香に別れを告げると、彼女は我がアパートの斜向かいの一軒家に小走りで向かっていく。


寒さの中でも相変わらず元気だな、などと感じながら、私もコンクリートの階段をゆっくりと上がっていき、我が家である203号室の鍵を開ける。


「ただいま」


「……おかえり」


コートを脱いでいると、一拍遅れて母のやるせなさそうな低い声がリビングから返ってくる。体調でも悪いのかと思ったが心配して損した事例の方が圧倒的に多いのであまり気にはかけないことにした。


「どうしたの?風邪?」


「眠たい、昨日ゲームやってて二時間しか寝てない」


ほらこれだ。いい年して娘のゲームを取り上げてやるのはそろそろやめてほしい。私もまだ終わってないのに。


「……今日の晩御飯は?」


「冷やし中華」


なんで。まだ春にすら至っていないのに冷やし中華を始めたのはおそらく我が家だけだろう。呆れながらリビングのドアを開けると、案の定、私のゲームに勤しむ母の姿。そして卓上には宣言通りの二人分の冷やし中華、皮肉にも中にトマトが割と沢山入っている。


この母こそ度々前述した本郷麻乃その人であり、座っていてもわかる背の高さやテレビを睨む目つきの悪さはどうみても私の母である証明であった。


「藍子、コントローラーの利きが悪くなってきたんだけど、新しいの買いなさい」


「お母さんがLボタン連打するからでしょ……ほら、ご飯食べよ」


「今オンライン中」


親子が逆転したような会話をしながら、私は椅子に座って母のゲームが終わるのを待つ。今、母がやっているのは私が先月買ったFPS―視点が一人称の射撃とでも言おうか―のオンラインモードであり、私が収集した武器は惜しげなく母の手で扱われている。


操作は素人よりは少し上手い程度で、まだまだ全体的な動作には無駄が多い。


「お母さんそこ壁抜けするから」


「壁抜けってなに」


「壁を貫通して銃弾が飛ん―――ほら死んだ」


「言うのが遅い」


「そのマップならリスキル絶対いるから気をつけて」


「わかってる」


そんな会話をしながら私は冷蔵庫から麦茶を出し、コップに注ぐ。テレビからは物々しい銃撃音と阿鼻叫喚の呻き声が流れ続けている。


「先、着替えてくるね」


私には返事もせず、母はアサルトライフルを前線で奮い続けている。


私はコップを食卓に置いてリビングから廊下に戻ると、奥にある自分の部屋に向かう。私の部屋は咲良の部屋のように広くなく、特筆して何かが置いてあるわけでもないわけで、高校生女子の部屋というには色気もなく殺風景だ。


私はクローゼットから適当な長袖Tシャツとカーゴパンツを取り繕うとコートをハンガーにかけ、制服を脱ぐ。この墨色のブレザーが自らの制服になるとはなんだか感慨深い。鏡に映る制服姿の自分はなんだか少し滑稽には見えるが、悪くなかった。


「藍子、ご飯食べちゃうけど」


「!?……お母さん、いつからいたの」


「あんたが鏡見てにやけだした辺りから、表情硬すぎてニヤけられてすらもいないけど」


「それは、ほぼ今だね」


「鏡で見るほどの顔じゃないんだし早く来なさい」


実の娘とは言えあまりにぞんざいな扱いである。よくこの親で私グレずに育ったな。親の背中を見て育つというが、果たしてそうなのだろうか。


私はカーゴパンツに脚を通して着替えを終え、制服をハンガーにかけてリビングへと引き返す。扉を再度開けると食卓では母が缶コーヒー片手に遅い、と目で訴えかけてくる。


「……流石に冷やし中華とコーヒーは合わないんじゃない?」


「微糖だから大丈夫」


「……わけわからん、いただきます」


見ての通り母はかなりの珈琲狂いでー母曰く、血の代わりにコーヒーが流れているとかなんとか―冷蔵庫には有象無象の凡ゆる缶コーヒーが内容されており、暇なときには自分で豆を挽く徹底ぶりである。


私には苦いだけで違いは分からないが、マンデリンというインドネシア産の豆がめっぽう気に入っているようである。と言っても普段はめんどくさいので缶コーヒーに落ち着いているらしい。


「今日も咲良ちゃんのとこ?」


「ああ、うん、久々におばさんと話した」


「……へえ」


「何?」


「別に」


母はぶっきらぼうにそう言うと胡瓜を口に運ぶ。普通は麺と一緒に食べるものだと思うが。母とおばさんは古くからの付き合いらしく、この面倒な母の性分を理解できたのはおばさんくらいだったのだろう。


流石は咲良のお母さん、器量が広い。


「……学校はどうなの」


「うん?ああ、友達は……多分二人出来た」


伏見琴葉を友だちに含めるかは悩みどころではあるが、一緒に昼ごはんを食べているから問題ないだろう、きっと。そんなことを思いながら箸を進める私に、母はいつもにも増して顔を凶悪に顰めており、箸も皿の縁に置かれている。


「……何?」


「寒くなってきた」


「……おい」


結局、その日の晩御飯は母がグラタンを作り出したせいで私は二人分の冷やし中華を完食する羽目になったのだった。

お久しぶりです、須永です。

なんだかんだ細々と小説家もどきのような事をしております。

さて、拙作『黒い糸』ですが、この度20話目を発表することができました。

日頃のご愛顧、感謝申し上げます。これからも何卒よろしくお願いいたします。

今後も執筆ペースを上げながら(善処します)、皆様の暇つぶしにお力添えできれば幸いです。

さて、今話では藍子の母である麻乃さんが初登場を果たします。

母親らしくない母親ですが、きっとこれからの藍子を支えていくのでしょう。

多分。

次話予告としては長い導入であった初日編が完結します。

少し、ほんの少しだけ嫌な描写もあるかもしれません。

長々と失礼しました。次話もよろしくお願いします。

作者 【須永 梗太郎】

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