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女王の涙  作者: ロースト
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2.11 絆の風化




「……なぜ、時間をお買いに?父上」

 最初にじょうほうを散らつかせた客人には丁寧に払い下げし、それでも猶食い下がってきた折にはDの専売特許、ゲームで情報と身を賭けた。結果的にD――ディディカは勝ち、客人には引き下がってもらって改めてこの人物との商談を進めた。

「――改めて話す時間が欲しかった、というだけのことだ」

「話すことなど」

「お前の成人式典のことだ」

 商談の最中に割り入っただけのことはあり、既にディディカは対価を得、それに満足している。それは魔領と人の地とを隔てる空白地帯――広大なカオス領域の砂漠帯にある広い泉のことだった。そこにはディディカも水の神の居所として考えていたところでもある。

 情報の価値は高い。対して、ディディカが払うのは一時間。安い。内容は対談の時間らしいことはその態度からわかっていた。

「お答えするつもりはありませんよ、公爵」

 この世界は人の地と魔領とで分かれている。どちらも統一国家だ。魔領が四公が納める地と魔王の居城で成り立つのに対し、こちらは二代公爵含む十貴族が統治する。他の都市にも大きい場所はあるが、それは貴族以下の平民から統治される属地で構成される。ディディカはその中で小さな港町を貸与されたがそれはその他多く、の土地の一つでしかない。伯爵の位についたところで、ディディカは平民上がり。孤児、出生も分からない。そうなっている。

「いつまでも子供でいられると思うなよ」

「ウェルス卿」

 強く、名を呼ぶ。だがディディカは口に出来なかった。――“私はあなたの子ではない”――そのたった一言を。



「私は、公爵と何の関係もございません」

 硬い表情でディディカはそれだけを紡ぐ。

 目上の者への物言いとしては適切ではない。そんなことは分かりきっていた。ウェルスの主張を受け入れたとしてもこの言葉は寛容にはできない。頭では理解している。けれど、今のディディカにはそれ以外の何の答えも出てきそうには無かった。

 そんなディディカの様子をどう見たのか、ウェルスはただ嘆息する。

「……私も老い先短い。後継者がほしくなったのだよ」

 疲れたような声音は以前直接会った時とは確かに違う。二年前、初めてリオードが夜会を開いた折、この男は同じようにディディカの前に現れ、決別の言葉を放ったのだ。「認められぬ」――その言葉はバターに切り込まれたナイフのようにディディカの心を裂いた。

 幼き日より孤独を内に抱え込んだ彼はエレナと出会うことで世の中の理不尽を受け入れた気でいた。自らに受ける処遇はその出自のためと心に自制を聞かせてきた。だがあの日、あの二年前、全てを知った。――ディディカの心はエレナによって平穏を保たれていたのが、あの日の彼女に粉々に砕かれた。燃える塔が溶け出すのと同じく、ディディカの世界を憎む心も激しく熱を発していた。熱く、暗く、重々しい復讐の炎。

 それはこの男に会うことで正確に世界へと向けられたように思う。

「養子、ですか」

 実に感慨の無い声でディディカは言った。そこに込められた感情も意味もない。

 傷ついた心と体を抱えてこの場にいた二年前なら欲した言葉だった。家族という絆がもう一度この世界へと彼の心を繋ぎとめたかもしれない。けれど、その繋がりは目前で断ち切られた。幽閉により緩んでいた家族の糸はあの日にぷっつりと途切れ、今はもう、跡形も無く風化してしまっている。

「いいや、実子だよ」

 茶番だった。こんなやり取りは時間の無駄でしかない。瞬時に脳がたたき出す答え――不要。ただ消耗して行くばかりの時間にディディカは手慰みの仕事を始める。

 無造作に置かれていた書類を手に取り、目を走らせる。

 こんな態度は勿論、誰に対しても失礼だ。だが叱責にも値しない行動らしい。ウェルスはその行動を具に見るのみで、注意も注視もせず、ただ黙々と座っている。これ以上、何かを切り出すこともなく、ただディディカの返答を待つような姿勢を見せている。

 だが、実子だからどうだというのか。血の繋がりを認められたところで、“今更”だ。ディディカは既にそれを必要としていない。目的はただ一つ、エレナ。

 エレナを討つ――そのためにはそれなりの地位があった方が動きやすい。だが、その地位もディディカは己の力のみで手に入れた。それ以上の価値は地位になく、ただ家族としての愛情を求めた時期も過ぎ去った。仮にそれを求めたとして、この男はディディカに与える事も出来ない。愛、家族愛、親愛――それは執着だった。この世への、この世界への、ディディカとして生きるために必要なもの。

 だが、今のディディカは……

「パーティーには参加させてもらいます。しかし、この論は本日に於いては平行線をたどるしかないようですね。――また、日を改めて」

 冷たく言い放ったディディカにウェルスは立ち上がった。


「決断は意志に関係なく迫る」


 余計な一言を残していったウェルスに、頭に入らない書類を放って窓の外を見た。枠に縁取られた窓は光を浴びて室内に格子状に影を伸ばす。それが何処か牢獄のようにも感じて、心休まるはずのリオードの家が今夜ばかりはディディカの幼い頃の記憶を刺激する。


「……わかっていますよ、父上」

 自分が一番痛感している。時間はそう、多く残されていない。

 ディディカは立ち上がった。




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