邂逅
皆さんはじめまして、須永梗太郎と申すものです。
今回初投稿故に至らぬ点も多くございますが、少しでもまともな物書きになろうと精進しております。
読んでやる、という方がいらっしゃれば泣いて喜びます。
ジャンル的にも読者を選ぶ作風ですが、自分なりに頑張っていこうと思っています。
前置きが長くなりましたが、何卒よろしくお願いします。
―――きっと、思えばあの時から何かがおかしかったのかもしれない。
それはほんの些細なことで、取り留めもなくて、それでも、確かに私の中の何かが狂いだしていた、今思えばそんな気がしなくもない。
あれは、遡ること3年も前になるだろうか、忘れもしない、私と彼女、伏見琴葉の邂逅の日である4月8日、そう旭陽高校の入学式の日のことだった―――
2013年4月8日(月)
卯月の、溶け込みそうな程に澄み渡った空の下に私たち三人はいた。
雲は一つもなく、太陽の光が燦々と降り注ぐ。足元を雪解け水が濡らしていることを除いては、気候は良好で、それは私たちの新たな門出を祝している様にも感じられた。無論、そんな詩的表現を用いようものなら、晴香の哄笑を買うので黙っておくが。
そんな小学校から連れ添ってきた仲の私たちは殆どと言っていいほどいつもと変わらなかった。せいぜい違うところといえば、今まで纏っていた中学のセーラー服ではなく、墨色のブレザーを着ているところくらいだろう。
「ほら、急がないと遅刻するよ?」
晴香は咲良の手を引っ張りながら川沿いの坂道を足早に進んでいく。咲良は晴香の手をしっかりと握りながら、息を切らして幼馴染を追従する。この光景ももう何度目だろうか。
「藍子も早く!」
「……今いくよ」
私は深い溜息を吐くと、止めていた足をまた進め、彼女らに追いつく。
私たちがこれから通うアサコウこと旭陽高等学校は北海道でも五本の指に入る進学校で、壮麗な校舎や近代的な制服、それでいて自由な校風が人気を集め、毎年受験倍率は二倍を切ることがない人気校である。
学年一位をコンスタントに守り続けてた咲良はさて置き、この学校に私もそうだが、晴香までもが合格できたというのは奇跡に等しいわけで。
「でもさ、ずっと憧れてるだけだったアサコウにさ?、三人で通えるってすごいと思うよ、私は」
「何がすごいってハルがこの場にいることだよね」
咲良の思わぬ攻撃に、晴香はぐぬぬ、と唸り声を上げている。やはり咲良をしてもそう思うらしい。体育以外は完璧超人の咲良を前に、晴香は反撃の術なく呻き続けていた。
そんな哀れな晴香に、咲良は止めを刺した。
「中3の始めのテストの数学で28点って見たときは私もダメかと……」
「うわああああ!咲良、変なこと言わなくていいから!」
「……ほんとによく受かったなお前」
初めて聞いた事実に、私は大きく息を吐いた。100点満点のテストでそこまでの点数では、追試は免れなかっただろうに。
「それから、ケッコー頑張ったのよ?数学だって80点取れるようになったし」
過去を暴かれた晴香は自業自得のくせに、へそを曲げたように頬を膨らませている。彼女のこの癖は小学校から変わっていない。
私と咲良は示し合わせたように笑うと、私は晴香の頭に手を置く。
女子の中では長身の部類に入る私に対し、晴香は女子の中でもとりわけ小柄で昔からこういうスキンシップは取りやすかった。
それに、私とてあんな風に言っておきながらも、晴香の頑張りは理解しているつもりである。コイツは、昔から頑張る時には、誰よりも頑張れる人間だった。そんなこと言ったら調子に乗るに決まっているから、言ったことは今まで一度もないけれども。
私の掌の下にいる晴香は、この瞬間に満足しているように目を細めていた。それは、私も咲良も、同じ感情だ。
「さ、そろそろ急ごっか」
私の促しに、晴香は小さく頷くと、また先頭を切って大股で歩き出す。そんな子供のような仕草に、私と咲良はまた目を合わせ、小さく笑ったのだった。
高く聳える地上三階地下一階の校舎の中央にはステンドグラスが異彩を放ち、また、かかる垂れ幕には、―合唱部全国制覇―とか―テニス部全国大会出場―など、大仰なゴシックが所狭しと踊り、部活動の活発さを物語っている。ここ旭陽高校は文武両道をモットーに掲げていることも有名だった。字面の圧迫感だけで息が詰まりそうになる。
「こりゃあ、すごいもんだね」
晴香は感嘆するように上を見上げている。その面が酷くアホっぽいと思ったのは心の中に仕舞っておいた。黙っていれば十分に可憐な顔立ちをしているだけに、大分勿体無い。
そんな晴香は捨て置き、私はもう片方の幼馴染に問いかける。
「咲良はなんか部活決まってるの?」
