邂逅-2
あれから幾許もしないうちに、教室は生徒に満ち溢れ、高校生らしい賑わいを見せていた。
各々が最近のアイドルや今クールのドラマについて話している中、人見知りしいで尚且つ流行に疎い私はというと、自らの席を動くこともなく、大して読みたくもない本に目を通していた。
何もしていないよりはマシ程度なもので、本の内容もさほど面白くない。
「ねぇねぇ、その作家、好きなの?」
「……えっ?」
前方からの突然の問いかけに、私は思わず間抜けな声を出す。恐る恐る目線を上げると、そこには女の子が椅子を反転させてこちらを眺めていた。
前の席の子だろうか。外側にハネた亜麻色の髪や釣り目がちな大きな眼が快活そうなイメージを与えている。先ほどの伏見琴葉といい、この学校は端正な顔立ちの子が多いように思える。
「有名な作家さんだよね、この人」
ようやく、彼女がコミュニケーションを取ろうとしてくれていることに気づいた私は、一度咳払いすると、大して好きでもないこの作家の知識を脳内からかき集める。
「……確か、前の月曜日にやってたドラマもこの人の原作だった、はず」
「え?そうなの?知らなかったぁ」
女の子は大きな目を瞬かせると「名前は?」と問いかけてくる。
「えっと確か……」
無論ドラマなど見ておらず、タイトルを思い出そうと唸る私に、女の子は怪訝そうに首を傾げている。
「ごめん……もう少しで思い出せそうなんだけど」
「あ、ごめんね、そっちじゃなくてあなたの名前、私、言葉足りなくてさ」
「え、私の、名前?」
「そう、聞きたいな」
合点がいったように微笑む女の子に対し、私はバツが悪くなって俯きがちに小声で名乗る。
「え……あっ、えっと、ほ、本郷藍子です、藍染めの藍に、子どもの子」
「なんか女優さんみたいな名前だね?あ、藍ちゃんって呼んでいい?」
「あ、えっと……は、はい……」
初対面でここまで話せる彼女を羨ましく思っていた。この調子で果たして私に友達などできるのだろうか。思えば小学校の時もこんな風に晴香に話しかけられたのが初めだったな、などとふと思い出す。
「あ、ごめんね、私ばっかり喋っちゃって、うるさいよね」
私があまりにも喋らないからか、彼女は自嘲気味に笑っている。
「あ、いや、全然そんなっ、えと、名前、聞いてもいいですか?」
敬語で喋るべきか、そんなことを考えながら私はおどおどと尋ねる。彼女はそんな私に対して、花の咲いたような眩しい笑顔で自己紹介を始めた。
「あ、まだ名乗ってなかったかー、これは失敬、改めて、姫野朱音です、よろしくねっ」
「よろしくお願いします……」
「敬語やめてよー、クラスメートなんだからさー」
「え、あ、はいっ」
「ほらまたー」
姫野さんはその大きな眼を細めて、屈託なく笑う。引きつった笑みを浮かべているであろう私とは、どこまでも対照的な女の子である。
「あっ、その時計可愛いねー、ひょっとして彼氏からのプレゼントー?」
「え、あ、あぁ、いや……」
姫野さんはそんな風に邪推しながらニヤニヤと笑っている。私の右腕に留まるシンプルな白い腕時計は、決してそんな大層なものではなく、極めて平凡なサラリーマンの父が娘の高校入学に備え繕ってくれた品であり、甘酸っぱい青春の思い出もなければ大して値の張るわけでもない。
ただ、ゴテゴテした派手な装飾のないデザインは中々私の好みにあっており、何より、父が自分の為に購入してくれたものという点では愛着もあり、大切なものではある。
「おや?、真っ赤になっちゃってー、これは後で取り調べる必要があるかな?」
不意打ちされ吃った私に肯定の意を見出した姫野さんはしたり顔で私と時計を交互に見比べている。そして残念ながら私は彼氏いない歴=年齢である。姫野さんほど親しみやすく、顔も可愛ければ彼氏の一人や二人、あわよくばスペアまで用意出来そうではあるが。
「か、彼氏なんかいないよ……」
生まれてから一度も、である。晴香然り、咲良然りであったため気にしたことはなかったが。姫野さんは訝しげに首を傾げている。
「でも藍ちゃん美人さんだし、いてもおかしくないと思うんだけどなー」
「え、び、美人なんてそんな……!?」
こんな可愛い子に美人なぞと言われても冗談にしか聞こえない。しかしながら、女子特有の社交辞令のようなものだと分かっていても言われ慣れないせいで動揺は隠せない。
今まで怖いだの、目つきが悪いだの、目があったら石になりそうだの、人3人くらい殺してそうだのと陰で散々なことしか言われていないせいもあるのだが。というか私はメデューサか。
「えー綺麗だよ?藍ちゃんなら抱いてもいい!というより抱かれてもいい!いやむしろ抱かれたい!」
「!!!?」
こんな可愛い女の子からそんな爆弾発言が飛び出すとは思っていなかっただけに、私は驚きでただでさえ酷い人相に拍車をかけているだろう。姫野さんは妖しげに笑うと、その耽美な顔を私の耳元に近づける。その姿は、先までの爽やかさとは違う、妙な色気を孕んでいた。
「……今度ウチくる?」
「えっ!?いやっ!姫野さんっ!!?」
姫野さんの声は耳が溶けてしまうように甘く、それは自分が女であっても抗いがたい情念のようなものを掻き立てる。吐く息の荒さ、や生暖かさすらもそれに加わり、先程までの快活な少女と打って変わって艶かしい大人の女性へと変貌を遂げていた。
高校生とはいえ流石は女性、こうも変われるものなのだろうか。驚き、怯えるのと同時に、彼女の醸す雰囲気に呑まれそうになっている自分もいた。
(朱音って呼んで欲しいな……ね?)
