危険な任務についた元婚約者が帰ってきました~妊娠しないはずの『儀式』でできた子なのに即バレしました!?
グランツ公爵家領・サノーヴァの春は美しい。
屋敷から少し離れた花畑で、フィオリーナ・グランツは、せっせと花冠を編んでいた。三歳になったばかりの愛娘・ティアナが、フィオリーナの膝の上に陣取りながら、早く早くとせがむからだ。その指と手首には既に花飾りがついているというのに、全く強欲なことである。
「まーま、もっと!」
「はいはい。次のお花は何色がいい?」
「ぴんく! あ、そっちじゃないよ、こっちのきれいなの!」
だいぶ流暢に喋れるようになってきたのが嬉しいのか、ティアナはどんどん口数が増え、そのぶん注文も多くなってきた。公爵家総出で甘やかされているせいもあるのかもしれない。言われるがままに、色とりどりの花を、花冠に編み込んでいく。
爽やかな風が、頬を撫でる。
完成した花冠を、そっと、フィオリーナによく似たティアナの金の巻き毛に載せる。
「まーま、かわいい?」
「ええ、とってもかわいい。まーまの宝物」
フィオリーナがそう言って微笑むと、ティアナは短い手を頭の上に伸ばして花冠に触れ、満足そうにくふふと笑った。
赤子の時は泣くか笑うかの二択だったのに、随分と表情が豊かになったなと思う。護衛に見せびらかそうとでも言うのだろう、花飾りをつけたティアナが駆けていくのを見送りながら、フィオリーナはふとその年月の長さを思った。
三年。
そうか。ティアナが産まれてから、もう、三年も経ったのか。
公爵家の三女であるフィオリーナが父のない子を産むと決めたとき、フィオリーナは当然、公爵家から勘当されることも視野に入れていた。あるいは、『産まれた子は養子に出せ』と言われることを。
けれども、フィオリーナに甘い両親は、フィオリーナの証言を全面的に信じ、フィオリーナの妊娠と出産、そして子育てまで、全面的にサポートしてくれた。
幸い、サノーヴァは、王都からは離れた穀倉地帯だ。病を得たと言って領地に引っ込んでしまえば、フィオリーナのことなど誰も気にしない。そもそもこの国は、ここ三年はそれどころではなかった。結果として、フィオリーナは両親に守られながら、ただ子育てに注力することを許されたのだ。
護衛たちに得意げに花冠を見せるティアナを眺めながら、フィオリーナはふと目を眇める。
フィオリーナの三年間は、目まぐるしく、そして、幸福だった。
無事産まれたティアナはまさしく玉のような赤子で、沢山飲み沢山泣き少しだけ寝て、フィオリーナと乳母たちに随分手を焼かせたけれど、その苦労のすべてを帳消しにするぐらい、ただ可愛らしく愛しかった。
そう、すべてを帳消しにできるぐらい──そして、他のすべてを考える余裕を失わせるぐらいに。
けれども今、ティアナが歩き喋るようになり、フィオリーナにはこうして時間が出来た。
時間が出来てしまえば、意識は過去に吸い寄せられる。フィオリーナは、思い出さずにはいられなくなる。あの日のことを。
『公爵様にお伝えしたとおりです。……婚約を、解消させてください』
そうして思い出すたび、あのときの胸の痛みがまだフィオリーナの中にあることが、ただ思い出さないように封じこめていただけであることがわかる。
彼は──トラヴィス・ドランヴァール、フィオリーナの『元』婚約者は、困ったような顔でそう言った。フィオリーナは子どものように首を振った。フィオリーナはそれを受け入れられなかった。
だから。
「……フィオリーナ、様?」
そのとき、声が聞こえた。
振り向いて、最初に、フィオリーナは幻覚を見たのだと思った。トラヴィスのことを思うあまりに、ついに、幻覚を見るようになってしまったのだと。
けれども、護衛達が「何者だ!」「お嬢様に近づくな!」と警告しながら寄ってきたから、それが──彼が、現実に存在していることがわかった。
さらさらの黒髪の下、すこし目付きが悪く見えがちな金の瞳が、フィオリーナの姿を映して揺れている。
トラヴィスだ。本物の。フィオリーナは慌てて護衛たちを制した。
「やめて! 彼は……客人です、おそらく」
「そのような話は聞いておりませんが」
