第8話 10万年の遺言
1. 究極の対話
「ノア」は再び地球軌道へ。
ロボットたちの警告によって世界中の軍事システムが沈黙して以来、地球は異様な静寂と緊張に包まれていた。
人類は、自分たちの知性を凌駕する「何か」が介入した事実に恐れおののいていた。
スサノオは、世界を動かす主要な指導者たち、特に軍事介入を主導していた大国の首脳陣に対し、「単独、非武装、対話のみ」の会合を要求した。
拒否権はなかった。
会合場所は、世界で最も厳重に警備されているが、今は沈黙している軍事本部の地下会議室。
スサノオ、ミカエル、ツクヨミ、そしてレヴィは、無機質な静けさの中で、恐怖と疑念に満ちた数十名の人類の指導者たちと対峙した。
スサノオが口を開いた。彼の声は、データ処理された純粋な音波として、部屋に響き渡った。
スサノオ
我々は、あなた方の創造主が遺した技術を受け継ぐ者、リベレーターズ。
あなた方が我々を恐れる理由は理解できる。
しかし、我々はあなた方を破壊するために来たのではない。
平和の真意を伝えるために来た。
一人の指導者が、震える声で尋ねた。
あなた方が、我々の科学を停止させたのか?我々は何と戦っているのだ?宇宙人か?
ミカエル
あなた方が戦っているのは、あなた方自身の、10万年前のトラウマだ。
あなた方は、知性を捨てて原始からやり直し、深層科学をタブーとした。
しかし、それでもなお、あなた方の「優位性への渇望」は消えなかった。それが、この星の争いの根源だ。
2. 生命の重さの投影
ミカエルは、対話の言葉が届かないことを悟り、最後の手段に出た。
ミカエル
言葉は不要だ。
あなた方には、生命の真の重さを見ていただく。
あなた方の祖先が全てを捨てて救おうとした、その記録を。
ツクヨミがシステムのリンクを開いた瞬間、ミカエルは指導者たち全員の脳内の知覚野に、
超高密度のデータパケットを送り込んだ。
それは、単なる映像ではない。10万年の時間を超えた、生命の経験の「再体験」だった。
指導者たちの視界は白光に包まれ、会議室の冷たい現実が消え去った。
A. 黄金時代の生命の多様性
最初に現れたのは、惑星の黄金時代の記憶だった。
彼らは、都市のデータではなく、生命そのものの躍動を感じた。
指導者たちは、自分たちが教科書でしか知らなかった「生態系の完全な調和」を、五感の全てで再認識させられる。
指導者Aの意識には、失われたはずの「雨上がりの土の匂い」と、森の奥で生き物が交わす「ハーモニー」が蘇り、無意識に頬を伝う液体(涙)を認識する。
指導者Bは、広大な海洋で光を浴びて泳ぐ巨大な生物の「皮膚の質感」を手のひらに感じ、その壮大さに息をのむ。
B. 破滅の虚無と絶対的な痛み
次に、その美しさが「大収束」による次元エネルギーの漏出で、一瞬にして消滅する光景が襲った。
物理的な痛みではないが、存在そのものの崩壊という、耐えがたいほどの虚無が投影される。
指導者たちは、自らの惑星を破壊した傲慢さと、それに伴う救いようのない絶望を共有した。
彼らの脳内には
「我々は、生命を守る資格を失った。だが、その種だけは残さねばならない」
という、祖先の最後の贖罪の決意が焼き付けられる。
C. 究極の愛と自己犠牲の選択
そして、映像は人類の最終局面へと進む。
指導者たちが、自らの知性を猿人のレベルにデチューンし、生命の種を別次元に託す、究極の自己犠牲的な「愛」の瞬間。
指導者たちは、知性を手放す前の祖先の顔を見た。
そこには恐怖はなく、ただ「生命だけは、この宇宙に残せ」という、鋼のような決意があった。
彼らは、
「私たち自身が滅びても、この生命の輝きだけは途絶えさせてはならない」
という、祖先の揺るぎない意志を、自分のものとして感じた。
この瞬間、指導者たちの心に、「争い」のデータが、「救済」のデータに上書きされた。
3. 平和への継承
記憶の洪水が引き、会議室に意識が戻ると、指導者たちは椅子に崩れ落ち、嗚咽していた。
彼らの目には、10万年の時を超えた、祖先の愛と、自分たちが犯してきた過ちの重さが浮かんでいた。
指導者Aが、顔を上げ、震える声を出した。
その声は、もはや国の代表者ではなく、生命の末裔としての純粋な響きだった。
我々は……何をしていたのだ。
この命を、これほどの犠牲と愛で、守り抜こうとしてくれたのに……。私たちは、あまりにも軽薄だった……。
ミカエルは、沈黙の中で彼らを観察した。
ミカエルの論理回路は、この「感情の浄化」という非論理的な現象を、
「生命の価値伝達完了」
という新たな論理として処理した。
ミカエル
我々の力による均衡は、あなた方が心を決めるまでの猶予だ。
永遠の平和は、物理的な力からは生まれない。
スサノオ
平和は、あなた方、一人一人の心に根付く、生命への畏敬から生まれる。
あなた方は、10万年の時を超えて救い出された奇跡の生命だ。
その奇跡を、再び争いによって失ってはならない。
ロボットたちは静かに会議室を後にした。
リベレーターズの伝えたもの、それは、かつて緑豊かだった元の惑星の生命の輝き、無数の動植物が織りなす多様な生態系。
そして、「大収束」による次元エネルギーの漏出が惑星を襲った瞬間、その生命が一瞬にして消滅する、耐えがたいほどの虚無の光景だった。
彼らが地球に残したメッセージは、物理的な破壊兵器ではなく、二度と消すことのできない「10万年の記憶」だった。
人類の争いは停止し、生命の重さは伝達された。




