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黒い糸  作者: 須永 梗太郎
初日編
13/27

初日-3

「……伏見さんが?私のことを?」


突然のことに、私は繰り返し、同じ言葉を返してしまう。


結果として私が意図して避けた会話になってしまったのは何かの偶然だろうが、それ以上に気になったのは咲良の言動で、いつもの通りの微笑には噛み合わない、物思いげな口調だった。


十年を超える付き合いでも、未だ彼女のこのような態度は見た覚えがない。


「うん、知らなかったよ、藍子と伏見さんが友達だったなんて」


「あーいや、友達ってほどじゃ……」


言葉を濁す私を見る彼女は、笑顔の裏に沸々と不審を滲ませている。


それもそうだろう。咲良からすれば伏見琴葉は敷居の高いクラスメートの上に、私達によって道を閉ざされた柏丘の元部長であり、それと私との接点が思い当たらないのも無理はない。


「じゃあ、なんなの」


「んー……何、というと……」


「……何か隠し事?」


咲良のジトっとした目線が返答に窮する私に絡みつく。隠すほどのことはないが、咲良や晴香を気遣って態々隠し立てていたのも事実である。


いや、咲良や晴香を気遣って、というのも私の行動を合理化する方便に過ぎず、本当はただ、私が伏見琴葉に対して抱いている不可解な感情を彼女達に隠しておきたいだけなのかもしれない。


「……いや、昨日の放課後知り合って、少し話しただけだよ」


「放課後?……藍子が教室で姫野さん?と話してた後?」


「ああ、うん、そう色々あってね、ちょっと話しただけ」


「……それだけ?」


「……うん」


私の言葉に、咲良はふーん、と鼻を鳴らすと、自らを落ち着かせるようにふっと息を吐き出す。


「いや、私はハルみたいに子供じゃないから、藍子が誰と仲良くなってもいいんだけどね、でも、そうならそうと言ってくれればよかったのに、ましてや伏見さんなら」


咲良の口調は諭すような言葉とは裏腹に彼女の態度は少し拗ねているようで、これでは晴香と相違ない。


最も、彼女の機嫌を損ねるのは私としても芳しくないので即座に謝罪を口にすることにすることにする。


「ああ、そうだね、ごめん」


「え!?い、いや、謝るほどのことでもないよ……ただ……」


「ん?」


「ちょっと藍子が遠くに行っちゃうような気がして怖かっただけ、ごめんね、なんか私めんどくさいね」


目の前で自嘲気味に笑う咲良と、嘗ての泣いてばかりだった幼い彼女の面影が重なっていく。


今でこそ、もう咲良が泣くことは殆どなくなったかもしれない。でも、咲良はまだ、寂しがり屋で、甘えん坊で、泣き虫で、やっぱり昔と変わっていなかったのだ。


「……私は咲良を置いてなんかいかないよ」


「えっ?」


普段言えないような言葉が、不器用で口下手なはずの私の喉をスっと通る。


新しい環境への恐れなのだろうか、最近こんなことが多い気がする。それも偏に、私はきっと、咲良や晴香を失いたくないのだろう。もしかしたら私は晴香以上に子供で、咲良以上に小心者なのかもしれない。


「今までずっと一緒だったんだから、これからもずっと一緒にいようよ、私と咲良と、あと晴香も、三人で、ずっと一緒に」


言ってから少し恥ずかしくなって、私は目を咲良の少し眦の垂れた大きな眼から逸らす。


またそれは咲良も同じだったようで、彼女の白い肌は見る間に蒸気して赤くなっていく。焦燥した時に行き場もなく両手が宙を彷徨うのも、昔から一緒だ。


「……あ、ぅ……ふ、伏見さん呼んでくりゅ!」


「う、うん、ここで待ってるね」


逃げるように走り出す咲良は、脱兎の如くと形容するにはあまりに遅く、フラフラと不安になる足取りで人ごみに消えていく。


多少ばかし心配ながらも、私は呼吸を整えながら、咲良と伏見琴葉の到着を待ったのだった。




それから一分も経たないうちに、咲良は伏見琴葉を伴って、三組の教室から現れた。


その面持ちは緊張を呈しており、伏見琴葉もまた硬い表情を浮かべている。もしかしたら人見知りなのは何も咲良の方だけではないのかもしれない。


本人たちは緊張でそれどころではないかもしれないが、綺麗どころが二人並んで歩いていると、周囲の注目は一気に集まるのもやむを得ないだろう。


「あ、あの、態々お呼び立てしてごめんなさい、その、本郷さんに伝えたいことがあって」


近くで聞く可憐な声に、耳が蕩けそうになる。


柔らかく女性的でありながらも、響きもあって清らかな声音。成程、彼女ほど代表挨拶に向いている者はいないだろう、と独りでに納得する。


彼女の口調は私との距離感を測りかねているようで、丁寧な言葉遣いの中にも少しの親密さを覗かせており、それは昨日の咲良の言っていた『恨み』という不安を拭うには十分とは言えないにしても、少しの安心は覚えることができた。


