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女王の涙  作者: ロースト
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2.6 対価、代償、けれど想い



 だから、“王”を集める彼女に先立って、対立するように、“神”の力に触れた。

 今や、二年前に手に入れた火の魔神とこの春、芽吹いた生命の一つ一つに灯る地の魔神を手に入れた。火と地、そして二つに付属する天と空間もディディカが支配する。属性の使用権限はすべて神に統括されているため、力を司り力の塊となる存在である王も、力を扱う権利を剥離するとそのものの存在を消滅させるに等しい。だからこその神。そして、だからこそ、ディディカは自らを代償に神と契約を交わしてゆく。



「地の属性には手を焼かされてるのか」


 気遣いの多く入り混じったリオードの瞳が見つめるのはディディカの腕だった。

 その腕が動く姿を一度たりとも彼は見たことがない。二年前、簪を片手に火の神と契約した。その時、肉は剥れて溶け落ち、白い骨が覗いた手指。それはもう二度と元には戻らず、その時からずっと、ディディカは手袋を嵌めて過ごしている。骨のまま、神経も無くなった手は格好だけただ人と同じくしている。そして契約印を刻み込んだ喉は夜になれば熱を発して炎はその身を内側から焼く。掻き毟られた首筋の跡は朝には消えて身体に馴染むが毎夜に訪れる激痛だけは過ぎ去らず、幻痛でもない紛れもない現実だ。


「さすがに、この間の今日だからね」

 先日の春一番に合わせて手に入れた地の神。その契約印は胸元に記された。代償は足だ。足の付け根からの痺れは知らせも無く唐突にディディカを痛みの狭間へと突き落とす。

 彼の足が捥がれる事は無かった。しかしそれと同じ痛みがディディカを襲う。いや、実際には一度捥がれたのだ。地の魔神はディディカの足を捥取り、再び復元した。それが幾度無く、時と場合も関係なく、繰り返される。


「大丈夫なのか」

 再び、気遣いの言葉が繰り返される。そんな言葉に疑り深いと思うと同時、自分がどれだけ無茶をしてきたかを振り返る。無茶、と分かっていて、それでもディディカは無茶をやめない。無茶をしなければ、何も出来ない。力を手に入れるためには努力も時間も必要だが、その時間は限られている。だから無茶でも何でもディディカは無理をする。時間は掛けられない。



「ああ。予定通り――今宵、開いてくれ。“夜会”を」

 ディディカはいつも通り、いつも通りの笑顔で頼みごとをした。しかしリオードはそのことに不機嫌になったようだった。眉を寄せ、若い顔に皺を作り出す。けれど、否定的な言葉はディディカの耳には入ってこなかった。代わりに、渋々ながら低い声で返答がある。

「……客は既に入ってきている。もう、昼だからな」


 視線をディディカの顔から逸らして、前に向けて。

 それがリオードなりの優しさでもあった。ディディカの笑顔は強固な壁だ。障壁だ。無茶をして無理をして、それでも前に進み続けるディディカに笑顔を作る、弱音を見せないという労力をさせてしまった。だから、視線を外し、否定せず、了承と事実だけを話した。


 リオードはディディカの友人である。それでも互いに爵位を持ち、立派に一人で立っている。開けっぴろげに何でもかんでも素直になれるわけではない。リオードはディディカのことが好きだし、尊敬もしている。友人と思うし、その好きには恋愛感情だって少しばかり混ざっている。だが、リオードはディディカを切り捨てられる。ディディカもまた、リオードを切り捨てられる。共に、そんなことは出来る限りしたくない、回避したい出来事だとは思っている。

 しかし、リオードは領地を、家を、国を捨てることはできない。己の家族、信頼してくれる民、共に笑いあったとも、尊敬する王族。そんな彼らに背を向けてディディカだけを選び取る事はリオードには出来ない。そしてディディカもまた、己の復讐とリオードならば復讐を……エレナを取る。



「あ、あのっ!!」





 全身に痺れが走った。

 電気でも流されたように目の前が白く染まる。思考は空白になり、息さえも忘れた。ただ、白の景色でより白く、けれど最も色付いたその存在に一目惚れという言葉だけがぽっかり浮かぶ。

 真っ白な存在が唇を動かし冷たくも見える顔に笑顔という表情を浮かべるとそれは温かく柔らかな色に染まった。まるで雪解けに春の予兆が花開く、そんな儚く可憐な笑み。息を浮き返したのは眠りについていた草花でなく、自分だった。


「何か?」

 その言葉は氷の戒めから解き放つ魔法の言葉だ。凍てつく氷を溶かしつくす熱さを胸に含ませる。だからこそ、胸を焦がす思いのままに言葉を紡ぐ。

「名前を……名前をお聞かせ願えませんか、御方」

 礼儀も形式も無く、ただ思いをぶつけるがごとくに願う。その存在を知りたい。自分を知ってもらおうなどという考えには及ばない。そこに至る前に麻痺した思考は玩具を強請る子ども揺するほどのものでしかない。常識も身分も考えず、ただ求める。それほどに、止められない想いがそこにあった。


 シュロム伯爵。それを父から受け継いで何十年、ただ平穏なだけの領地に心は乾燥して行くばかり、妻も子もいてもシュロムに何かを与えた事はない。家庭で心が休まるなど、そんなものは感じることさえない。所詮は家同士の結びつき、互いに興味を持たず、一体いつ以来顔をあわせていないかも分からないような生活。ただ仕事をこなす。それもたいていが書類処理。心が震えることは日々の生活にない。

(ああ、しかし……)

 今日この日、この場に居合わせたことに心からの感謝を。

 ザハルト公爵の次を担うリオード・ザハルト。彼は数年前に成人を向かえこの西領を治める若き領主として社交の場にも姿を現すようになった。そんな彼の開く“夜会”は一部で人気があった。ちょうど二年ほど前から始まったその夜会に今回、シュロムは初めて呼ばれた。そこで見えた女神。……いや、男性なのか。

 その服装は至って平凡。贅の限りをつくされたと思える過剰なほどの装飾で飾り付けられた貴族ではない。簡素で質素よりもただ疲弊ばかりを感じさせる平民の服でもない。落ち着きのある深い色の上着、真新しい白のシャツ。間にはベストでも着込んでいるのか。首元にはタイが巻かれて、一般的な紳士の服装だ。逆に言ってしまえば特徴がない故にどんな身分の者かも外観だけでは分かりえない。それは爵位として決して低くはない立場にいるシュロムでさえも自ら話しかけられないような存在かもしれない。その神々しい容姿は一度見たら二度と忘れないものだろうがために、過去に公式の場で見えたことがないとわかる。――他国の貴族か、もしくは隠された御子か。

 それでも構わなかった。親しくなろうなどとは高望みに過ぎ、ただ人物を知ると言う事だけで充分だった。何の取り得も邁進も持ち得ないシュロムが彼の眼に止まる事はないとわかりきっている。シュロムはその美しさに目を奪われ、後先も考えずに話しかけていた。それだけで充分だ。腐りきった日常の中の、ただ一つ心を潤すことの出来る記憶さえあればいい。その名を知り、口ずさむ事で明確に脳裏に刻まれるだろう、その姿。

(ああ、美しい……)

 半ば、思考も型作らないようなシュロムはただ見つめ続ける。

 白銀の雪原にも冷たく、青い炎のようにも熱いその姿を目に焼き付ける。


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