「わかっています。でも、……彼は、知人です。私の」
それより他に、彼のことをどう称していいのかわからなかった。
父はトラヴィスの申し入れを承諾したから、フィオリーナとトラヴィスの婚約は、とっくの昔に解消されている。となれば二人の関係は、『古い知人』より他に言いようがないだろう。護衛が警戒を解くのを確認し、改めてトラヴィスへと向かい合って、フィオリーナはこっそりと胸元を抑えた。
トラヴィスは、変わっていない──とは、とても言えない姿をしていた。
四年近い歳月が、あるいは、その間にトラヴィスが得た苦労が、その姿から見て取れるようだった。そもそも『美しい』より『精悍な』という表現のほうが似合っていた顔からは、若さの丸みが削ぎ落とされ、元々鍛えられていた体もまたすこし痩せたように見える。フィオリーナはどうにか唇を開いた。
「……お久しぶりです。まずは、……無事のお戻りを、お祝いさせて下さい」
「……知ってたんですか?」
「もちろん。王都では、三日三晩宴が続いたと聞きました」
きっかけは、四年前、王国の北にある『世界樹』が、数百年ぶりに『封印』から目覚めたことだった。
世界樹の周りから魔物が湧き出るようになり、北の農地では作物が育たなくなった。当然国は対応を迫られ、急遽『世界樹』を再封印するための部隊が結成された。
『竜騎士』のトラヴィスは、その部隊のメンバーに抜擢された。
そもそも『竜騎士』という存在が、こうした国家的危機のためにこそ存在していたとも言える。『竜の鱗』をその身に宿した、膂力においても魔力においても、通常の人間とは一線を画す存在。彼は当たり前に任務を受け入れ、『世界樹』に向けて旅立っていった。
部隊との連絡は、一年目の終わりで途絶えた。
部隊の再編成と再派遣が叫ばれる中、二年目に『世界樹』が再び眠りについた。部隊は役目を果たしたのだ。人々は胸を撫で下ろし──けれども、派遣された部隊は、一向に戻ってこなかった。
三年目、国家によって彼らは『名誉の死』と見做されることになり、大々的に国葬が執り行われることになった。追悼の儀が行われようとした、まさにそのとき──派遣された部隊が、命からがら、という体で、世界樹の森から帰ってきた。ひとつの人命も損なわず。
国葬は、即座に、祝いの席へと切り替わった。
……というような話を、フィオリーナは、王都からも北からも遠く離れたここサノーヴァで、随分遅れて入ってくる『噂話』として聞いていた。だから、そう、フィオリーナは、トラヴィスが生きて帰ってきたことも知っていた。
知っていたけれど、なにもしなかった。──できるはずがなかった。ふたりはもう婚約者ではなかったし、それに。
(それに、……信じてもらえるはずがない)
フィオリーナの優先順位は決まっている。フィオリーナはどうにか笑顔を作り、トラヴィスに向かって首を傾げた。
「それで……どういったご要件でしょうか。父は屋敷にいると思いますが……取り次ぎましょうか?」
「いや、……俺はただ、あなた、……違う、フィオリーナ様が、病気で臥せっているって聞いて」
「あら」
フィオリーナは納得して頷いた。
「そういうことでしたか。見ての通り、今は元気にしております。私には都の空気が合わなかったようで……病というのは言い訳ですわ。ご心配をおかけしてしまって、申し訳ありません」
トラヴィスはおそらく、フィオリーナが『臥せっている』というのが、もしかしたら己のせいなのではないかと、そう気にかけてきてくれたのだろう。優しい人なのだ。
そう、優しい人だからこそ、早く帰ってもらわなければ。『用件がそれだけなら帰ってくれ』と伝えようとしたところで、「まーま?」の甘い声が花畑に響いた。
しまった。
護衛が見ていてくれているから、と、油断していた。彼らは、『危険だ』と判断した時以外は、ティアナの行動を制限しない。トラヴィスがフィオリーナの知人であると判明した時点で、ティアナは自由に動けるようになっていたのだろう。
ととととっ、とこちらに駆け寄ってきたティアナが、がしっとフィオリーナの脚にしがみつき、そのままフィオリーナの後ろに隠れてしまう。見知らぬトラヴィスを警戒しているのだ。