「……本郷、さん?」


「え、あ、ああ、いえ、私も探してましたから」


「そうなんですか?」


彼女が少し嬉しそうに首を傾げると、色素の薄い綺麗な黒髪が揺れる。


その艶やかさは一本一本が絹の糸のようでいて、思わず触れたくなる欲求に苛まれるのを、私はそれをなんとか拳を握ってそれを堪え忍び、引きつった笑顔で誤魔化してみせる。


狭く、撫で気味の肩や、長く黒々と濃い睫毛がまた、彼女の女性らしさを引き立てており、華奢でいてスラリと長い脚や仄かに香る蠱惑的なまでに甘い香りなど、彼女を賛美する美辞を立て並べようなら枚挙に遑がない。


「ああ、はい、これ」


彼女の言葉に頷くと、私は平静を装いながら、手に持っていた紙袋を渡す。


中には、昨日のうちに縫い直した黒毛糸の手袋が入っており、彼女はそれを受け取ると、意を解したように驚きと喜びの入り混じったような笑みを浮かべる。


「嘘っ、もう出来たんですか!?」


「まあ、そんなに上手じゃないんですけど、それなりには」


伏見琴葉はおずおずと紙袋を開くと、中にある手袋を取り出す。指の解れはなくなり、新品と遜色なく出来たと私なりには自負しているつもりである。


昔、母から盛んに刺繍やら裁縫やらを手習いしていたのが一役買ったようで、ここは少しばかり感謝してもいいかもしれない。


「すごい……こんな綺麗に……!?」


彼女は真剣そうな目で手袋を穴があくほどに見つめている。こういう反応は少しこそばゆいが、嬉しいものであることに変わりはない。その横では咲良も感心したように手袋を覗き込んでいる。


「凄いんだね、本郷さんって」


「う、うん、私も藍子にこんな特技があるなんて知らなかった」


口々に賞賛され、私としても気分は悪くなかった。これで、昨日母親に下手くそ、と横から苛立たしいほどに煽られたことは水に流すことにしようと思う。


「ありがとうございます本郷さん」


彼女は手袋を抱きしめながら殊勝に頭を下げる。礼儀正しい子のようで、わざわざ最敬礼の辺りまで腰を折って感謝の念を示している。


「いいよ、そんなにしなくて!頭上げて、ね?」


私がそういうと彼女は顔だけ上げて、私のことを上目遣いで見上げる。その表情はこの世のものとは思えないほど澄んで、美しく整っており、例えるなら精巧な硝子細工とでも言えるだろうか。


「……あの、私が本郷さんを探してた理由なんですけど」


「……はい?」


「その、よかったらお昼一緒にどうかと思って……えと、折角だし、何かの縁なので……その、迷惑、ですか?」


何かの縁、というのも、存外馬鹿にできないもので、かつて禍根を残すほどの一戦を交えた敵同士と言えば大袈裟かもしれないが、柏丘の部長と膝を付き合わせて昼食を取るなど、思いもよらないことである。


それに、私としても彼女を知る絶好の機に他ならないため、勇気を出して誘ってくれた彼女を無下にする理由などなかった。


例え彼女が私たちに抱く感情は決して芳しいものではなかったにしても、私は彼女の口からその思いが聞きたかったのだ。それに、伏見琴葉にしても東景の者と関わることには若干の不安があったに違いない。


それを承知の上で行動に移したのなら私もそれに応えるべきだろう。


「じゃあ、そうします」


「良かった……断られたらどうしようって……西野さんも一緒にどうですか?」


「……え?私も!?」


突然、話題の中心に立たされ、予期していなかったのであろう咲良は驚愕のあまり声が裏返っている。


そんな咲良に対しても、伏見琴葉は彫像のように整った微笑みを浮かべている。その姿は差し詰め聖女、とでも言ったところか。


「これなら、西野さんと仲良くなれるんじゃないかなって……強引だったかな?それに西野さんも本郷さんと一緒なら緊張しなくて済むと思って……ダメ、かな?」


彼女の提案に、外堀を埋められた咲良も断る理由もなく、小さくありがとう、と呟く。


俯きがちであったが、咲良にしては大いなる進歩である。


その提案は咲良は勿論だが私としても本懐で、不安要素だった咲良の友人関係の悩みが払拭されるのであればやはり嬉しいことだろう。伏見琴葉も私の目論見がわかっているらしく、嬉しそうに微笑みかけてくる。


やはり、彼女の端正な顔立ちには笑顔がよく似合っていた。


そんなことを思いながら、私はもう一人、伏見琴葉の月見草のように淑やかな笑顔とは対を為す、言うなれば向日葵の様な弾けんばかりの笑顔がよく似合う幼馴染を脳裏に過ぎらせる。