なんの気なしに聞いた質問だったが、咲良は殊勝な顔立ちでううん、と唸り声を上げる。
「部活かぁ……茶道か華道とかかなぁ、運動苦手だし、藍子は?」
「それが何にも決まってないんだよね……今まで通りってわけにもいかないし」
「そうなんだよねー」
咲良は人が良さそうにニコッと笑う。昔から晴香や私の後ろに隠れてばかりで人に気を遣いっぱなしだった咲良も、今ではしっかり自分のやりたいことを選べているようで少し安心した。嘗ては私たち三人は吹奏楽部で三年間、苦楽を共にしていたが、その吹奏楽は、この学校にはない。
あったとしても、もう一度入っただろうか。考えて、少し暗くなってやめた。楽しかったはずの部活に残った蟠りが、ひどく嫌だった。右足を一歩進め、隣にいる二人に声をかける。
「そろそろ中、入ろっか」
「そうだね、いくよハル」
「えっ、ちょっ待ってよー!」
こうして私達は麗らかな春の陽気の中、旭陽の門をくぐったのである。
「あっちゃー、みんな離ればなれだ」
先行していた晴香が情けない声を上げる。
お世辞にも頭がいいとは言えない中学だった私たちの母校である東景中からは私たち三人以外の入学者はない。晴香は憂いを帯びた声音で私たちの所属を読み上げていく。
背が小さいので張り出されているボードを見るために一生懸命に背伸びしているのもまた通常営業である。人並みに呑まれて消えないように、しっかりと晴香の手を握りながら、声に耳を傾ける。
「えっとねー、咲良が三組で、藍子が四組で、私がー……げっ、八組!?私だけ遠くない!?」
「ドンマイ晴香」
「そんなぁ……」
「どーせ会おうと思えば会えるって」
「んー……そーだけどー……」
落胆する晴香の頭を撫でながら、同級生の名前をそれとなく眺めていた私の眼に、ある一行が留まる。
『伏見琴葉』
聞き覚えのあるわけではなかったし、特に名前が変わっているわけでもなかった。ただ、なぜかこの四文字が私の脳裏に刻まれていく感覚だけが不自然なくらいにあった。
彼女のクラスは───咲良と同じ三組だ。
「フシミコトハ、か」
「んー、どーしたの藍子?その子、知り合い?」
「あぁ、いや、全然、なんとなく綺麗な名前だなって思って」
「ふーん」
晴香は興味なさげに鼻を鳴らすと、その小さな背丈でボードを見上げている。お前に成長期はないのか。制服で固めた真っ平らな体を見て、どこか安心して笑いが込み上げた。晴香には幸い、バレていなかった。
「あれ?伏見さんって聞いたことない?」
思い出したように私と同じく晴香の頭を撫でていた咲良が声を上げる。
「どーこーでー?」
「ほら、中文連の本戦で挨拶してた前回優勝校の部長さん、だったはず」
咲良に言われ、私もぼんやりと思い出してくる。私たちの所属していた東景中吹奏楽部はけして強豪とは言えなかったのに対し、咲良の言う前回優勝校の柏丘中は吹奏楽の名門中の名門で、そこの部長にもなると技量、人柄、統率力、どれをとっても一流なのだろう。
「よく覚えてるねー咲良は」
双方から頭を撫でられながら、晴香はだらけた声を出す。多分こんなんじゃ柏丘の様な大きな所の部長は務まらないのだろう。おそらく同じようなことを思っているであろう咲良も苦笑を浮かべている。
「アハハ……じゃ、そろそろ教室向かおっか」
咲良がそう切り出すと、私と晴香も追従し、私たちは教室の方向に向かう。新入生でごった返す階段を上がるなか、迷子にならないようにか晴香は私のブレザーの裾を掴んでいる。
「晴香、カップルじゃないんだから」
苦言を呈する私の声など、どこ吹く風のようで晴香は楽しそうに鼻歌などを歌っている。最近流行りのポップスのようで、疎い私にはピンと来なかった。
「随分ご機嫌だねハル、どしたの?」
「フフーン♪べっつにー♪」
「なにそれー、変なハル」
咲良はそう言うが、晴香はもともと十二分に余すことなく変である。二階の一年生教室に向かう華々しい装飾を施した通路を抜けると、右手にすぐに四組の教室は現れた。
「じゃあね、二人とも」
「藍子ー私がいなくても泣くなよ?」
「それ言うなら寂しいのはハルの方のくせに」
「んなっ……!?」
耳まで真っ赤になる晴香と、意味ありげに微笑む咲良に別れを告げると私は教室の戸を抜ける。教室内の人の入りはまだまばらで、10人弱といった所である。
小綺麗な教室の黒板には席表と『入学おめでとう』と記されている。無骨で角張った文字から察するにおそらく担任は男なのだろう。
私は五十音順の席表を確認すると、自らのあてられた窓際から二列目の一番後ろの席を目視する。
「?」
「……?」
女子と目があった。その女の子は私の席にちょこんと座ってこちらを不思議そうに眺めている。ほんの一瞬、私の思考は固まった。もう一度確認するが、その席は紛いようもなく私の席である。