トラヴィスはトラヴィスで、フィオリーナを『ママ』と呼ぶティアナの存在に、愕然とした顔を晒している。
「……その子は」
呆然とした声が、フィオリーナの耳に突き刺さる。
知られてしまった、と思い、知られたところで問題ない、とも思う。幸いティアナはフィオリーナ譲りの金髪に碧眼で、トラヴィスとの関係を、彼女の見た目から推し量ることは不可能だ。それにそもそも──
……あなたの子だ、と。
フィオリーナが真実を告げたところで、トラヴィスが、それを信じるはずがない。
フィオリーナとトラヴィスは、『番』として婚約したふたりだった。『番』に選ばれたものであれば、誰だって、当然知っている。
『番』の『儀式』のための性行為では、子どもができることはない、ということを。
* * *
フィオリーナとトラヴィスの出会いは五年前。神殿を介しての『見合い』によって引き合わされたのが初対面だった。
トラヴィスは田舎の伯爵家の三男で、フィオリーナは王家と血縁関係もある由緒ある公爵家の三女である。釣り合いがとれている──とは言い難い見合いが成立したのは、ひとえにトラヴィスが『竜騎士』であり、フィオリーナが『愛し子』であるからだった。
この国には、かつて竜が人と番った時代の『先祖返り』と言われる、背中に鱗を持って生まれる人間がいる。
彼らはまさしく竜のごとき膂力と高い魔力とを持ち合わせていた。故に彼らは、『竜の鱗』をもって生まれたその時から国に管理され、時が来れば王都にある神殿へと呼び寄せられて、『竜騎士』となるべく修行を課せられる。『竜騎士』の主な任務は国防で、国境防衛や魔獣討伐といった危険な任務を与えられる代わりに、高い報酬と名誉が約束されていた。
そしてもうひとつ、『竜騎士』には、特別な慣例があった。
それが、『番』だ。
『竜騎士』には、その高い魔力が故に、『魔力酔い』を起こしやすいという問題があった。体内で生まれる魔力が多すぎる場合に起きるその症状は、うまく魔力を外部に放出させたり、体内で循環させたりすることでしか解消されない。最も手っ取り早くその問題を解消できるのは性行為だったが、ここにもひとつ問題があった。
『竜騎士』の祖先であると言われる竜は、気に入った宝玉を決して手放さず、肌身離さず持ち歩いて大切にしたという。
果たしてその血の名残か否か、『竜の鱗』を持つものは、伴侶を溺愛し大切にする、という習性があった。……つまり、彼らは、その伴侶以外と性行為をすることを、本能的に拒むのである。
その上、彼らとの行為は強い魔力の循環を伴うものになるため、普通の人間にとっては負荷が高すぎる。彼らは伴侶を大切にするから、性行為を無理強いすることはない。結果として万全ではない状態に陥る竜騎士が増え、彼らを管理する神殿は頭を抱えた。
そうして、神殿は考えた。
竜騎士は伴侶を愛する。その伴侶の魔力適性が低い場合、竜騎士のパフォーマンスは目に見えて落ちる。
であるなら──最初から、魔力適性の高い伴侶と娶せてしまえばいい。
そこで、神殿が目をつけたのは、『愛し子』と呼ばれる存在だった。
愛し子は、竜騎士同様、神話時代の存在と人間との交配の名残である『先祖返り』の一種である。『妖精の子』とも呼ばれる彼ら彼女らには、竜騎士のような強い力があるわけではない。
ただひとつ、愛し子には、魔力の器としての強い特性があった。
妖精とは、神をも誑かしその魔力を奪ったと言われる『魔力食い』である。その血を引く愛し子は、魔力をいくらでも体に溜め込むことができるという特異性を持っていたのだ。
そういうわけで、あるときから、神殿は『竜騎士』と『愛し子』とを積極的に娶せて、婚姻を推奨するようになった。
この施策は大いに当たり、愛し子を得た竜騎士は、圧倒的な力を見せるようになった。
同時に、竜騎士の体質についての研究が重ねられ、神殿は、竜騎士の力を最も引き出すことができる手順──竜騎士の魔力を愛し子に貯め、愛し子の魔力を『魔力酔い』を起こさずに竜騎士に還元する、そういう効率のいい『儀式』としての性行為の手順の開発を行った。
魔力の循環のためだけに行われる『儀式』において、本来の生殖機能は不要──というか、むしろ邪魔である。愛し子が孕んでしまうと、母体が子どもを優先するようになり、愛し子の『魔力の器』としての機能が損なわれるためだ。
