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悪役令嬢の最推しは『氷の貴公子』のお義兄様!!

作者: 久遠れん

「エレオノーラ・バルベリーニ! 貴様との婚約を破棄する!!」


 王宮で開かれているパーティーで突如として降りかかった断罪劇に、けれどエレオノーラは眉ひとつ動かさない。


 彼女に婚約破棄を突き付けたのは、王太子アルバン。

 エレオノーラの婚約者であるはずの彼は、隣に聖女リザを連れて自慢げに笑っている。


 彼女も彼女で、得意げな表情を隠しもしない。

 エレオノーラは眉ひとつ動かさなかったけれど、内心ではため息を吐きながら遠い目になる。


(これが運命の強制力というやつなのかしら)


 ここは彼女が前世で最も愛した乙女ゲーム『たった一人に捧げる恋物語~花咲く聖女と五人の運命~』の世界だ。


 その世界に存在する『悪役令嬢エレオノーラ・バルベリーニ』に彼女は転生した。


(前世を思い出した五歳のあの日から、悪役令嬢の運命に抗ってきたけれど。結局は断罪されるのかぁ)


 やってられないわ、と心の中で吐き捨てる。

 やさぐれている内心とは裏腹に、顔に浮かべる表情は笑み。


(でもまぁ、それならそれで、悪役令嬢らしく、最後はお義兄様を幸せにしてみせるわ!)


 王太子の婚約者エレオノーラの転生したのだが、彼女の最推しは血の繋がらない義兄クラウディオだった。


 婚約者のアルバンより、義兄のことが大好きだ。

 親愛も情愛も、なんならそれらすべてを乗り越える『愛』を胸に抱いて。


 悪役令嬢として断罪される運命の公爵令嬢は、それはそれは優雅に微笑んだ。




▽▲▽▲▽




 五歳の誕生日を迎えた三日後、エレオノーラは誘拐されかけた。


 宰相である父の政敵の手先がメイドとして公爵家に潜り込んでいたのだ。

 彼女が三歳の頃から公爵家に仕えていたメイドに、エレオノーラはよく懐いていた。


 恐らくずっとタイミングを伺われていた。

 ある日、メイドと二人で室内で遊んでいた彼女は、メイドが「おやつにしましょう」といって用意したクッキーを食べた瞬間、意識を失った。今思えば、薬が混ぜられていたのだろう。


 そのまま屋敷の外に運び出されかけたエレオノーラを寸前で救ったのが、義兄クラウディオだ。

 エレオノーラより三歳年上のクラウディオは、公爵が妻を亡くしたことで後妻にはいった女性の連れ子だった。


 公爵家の血は一滴も混じっていない。

 しかしながら、彼は図抜けた才を持っていて、彼の母が男爵という低い爵位に見合わず公爵夫人として後妻になれたのも、クラウディオが人一倍賢かった上に生まれながらに魔力が王族並みに強かったからだと、貴族たちは噂していた。


 そんな彼は、メイドをずっと怪しんでいたらしい。

 自身とエレオノーラがメイドと二人きりにならないよう、常に気を配ってくれていたとは後から聞いた話だ。


 その日、将来の公爵として日課の勉強を終えたクラウディオは義妹の姿が見当たらないと屋敷を探していたという。


 その途中で、メイドと二人で彼女が遊んでいたと聞き、血相を変えて父である公爵に訴えた。

 最初は取り合わなかった公爵も、いざ娘が屋敷の中で見当たらないとなれば態度を変えるしかない。


 大規模な捜索が行われ、結果エレオノーラの命は助かった。


(幼すぎて、よく覚えてないのよねぇ)


 と、いう風に表向きは口にしているが、実際のところは少し違う。

 誘拐されかけたショックで寝込んで高熱を出したエレオノーラは、その際に前世の記憶を取り戻した。


 平和な日本という国で、令和の時代を生きたしがないOLの記憶だ。


 足を踏み外して駅の階段から転げ落ちた結果、頭の打ちどころが悪くて死ぬまでの二十五年の記憶を一気に思い出したら、五年間のエレオノーラとしての記憶がかすんでしまったのである。


