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黒い糸  作者: 須永 梗太郎
初日編
18/27

初日-7

窓から見える景色は、朝から続く依然の曇天で、道行く人々の三割強は傘を随行している。帰り道、降り出さなければいいが、などと案じながら私は伏見琴葉の勧めのあったチョコレート味のジェラートを啄く。


やはり、こういう本格志向の店のものは大衆向けの市販アイスとは訳が違うようで、それは一口食した瞬間から舌触りですらも感じられた。


それは咲良や、基本は雑食スタンスの晴香ですらも同じようで、晴香に至ってはこんなの初めて食べた、と大袈裟に感動しながらスプーンを咲良の倍速のペースで進めている。


「ハル、そんなに急がなくたってアイスは溶けないよ?」


「そんなこと言ったって美味しいからー」


「もう、もっと味わって食べなって……ほら、口の周りついてる」


咲良はポケットからハンカチを出すと、晴香の口の周りを丁寧に拭う。これでは同級生というより姉妹、いや最早親子だろう。少なくとも晴香は、椿季ちゃんよりも手がかかりそうである。


なんだ、小四より手のかかる高一って。


「全く、ハルってなんで成長がないのかなぁ」


「なんですと!?私だって成長してるし!去年より2センチ伸びたし!」


熱心に抗議するものの、別に目に見えて実感はないし、抑も成長がないのは彼女の中身であって。


咲良は、はぁ、と呆れたように溜息を吐くと、スプーンで小さく抹茶味のジェラートを掬い上げる。


「そんなこと言ったら咲良だって胸ばっかり成長して……あぁいやなんでもないですごめんなさい」


咲良に半笑いのまま目で制され、晴香は恐縮するように黙々とアイスを口に運び続ける。


小柄な晴香や恨むべく遺伝子によって、背に全て持ってかれてしまった私からすれば、豊満とも言える咲良のその部分は羨ましいわけではあるが、その話をすると咲良が決まって不機嫌になるので禁句になりつつある。


晴香はその度に何が不満なんだ、と喚き散らしているが彼女にも彼女なりの悩みや何かがあるのだろう。悲しいことに私達には分からないが。


「その点藍子は殆ど見た目変わんないねー、小学からそんな感じじゃない?」


「……確かに、なんかもう出来上がってたよね、見た目も性格も……いや、幼稚園くらいからこんな感じかな」


「いや、幼稚園から背は伸びてるよ、流石に」


驚くことに現在進行形で、である。早く止まってくれることを切に祈るが何とも恨めしい遺伝子である。このままだと卒業には170の大台を超えてしまうわけで。


そう考えると咲良くらいが丁度いいと思うし、晴香ほど小さいとまた、女の子らしくて羨ましい。


「ホントだよね!その身長ちょっとは私に寄越せっ!」


目の前では膨れっ面な晴香がローファーで私の足を小突いてくる。


そんなに欲しければ5センチくらいあげるというのに、この世の中は不公平だ。でも、晴香は小さいままの方がいい、なんて言うとまた煩いので黙っておこうと思う。


「所でさ、この後どうするの?」


私の言葉に晴香はジェラートを突きながら、考えているように唸り声を上げる。時間的にもこれ以上の遠出は難しいかもしれない。


「んー、咲良ん家は?」


「えー?昨日も来たよ?」


「でも咲良んち落ち着くんだもん、ほら椿季ちゃんもいるし、お菓子も美味しいし!」


「ハル、最後のが本音だよね」


「ち、ちっ、ちがうから!失礼しちゃうなぁ……」


「ハールー?なんでこっち見ないの?」


咲良はニヤニヤしながら晴香の柔らかそうな頬を抓っている。普段からこれくらいのコミュニケーションが取れればいいものを、などと思いながら、私は溶けてきたジェラートを掬い上げては口に運ぶ。


「じゃあ、食べ終わったら咲良んち、行っても大丈夫?」


「うーん……藍子までそう言うなら仕方ないなぁ……多分大丈夫だよ、あんまりお菓子とかは出ないかもだけど」


咲良は晴香を牽制するように釘を刺すと、最後の一口分を名残惜しそうにスプーンで弄んでいる。因みに晴香はとうに食べ終わっていたようで、メニューを眺めながら時間を潰しているようだった。


「咲良に甘えて、そうさせてもらおっか」


「おーっ!二日連続で咲良んちだーっ!」


「ハル、店内で騒がないの」


外の雨雲は立ち去ってくれそうにもなく、本来はこの窓から差し込んでいるはずであろう西陽も見る影もない。それでも、こんな天気の中でもなんとなく楽しい気分になるのはきっと、この二人のおかげであって。