そうして完成した『儀式』は、愛し子の妊孕性を封じ、確実に魔力だけをやりとりする、ある意味で世の理に反した行為となった。
そういう仕組みが出来上がり──竜騎士と愛し子の組み合わせは、いつからか、『番』と呼ばれるようになったのだ。
……つまり、フィオリーナとトラヴィスは、『番』になることを期待されて引き合わされたふたりであった。
十二歳のときに体に『愛し子』の印が現れてから、この日が来ることを覚悟してはいた。そもそも貴族女性の婚姻など親が決めるのが当たり前だ。
とはいえ、『番』は、竜騎士の側が伴侶を愛さなければ成立しないから、結局は彼次第なのだが。思いながらフィオリーナはちらりとトラヴィスを伺い、その吊り気味の目がじっとこちらを見ているのと視線があって慌てて目を伏せた。
……見過ぎではないだろうか。
金の巻き毛に、ぱっちりとした碧眼。自分の容姿が恵まれたものであることは知っている。けれども、そんなにまじまじ見るほどだろうか? フィオリーナが困惑していると、はっとしたような顔をしたトラヴィスが、慌てた声で「すみません」と言った。
「不躾でした。……あの、こんな綺麗な人がほんとにいるんだと思って」
ストレートすぎる。
視線より更に真っ直ぐな一言をぶつけられ、頭がくらくらするようだった。「いえ、あの、大丈夫です」と、しどろもどろに答えるのが精一杯だ。そうしてまた目を伏せて黙り込んでしまうフィオリーナに、トラヴィスは、困ったような様子で口を開いた。
「……あの。俺の話をしていいですか」
気まずさに耐えかねたのだろうか。フィオリーナの側が気に入られるよう頑張らないといけないのに、気を使わせてしまって申し訳ないなと少し思う。フィオリーナがどうにか微笑んで「はい」と頷くと、トラヴィスはその、困ったような顔のまま話を続ける。
「竜騎士って、十の歳で神殿に入るんです。……それからずっと、同世代の男ばっかり詰め込まれて修行修行で。全員同じ宿舎で過ごすんですけど、当然外出なんて殆どできなくて。正式に竜騎士になってから羽目を外す奴が多いのはそのせいなんですけど」
「そうなんですか?」
「そうなんです。あ、いや、すいません。あんま外聞のいい話じゃなかったですね。忘れて下さい。……というか、今はその話はどうでもよくて、ええと、つまりですね」
顔を合わせた当初はきりっとしていた眉が、今ではすっかり下がってしまっている。それがなんだか、叱られた犬みたいで可愛いなと思う。そうしてトラヴィスは、そのどこか可愛らしいとも言える表情のまま、途方に暮れたような声で言った。
「ないんです。あなたを楽しませられるような話題が。マジで」
フィオリーナは、目を瞬いた。
……フィオリーナにとって、この『見合い』は、トラヴィスに選ばれるかどうか、気に入られるかどうかだけが重要な場所だった。身分こそフィオリーナのほうが上だけれど、『番』を選ぶ権利は竜騎士にあるからだ。
けれどもトラヴィスは、どうやら、フィオリーナと上手く話したいと、フィオリーナを楽しませたいと思ってくれている。フィオリーナはそっと息を吸って、吐いて、それからやっと口を開いた。
「……私も」
どうにか掠れずに震えずに、いつも家族が『可愛らしい』と言ってくれる声が出て安心した。
「『愛し子』であることがわかって……王都の学院には通わなかったものですから。このお話があってここに来るまでずっと、領地の館で暮らしておりました。話し相手と言えば家族と家庭教師だけで、領地を見て回ることすらほとんどなくて」
口にしてみれば、情けなくなるぐらい何もない日々を送っているフィオリーナである。たぶんトラヴィスと同じぐらい途方に暮れた顔で、フィオリーナはトラヴィスをちらりと見上げ、困り果てて首を傾げた。
「ありませんわ。殿方に楽しんでいただけるような話題なんて。……まじ、に?」
トラヴィスが、目を瞬く。
その顔が──ぱっと朱を佩いたように赤くなるのを見て、フィオリーナの頬も赤くなる。
「……そ、うですか。困りましたね」
「ええ、……困りました」