 けれど、忘れなかったこともある。


 それは、厳しくも優しい父の愛と、亡くなった実母の包み込むような愛。後妻だけれど、実子のように可愛がってくれた義母の愛に、誰より彼女を気にかけて救ってくれた義兄の愛。


 強烈に心に焼き付いていたそれらは、前世を思い出しても色褪せることはなかった。

 結果、彼女は『お義兄様大好き!』というのを隠さず成長することになる。


(ここが乙女ゲームの世界だと気づいた時はさすがに驚いたけれど)


 前世で死ぬ前日まで周回プレイをしていた乙女ゲームの世界に転生するなど、前世で流行っていた小説でもあるまいし、なんて思いもした。


 だが、現実は小説より奇なりとはよくいうもので。

 彼女は乙女ゲームで散々にヒロインの恋路の邪魔をする『悪役令嬢エレオノーラ』に生まれ変わったのだ。


 本来のエレオノーラはクラウディオのことを心底嫌っている。

 公爵家の血が流れない彼に『下賤の生まれ』と面と向かって悪口を言い放つほどに。


 それは、クラウディオの母が男爵で父親が平民であることに起因するが、今の彼女はそんなことは欠片も思っていない。


(お義兄様はとても優秀だもの。見下すなんてとんでもないわ)


 公爵家には過去に王家から降下した王女を迎え入れていること、エレオノーラ自身が王族の婚約者であることなどから、ゲームのエレオノーラは「公爵家の尊き血に下賤の血が混じるなど」といった言葉でクラウディオを責め立てるが、現代日本人の感覚を強く持つ彼女からすれば「馬鹿らしい」の一言である。


(天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずっていうものね)


 前世で習った偉人の名言である。その通りだなぁと君主制のこの国で育ちながらも、彼女は思う。






 魔法学園の入学式。


 真新しい制服に袖を通したエレオノーラは新入生代表としての答辞を述べ、割り振られている席へと戻った。


 在校生代表の挨拶は彼女の婚約者であり、王太子であるアルバンが述べた。彼女より一歳年上の彼は、一足先に入学しているのだ。


(お義兄様は二学年上。一年同じ学び舎に通えるのが嬉しいわ)


 乙女ゲームの世界に転生したと自覚したのは、アルバンと婚約が正式に結ばれた後だった。

 義兄であるクラウディオとアルバンの名前と容姿、そしてなにより鏡に映る自分の顔と名付けを『偶然』で片づけるのは無理がある。


 となれば、問題となるのは『悪役令嬢として断罪』される運命にどう向き合うか、だった。


 一週間は考え込んで、悪夢で断罪されながら唸った彼女は最終的に「お義兄様の気持ちを応援しよう」という結論に落ち着いたのだ。


 エレオノーラとなった彼女にとって、一番大好きで大切なのがクラウディオだったから。

 だから、彼がヒロインの存在を求め、自身を断罪するなら仕方ないと割り切ろうと思った。


 ヒロインが他の攻略対象のルートに進むのであれば、それはそれ。

 全力で抗う心づもりだが、クラウディオの心を射止めるのであれば、全力で応援する。


(お義兄様は世界一カッコいい私のヒーローだもの!)


 なお、前世の彼女の最推しもまた、クラウディオである。彼のルートは十周はした。

 いつだって気高い義兄がヒロインだけに甘えるシーンがエレオノーラは大好きなのである。






 入学式も終わり教室で教師から今後のスケジュールを軽く聞けば、学園生活の初日は終了する。

 教室からまばらに出ていく生徒たちを見送りながら、エレオノーラは周囲を見回していた。


(ヒロインのリザの姿がないわ)