(あ、朱音……?これはどーゆう……)
上擦り気味の情けない声を上げる私に対し、姫野さんは耳元から顔を離すと、悪戯っぽく微笑む。それは最初の快活で親しみやすい姫野さんになんら変わらなかった。
今の今まで溢れていた妖艶さはすっかりと影を潜め、一介の可憐な女子高生に戻っている。
「ごめんね、照れてる藍ちゃんがあまりにも可愛かったから、つい♪」
「……え?いや、えぇぇ?」
「姫ー、ちょっとー」
「あ、はーいっ今行くー……じゃ、藍ちゃんまた後でねっ!」
「あっ、うん……っ」
姫野さんはこちらにウィンクを一回流すと、風のように去っていってしまう。
それに対して、私は未だ収まらない拍動を沈めながら答えるのが精一杯だった。やはり彼女は人気のようで、あっちにこっちにと引っ張り凧になっている。この短時間でどうやってあんなに友人を作ったのだろうか。
「……わかんないなぁ、女って」
姫野さんもそうだが、咲良やあの晴香ですらも女の一面があるのだろうか、などと他愛もないことを考える。そして脳裏に顔を赤らめて迫る晴香を想像したところで、……流石にないか、と私は一人でにそう呟いた。
もうキャパオーバーだった。少し考えることを放棄することにして文庫本を開く。
ある意味晴香のおかげで落ち着いて来たところで、私はまた大した読みたくもない本に目を落としたのだった。
『キーンコーン カンコーン』
旭陽独特の妙に調子はずれなチャイムと同時に教室の戸が開き、黒のスーツを着こなした女性が資料を脇に抱え入ってくる。目つきは鋭く、顔つきは酷く険しい。まだ若いようでいて、顔を顰めてさえいなければそこそこに美人だろう。
「ねー、あの先生怒ってんのかな?」
「ど、どうだろうね……」
彼女は私たちに一瞥くれると、黒板上にチョークを走らす。
『小野寺碧』
それは黒板上にあった『入学おめでとう』の文字に酷似しており、成程、今思えばこの無骨な文字も彼女のものと言われれば納得せざるを得ない。
「この度、一年四組の担任を務める小野寺碧です、一年間よろしく」
低く重みのある声で、そう短く締めると彼女は手元の資料を配布し始める。
「なんか、やりにくそうだね、顔も怖いし」
姫野さんは端正な顔を苦々しく歪め、小声で囁く。私はそれに頷きながら同調の意を見せる。最も私は、人相について人にとやかく言えるほど愛想はよくない。
「あと五分ほどで会場に移動しますので、貴重品類の取り扱いには注意してください」
そんな業務連絡を事務的に終えると、彼女は次の資料の配布をはじめる。
「私あの先生苦手だなー、なんかサイボーグみたいだし」
姫野さんは冗談めかして笑うと、回ってきた資料を私に渡す。サイボーグというのもまた言い得て妙だな、と思いながら、私は資料と、机の中に入っていた『フシミコトハ』の手袋を鞄の中に仕舞う。
教卓前には資料の配布を終えた小野寺女史が出席簿を開いて佇んでいる。教室内が静まると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「それじゃあ出席とりますから、名前に間違いのあったものは申し出てください」
そう言うと、彼女は抑揚のない声で名前を読み上げ始める。
「一番、イマサキユリナさ……」
「イマザキです!」
女史が言い終わるか否やのタイミングで、机をバンっと叩き、被せ気味に右最前列の少女が立ち上がった。晴香や姫野さんも小柄ではあるのだが、それ以上に背が小さく―おそらく150もないだろう―、ここは中学校の入学式だったかと錯覚しそうですらあった。
ムキになっているところや高めの声がまた子供らしさを引き出している。態々立たなくてもいいとは思うが、恐らく彼女からすれば大事なことなのだろう。彼女は自らが注目を浴びていることに気づくと、肩ほどの長さの黒髪を翻してこちらを振り返る。
「あ、今崎柚梨奈です!イマ『ザ』キです!よろしくっ!」
ざ、に大きくアクセントを置いて含羞む様に笑うイマザキさんに周りの少ない男子に加え姫野さんまでもが思わず感嘆に近い溜息をつく。透け通るほどに白い肌や日本人離れしたくっきりとした目鼻立ちはさながら欧州系の白人を彷彿とし、流暢に日本語を話しているのが少し滑稽でもある。
「……わかったので、座ってくださいイマザキさん」
「あ、スイマセンでしたー」