「じゃあ、……なんだ、その。……作りますか、話題」
今度一緒に、芝居でも見に行きましょう。
トラヴィスはつっかえながらもどうにかそう言って、フィオリーナはぎこちなく頷いた。
そうしてふたりは、『番』前提の婚約者になったのである。
* * *
ふたりの交際は、劇的な進展のひとつもなく、ただ穏やかに緩やかに続いた。
フィオリーナはトラヴィスを好ましく思っていたし、トラヴィスもどうやら、フィオリーナのことを可愛らしく思ってくれているようだった。トラヴィスから結婚の申し入れがあり、フィオリーナはそれを受諾し、一年後に式を挙げることが決まった。
すべては順調で、なにひとつとして問題はなかった。──『世界樹』が、封印から目覚めるまでは。
竜騎士隊の派遣が決定し、トラヴィスがその一員に選ばれたという報は、トラヴィスからの婚約解消の申し入れと同時にやってきた。
フィオリーナは混乱した。フィオリーナはトラヴィスに説明を求め、トラヴィスは求めに応じてフィオリーナのもとにやってきて言った。
「公爵様にお伝えしたとおりです。……婚約を、解消させてください」
「どうして?」
『愛し子』と『竜騎士』の婚約は、ただ『竜騎士』のためにある。竜騎士が万全の力を震えるようにするために存在するのだ。
国家的困難が発生し、トラヴィスがそのために働くというのなら、今こそが、フィオリーナの出番と言えるのではないだろうか? フィオリーナの問いに、言いづらそうにトラヴィスが答える。
「俺達がもう結婚してれば……『番』になってれば、そのとおりです。でも、俺とあなたはまだ正式な『番』じゃない。俺の魔力はあなたに溜まってないから、返してもらうものもありません」
「……それでも、わたしの中の魔力だけでも、あなたの助けになるはずです」
フィオリーナ自身は魔法は使えず、故に全く自覚がないのだが、フィオリーナ自身の持つ『魔力』は豊富な方だと、愛し子として覚醒したときに言われている。そして『儀式』では、すこしも魔力を渡されていない状態であっても、自分の魔力を『番』に渡すことならできるのだ。必死に言い募るフィオリーナに、「困ったな」とトラヴィスは呻いた。
「正直、どれぐらいかかるか、帰ってこられるか、ひとつもわかってないんです。なにせ『世界樹』が以前目覚めたのは二百年も前だ。当時の記録はあてにならない」
「……それは……」
「俺は、あなたを未亡人にしたくないんです。……待っていて欲しくないんですよ。まだ『婚約』段階で良かったと、本気で神に感謝したぐらいです。俺は」
困ったような顔のまま、フィオリーナの目をまっすぐに見てトラヴィスは言った。
「しあわせになって欲しいんです、あなたに」
なんて、ひどいことを言うんだろう。
そしてフィオリーナは、彼ほどひどくなれなかったから、言いたいことを必死で飲み込んだ。『あなたがしあわせにしてくれないんですか』なんて、『あなたがしてくれなければ意味がない』なんて──ほんとうはそうしたくてたまらないのに、絶対にそうできないひとに、告げてはいけないとわかっていた。フィオリーナは唇を噛み締めた。
「……わかりました」
けれども、だからといって、彼の話すべてを受け入れる義理はない。
そっちがその気なら、フィオリーナにだって考えはあるのだ。フィオリーナは心を決めて口を開いた。
「婚約解消を、受け入れます。……代わりにひとつ、お願いを聞いてくださいますか」
「……俺にできることなら、なんなりと」
「あなたにしか、できないことです。……出立前に」
フィオリーナは、なるべく儚く見えるように、ほんの少しだけ微笑んだ。
「さいごに、デートをしたいんです。……受けてくださいますね、トラヴィス様」
……そうしてそのデートで、フィオリーナは前もって侍女に教えてもらった『二人きりになれる劇場』にトラヴィスを連れ込んで、トラヴィスの飲み物に媚薬を仕込み、無理やり『儀式』を遂行した。
トラヴィスはもちろん必死に抵抗したけれど、同時にトラヴィスは、きっとフィオリーナを傷つけられなかった。そのうえ周囲に人がいる劇場だ。ことを荒立てたくない、と考えたなら、トラヴィスにできることも限られていて、だからフィオリーナの計画は、どうにか恙無く完遂された。
