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女王の涙  作者: ロースト
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2.12 名の無証明




「――リオード。僕の話を、聞いてくれるかい」

 夜会の終わった夜に突然訪れた友人はペンを走らせるリオードに関係なく執務室を一人優雅なお茶会にしたあげく、愚痴る。そうかと思えば、さも憂鬱そうに昔語りと称した“夢”を話し始めたのだ。



「……あいかわらず、名前。わかんないのか」

 ひとまずペンを置く、ということをやっていたらどれだけの時間拘束されるかわからないのはこれまでの経験からわかっていた。だからこそリオードはひたすらカリカリとペンを白い紙を文字で埋め尽くすのに思考を傾けながらディディカの話にも頷きかける。

 ディディカもそれでいいと思っているようで、文句を言う事もなく、話の語り口を切り替える事もなく当然の如く対応する。

「……そうだね。記憶は思い出すのに、それだけがわからないなんて、記憶が欠落しているというより、封印されているか、」

「存在しないものとなったか、か。そんなことがありえるのか?」

ただ、今夜だけは二人の様子が違っていた。

 リオードは執務をしつつ、先ほどの夜会での出来事――ディディカを訪ねてきた“父親”の存在に動揺し、どのような会話が為されたのかと心配をし、ディディカはリオードが発した一言に酷く動揺していた。ディディカの言葉を引き継ぐように放った言葉はディディカの認めたくない、しかし否定も出来ない言葉だった。


 彼女の存在がなくなった。

(それが嬉しいものかっ!)

 いいや、それどころか存在しなくなった彼女を覚え、彼女に影響され続けた“レギナ”とはどうなったのか。その存在さえも“なかったもの”となってしまったのか。


「そんな……僕には!――っ何もなかった事にするなんてできない」

 それは恨み言であり、願いだ。最初から何もなければよかった、それならばこのようなことをする必要もなかった。あるいは、何かが違っていたならば。

 しかし、そんなIFを考えるなど、おこがましい。現実に起こっていないことを想起して現在に烙印を押す。それは“ディディカ”を否定するだけでなく、リオードの友情までも否定する行為だ。

「ディディカ……」

 心配げに寄せられた眉根が切ない。

 もし、エレナがいなければ。あの世界は、この世界はどうなっていただろう。

 もし、エレナとレギナが出会わなければ、この世界は、ディディカはどうなっていただろう。

 ディディカにはわからない。あの二年前の日、“レギナ”を思い出してから、ディディカは自分というのが分からない。ディディカという存在は何なのか。

 もしかしたらディディカとは単なるレギナの記憶保持者で、魂が同じだけの、全く別人であったかもしれない。もしかしたらディディカはレギナとして意志を持ち生まれ出た後に記憶が失われていたのかもしれない。――今のディディカにそれを知る術はない。

 ただ、エレナの存在を排除しない限りはディディカはその影に影響され続けるということだけがわかっている。だから戦うのだ。だから決めたのだ、エレナを討つ、と。


「前から、不思議だったんだが、ならなんでお前は男なんだ?」

「え?」

 唐突な質問に思考が霧散する。なんと言われたかも理解しないままで聞き返す。


「いや、ほら。淫魔の特性があるだろ。女としての記憶があるし、そのことも忘れられないならなんで女にならないのかって思って」

 ああ、そのことか。とディディカは感慨を受けるでもなく答える。

「――単純に、力があるからだよ。誰かに襲われてもまったく抵抗の出来ないようなひ弱な身体で居る事に抵抗があるというのかな」

「お、おそわれっ!?」

 リオードは顔を赤くしたり青くしたりと表情の変化に忙しい。だが当人のディディカは実にノンビリとしたものだ。


「うん。以前が不意打ちで刺されて死んだっていうのがやっぱりトラウマというか」

(ああ、そっちか……)

