わざと捕まるアンダーと心配するオイラー (3)
……アンダーがまだ帰ってこない。
オイラーは不安に包まれていた。
もうとにかく夜も眠れそうにないほどの不安を抱えている。しかし彼以外に友はいないためそれを誰かに相談することはできないままで。起きていても眠っていても、訓練で息が乱れている時でさえ、アンダーのことを心配し続けてしまう。
生きているのかどうかさえ分からないまま。
一日、また一日、時が流れてゆく――その間、アンダーに関する情報は少しも耳に入ってこない。
最悪の展開は想像したくない。
唯一の友人の身に悪いことが起こる、なんて、単なる想像だとしても思考の線で触れたくはない。
なのでそれに関しては取り敢えずずっと見て見ぬふりをしている。
ただ、早く帰ってきてほしいという思いに偽りも変化もない。
夜になるたび今日こそアンダーがひょっこり帰ってくるのではないかと期待するオイラーだが、なんだかんだで結局期待通りの展開となることはなく、アンダーは戻らないままでまた新しい朝が来る。
ある時、オイラーはふと思い立って、一度上司にそのことについて質問してみた。アンダーはいつ戻ってくる予定なのか、と。
だが上司はまともな答えを述べることはできなかった。
……いや、正しく言えば、その人はオイラーを納得させるだけの答えを持っていなかったということなのだろう。
さらに上司は「関係ない者には詳しく話せない」などと言い出した。
そうやってごまかされ、話は終わってしまった。
勇気を出して尋ねてみたオイラーだったが納得できるような答えは貰えないまま話が終了してしまったのだった。
基地内の安全な食堂でパンを食べている時でさえ前向きな気持ちにはなれないオイラー。
独り、何度も願った。
――この世界に神がいるなら、アンダーを早く返してほしい。
アンダーがいなくなって気づいた。
自分にとって彼はとても大切な存在なのだと。必要不可欠な人なのだと。
「……無事帰ってきてくれ。ずっと待っているから」
誰もいない自室で一人そんなことをぽつりと呟くオイラーであった。
◆
捕まってから数日。
あれ以来拘束されたままのアンダーは精神的にも肉体的にも徐々に追い込まれつつある。
乱暴者の寄せ集めとも言える男たちは、当然ながら、運良く捕まえることに成功した正規軍所属の人間を丁寧に扱うことはしなかった。彼らは溜まっていた鬱憤を発散させるかのようにアンダーに暴力という刃を向ける。殴り、蹴り、棒で叩き。しかしそれでいて死なない程度に収めているところもまた悪質だ。
アンダーとしても、想定していたより長い拘束生活となっている。
人間とはなんだかんだで強い生き物である。なのでそう易々と死にはしない。厳しい環境で育ってきた者ならなおさら。ただ、生存できているからといって苦痛を感じていないわけではない。
「よぉ、元気かァ?」
「……うっぜ」
「はぁァん!? 生意気だなァ!? 水持ってきてやったのによォ」
「……うるせぇ、こっちは疲れてんだよ」
現れた男は口もとににやりと笑みを浮かべると瓶の蓋を開けてその中身をアンダーの顔辺りに投げつけるようにかけた。
前髪や顔面が水で濡れる。
「ほらよォ、飲めよォ」
「……はいはい」
「美味いかァ?」
「ふん。ま、そだな」
アンダーは唇についた水滴を舌でぺろりと舐め取った。
「もっと飲みたいだろォ?」
男はにやにやしながら言うがアンダーは黙って視線を逸らすだけ。
無反応なアンダーを見て男は面白くなさそうな顔をした、が、すぐに「素直になれェい、喉乾いてんだろ?」と続けた。アンダーは何も返さないままだがほんの少し視線だけ男の方へと戻す。すると男は少しばかり嬉しそうな目をし「飲ませてやるからさ。ほら、さっさと口開けよォ?」と声をかけた。それから男は数歩前へ進み吊るされたままのアンダーに近づく。そして水が入った瓶の口をアンダーの口もとへと接近させた。
「飲まないのかァ?」