フィオリーナの魔力が、すこしでも、トラヴィスの生存確率を上げるなら。
そして──フィオリーナと行為を行ったことが、すこしでもトラヴィスの未練になって、トラヴィスが『生きて帰る』という気持ちになってくれるなら。
貴族の令嬢なら必死で守るべき『貞操』なんてものはどうでもよかったし、処女でなくなることで新たな嫁ぎ先が無くなったとしても、フィオリーナにはすこしも問題なかった。結婚なんてしたくなかった。
トラヴィスは、フィオリーナのことを、『未亡人にしたくない』なんて言ったけど──フィオリーナはもうとっくの昔に、そうなる覚悟を決めていたのだ。
……なのに、どうしてか。
教会から教わった『儀式』の手順は、神殿で聞かされていたとおりに、間違いなく行った。行ったはずだ。
それなのにどうして──その、たった一度の交わり、『魔力』を交わす代わりに『生殖』が成立しなくなるはずの『儀式』の交わりで、フィオリーナは、トラヴィスの子どもを孕んでしまったのである。
* * *
(……とはいえ、トラヴィス様が、自分の子だと思うはずはない。『儀式』で子どもができるはずがない。……誰か別のひとの子なのだと、当たり前にそう考えるはず……)
フィオリーナの両親はフィオリーナが不義を働くような娘ではないことを信じ、『何らかの理由、あるいは奇跡により子どもができたのだろう』と逆にフィオリーナを慰めてくれたが、それがかなり異例と言える対応であることは重々承知している。
普通に考えれば、フィオリーナはトラヴィスと別れた直後、あるいはトラヴィスと並行して誰かと付き合っていて、それが表に出せない相手だったからこうしてひっそりと子どもを育てている……と、そういう解釈になるはずなのだ。
そして、それで問題ない。
世界樹の封印という重大な任務を無事に終えて帰ってきた竜騎士たちには、沢山の報酬、そして叙勲が行われたと聞いている。それでなくても竜騎士は引く手数多だ。新たな縁談の話はすぐに持ち上がるだろう。
そして、その相手は、もちろん、『父親のない子』を育てるフィオリーナではない。
トラヴィスはもしかしたら、フィオリーナと再度の縁を乞うつもりでここに来てくれたのかもしれなかったが──フィオリーナによく似た、明らかにフィオリーナの娘であるティアナを見れば、それが不可能であることに気づいただろう。フィオリーナはどうにか笑みを作った。
しあわせになって欲しい、と、トラヴィスは言った。
今のフィオリーナには、トラヴィスの気持ちがよくわかった。本当は──本当は、その役目を、誰にも渡したくない。貴方としあわせになりたい。貴方をしあわせにしたい。
だけどできない。
こんな気持ちを抱えて、トラヴィスは、フィオリーナに、『しあわせになって欲しい』と言ってくれたのだ。だから今度は、フィオリーナが、すべてを抱えて、同じ台詞を言う番だった。
トラヴィス様、あなたに──……
「……その子は」
トラヴィスが、一度言葉を止める。信じられないと言うように。そうして小さく「マジか」と挟んで、トラヴィスは、ティアナに目線を合わせるように膝を折ってしゃがんだ。
ティアナがぴゃっとフィオリーナの足の後ろに隠れて、それから、恐る恐る顔を出してトラヴィスを見る。トラヴィスの姿絵ひとつ家には飾っていないから、ティアナからなにかが露見する心配はない。わかっていてもなんだか恐ろしく、きゅっと唇を引き結ぶフィオリーナの前で、トラヴィスがティアナに向かって尋ねる。
「俺はトラヴィスと言います。小さなお嬢様、名前を聞いても?」
「……ティアナ」
「ティアナ様。おいくつですか」
ティアナは覚えたばかりの仕草で、器用に指を三つ立てて答えた。「三歳」とトラヴィスが呟いて、それから、俯いて片手で頭を抱えた。浮気者と謗られるだろうか。……がっかりしたと言われるだろうか? それが当然の反応だとしても、本当にそう言われたら泣いてしまうかもしれない。覚悟を決めるフィオリーナを、ふと、しゃがんだままのトラヴィスが見上げる。
そうしてトラヴィスは、あまりにも懐かしい、困ったような顔でフィオリーナに言った。
