表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い糸  作者: 須永 梗太郎
初日編
12/27

初日-2

時計の針が8:35を指すと同時に、旭陽伝統の調子外れなチャイムが校内に鳴り響く。


それを合図に生徒たちはガヤガヤと騒ぎ立てながら自らの席へと戻っていく。やはり高校生というのはどこにいても煩いもので、やはり教室での読書は向かないことは二日目にして明白となった。


本当なら伏見琴葉に手袋を渡しに行っても良いのだが、他人のクラスに堂々と踏み入る度胸など私には持ち合わせていない。また朱音の姿も見えず、結局私は一人読書に勤しんでいた。


「藍ちゃん、先生まだ来てないよね!?」


声の方を振り返ると、他クラスに出向いていた朱音が脱兎のごとく勢いで戻ってきたようだった。急いでいたためか、チャームポイントの外ハネの亜麻色の髪が少し乱れてしまっている。


「うん、まだきてないよ」


「良かったぁー、セーフセーフっ」


朱音はそう能天気に笑うと、私の目の前の席に着く。


「朱音はどこいってたの?」


「うん?ああ、三組に少し、ね」


三組は咲良と、なにより伏見琴葉の在籍するクラスである。


無論、交友関係の広そうな朱音のことなので決め付けるのは早計だとしても、昨日の態度を見る限りは伏見琴葉と何かあると勘ぐってしまいたくなる。


しかしながら、それ以上踏み込むのはデリカシーのない行為のようでいて憚られた。


「藍ちゃんさ、小野寺先生どー思う?」


朱音は黒板の方を見ながら、思い出したようにポツリと呟いた。


その横顔は少しの憂いと嘆きのような感情が入り混じっているように見える。


「うーん、まあ無愛想な感じはするけど、悪い人には思えないかな」


「……そっか」


最も無愛想な私が言えた義理でもないのだが、私の言葉に納得したのかそれとも同意しかねたのかは分からないが、朱音の視線はこれから女史が立つであろう辺りの位置に向けられ続けている。


その時、教室の木製扉が引かれ、話の張本人が悠然たる足取りで現れる。


「……それでは出席番号一番の生徒、挨拶お願いします」


女史の言葉に、出席番号一番の今崎さんは、はーい、と間延びした返事で返す。


「起立、気をつけー、礼っ!」


彼女を合図に、私を含め生徒全員が軽く頭を下げる。


「……イマサキさんありがとうございました」


「だからイマザキです!Zの方です!」


「……ああ、すいませんでした」


女史は形骸的な謝罪を口にすると、昨日同様に慣れた手つきでプリントの配布を始める。


彼女は最後尾まで行き渡ったのを確認すると手にしているプリントに記されている今日のスケジュールを淡々と読み上げ始めた。その最もたるものは一時間目の学級役員選出である。


「……以上ですので、一時間目のホームルームまでに委員会に所属する旨等を考えておいてください」


女子がそう括ると同時に、朝のホームルームの終了のチャイムが鳴り響く。


昨日の今日だが、この妙ちきりんな音のジングルには慣れそうにもない。女史はチャイムが鳴り終わると同時に職員室に戻っていき、教室は再び朝の活気を取り戻し始める。


「ねーねー藍ちゃん、委員会、なんか入る?」


朱音は振り返ると、貰ったプリントをひらひらと宙に靡かせながら私に問いかける。


そこには委員会がざっと羅列されており、上から代表、学級議長、体育、風紀、文化、選管、会計となっていた。


それぞれの定員は二人ずつで、男女各一名と言われている代表以外は男女比は拘らないようである。


「うーん……できれば入りたくないかな」


「とゆーかは、手を挙げて注目浴びるのが嫌な感じだよね」


消極的な私の本心は既に朱音には見透かされていたようで、私は唯々苦笑いを浮かべる他ない。事実やってもいいのだが、手を挙げた時に集まる好奇の視線が苦手で今まで忌避してきたのもまた事実である。