 彼女の知識では同じ学年の同じクラスに割り振られるはずのヒロイン――聖女リザがいない。


 とはいっても、ここはゲームの世界と基本が同じとはいえ、現実だ。


 ゲーム通りに進まないことは多々あるだろう。

 実際、ゲームの世界では『悪役令嬢エレオノーラが現代からの転生者』などという設定はないのだから。


 軽く息を吐きだして、身軽に彼女は教室を出た。初日なので荷物は少ない。

 エレオノーラが教室から一歩足を踏み出すと、聞きなれた声が彼女の名を呼ぶ。


「エレオノーラ」

「お義兄様!」


 教室から出てくる生徒の邪魔にならない位置で腕を組んでいたクラウディオの呼びかけに、ぱっと顔を輝かせる。


 彼女にとって義兄から名を呼ばれることはなによりのご褒美だ。

 婚約者のアルバンに名を呼ばれても、ここまで心は浮足立たない。


「生徒会室へ案内するよ。殿下もいらっしゃるから」

「でも、わたくしは生徒会のメンバーではありませんわ」


 成績優秀者から抜擢される生徒会は学園の生徒の憧れの的である。

 眉を寄せた彼女の言葉に、くすりとクラウディオが優しく笑う。

 普段はクールな彼が、義妹にだけ見せる甘い笑み。


「大丈夫だ。エレオノーラは入学前の試験でトップだったから、生徒会のメンバーに選ばれている」

「でも、先生はそんな話は」

「明日伝えるつもりだったかもしれないな」


 それなら大丈夫だろうか。公爵家の力で生徒会室に入りびたると思われるのは本意ではない。

 なにしろそれは『ゲームの悪役令嬢エレオノーラ』の挙動だからだ。


「行こう」

「はい」


 歩き出したクラウディオの隣に並ぶ。彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれるクラウディオの気遣いに感謝しつつ「そういえば」と気になっていたことを問いかける。


「以前、お茶会で噂を聞いていたのですが。聖女の方が入学される、と」


 お茶会で話を聞いていたのは嘘ではない。

 聖女が現れたこと、魔法学園に入学することは貴婦人たちの注目の的だった。


 だが、姿が見えない。

 今後の動きを決めるためにも、リザがいない理由が知りたかった。


 エレオノーラの問いかけに、クラウディオが途端に渋面を作った。

 公爵家の跡取りとして、『氷の貴公子』とあだ名される程度には普段から表情を取り繕うことにたけた彼の珍しい表情に、思わずエレオノーラは瞬きをしてしまう。


「お義兄様?」

「……すぐに知ることになると思うから伝えるが……その、聖女リザは……」


 立ち止まったクラウディオに倣って、彼女もまた足を止めた。

 柔らかな日差しが差し込む廊下で、彼の姿に影が落ちる。


「殿下と、とても親しくされている。お前の一つ上の学年だ」

(え?)


 思わぬ情報にぱちりと瞬く。

 学年が一歳変わるというのは想定していなかった。


 なるほど、そういう『変更』がありなのか、と納得する。

 一方で、クラウディオは酷く痛ましげな表情でエレオノーラを見ている。


 どうしてそんなに気遣われているのかと彼女がゆるく首を傾げると、彼は憤りを隠せない声音で拳を握りしめた。


「殿下はエレオノーラの婚約者だというのに……!」

(あ、ここ、憤る場面ね?!)


 学年が違うことに気をとられて、殿下と親しくしている、の部分を聞き流してしまった。

 慌てて口元を軽く抑えて、エレオノーラは困惑を表情に出した。


「……大丈夫です。殿下はきっと」

(最後にはわたくしを選ぶ、とは言えないのよね……)


 だが、ヒロインがアルバンルートに進んでいるのであれば、未練なく差し出せる。


 王太子攻略ルートでエレオノーラは『悪役令嬢として断罪』されるが、ならば悪役令嬢と謗られる行動を慎めばいい。


 クラウディオルートに進んでいるのなら、心を鬼にして悪役令嬢として振る舞う気でいたが、そうではないらしい。


 険しい表情をしているクラウディオを見れば、心が傾いていないのは明らかだ。


(少しだけ気が楽だわ)


 怒ってくれている義兄には悪いが、彼女にとっては朗報に分類できる。


 クラウディオの握りしめられた片手をとって、エレオノーラは天使の笑みを浮かべた。

 間違っても悪役令嬢などと呼べない純粋無垢な優しい笑顔。


「お義兄様、わたくしは大丈夫です。お気になさらないで」


 彼女にとって、強がりではなく本音だ。

 だが、クラウディオはそうとは受け取らなかったらしい。目を潤ませて、彼女の手を握り返す。


「お前はなにも憂う必要はない。兄がなんとかするからな……!」

「はい、お義兄様」

(わたくしに激甘なのよね、その姿も愛おしいけれど!)


