お仕置き?
「アンダー、なぜ呼び出されたか分かるな?」
上官から基地のロビー付近へ呼び出されたアンダーは静かにかけられる圧力に反発するように目の前の男からぷいと顔を背ける。
「知らねーよ」
アンダーの呟きに、上官はカッとなった。
ぱぁん、と乾いた音が響く。
それは上官がアンダーの片頬を叩いた音だった。
だがアンダーは怯みはしない。
ただ自身の頬を叩いた目の前の男を無言で睨むだけである。
「何だ、その目は」
「話あんならさっさとしろよ」
「な、何だと!?」
「どーせまたいちゃもんつけんだろ? 前振りなげーんだよ、だりぃ」
かつて軍に連れられてきた頃のアンダーはこんなではなかった。
無造作に伸びた髪が特徴的だった彼は、基本的には大人しく、上官の指示に逆らうようなことはしなかった。
だがそれゆえに周りから見下されて。
周りより年下であったということもあるだろうが、彼は周囲の兵たちからよく虐められていた。
そんな彼はいつしか鎧を手に入れた。
ぶっきらぼうな口調。
常に鋭さのある目つき。
そして、近寄りがたさのある振る舞い。
いつからかそういったものを身につけたアンダーは、誰にも玩具にされなくなったがそれと同時に良い評判も失った。
だがそのくらいのことは彼自身分かっていただろう。
誰にも媚びない。
目上の者にも反発する。
そういう道を選ぶことは、虐められてきた自分を脱ぎ捨てることであると共に良い印象を投げ捨てることでもある。
ただ。
どのみち生きづらさはある。
ならばせめて虐げられない道を。
それがアンダーの選択だった。
もっとも、そのような道を選ぶことが許されたのは、彼の戦いの才能が圧倒的に優れたものであったからこそでもあるわけだが。
「ふざけるなよアンダー」
怒りに脳を支配された上官は近くにいた部下たちに命令してアンダーの腕を掴ませる。そしてそのまま地面に押さえつけさせた。アンダーは数人がかりで白色の床に押し付けられることとなる。
アンダーは身体を持ち上げるように抵抗するが、筋肉の塊のような大男複数人に押し潰されてしまうとさすがに抗いきれなかった。
男らが押さえ込んでいる間、上官は着用している厚手の手袋を整えていた。
「お仕置きする必要がありそうだ」
やがて男たちがアンダーをしっかり押さえ込むと、上官は右手を掲げ、そして一気に振り下ろす――大きな手のひらがアンダーの腰もとを叩いた。
男たちから笑いがこぼれる。
「いかに有能であろうが貴様は一生底辺なのだ」
それを忘れるな、と、上官は言い放つ。
「貴様はその生まれゆえ身も心も穢れている。そのような人間でありながら軍に籍を置かせてもらえているというだけで感謝すべきであろう」
それからも上官は何度もアンダーを叩いた。
着衣のままとはいえ、親が子どもにするような体罰が人前で繰り広げられている光景は明らかに異様なものである。
しかしそれを制止する者はいない。
押さえ込んでいる男たちも、付近で喋っている者たちも、通りすがりの女性職員でさえも、その露骨な体罰を止めようとはしていない。
ある兵士は壁にもたれかかるようにしながら同僚と一緒に体罰を眺め「ダッサぁ」と冗談めかした発言をするだけ。
また複数で通りかかった女性職員らは一対多で繰り広げられる暴力へちらりと目をやって「いい年して叩かれてるのはウケるわね」「かっこ悪すぎぃ」などと発して馬鹿にしたように嗤うだけだ。
「いい加減、それを理解しろ!」
上官が全力を込めて手を振り下ろし放った強烈な一発、その張りがアンダーの腰もとに命中した――ちょうどそのタイミングで、一人廊下を歩いてきていたオイラーが姿を現した。
すぐには状況を呑み込めず、ただ目を見開くことしかできないオイラー。
愕然とし言葉を失っていた彼は、数十秒ほどの沈黙の後にようやく口を開く。
「一体、何が……」
「おや殿下。どうされましたかな。何かご用で?」
直前まで容赦なくアンダーを叩いていた上官は襟を整えオイラーの方へ身体を向ける。
軍内の階級という意味ではオイラーはまだそれほど高位ではない。が、それでも彼は王の子だ。誰もがそれなりに敬意を持って接する。表向きには、特に。
「なぜアンダーがそのような目に遭わされているのですか?」
「殿下が気にかけられる必要はありません。ただの、教育、ですから」
にやりと笑う上官。
「……無理矢理押さえつけて臀部を何度も叩くのが、教育ですか?」
オイラーは怪訝な顔をして尋ねた。
途端に辺りから愉快がっているような雰囲気が消えた。熱されていた空気が一気に冷える。それと同時に上官の面から笑みが引いた。
「な、何を、急に」
「過剰な体罰はいかがなものかと思いますが」
「っ……」
「どうお考えでしょうか」
オイラーは国においては高貴な存在。しかしながら軍内においてはまだまだ大したことのない地位である。それでも、入隊からの期間と現在の階級を考えれば、比較的優遇されている方ではあるのだが。
そんな複雑な立場ゆえ、オイラーとしても思ったことをすべてそのまま言ってしまうことはできない。
だが痛めつけられる友を放っておくこともできず。