「折角だしさ、二人でなんかやろうよ!んー例えば……代表は男女一人ずつだから……議長も風紀も面倒そうだし……」


「会計くらいなら、やってもいいけど」


口をついた私の言葉に、朱音はニコニコしながらじゃあそうしよっか、と促す。


驚いていたのは私自身で朱音がいなければ恐らく、いや確実に委員会など入ろうと思わなかっただろう。


そう思うと、朱音の強引さも不思議と嫌な感じはしなかった。ある意味で私の性格を分かった上での行動にすら思えてくる。


タイプは全然違うが、こういう一面は晴香と朱音は少し似通ったところがあるような気がする。


「でも、なんで私と……?」


朱音ならもっと適した友達もいるのに、と言いかけたところで、朱音の撓やかな指が私の唇をあてがう。


「……私は藍ちゃんが好きだし、もっと仲良くなりたいからって理由じゃ、ダメ?」


まただ、と私は思った。


ニコニコしていた朱音の表情は一転して大人び、全身からは色香を発散とさせている。これは昨日にも感じたもので、彼女の意識的にやっているのか、それとも無意識のものなのかはわからない。


「いや、えと、うん、そ、それでいいよ」


朱音の色気に圧されてか、私はしどろもどろで滅裂な返答をする。朱音はまたニコリと笑うと私の唇から指先を離す。


「藍ちゃんの唇、柔らかいね」


「……あ、ありがとう」


朱音の台詞は妙な艶めかしさを放っており、それはとても同年代の女子のものとは思えない。


「……キス、してみていい?」


「……!?」


「……フフッ、冗談だよ」


驚きのあまり硬直する私を弄ぶように朱音は笑うと、悪戯めかしてウィンクをする。


その大きな眼にはやはり妖艶さは感じられない。そこにいるのは飽くまでも一介の女子高生だった。


―――何か、変だ


朱音の整った顔を見ながら私は思った。


何、という具体的な確証があるわけではない。ただ、彼女の振る舞いは明らかに一般的な高校生のそれでないような気がしていた。私の頭の中を嫌な想像が駆け巡っていく。


「……藍ちゃん?」


「……ん?ああ、ごめんね、少し考え事」


「なにさー、目の前の私には目もくれずに何を考えてたのさー」


「朱音のことだよ」


これ以上は言えなかった。


いっそ聞いてみたほうがいいのかもしれないが、私にはそんな勇気などない。今の私に出来ることといえば、目の前で不思議そうに首を傾げる彼女に不器用にも笑いかけることくらいだったのである。




再びチャイムは鳴り響き、女史が別のプリントを抱え教室に戻ってくる。


その表情は先程と比べるといくらか柔和に見えなくもない。最もそこは微々たるもので見た目は相変わらずの鉄仮面である。


「それでは、早速委員会の方を決めてもらいたいのですが、議長を先に決めて、そこからは議長に仕切ってもらいます」


淡々と言うと、女史は無骨な字で黒板に委員会名を羅列していく。教室は俄かにざわめき始め、その専らが否定的な言葉で占められている。


特に、私たちから向かって右の廊下側のグループがその音源のようであった。


「ぜってー委員会なんてやるわけねーじゃん、あーダリー」


その中心と思われる男が教室の端まで聞こえるであろう大声で言うと、同調するように周囲から笑いが起きる。


発言した男は、爽やかな短髪とそれと対照的なぎょろりとした三白眼や端を歪ませた唇が特徴的で、それのせいか人を見下すような圧迫感を与えている。不細工というわけではないが、美男子というには程遠い。