 テンションがうなぎのぼりの内心は綺麗に押し隠して、彼女は女神のように美しく微笑んだ。

 どれくらい素晴らしい笑みかというと、正面から浴びたクラウディオが心臓を握り、偶然通りかかった幸運な生徒が床に伏せる程度には、神々しい笑みだった。






 そんなこんなでスタートした学園生活であったが、聖女リザは悪い意味ですごい人間だった。


(リザ様、彼女も恐らく転生者ね)


 エレオノーラがその確信を抱いたのは、入学から一週間が経った頃の中庭での出来事だ。


 噴水が設置されている中庭で周囲を見回してはきょろきょろと挙動不審にしていたリザを渡り廊下から見ていた。


 彼女は酷く目立つ生徒だから、つい気になったのだ。


 なお、目立つというのは悪目立ちである。

 婚約者がいる王太子にべたべたと引っ付いていれば、悪評が立つのも当然だ。


 ここはゲームの世界ではなく、現実なのだから。

 リザはずっと周囲を伺っていた。


 あまりに不審な動きだったので、エレオノーラが視線で追いかけていると、何を思ったのかリザは突然噴水に自ら落ちたのだ。


 驚愕した彼女は咄嗟に風魔法を使った。

 空気を自在に操る風魔法は、遠くの音声を拾うことも可能だ。

 エレオノーラの耳朶にリザの叫びが届く。


『どうして! クラウディオは現れないの?! 助けにきなさいよ!!』

(ここ、ゲームでヒロインとお義兄様が出会う場所だわ)


 まだまだ鮮明に思出せるゲームの日付とも合致している。

 ゲームでは悪役令嬢エレオノーラに噴水に突き落とされたリザをクラウディオが助けに現れるのだ。


 だが、一向に彼の姿は現れない。そもそも彼らの間にはすでに『生徒会』という接点がある。

 暫くずぶ濡れで噴水に使っていたリザが、ようやく諦めて立ち去るころに、彼女は頭を抱えるしかない。


(彼女はここが現実だとわかっていないの……?)


 リザがアルバンと同じ学年になるために、一年早い裏口入学をしたことをすでにエレオノーラも把握している。


 自らゲームのシナリオから外れた行動をとっておきながら、自身に都合のいいイベントは起こそうというのはあまりに都合がよすぎる。


(先ほどの叫びから、彼女はゲームの知識を持った転生者。わたくしと同類ね)


 ならば、なおさら注意しなければいけない。


 アルバンを盗られるのは本当に全然全く欠片も気にしないのだが、ゲームの知識を持った転生者がヒロインで、ゲーム通りにシナリオを勧めようとしている以上、彼女が断罪される可能性は跳ね上がる。


(お義兄様のためなら泥をかぶる覚悟だったけれど、アルバン様のためには断罪なんてされたくないわ。そもそも、噂を聞く限り、彼女にお義兄様は任せられないけれど)


 リザとはこの一週間で実際に何度か話したうえで、様々な噂が耳に入った。

 リザの横暴はすさまじいものがある。


 まず、聖女の看板を振りかざして生徒会室に入りびたる。

 そのうえでアルバンを中心とした将来王となる彼を支えるポジションにいる、攻略メンバーの男子生徒に馴れ馴れしい。


 リザに対しそっけない態度をとるのはクラウディオくらいで、アルバンもその側近たちも彼女に骨抜きになっている。


 平たく言えば、鼻の下を伸ばしてみっともないことこの上ない。

 しかも、リザは実力を認められて生徒会に入ったエレオノーラに対する誹謗中傷をよく口にする。


 曰く「公爵家のコネ」「実力なんてあるはずがない」「公爵令嬢だからって偉そう」なんてことを、取り巻きの男子生徒に口にして噂として広めようとしている。


 とはいえ、リザの言い分を信じる者は少ない。

 エレオノーラが入学式の翌日にあった実技で絶大な魔力を示したことが影響している。


 ゲームの悪役令嬢エレオノーラは確かに公爵令嬢の地位に胡坐をかいて、魔法の研鑽などしなかった。

 勉強も適当な様子だったし、生徒会のメンバーでもなかった。


 けれど、彼女は違うのだ。

 名前と顔は同じだけれど、魂が別人なので、勉学に励み、魔法を磨く姿は教師からも学友からも高い評価を得ている。


 彼女が公爵令嬢だから権力を振りかざして生徒会に入った、などと陰口をたたくのは、リザにメロメロのごく一部の取り巻きだけだ。


(だから、大丈夫だと思っていたのに)