「俺の子ですね」
「……えっ!?」
「いや、すいません、そうだ、この可能性があったんですね。完全に俺の……いや、ええと」
なにもわからないが、『ミス』って言いかけたな、とフィオリーナは思った。そしてティアナの存在は絶対に『ミス』ではないから、慌ててそう言うのを止めたのだなと。トラヴィスは立ち上がり、なにもわかっていないフィオリーナを見下ろし、「どの面下げて、と言われるつもりでは来たんですけど」と呟いた。
「俺から婚約を解消したくせに、あなたが独り身だと知ってどうしたって嬉しくて、諸々手続きが終わってすぐすっ飛んできたんです。……でも、流石に、公爵様にお許しを頂くのが先だと思ってたんですけど」
無理だな、と、トラヴィスはやっぱり困ったように眉を下げた。
そして言った。
「フィオリーナ様。……俺の生還を喜んでくれるなら、どうか、あなたの慈悲をくれませんか。俺と」
結婚して下さい。
トラヴィスはすこしも躊躇わずそう言って──なにひとつわからないまま、フィオリーナはその真っ直ぐな瞳に気圧されるがまま、ただ一度小さく頷いた。
* * *
……その後の話は、公爵家の館に場所を移し、あっという間にトラヴィスに懐いて肩車をされているティアナに目を丸くした公爵夫妻の前で、ティアナを乳母に預けた後に行われた。
「いや、あの、簡単な話なんですけど。『儀式』は、成立してなかったんです」
「えっ」
愕然とするフィオリーナの前で、トラヴィスは淡々と説明した。
「だって、『儀式』が成立して、あなたの魔力を受け取ってしまったら、そういう行為があったことが周りにわかってしまうでしょう?」
「……そうなんですか?」
「ああ、そうか。フィオリーナ様は、魔力はあっても、魔術の心得はないんでしたね。……竜騎士とか、あと魔術師とか、魔力に聡いものなら、体にある魔力は『見える』んですよ。儀式なんてしたらすぐバレる。そうしたら、……あなたの結婚に、触りがあるでしょう」
トラヴィスはひどく言いづらそうに言葉を続ける。
「処女じゃないことはどうとでも誤魔化せますが、魔力は誤魔化せませんからね。そこから、あなたの貞操についての噂が立ったらマズいと思って……だから俺は、どうしても、『儀式』を成功させるわけにはいかなかった。……で、『儀式』には、当然過ぎて明記されてない前提があるんです」
「……ええっ!?」
当然過ぎて明記されてない前提。なんだそれは。愕然とするフィオリーナに、トラヴィスは、なんだか申し訳なさそうに言った。
「『合意であること』。……そもそもですね、『儀式』は竜騎士のためのものなので、竜騎士側からの希望なくは行われない。竜騎士の側に受け取る気がないと成立しない。魔力の交換のためのパスが繋がらないんです」
「……それはつまり……トラヴィス様は……あの状況で受け取りを拒否されたと……?」
「はあ。まあ、そうですね」
「薬はしっかり効いてましたよね!? 理性だいぶとろとろなお顔に見えましたけど!?」
「あの、親御さんの前ですけど大丈夫ですか?」
「はっ」
親の前で性行為の話、必要とはいえ確かに気まずすぎる。フィオリーナは慌てて口元を抑え、トラヴィスは「そりゃ薬は効いてました、じゃなきゃそもそもやってませんよ」と少し恨めしげに言ってため息を吐いた。
「だからせめて、と思ったんです。でも、うまくいくかはわかりませんでした。……ことが終わって気を失ったあなたを、事情を知ってる侍女が迎えに来て……彼女は当然魔術師じゃなかったでしょうから、儀式の失敗には気付かなかったんでしょう。俺も、儀式が成立しなかったことにほっとして、こっちの……『儀式じゃないならデキる可能性がある』ってことには思い至らなかった」
そうしてトラヴィスは世界樹封印のために派遣され、『儀式』の成否について知るものは、だれひとりとして居なくなった。
そもそも成立しないわけがない『儀式』だから、『失敗したら妊娠の可能性がある』なんて、トラヴィス以外の誰一人として、思いつくはずがなかったのだ。そうしてすべてを知り、フィオリーナは呻いた。
「……どんなに……どんなに自明な前提であっても……書いておいて欲しかったです……!」