彼女も彼女で気づく様子もなく、時折こちらに目線を流しては、また俯いてしまう。いつまでも黒板の前で棒立ちしているわけにもいかないので、私は彼女もとい、おそらくそうであろう私の席に向かう。
「……あの」
「はいっ!?」
ひどく驚いたのか、女の子の声は裏返っている。
サラサラの黒髪のロングヘアーやクッキリ二重の瞼に映える長い睫毛、ニキビ一つない白く柔らかそうな肌、近くにいてそれとなく感じる柔軟剤の香り。
言うなればまさに、理想的な女の子、という感じだった。印象が悪くならないよう、無愛想と言われがちな私は精一杯の笑顔で言葉をつなげる。
「そこ、私の席なんですけど」
「……えっ、えと、ホントですか!?」
彼女はますますテンパったようで、声が高くなる。
なんだかこっちが悪いことをしているようで居たたまれない気持ちになる。
「前の席順だと、多分……そうだと、」
対照して声が小さくなっていく私に、女の子は黒板まで小走りで向かうと、顔を真っ赤にして戻ってくる。
「スイマセン……」
「いや、席間違うなんて良くありますよ」
「あー……そのぉ……」
彼女はやけに煮え切らない様子で、目は宙を泳いでいる。
「?、どうかしました?」
「えっと、……私、隣のクラスでした……」
「嘘だっ!?」
消え入るそうな声の彼女の告白で今度は私の声が裏返った。少なくともその間違い方をする人間はそうはいない。いないはずだった、
「……」
「……」
気まずい沈黙が数秒続いた後、彼女はポツリポツリと話し出す。落ち着きを取り戻したのか、透明な美しい声だった。
「……えと、最初は自分のクラスで席確認したんですよ……」
「はい」
「そのあとトイレの場所確認しようと思って……鞄ごと持ってっちゃってて」
「あー、大事ですよね、確認するのは」
「でも戻ってきたときに教室ひとつ間違えちゃって……気づかなくて、その、えっと、スイマセン」
「いや、謝らなくても……よくあることですよ、教室一つくらいは」
ないよ。何言ってるんだ自分。しかし私の言葉が、渡りに船となったようで、申し訳なさげな彼女の表情が、少しだけ華やいだ。本当に、綺麗で、整った顔立ちだった。
「あっ!ですよね!ありますよね!」
「あ、え、えぇ、まぁ」
肯定も否定もできず、気持ち悪い挙動で狼狽える私を見てか、或いは静かな教室の中でやけに響く自分の声に気づいてか、はたまた十人弱から向けられた好奇と怪奇の眼差しに当てられてか。
彼女は少し目を見開くと、自分の置かれた芳しくない状態を理解した。薄紅色の頬が見る間に上気していく。
「……あ、私何わけのわからないことをっ!?、すいませんっ!さようならっ!」
なおも彼女を見る他ない私にそう言い残すと、彼女は逃げるように教室を後にする。周囲の刺さるような視線やざわつきの冷め切らぬ中、面白い子もいるもんだな、などと思案しながら私はようやく席に着いた。人が座っていた後、というのは温もりが変に残っていて、変な心地だ。
しかし、席に着いたところで普段話している咲良や晴香がいるわけでもなく、かと言って私の周りの席は依然空席である。わざわざ他の席に出向いて話かけれるほど私はオープンな性格でもない。晴香であれば、できるのかもしれないが。
―――本でも読もうか
そう思い立った私は、下に置いた鞄に目線を落としたところで、机の中に何かがあることに気づく。
―――手袋?
そこには彼女の置き土産よろしく、モコモコの黒い手袋が入れっぱなしになっている。おそらく彼女の持ち物に間違いはないのだが、思えば彼女の名前なども聞いておらず、私は手袋に記名がないかを確認しようと机から出す。
その手袋は極めて普通の手袋で、ただ、人差し指の所の毛糸が解れて少し型が崩れてしまっており、それを直そうと努力した跡も見られた。私はそれを認めると、手袋を裏地に返して再び記名を探す。
すると、タグの所に文字らしいものを見つけ、私は思わずそれを読み上げてしまっていた。
「『ふしみことは』?」
―――そう、こんな些細なことがすべての始まりだった―――
最後まで読んで下さりましてありがとうございます!
後書きだけ読んでやろうという方(そんな方いるのか……)もありがとうございます!
プロローグと銘打った一作目ですが、如何だったでしょうか?
キーワードを見て来ていただいた方は、何もグロくないじゃん、とがっかりしてしまったかもしれません。
今後の展開で、キーワードに相応になっていくはずです。
そして、この青二才に感想、アドバイス、批評などをしていただける慈悲深い方がいらっしゃれば感激の極みです。
それでは今回はこの辺で。