 ヒロインであるリザを虐めることもなく、一切の陰口も口にせず。

 清く正しく真面目に生きてきて、どうして断罪に巻き込まれるのか。


 つい口からこぼれそうになるため息をこらえて、エレオノーラはまっすぐに敵と認識したアルバンとリザ、取り巻きの側近候補の令息たちを見据えた。




▽▲▽▲▽




「エレオノーラ! 貴様は聖女リザを妬み恨み、非道な仕打ちを彼女にした!! そのような悪女は未来の王太子妃に相応しくない! よって、私は貴様との婚姻を破棄し、聖女であるリザと婚約を結びなおす!!」


 自信満々に朗々と口にするアルバンは、今までエレオノーラの何を見ていたのだろう。

 生徒会室でリザにあからさまに適当に扱われても、文句ひとつ口にしなかった彼女の姿は目に入っていなかったらしい。


 恋は盲目とは聞いていたが、ここまで愚鈍になるとは。

 将来は暗愚に違いないと、彼女は心の中で特大のため息を吐き出した。


「失礼ながら殿下。わたくし、リザ様とは数えるほどしかお話しておりません」


 なぜならリザがエレオノーラを避けていた。

 同じ生徒会室で所要があって話しかけても、基本無視されていたので、会話をした回数は片手で足りる。


「嘘を言うな!」

「信じるかどうかではなく、事実です。それに、わたくしがリザ様に行ったという『非道な仕打ち』はどなたが証人なのでしょうか?」


 淡々と告げるエレオノーラの言葉に、わっとリザが顔を覆って泣き出す。

 いかにも演技と言わんばかりの嘘くささだったが、彼女の虜であるアルバンとその側近たちの態度は違う。


「ああ、可哀そうなリザ! エレオノーラ! 貴様はリザの悪評をバラまいただろう!」

「具体的に申しますとどんなものですか?」

「わ、わたしが! コネで生徒会に入ったと!」

「事実です」


 スパン。綺麗に言い切ったエレオノーラに、アルバンが目を見開いた。


 一瞬、リザの泣きの演技も止まったが、人の婚約者に散々言い寄って落とした女のメンタルは鋼だった。

 一拍おいて、ますます演技の泣き声が大きくなる。


「わたしの教科書を破って捨てたのに!」

「ご自身で切り刻む姿をクラスメイトが目撃しておりますわ」

「わたしを階段から突き通しました!」

「わたくし、手を差し伸ばしました。その手を振り払って落ちたのは貴女です。咄嗟にわたくしが風魔法でクッションを作ったので怪我ひとつしませんでしたね」

「噴水に落とされました!」

「そちらも自ら落ちられましてよ。もしかして、記憶力が悪くていらっしゃる?」


 純粋に疑問だった。

 思わず問いかけたエレオノーラが並べた事実から逃げるように、さっきまででも十分に煩かった泣きの演技がさらに煩くなる。


 耳を抑えたい衝動と闘いながら、彼女は穏やかな笑みを崩すことなく、彼女にとっての現実を陳列していく。


「わたくし、別にアルバン様の婚約者という立場には未練はございません」

「えっ」


 思わず声を上げたのは婚約破棄を告げた当事者のアルバンだ。

 鳩が豆鉄砲を食らったような間の抜けた顔をしている彼は、エレオノーラの言葉が本当に意外だったのだろう。


 今まで散々他の女と親しくしている場面を目撃させておいて、なぜ縋られると考えるのか。

 彼女には全くもって理解できないが。


「アルバン様の婚約者になりたいのでしたら、わたくしの断罪など目論まず、普通に王家を通して婚約破棄の書面を用意すればよかったのです。喜んでサインいたします」

「なっ」


 さらに驚愕の声を上げたアルバンを華麗にスルーして、エレオノーラはにっこりと微笑んだ。

 慈愛に満ちた、天使であり女神の笑み。

 