立場と己の心、その狭間で揺れ動く感情をどうにかコントロールしようと努め――その結果、このような言い方になったのである。
「ま、まぁ、もういい! ここまでとする! では殿下、これにて失礼させていただきます」
上官は部下を引き連れその場から逃げるように立ち去った。
「アン、大丈夫か」
地面に伏せさせられていたアンダーがむくりと身を起こすのを目にしたオイラーは、すぐにそちらへ向かい、片手を差し出す。
「……あぁ」
「立てるか?」
「あんま舐めんなよ」
「すまない……」
しゅんとしつつも穏やかな面持ちでいるオイラー。
その面には自分でも友を助けられたというある種の満足感のようなものが滲んでいる。
アンダーは差し出された手を取ることなく自力で立ち上がるとそのまま進行方向だけを見て歩き出す。オイラーは慌ててその背中を追いかけるように足を動かし始めた。
途中、馬鹿にしたようにくすと笑う声がして、アンダーは瞬間的にそちらへ鋭い視線を向ける。
笑ったのは女性職員だったのだが、刃のような男に睨まれればさすがにそれ以上悪意を乗せた笑いをこぼすことはできず、何事もなかったかのように目を逸らした。
さらなる騒ぎが起こらないように、と、オイラーは宥めるようにアンダーの両肩をぽんぽんと叩く。
「一旦部屋へ戻り、お茶でもしよう」
オイラーが発すれば。
「茶? んなもん要らねーよ」
アンダーは雑に返す。
だがその表情はふっと柔らかくなった。
直前までは凶器のようだった目つきも今は平常時のそれに戻っている。
「ではベッドでゴロゴロするでもいい」
「そりゃいーな」
ゆったりとした足取りで歩む二人の後ろ姿はどこか夫婦のよう。
オイラーが紳士的な振る舞いでアンダーの背に片手をそっと添えると、アンダーはその手をぱっと払い除ける――その様は彼らの付き合いが長いことを語っているかのようだ。
……もっとも、実際にはまだそれほど長い付き合いではないのだが。
二人はオイラーの部屋へと戻る。
オイラーの部屋に当たり前のようにアンダーがいるようになったのはいつからだったか。
恐らくどちらも覚えていないだろう。
それはとても自然な流れであった。
アンダーは元々牢屋のような狭い部屋を自室としていたが、オイラーと関わるようになってからは彼の傍にいる時間が増え、それに伴いオイラーの部屋に長時間滞在するようになった。
そして今ではほぼほぼルームメイト状態である。
「やわらけぇ」
「アンは相変わらずベッドが好きだな」
部屋へ帰るや否や、アンダーは勢いよくベッドに転がった。
「ん、好き」
「しかし寝る時は床というのが何とも……」
「寝んのはな。そっちのほーが慣れてんだ」
ベッドの上でうつ伏せになったアンダーは靴を放り捨ててから顔だけをオイラーの方へと向ける。
「災難だったな、アン。しかし……あのような体罰がまかり通っているとは驚いた。それも、人前で、とは」
「珍しーことじゃねーな」
「腰を痛めてはいないか?」
「だいじょーぶ」
いちいち尋ねるな面倒臭い、とでも言いたげなアンダーである。
「アンがあのようなことをされるのは出自ゆえだろうか?」
「そだな。ま、オレも大概よけーなこと言ってっから、しゃーねぇっちゃしゃーねぇんだけどな」
「だとすれば残念だ。人は出自だけで判断されるべきではないというのに。……何より、素晴らしい才能を持ち仕事の面でも活躍しているアンがその出によってあのような目に遭わされるというのは、可哀想だ」
オイラーに悪気はなかった。
当たり前だ。
彼は友を意図して傷つけるような人間ではない。
「小柄だからというのもあるのだろうか? なんにせよ、周りに正しく理解されず不当な扱いを受けているというのは可哀想過ぎる」
しかし、言葉というのは曖昧なもので、時に意図せぬ意味合いで他者へ届いてしまうこともあるものだ。
悪意なく繰り返される、可哀想、に、ベッドに寝転がっているアンダーの眉間がぴくりと動く。
「あんさぁ」
やがて彼は口を開いた。
「さっきから可哀想可哀想ってどーゆーつもりで言ってんだそれ」
低い声で発されて、オイラーは戸惑ったような顔をする。
本当に、欠片ほども、そんな風に受け取られるとは思っていなかったのだろう。
「アンタみてーな恵まれたやつに同情されても全然嬉しくねーんだよ」
「……も、もしや、怒っているのか?」
おろおろなってしまうオイラーを横目にアンダーは「気分わりぃ」とこぼしベッドから下りる。
「そーいうのマジやめろ」
靴を履いて、とんと踵を一度だけ鳴らした彼は、不快感の対象となっている男を一瞥した後そのまま部屋から出ていこうとする――オイラーは慌てて謝ろうとしたがもはや手遅れ――既にドアノブに手をかけていたアンダーはそのまま扉を開けて出ていってしまう。
一人ぽつんとその場に取り残されたオイラーはほぼ無意識で「怒らせてしまったか……」と独り言のようにこぼしながら片手の手のひらを額に当てた。
後悔が湧き上がる。
だが己の言動を今さら悔いたところで何の意味もない。
出ていった彼を追いかけたくて、しかし追いかけて捕まえようとしたら彼を余計に不快にさせてしまう気もして、ゆえにオイラーはその場に留まることしか選択できなかった。