「そうですね。神殿に進言しておきます」
「というか、だとしたら、……私は、トラヴィス様のお役に立てなかったんですね」
フィオリーナは思わず俯いた。
「無意味なことをしました。……あなたの意志を、踏みにじって」
すでに婚約関係にない相手と、薬を使って無理やり──だなんて、罪に問われてもおかしくない行為である。そうだ、まだ謝っていない。フィオリーナはやっとそう気がついて、けれどもフィオリーナが謝罪を口にする前に、「無意味じゃないです」とトラヴィスは言った。
「それだけは、言っちゃいけないでしょう。俺もさっきちょっと言いかけましたけど」
「……でも」
「俺はね、本当に、本当に良かったと思ってるんです。……花畑で、あなたが幸せそうに笑ってて……俺はほんとに安心したんだ。あなたが笑っているとわかって。そうしてあなたの笑顔の先を見たら、あの子がいて、全部がわかって……」
トラヴィスはそうして、本当に安堵したように──ただひたすらに優しいだけの目でフィオリーナを見て、こう言った。
「あの子のおかげで、あなたが泣き暮らさないでいてくれたなら。もう、『良かった』としか言えないでしょう」
その顔が、別れを切り出したときのトラヴィスの顔と──『しあわせになって欲しい』の言葉と被って、フィオリーナはくしゃりと顔を歪めた。
「……泣き暮らすってわかってたのに、置いていったんですか……!」
「それはあの、言葉の綾というか、その」
「わかってます、愛が伝わっていて何よりです、……そのとおりです、あの子のおかげで……」
フィオリーナは、ティアナが生まれるまでは、まさしく『泣き暮らす』に近い日々を送っていた。けれどもティアナが生まれてからはそれどころではなかった。赤子は生命力の固まりであり、母親の時間と体力すべてを奪っていく悪魔であり、日々の成長と途方もない可愛らしさとによってその苦労すべてを帳消しにする天使だった。
ティアナはたしかに、フィオリーナの生きる縁だったのだ。
「だからなんだ、ええと、言い方は悪いですけど、結果的にはすべてよしというか。……あの、よしってことでいいですよね? これで見限られませんよね? 俺」
「見限る? どうしてそんな発想になるんですか!」
「だって、あなたの意志を……あなたの決意を踏み躙ったのは、その、こちらも同じと言えるので。……それでも、生きて帰ったので、結果的には問題なかったってことで……こっちも、いいってことになりませんかね……?」
困り果てた顔で、眉を下げ、許しを乞うようにトラヴィスが言う。なんでそこで自信をなくすんだ、と、フィオリーナはだんだん腹が立ってきた。フィオリーナは思わずトラヴィスを睨んだ。
「いいもなにも、……け、……結婚して、って、言ったじゃないですか、あなたは! 頷きましたよね、私。なのに今更そんなことを言うんですか!? ……もう、私は」
声が震えて、顔が歪んで、それでも必死にフィオリーナは続ける。
「しあわせになって、なんて、言えません。……私とティアナを幸せにしてくれなきゃ、許しません……!」
トラヴィスがひとつ瞬いて──それから、ひどく嬉しそうに、くすぐったそうに、微笑んだ。
「はい。……幸せにします。俺が、絶対に」
──かつて、『竜騎士』の祖先であると言われる竜は、気に入った宝玉を決して手放さず、肌身離さず持ち歩いて大切にしたという。
トラヴィスもきっと、ほんとうは、そういうふうに、フィオリーナを愛したかったのだろう。だからこれからはきっと、そういうふうに、フィオリーナとティアナを愛するのだろう。そうであることがはっきりとわかる、あまりに幸せそうな表情に、フィオリーナはやっとほっとして笑った。
そしてそれから──「それで、いつになったら私は、君から『結婚の許可』を求めてもらえるのかね」と公爵が口を挟んで、フィオリーナと離れているのに耐えられなくなったティアナが駆け込んできて──部屋はまるでこれからを予見させるように賑やかに、平和で幸福な空気で満たされたのだった。
シークレットベビー企画参加作品として書かせていただきました。
ネタを考えるところから楽しかったです。素敵な企画ありがとうございました!