 この笑みで、無意識のうちに彼女は義兄を始めとする人々を魅了している。

 元々整った顔立ちをしていたエレオノーラがひとたび優しく微笑めば、大抵の人間は陥落するのだ。


 本人は全くもって無意識だったが。


「わたくし、興味がある方はたった一人しかおりませんので」


 義兄クラウディオが幸せになれるかどうか。それだけが彼女の気がかりだ。


 なお、歪み切った魂が宿っているリザでは義兄を幸せには出来ない。

 そう判断したしたため、彼女はリザに容赦をしない。


「このような公の場で、公爵令嬢であるわたくしを陥れようとした。相応の処罰はご覚悟の上ですわね?」

「アルバン様っ!」


 先ほどまで大げさに大げさを重ねて、さらに特大の大げさでくるんで狂ったように泣きの演技をしていたリザが即座にアルバンに助けを求める。


 彼女の肩を抱いたアルバンに、笑みを浮かべつつ瞳は凍えさせたエレオノーラが言葉を重ねて追い詰めようとした瞬間。

 彼女の肩を、誰かが抱いた。


「お義兄様?」

「すまない、到着が遅れてしまった。――なんの騒ぎだ、これは」


 氷の貴公子の名に恥じない、冷え切った鋭い眼差しで周囲を睥睨したクラウディオに、場の空気が二度ほど下がる。


 唯一、氷点下の空気の直撃を受けないエレオノーラだけが、困ったように微笑んだ。


「お義兄様、御用事は大丈夫ですか?」

「ああ。……司祭に足止めをされていたのが不思議だったが、お前の仕業だな。聖女リザ」


 凍てついた視線がリザへと注がれる。触れれば切れそうな冷徹な空気を纏ったクラウディオの言葉に、唯一エレオノーラだけが納得していた。


(自分の味方ではないお義兄様を排除する程度には頭が回るのね)


 軽蔑を込めた得心だ。彼女は浅く息を吐く。

 本来、怒り心頭の義兄を窘めるべきだが、ある程度リザを追い込むまでは放置してもいいかもしれない。


「殿下、妹との婚約を破棄されたとか」

「あ、ああ」

「殿下は本当に後先を考えない。私の具申を無視する程度なら放置しましたが、妹を軽んじるなら話が変わる」

「なに……?」


 王太子であり公爵令嬢の婚約者がいながら、聖女とはいえ平民であるリザを特別扱いするアルバンに、何度も苦言を呈していたのは誰でもないクラウディオだ。


 その姿はエレオノーラだって知っている。

 いや、学園に在籍した者は誰もが一度は目にしただろう。


 彼女の幸せを願ってクラウディオは無礼を承知で何度もアルバンに意見してくれたのだ。

 それらは全て聞き入れられることなく捨て置かれた。


 エレオノーラは何度か義兄に「もう大丈夫ですわ」と伝えたが、それでも意見することを止めなかったのは、ひとえに彼女の幸せを願ってくれていたからだと知っている。


「貴方が妹の『婚約者』で『未来の伴侶』だからと遠慮していましたが、そうではないならもう容赦しない」

「お義兄様……」


 自身の立場が悪くなることを鑑みず、忠臣として意見する。

 ずいぶんと心労を重ねながらクラウディオは立ち回ってくれたが、全ての努力は水泡に帰した。


「いいね、エレオノーラ」

「はい」


 だが、だからこそもうクラウディオを縛る枷はない。

 彼の確認には様々な意味がこめられている。

 全てを理解して、エレオノーラは頷く。


 それが、アルバンとリザ、そして二人を支持する三人の側近たちを含む破滅へのカウントダウンと承知して。


「聖女リザ――いいや、聖女を名乗る不届きもの! その身柄を拘束する!!」


 力強い宣言と共に、会場を守るように配置されていた騎士たちが機敏な動きでリザを包囲した。

 もちろん、彼女の傍にいるアルバンたちも含めて。


「どういうことだ! クラウディオ!!」


 余裕のない怒鳴り声をあげたのはアルバンだった。

 いつだって王子として気品ある言葉遣いを崩さなかった彼の初めて見る一面。


 だが、何の感慨もわかない。


(ああ、わたくし、本当にアルバン様のことがどうでもよかったんだわ)