その容姿以上に口調は他人を見下げたようでいて、朱音などは愁眉を潜めている。


「あーゆーのがいるから纏まらないんだよねー」


「……何か調子乗ってる感じするね」


「だよねー、何勘違いしてんだか……あーゆー男大っ嫌い」


私たちが小声で話していることも気づく筈もなく、男は未だにべらべらと御託を並べている。


その喧騒を遮ったのはまたも、彼女の凛とした声だった。


「それでは、誰か議長をやってくれる方はいませんか」


水を打ったように静まった教室には気まずい沈黙だけが流れている。


女史は教室全体を俯瞰するようにその鋭い視線を投げかけてくる。その時、最前列の方で、おずおずと手が挙がった。


「誰もいないなら私やってもいいかなー、なんて」


その少女には見覚えがあった。それは昨日、私に過去の記憶を蘇らせた少女に他ならない。


「ありがとうございます、イマサキさん」


「イマザキなんですけど」


「ああ、すいませんでした……皆さんイマサキさんに拍手を」


「絶対態とやってますよね!?」


彼女の叫びも周囲の拍手喝采に飲み込まれて消えていってしまった。彼女は子供のような膨れっ面で教壇に上がると、私たちの方を見据えると、掌で教卓をバンっと叩く。


「この度議長になりました、イマザキ!です!」


彼女の響く声に、教室の騒めきは沈静する。好奇や関心の入り混じった視線に筵にされながら、今崎さんは口を再度開く。


「委員会ってメンドクサイかもしれないけど、折角同じクラスに慣れた人と仲良くなれるチャンスだと思うんだよね、それに、こーゆーところで手を挙げられる人って格好良いと思うな」


彼女の言葉で、教室の空気が大きく転調したことがわかった。不平を言っていた者たちは口を噤み、再び囁くように周囲と話を合わせようとしている。


「すごいね、あの子」


「うん……この空気を一新できるって、すごいと思う」


小さな体から溌溂と放たれる英気に、思わず私は賞賛を口にする。自身にはこういった一面がないだけに彼女が途方も無く眩しく見えた。


彼女と比べて私は、朱音がいなければ終始、沈黙を貫いていたことだろう。そう思うと酷く情けない。


「とりあえずさ、まず私のこと手伝ってくれる人、いてくれると嬉しいんだけどなーどうかなー」


空気が変わった、というより変えた事に彼女は気づいているようで、ここぞと端を発するように呼びかける。


教室内はまた俄かにざわつき始め、今崎さんはその様子をしたり顔で眺めている。しかし、そのざわめきの中でも、先ほどまで騒がしかったグループは相変わらずのようであった。