「藍子ー?アイス食べないの?貰っちゃうよ?」


「そんなことしたら、二度と晴香に宿題写させないから」


「うわっ!地味にキツイ本気のやつだ!?」


「……ハル、宿題くらい自分でやろうよ」


「そりゃ、咲良くらい頭良かったら自分でやるよ!」


「自分でやんないから頭良くならないんだってば」


「うわああああ……っ!」


咲良に痛いところを貫かれ、晴香はメニューの上に突っ伏しながら情けない声を上げる。全くもって正論の上、咲良が言うのもあって私も苦笑いを浮かべる他ない。


因みに晴香に最後に写させたのは、春休みの予習課題というタイムリーなもので尚更、この言葉は晴香に刺さっていることだろう。


「はい、ご馳走様」


「あぁっ!食べ終わってるし!」


「晴香にやるアイスなんか一ヨクトもないよ」


「ヨクトって何!?なんか私の知らない単位出してくるのやめて!?」


「ほら、晴香の勉強不足が出た」


「ごめん藍子、私もよくわからない」


「えー……10のマイナス24乗、日本語で言えば涅槃寂静」


「ね、ねはんじゃくじょー?」


首を傾げて舌っ足らずな発音をする晴香の隣では、咲良が召喚した電子辞書を辿々しい手つきで打ち込んでいる。咲良に勝った気がするのは気分が少しいいが、私としては常識と思っていただけに少しばかり驚きもしたわけで。


「名前のついている数なら最小の単位……らしいよ」


「……それって使い道あんの?」


「……さあ?」


咲良が匙を投げたところで、私はカバンとコートを纏めて席を立つ準備をする。ジェラートも美味しかったし、二人と喋れたこともあってか、ここへの未練はもう余りない。


―――後で伏見琴葉にお礼を言っておこうか


そう思いながら、私は席を立つ。店内は徐々に賑わい始めたのか、入口のあたりには人集ができていた。


「お、藍子もう行くー?」


「うん、時間も時間だしね、あんま遅くなってからでも迷惑でしょ?」


「そんなことないけど……まあ、家の方がゆっくりできるよね、多分」


「そうそう!咲良んちなんか和むんだよねー」


「ハルは人の家で和みすぎ」


そう口々に幼馴染両名は立ち上がる。こうして見ると、やっぱり晴香の小ささは際立つし、咲良のスタイルの良さ―あるピンポイントを言うと怒るから―も制服越しに見て取れる。


「じゃあ、さっさといこーっ!」


晴香が入口の姦しい人集に向けて駆け出そうと大股で足を踏み出したのを、私は彼女の右手を取って引き止める。


「走ると危ないよ、晴香」


「え、あ、う、うん、ゴメンナサイ」


「分かればよろしい」


急にしおらしくなった晴香の手を引きながら、私は出入口に向けて歩みだす。普段からこれくらい大人しければ楽なのだが。


後ろで泡を食ったように急いで片付けている咲良の鈍さもまた普段通りである。


「……藍子ってこーゆーコト平気でしてくるし、一体なんなんだ……」


「?、晴香なんか言った?」


「なんでもない!」


「……そう?」


晴香の態度を奇怪に思いながらも、私は咲良がある程度追いつくのを待って、店の自動ドアを抜ける。やはり、この天気はどうも雨が降りそうでならない。そんな心配をしている私の手を、晴香は軽く引いた。


「あ、藍子、あのさ?」


「何?」


「……やっぱ、なんでもないっ!」


晴香はそう言うと、いつもと同じく快活に笑う。なんだか犬っぽいな、なんて思いながら私は晴香の手をリードを持つが如くしっかりと握る、私の目から離れてどこにもいかないように。


―――私はいつから、晴香の飼い主になったんだか


そんな下らないことを考えながら私は晴香と共に、依然店内に取り残してきた咲良の到来を待つのだった。




溶けかけてきた雪で不安定な足場の坂を下りきり、私たち三人は見慣れた東景への道を歩いていた中で、咲良が切り出したのは突然のことだった。


「あぁ、そういえばね、昨日伏見さんが私たちを恨んでるって言ったでしょ?」


何気ない口調から切り出された言葉に、私の脳裏が激しく揺さぶられる。違う、と即座に否定しようにも私から、彼女のことを語る気にもなれなかった。


そんな心中とは真逆であろう、晴香の憤り、とでも形容できそうな明白な感情が、繋いでいる彼女の右手越しに左手から伝わってくる。そんな私たちの様子を見るように咲良は柔和な笑みを見せながら、再度口を開く。