 落ち着くために口元にコップをあて、傾ける。じんわり、アルコールがリオードの喉の渇きを潤す。聞く所によると、ディディカの持つ前世の記憶――レギナという人物はそれなりに壮絶な過去を持っていた。両親はなく、何かに追われる様に移動し続ける日々。とうとう力尽きた祖母はレギナを置いて一人逝く。その後のレギナは引き取られた孤児院で糊口をやり過ごすため様々なことに着手するが親友――××が貴族に引き取られる段になって館へと召し上げられた。そこで受けたのは身分差とイジメの奨励だった。しかもその人生の終わりは短く、嫉妬に駆られた親友××に刺し殺された挙句、屋敷ごと炎に炙られるという非業の死を遂げているのだ。トラウマにもなろう。己を殺した女が平然と自分の恋人として横にいたのだ。

「夜を共に過ごしてくれる人が居るならば女の身でいてもいいんだけどさ」

「ぶっ!!」

 とんでもない言葉と共に流し目で見られてリオードは噴出す。

「うっわ、汚。何やってるんだよ、大丈夫?」

 言葉は辛らつながらも首を傾げて心配する様子はなんとも色っぽく、美しい。

 けれど、それに釣られるリオードではない。でなければ見てるだけで人の心をかき乱すような神の体現と等しき美貌を持ちえるディディカの友人などやってられない。

「リオードは初心だよね。僕が何とかしてあげなきゃって思いに駆られる前に何とかしといた方がいいよ」

「……お前は常識ないくせに結構はっちゃけてるよな」

 溜め息をつきたい気持ちでそれだけを零した。社会に出て二年、常識を知って二年。それより前は書物で情報を知りえた。風の属性との親和性が高いために風の精霊や小鳥たちの話を聞き知る事もあったがごくわずかばかりの恩恵であった。基本的にディディカは様々な事に疎く、表面的にしか知りえない。

 恋愛事情に関しても、妖しい知識にしても、表面的で知識的な情報しか知らない。だからか、臆面もなくディディカは言葉を口に出す。

「――ん……そうだね、あんまり気にしてない。淫魔は性に奔放なところがあるというからそれかもしれないね。もしくは、以前が女だったからこそあんまり壁を感じてないのかな」


「俺はお前が心配になるよ……」

 まったくわかっていないディディカにリオードは頭が痛くなるようだった。

 そんな様子をディディカもまた苦笑して見ている。

「リオード」



 それは何かを言おうとして、何もいえなかった、その残滓だ。

 苦笑から、仮面のような微笑へと変わるのはそう、難しい事ではない。


「もう寝るよ、おやすみ」

 ディディカは何も言うことなく、それ以上悩む事さえなく、闇を振り払う強さで暫しの別れを告げた。


 17という年齢は人間ではまだ成人と呼べるものではない。だが、逆にこの位の時期から21歳の成人までが結婚の適齢期である。しかし彼は社交シーズンに乗り遅れた。めぼしい相手方もなく毎日が鬱々と変わらない。日中でも薄暗い塔の中に一人留まっている。――正確には去年の社交シーズンだけでなく、過去一度も人々と知り合う機会が芽生えていない。そしてこれからも変わることなく、誰とも面会かなわず静かな城に過ごすのだろう。

 幼い頃からの賢すぎる頭脳は一人の寂しさを感じても恨みはない。怒りよりも先に諦念が浮かぶ。これが幸せなのだと妥協しているのかもしれない。生きて、何も知らないままに死んでいく。ここは墓場だ。生まれた時から青年は墓場にいる。

(だが、運命は変わった。あの日、あの時から)

 あの日の孤独な青年はもう何処にもいない。ここにいるのは、――ただ破壊と、復讐を願う復活者(アン・リビデッド)。自らを堕落した女を追いかける亡霊。それが、ディディカ・クロック。元、異世界の旅人レギナ・ウルファルド。

「恋なんて……できるわけがない」

 夜の隙間に呟いた。





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