「あのさ、伏見さん」


「はい?」


「もう一人、同じ中学の子、呼んでもいい?晴香っていうんだけど」


伏見琴葉は繊細で長い人差し指を軽く曲げた状態で薄紅色の柔らかそうな唇に宛てがうと、逡巡する素振りを見せる。


私や咲良と違い、晴香との面識がない以上、彼女も二つ返事というのも厳しいだろうし、出来ることなら避けたい事象なのかもしれない。彼女は指を唇から離すと、屈託なく私の目を見つめ微笑みかけてくる。


「うん、全然構わないです、本郷さんと西野さんの友達なら悪い子じゃないと思うし」


彼女が快く承諾をしてくれたことに私は安心に胸を撫で下ろす。


もし、万が一にも晴香を抜きにして三人で昼食をとろうものなら、晴香の激昂する様子はすでに目に見えている。恐らく幼稚園児のように喚きたて、暫くは口を利かないなどと言い出す可能性も十分にあるだろう。


もし、仮に怒ったとしても、物で釣ればアッサリ釣れないこともないのだが、態々怒らせておく理由もない上、出来ることなら晴香にも伏見琴葉を知り合わせておきたかった。


今でこそは落ち着いているものの、嘗ての晴香は柏丘並びに各強豪校に敵愾心を剥き出しており、特に柏丘に対しては―あれはあちらにも非はあったのだが―口を開けば悪口を言い出す始末である。出来ることなら、憎き柏丘の部長というレッテルを勝手に貼り付けて晴香が伏見琴葉を敬遠する前に、二人を仲良くさせておきたいという企てもあった。


そんなことを考えていた私に対して、咲良は自分のことで一杯のようで、しきりに指を交差させて落ち着かなくしていた。あれは恐らく、喜びと安堵と期待と少しの緊張が入り乱れている、と言ったところだろうか。


「じゃあさ、もう一人、いいかな?これは本郷さんの知ってる人だと思うんだけどー、姫野朱音ちゃん……わかるよね?」


姫野朱音。


私の前の席で、一番始めに話しかけてくれた大切な友人。そして、伏見琴葉の名に対して神経を尖らせ、時折暗い表情を見せる柏丘出身の女の子。


よもや伏見琴葉から彼女の名が出たことに驚きとほんの少しの違和感を覚える。


「彼女も呼んでいいかな?ちょっと取っつきにくいかもしれないけど悪い子じゃないから」


彼女が加わることに反対などはないが、取っつきにくい、その一言には疑問を浮かべる他無かった。少なくとも、彼女がそう言われる所以など、私には思い当たる節がない。


「朱音が……取っつきにくい?」


私の言葉に彼女の美しい微笑みに俄かに影が差し、眉がピクリと動く。その一瞬だけは、彼女の微笑みは全てまやかしの作り物に思えるほどに何か暗い感情が滲み出していた、ような気がした。


「……ん?あ、あぁ!今のは忘れて!うん!ごめんなさい、何でもないんです!」


彼女はまたいつも通りの笑みに戻ると人懐こく笑いかけてくる。


彼女の笑みは同じように見えて、一つ一つ大きく意味が異なっているようで、そこには触れてはいけない深淵があるように思えた。


ただ、怖いと思うよりも早く、私はその深淵を覗きたい、あわよくば飛び込んでみたい、などという衝動に駆られていた。自分でも何故だかも解らないほどに、私は、伏見琴葉という存在に興味を示し、惹かれていることに間違いはない。


それはかつて敵対した者への好奇か、はたまた麗しい見た目への憧憬か。


「……朱音、か」


伏見琴葉が呟いた言葉は、廊下の騒声に飲み込まれていく。今の私には彼女達の過去の関係を知る術もなく、想像するには、彼女達を知らなすぎた。


常に微笑みを絶やさない伏見琴葉と、時折暗い顔を覗かせる姫野朱音。


一体彼女たちの過去に何があったのだろうか―――




チャイムが鳴るまで、もう一分を切っていることに気付けないほどに、私は彼女達のことで頭が埋め尽くされていたのだった。

皆さんこんにちは。須永です。

遅ばせながら、今作公開という運びになりました。

なぜ少し遅れてしまったかというと、今話から人間関係が一層複雑化され、

藍子と琴葉は勿論、藍子と朱音、咲良と琴葉、琴葉と朱音などの関係を

整理しながら、次話までの構想を練っていると彼此一ヶ月……

長かったですね。でも、方向性も固まったことで、今月以降より一層の

更新頻度の向上をモットーに頑張ります。

ああぁ!話に全く触れられなかったっ!後書きというか殆ど言い訳でした!

今話は小康状態で話が停滞しましたが、次話では、大分ギャグ要素が多めに設定されてます!来週には出せます、はい!

それではまた次話で会いましょう!


作者 須永梗太郎!

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