「あれ、根も葉もない噂だって伏見さん怒ってた、そんな噂知らなかった、変な気使わせてごめんねって」


「……えぇ?」


彼女の胸中は既に聞いていた私に対し、彼女との邂逅すらも済ましていないであろう晴香は間の抜けた声を上げる。


まあ、咲良が呼びに行ったあたりで軽い説明はされていたとは思っていたが、その様子から寝耳に水、といった感じであろうか。


「……いや、まあね!頭の切れる晴香さんは分かってたよ!咲良があんなに嬉しそうに私を呼びに来た地点で、あー仲良くなってるんだなー、とか思ったからねー!」


「晴香、本心は?」


「よく分かんないし、安心した反面どーゆーコトなのって感じ」


晴香は大きく伸びをすると、咲良の言葉が繋がれるのを待つように団栗眼で彼女を見つめている。その意を汲んで、咲良はえっとね、と話を切り出す。


「確かに柏丘では東景憎しって風潮が高まってたみたいだけど、伏見さんとか一部の人は東景の演奏に感動したって言ってくれてたらしくてね?伏見さんは大多数から責められてたみたい、東景への負けを認めていいのか、って」


「認めるのも何も負けてるじゃん、アホらしー」


晴香はそう言うものの、柏丘一同の気持ちは分からなくもない。それに、伏見琴葉はそう言ってくれていたとしても、今後も柏丘吹奏楽部には警戒したほうがいいかもしれない。


「なんかね、特に副部長の人がその急先鋒みたいでね?確か、7組の……鷹司(たかつかさ)さん、だったかな」


「ゲゲッ、アサコウにいんのそいつ!?」


「そうみたい、伏見さんが『なんか彼女が気に障るようなこと言ったらごめんね、悪い子じゃないから』って」


咲良はそう苦笑い気味に宣う。


彼女がフッと吐き出した息はまだまだ白く、例年通りではあるが、北海道の春はもう少し先になりそうである。


「どーだかねー、でも、その伏見さんとやらは私たちの味方なんだね」


「味方……か、うん、そうなるのかな」


「じゃあ、明日にでも紹介してよ、二人だけ仲良くなるなんてズルいし!藍子と咲良の友達なら私の友達でもあるわけだしっ!ね!?」


「わかってる、明日紹介するね」


「絶対だよ!?絶対絶対、ぺんちせんめーに誓ってだよ!」


「ハル、それ多分、天地神明だと思うよ……」


二人の会話を聞きながらも、思い返していたのは先刻の、伏見琴葉との会話。彼女は確かに、東景を認め、私に尊敬の念すら向けてくれていた。


それだというのに、私は、なんと器が小さいのだろうか。


彼女にむざむざと見せつけられた才気の差からなる劣等感と敗北感。これなら寧ろ、謂れのない中傷を受けている方がまだ慣れていたし、耐えられたと言うのに。


「……藍子?大丈夫?体調悪い?」


「いや、そんなことないよ」


咲良を心配させないように私は、作り笑いで何とか取り繕う。そんなの、咲良には無駄だと分かっていても。


「……ならよかった、季節の変わり目だしね」


咲良は目を伏せながら、そう応じた。彼女が敢えて気づかないふりをしたこと位は分かっていた。私の方から口を開かない限りは追及はしてこない。その時までずっと胸の内に留めて、私のことを気にかけている。西野咲良とはそう言う女なのだ。


彼女が私を追及するときは、私の行動があまりに不審であるときか、私が間違った道に進もうとしている時のどっちかである。


「……私は藍子が部長でよかったよ」


「咲良……」


咲良はそれだけ言うと、私の空いた右手をスッと取り、自身の左手で包むように優しく握り込む。


その動作は至極自然なもので、驚きは感じなかった。晴香も咲良も体温が高くて、温かい。藍子が部長でよかった、その一言で救われたような気がした。私のしてきたことを肯定してくれる人がこんな身近にいたというのに私は―――なんと馬鹿だったのだろう。


「アイス美味しかったね、また皆で来よっか」


今まで黙っていた晴香は、唐突にそれだけ言うと私の目を見て微笑みかけてくる。その笑顔は恰も、私を鼓舞するようで、例えるなら太陽のように燦々と明るかった。やはり私は、この二人に助けられてここまで来たんだ、改めてそう実感する。


「今度は、咲良のおごりでね!」


「ちょっとハルっ!?私のお小遣いなくなっちゃうよ!?」


「……じゃあ、私も咲良におごってもらおうかな」


「藍子まで!?無茶言わないでよー……」


そんな冗談を言い合いながら私たちは小さい子供みたいに3人仲良く手をつないで東景までの道を進む。


そろそろ私たちの生まれ育った、見慣れた街並みが見えてくるだろう、そんなことを思いながら、私はなんとなく空を見上げた。


先刻変わらずの鉛色の曇り空の切れ間からは、橙色の夕陽がヒッソリと垣間見えている。


今日のところはもう雨は降らないな、ふと、そんな気がした。

どうも、いよいよ秋ですね。

如何お過ごしでしょうか、須永です。

私はというと私用でバタバタしておりました。

夏期休暇なんてありはしませんでしたね。

さて、今話は東景メンバーのグダグダが続いております。

次話も多分こんな感じなのであしからず。

ご愛読ありがとうございます!

作者 {須永 梗太郎}

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