山歩き訓練でめちゃ手がかかる殿下 (3)
「幼い頃は、屋外で眠る日が来るとは思わなかった」
眠りにつく直前。
オイラーは真っ黒な夜空を見上げながら呟いた。
「嫌ならやめれば?」
「い、いや、そうでなく」
国王の子、それも第一子としてこの世に生を受けたオイラーは、エイヴェルンの未来として大切に護られ育てられてきた。それこそ、他のどんなものよりも重要で国として失ってはならないもの、というように。
それは恵まれたことではあったのだろう。
周囲の者たちに護られていれば苦痛や災難に遭遇することは大幅に減るのだから。
誰かが用意してくれた部屋で、誰かが火をつけた暖炉の前で、良質な毛布にくるまっていればいい――そうすればどんな寒い冬も簡単に乗り越えられるというものだ。
「未来とは分からないものだな、と思ったんだ」
けれどもそれだけでは得られないものもあるのだとオイラーは知っている。
「だが今はこうしていられることを嬉しく思う」
「そ?」
「どんな時でもこうして寄り添ってくれる友がいる――それだけで良いのだと、それだけで人は幸せを感じられるのだと、ここへ来て学ぶことができた」
――ありがとう、アン。
オイラーは素直な想いを言葉に乗せた。
「君に出会えて、本当に良かった」
思いの外真っ直ぐに感謝を述べられたアンダーは目を見開き一瞬だけ動揺しているような顔をした。が、それがオイラーの目に入ることはなかった。礼を言われると思っていなかったアンダーは戸惑って、何か言葉を返そうとするけれどすぐには返せなくて。十数秒ほどの間の後にようやく口が動いて、恥じらいの中で愚痴でも言うかのように「くだらねーな」と小さく発したのだけれど、その時には既にオイラーは眠りについていた。
「はは、もう寝てんのかよ」
アンダーの呟きは夜の静寂に消えた。
朝が来た。
木々の隙間を埋めるようにもやが出ている。
「はー、寝た寝た」
もぞもぞと起き上がるアンダー。
背伸びをする彼の様子はいつもの朝と何ら変わりない。
「おい、オイラー、起きろ!」
「ん、う……」
「出発準備すんぞ!」
「ちょ、っと……あと、五分、だけ……」
「アホ! 遅れてんだ! んな暇ねーんだよ!」
オイラーは深く眠ってしまっていて、それゆえ、すぐに起きることができなかった。だがアンダーにしつこく声掛けをしてもらったおかげで何とか起き上がることに成功したのだった。
「すっ、すまない! 早く起きて歩き出さなくてはならなかったというのに!」
「そだろ? いーからさっさと準備しな」
「あ、ああ! すぐに準備する! 待っていてくれ、置いていかないでくれ、アン!」
「はいはい。騒ぐな。言われねーでも待ってんだろが」
そうして二人の二日目が始まる。
昨日はかなり踏んだり蹴ったりであったが、今日は順調に進み、無事基地へと戻ることができた。
「殿下! ご無事で何より! ああ……! 道に迷われているのではと心配しておりましたので、無事お戻りになられて良かったです……!」
一泊二日、何とか訓練を乗り越えたオイラーを迎える者の中には、そんな風に大袈裟に王子の帰還を喜ぶ者もいた。
だがオイラーは知っている。
そういう人間は大抵王家の権力を利用しようと考えている者であると。
「途中私がうっかりやらかして怪我をさせてしまい……すみませんが、彼の足を手当てしてやってください」
オイラーは帰還を歓迎してくれた男性にそう頼む、のだが。
「ああ、そやつなら放っておいて問題ありません。野生の鼠は怪我くらい自力で治しますからな。鼠に手当ては不要です」
男性はさらりとそんな言葉を返すだけで。
「ま、鼠も殿下のため負傷できたのですから光栄と思うべきでしょう」
それ以上協力しようとはしなかった。
地位のある自分には思いやりがあるように見える接し方をしてくれる人でも、アンダーのことになれば冷たくさらりとかわすのだ――まるで関わりたくないとでも暗に言っているかのように。
その差を感じるたび、オイラーは切なくなる。
人が見るのはその人の生まれた位だけだというのか。
それ以外のこと。
それ以上のこと。
そういったものへは少しも目を向けようとしない。
その現実を目にする時、自分へ向けられた気遣いや良い感情も所詮は自分が王の子であるから向けられているだけなのだと感じる――それがまた、何とも言えない気分を掻き立ててくるのである。
――と、そこへ、アンダーが口を挟んでくる。
「言ったろ、んなこと言ったって無駄だーって」
オイラーのほんの少し斜め後ろに立っていたアンダーがあまりにもさらりとそれが当たり前であるかのように言うものだから、オイラーはすぐには適切な言葉を紡げない。
「アン……」
そう呟くくらいのことしかできなかった。
「てかそもそも手当てとか求めてねーし」
「だが君は怪我を」
「んなもん自力で治せるっての」
強がりだろう! なんて言いそうになって、しかし呑み込むオイラー。
……そうだった、彼はずっとそうやって生きてきたしずっとそうやって生きるしかなかったんだ。
目を背けたいけれど確かにそこに在る冷たい現実を思い出した。
「お疲れー」
アンダーは軽さのある調子でそんなことを発しながらどこかへと歩いていってしまった。
その背を追いたかったオイラー、しかしすぐには対応できずそのうちに距離が離れてしまって。あっという間に置いていかれてしまった。色々言いたいことがあったはずなのに、それすら上手くは言えないまま、訓練は終了してしまう。
逞しくも小さな背中が遠ざかる。
アンダーは強い男だ。
身も心も。
そして、生まれ育った環境ゆえか、どんな逆境にも対応できるだけの能力を十分に有している。
(だが、時には辛いこともあるだろう……)
もしも本当に自分ではどうしようもない状況に陥ったら、彼はどうするつもりなのだろう?
オイラーはふとそんなことを考えた。
頼る人はいない。
頼る気もない。
平常時は問題ないのだろう。
だがそれでは、万が一誰かの力を借りなくては生き延びられないような状況に陥った場合、独り死んでゆくしかないではないか。
(いつかアンに頼れると思ってもらえるような人間になりたい。それが……今の私の、目標なんだ)
アンダーを一人孤独の中で死なせないために、自分には何ができるかを考えよう――そんなことを思うオイラーであった。