「……どうする?まあ、やるわけないけどな」


腰巾着のような男の嘲笑気味な問いかけに対し、中心にいた男は黙りこくって真剣そうな顔立ちになる。


「……なあ、あの子可愛くね?」


「えっ?」


「俺、あの子オトすわ」


「おい、柿うch……」


男は腰巾着の制止を振り切ると、ざわめきを切り裂くように教室の端で長い腕がだらしなく上げる。


今崎さん含む、周囲の視線はその男に集まった。


「じゃあ、俺がやっちゃおうかな」


先程までグループの中心で雑言を垂れていた男とは思えないような何気ない口調を装ってるが、表情からはこれでもかというほどに下心が見え透いている。


やはり、私個人としてもあまり好きなタイプの人間ではない。


「おー!ありがとーっ!えっと、名前は?」


「ヒロム、柿内宙夢(かきうちひろむ)、ヨロシク柚梨奈ちゃん」


「よろしくね柿内くん!」


今崎さんは嬉しそうにその場で飛び跳ねてみせる。そのあどけない姿はどう見ても高校生には見えない。


柿内と名乗った男は、ニヤニヤと品定めでもするかのように今崎さんを見つめると、任せとけ、と調子のいいことを言ってみせる。


その目は、明らかに今崎さんに対して、何か汚い感情を抱いているようだった。


「うわっ、気色悪い……」


余程嫌いなのか、朱音などは明らかに顔を歪めて辛辣な罵詈を吐き捨てる。


小野寺女史に向けられている感情とは別の、言うなれば、純粋な嫌悪というべきか、心の底から気色悪いと思っているようだった。


柿内は立ち上がると今崎さんの横に並ぶ。矮躯の今崎さんと並ぶと、スラリと背の高い男の身長はより誇張されて見え、その差は30cmと少しというくらいであろうか。


「じゃあ、この調子でバンバン決めてっちゃうよー、みんな協力よろしくねー」


「テメーら手上げねえとぶっ殺すからな?」


こうして凸凹コンビの議長の下で委員決めは順調に進んでいく。


存外、というと失礼かもしれないが今崎さんは優秀な人間らしく、頭が切れ、状況判断に長けているようで、滞りなく審議は進んでいった。


「じゃあ、最後に会計委員なんだけどー、誰かやってくれる人ー」


今崎さんの言葉に間髪入れず、朱音はすっと手を挙げ、私もそれに追従する。


周囲は些か驚いたようで、好奇の視線を向けてくるが、朱音はどこ吹く風というように凛と澄ましている。


「じゃあ、会計は姫野さんと本郷さんでいいですかー?」


今崎さんの言葉に、パラパラと肯定の拍手が鳴り始める。どうやら彼女は私の名前を覚え直してくれたらしい。隣の柿内はというと、職務を怠慢するどころか、朱音に見とれて鼻の下を伸ばしていた。全くもって下心しかないような男のようである。


その拍手が成り終わるのを見計らってか、教室の端に座していた小野寺女史はパイプ椅子から立ち上がると教壇上に戻ってくる。


「……議長のお二人はありがとうございました、以上でホームルームを終わります」


女史がそう締めると同時に、奇しくも調子はずれなチャイムが一限の終了を校内に知らしめている。


「改めてよろしくね藍ちゃん」


そう言って微笑む彼女の姿は汚れのない白百合のようで、私は抱いていた一抹の不安を心中で握りつぶす。


―――こんないい子のどこを疑ってたんだろう、汚れていたのは私の心なんじゃないか


心中を吐露することも叶わない私は、ただ曖昧に返すことしかできなかったのだった。




休み時間になると同時に、私は、それとなく自らの教室とその隣の教室の間を行ったり来たりと徘徊していた。


理由というのも一つしかなく、それは全て私の手に抱えられた小さな紙袋、もといその中に存在する黒毛糸の手袋が物語っている。


廊下は人でごった返しており、授業の準備に勤しむものや、友人とのお喋りに興じるもの、購買に向かうものと様々見受けられた。その中に一人、ひどく見慣れた姿を認める。


やはりどこにいても萎縮癖は直らないらしく、背中を小さくして廊下の端を申し訳なさそうに歩いている。


「咲良」


「っ!?……なんだ藍子かぁ、ビックリさせないでよもう……」


咲良は私であることに安心したのか、緊張から一瞬でふやけた様な柔らかい笑みに変わる。後ろから話しかけたくらいで大げさなような気もするが、咲良の小心は昔からなのであまり気にはならない。


「ごめんね、驚かせちゃった?」


「ううん、ちょっとビックリしただけ……藍子は何してるの?」


「ああ、えっと、うん、まあ……」


私は良い言い訳も思いつかず、かと言って伏見琴葉の名を咲良の前で出すことは憚られ、煮え切らない返答をする。


私の心情を理解してか、彼女もこれ以上追求してこない。長年の付き合いでお互いの気持ちは何となくわかっているだけに、この距離感は心地良いものがある。


「……あ、そういえば藍子」


「ん?」


私の返答に、咲良は何事もないようにこう告げたのだった。


「伏見さんが藍子のことさっき探してたよ?」

どうも、須永です。

本日、何と第10話!を迎える運びとなりました!

ここまで約半年と一週間、そして進んだのはわずか1日……。

ものすごく不安です(笑)

今後もこの執筆速度で行きたいものですが、どうなることか……

さて。

今回は朱音や今崎さんといった四組の面々に活躍していただきました。

次回は久し振り?にヒロインの琴葉が登場します!

乞うご期待。

最後に、日頃のご愛読心より御礼申し上げます。

作者ー須永 梗太郎

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