小野寺女史に窘められ、イマザキさんは反省のなさそうに陽気な声を上げ席に着く。小野寺女史は一度溜息を着くと、二番の岩井さんから呼名を再開する。
この旭陽高校は女子に人気の高校で、クラスの三分の二程度は女子で占められていることも呼名から感じられた。
意味もなく小野寺先生の声に耳を傾ける私に対して、目の前の姫野さんは大きく欠伸をすると机に突っ伏してしまう。そんな彼女の心情など露知らぬ小野寺女史は淡々と名前を呼び続ける。
「……三十番、姫野朱音さん」
「……はーい」
姫野さんは気怠そうに返事をすると、また机に突っ伏してしまう。朝のテンションとの落差からして、余程先生が気に食わないようだった。小野寺女史も特に気に止めるわけでもなく一度こちらに目線を送ってから手元の黒い冊子に視線を戻す。
「三十一番、本郷藍子さん」
「はい」
私の名を呼んだ後も、小野寺女史は滞りなく出席を取り、最後の吉田さんを呼び終えると出席簿を閉じ、こちらに顔を上げる。
「只今より会場に移動するので、前方の三組に合わせて、廊下に出席番号順に二列で整列してください、男子はネクタイ、女子はスカート丈やリボンを確認してください」
そう言い終わると彼女は生徒に一瞥してそのまま廊下へ戸を抜ける。
「……あーあ、なんかテンション下がるなー、あ、行こっか、藍ちゃん」
姫野さんは不機嫌そうにそんなことを言いながら立ち上がるとリボンを結び直しながら前方に歩いていく。私は早足で彼女のあとを追ったのだった。
まず私たち新入生を出迎えたのは、旭陽高校の近代設備の代表格である体育館の、重厚な金属扉だった。中学の時の倍、とまでは言い過ぎかもしれないが、それ程の威圧感を放っている。
また扉周辺の壁には古今数多の賞状やトロフィーが立ち並んでおり、これでもかと文武両道を掲げてくる。
また立派なのは外側だけでなく、軽く2000人は収納できるであろう広大な館内に加え、それに適応させた規模の暖冷房も完備されており、底冷えする北海道の冬場には特に嬉しいものである。
果たして、私立校さながらの設備を維持する潤沢した資金がどこから出ているのかは甚だ疑問であるが。
そんな風景を横目に、私は今しがたできた、前を小さな歩幅で歩く可愛らしい友人を小声で呼びかける。身長は晴香ほどではないが小さく150cm代前半くらいで、外にハネた黒髪が歩くたびに微動している。
「姫野さん、怒ってる?」
「え?私が?」
姫野さんは首をこっちに向けるとその小さな顔を傾げてみせる。目があった黒目がちな瞳は澄んでいて、吸い込まれそうな錯覚すら覚える。先ほどの妖気や色気は感じなかった。一体、あれはなんだったのだろうか。
「うん、先生が入ってきたあたりからなんか不機嫌だなって」
「ん?あ、ああ、なんか中学の時の嫌いな先生に似ててさ」
なんか変な気を使わせちゃってごめんね、と姫野さんは微苦笑しながら付け加える。一体どんな先生だったのかはわからないが、少なくとも彼女が本当にその先生を嫌っていることは言葉の節からもなんとなく読み取れた。
「……冷淡なくせに生徒思いでさ、そのくせ不器用だから手に負えなくて」
「……いい先生だった?」
「ううん、ぜんっぜん、最悪だよ、ホント」
姫野さんは嫌なことを思い出したように眉根を顰める。平凡でとりわけ印象のない先生にしか当たったことのない私はどんな先生だったのだろうか、と思いを馳せるも想像するにはなかなか難しかった。
「……ってまた姫野さんて呼んだしょー」
「え、あ、ごめん……朱音?」
姫野さんはそれで良し、と無邪気に笑うと前に向き直る。機嫌は、朝の通りに戻っていた。
朱音、と呼ぶのに慣れないとまた怒られてしまうな、などと思いながら手首の腕時計に目を落とす。
腕に留まった白い腕時計は九時過ぎを示しており、私たちの高校生活の第一歩である入学式が今始まろうとしていた。
お久しぶりの方も、初めましての方も、誰だよテメェって方も、
こんにちは、須永梗太郎です。
かれこれ一ヶ月空いてしまいました。私生活の方でバタバタしてしまいして、どうもこうもこのザマです。
今回は会話を中心に展開した第2話となりました。如何だったでしょうか?
この作者にアドバイスくださる慈悲深い方がいらっしゃれば是非是非お願い致します。
まだまだ寒くなりますが、それでは良いお年を!
2013年12月31日
須永梗太郎が蝦夷地から、読んでくださった皆様に愛をこめて。