「……毒入ってんじゃねーだろーな」
「殺人犯みたいに言うなよォ」
「そだな。さすがにそれはねーか。ま、殺しちゃもー楽しめねーもんな」
アンダーは、渋々、というような様子で瓶から水を受け取る。一気に口腔内に流れ込んだ水を強く呑み込んだ。一瞬むせそうになったものの咳込むまでは至らず。口腔内の水を完全に呑み込んだ後、数回だけぱちぱちとまばたきした。
「美味いかァ?」
「水に美味いも美味くないもねーだろ」
「コラ! 素直に答えろォ!」
「……はー、めんどくせ」
アンダーが一つ溜め息をつく――ちょうどそのタイミングで、慌てた様子の若い男が走ってくる。
「先輩! 敵襲っす!」
若い男は青ざめながら状況を伝えた。
「何ィ!?」
それを聞いた先ほどまでアンダーと喋っていた男は目を見開く。
「ぐ、軍が! 来たんす! 多分すけど!」
「な……嘘だろォ!?」
「ここがばれたっす!」
「んな馬鹿なァ!?」
「と、とにかく、先輩にも一緒に来てほしいんす! 何とか抵抗して、一人でも多く逃がさなくてはならないっす!」
男は瓶を投げ捨てて、若い男と共に走り出す。
両手首を縄で縛られ吊るされているアンダーはそのままの状態で放置された。
――ようやくこの時が。
アンダーは薄暗い空間で一人になるや否やほんの僅かに口角を持ち上げた。
意識的に作った表情ではなかったかもしれない。
何が起きたかを察して生まれた感情がほぼ無意識のうちにその表情を作ったのだろう。
「お疲れさまでした」
あの後少しして、正規軍の人間がアンダーのもとへもやって来た。
そしてその人間が縄をほどいてくれて。
おかげでアンダーは無事四肢の自由を取り戻したのだった。
「では救護班のところまで案内しますね」
「や、要らねぇ」
「なんと!? し、しかし……負傷なさっている、の、では……」
「ほっときゃ治る」
長い時間掲げることを強要されていたせいか、手の先には微かに痺れるような気持ちの悪い感覚が残っている。
アンダーは片方の手で何度か逆の手首辺りを擦るという動作を繰り返していたがそれはその違和感を拭おうとしての動作であった。
「じゃ、帰るわ」
やがてアンダーは走り出す。基地へ戻る道を行くのだ。彼にはまだ自力で基地へ戻る力が残っていた。
事実、捕まっている間に受けた暴行によって身体中に傷を負ってはいるが、足が動かないほどの重傷ではない。
◆
「ああ、アン! 良かった! 生きて帰ってきてくれてありがとう!」
基地へ戻ったアンダーを一番に迎えたのはオイラーだった。
ずっと友の身を案じていた高貴な人は、帰ってきた彼を目にするや否や、加減など一切なしの力強さで目の前の男を抱き締める。
「おいおい強すぎんだろ!」
突然強く抱き締められたアンダーは意味不明な状況に戸惑いながらも鋭い突っ込みを放つ。
「放せ!」
「生きていて良かった……本当に……」
しかしなかなか解放してはもらえず。
「痛い痛い! 放せっつってんだろ、いつまでんなことしてんだ!」
アンダーは骨まで軋むような抱き締められ方をされ続ける。
「マジでいーかげんにしろよ!」
やがて苛立ったアンダーが身体を振るようにして抵抗、それでようやくオイラーはアンダーから身を離した。
「ったく、男相手にベタベタしてんじゃねーぞ」
「すまない……そのようなつもりはなかった……私はただ、君に、こうしてまた会えたことが嬉しくて……」
しゅんとしたオイラーは小さくなる。
「だとしても抱き締める必要ねーだろ」
「感情が溢れてしまった……」
色々なことがあったが、こうして、二人は生きて再会できたのだった。
「アン。傷ついているようだが何をされたんだ?」
「ま、色々、だな。べつにアンタに話すほどのことじゃねーよ」
「この後医務室へ行くか?」
「行かねーな、んなとこ」
「だが負傷しているのだろう? ならば行くべきだ。きちんと治療してもらった方が良いと私は思う」
また一つ、苦難は去った。
日常へと戻ってゆく。