 彼女にとって、徹頭徹尾、義兄が一番だった。


 アルバンには学園に入学する前はそこそこ心を寄せていたけれど、リザと目の前でいちゃつかれるのを間近で何年も見ていれば、流石に心が離れるというものだ。


 笑みを浮かべながらも『氷の貴公子』であるクラウディオと全く同じ、あるいはそれ以上に冷めた目でアルバンを見る自分自身に、本人だけが気づいていない。


「その女は甘い毒を使います。隣国で媚薬として使われる香水に、ある花のエキスを混ぜ魔力を流すと、それは毒となる」

「毒だと……?!」

「そう、人を唆し、意のままに操る猛毒です」

「っ?!」


 冷静な声音で淡々と、調べ上げたらしい真実を並べたクラウディオの言葉に、アルバンが思わずといった様子でリザを見る。


 彼女はこぼれんばかりに目を見開いて――そして、到底、聖女がするはずもない憎しみに満ちた目でクラウディオを睨む。


「どうして! アンタには効かないのよ!! 飲み物に原液を混ぜたのに!」


 リザの激情に任せた告白に、咄嗟にクラウディオを見上げる。

 彼は眉ひとつ動かさない。ただ、彼女を支える手に、少しだけ力がこもった。


「気づいてすぐに吐き出した。それにあの毒は万能ではなかった。お前に好意を持つ人間にしか効かない」


 つまり、そういうことだ。

 無から有は作れない。


 彼女の毒にはまったアルバンと側近たちには、大なり小なりリザへの好意があった。

 そのことに気づいたアルバンが、気まずそうに視線を逸らす。


 逃げるように外された視線を追いかけることなく、エレオノーラはそっと胸に手を当てる。


(お義兄様から彼女が出したものは一切口にするなと言われたときから、疑ってはいたけれど)


 ゲームにも出てくる好感度を上げるためのアイテムだ。

 とはいえ、作中では毒ではなくあくまで『香水』扱いだった。


 その香水を使った後に、卒業パーティーで意中の相手を誘うとそのキャラのエンドが見れる、という仕様である。


「殿下、貴方が毒に耐え妹を優先してくれると信じていました。だが、貴方は見え透いた嘘に騙され、妹を裏切った」

「……」

「エレオノーラを傷つけた貴方を、公爵家は許さない。父は貴方の後見人から外れたうえで、陛下に正式に抗議すると仰せです」

「っ」


 アルバンが目を見開く。

 わななく唇からは、けれど声が発せられることはない。


 この国において、宰相は国王に次ぐ発言力を持つ。

 王太子であるアルバンより声が大きいのだ。


 そんな公爵が後見人から外れ、彼の行動について正式に抗議するならば、王太子の座すら危うくなる。


(ゲームに出てこなかったし、攻略対象ではないけれど、アルバン様には三つ年下の弟君がいらっしゃる。王太子の座は失くしたも同然ね)


 浅く息を吐く。彼への罰はこれで十分すぎる。


(残るは)


 騎士に囲まれ、床に押さえつけられ。呆然とこちらを見上げているリザの処罰。

 けれどこれも、エレオノーラが口を挟むまでもない。


「毒を使って聖女を名乗り、国を揺るがした大罪人。貴様は極刑を免れん。とはいえ、正式な処罰が決まるまで、地下牢に幽閉する」


 書面を読み上げるように朗々と告げられた言葉。

 恐らく水面下でリザの調査が行われ、すでに決定事項となっている。


 しかし、それがわからないらしいリザはクラウディオの言葉に反論しようと口を開いた。


「わたしは!」

「ああ、煩い虫が飛んでいますわね」


 聖女の仮面がはがれた罪人に容赦はいらない。


 軽く手を振ったエレオノーラは、空気の塊をリザの口の中に押し込んだ。

 「むぐっ」と苦しげな声が聞こえたが、知らぬふりをする。


「その他三名、貴様たちは屋敷にて待機せよ。追って沙汰を伝える」


 モブ同然の攻略対象三人が悄然と肩を落とす。

 しっかり彼らへも言及されて、エレオノーラは満足だ。


「お義兄様、わたくし少々疲れました。お屋敷に帰りませんか?」


 兄妹の感覚でギリギリ許される距離感で、すり、と体をクラウディオに近づける。

 無意識に口から零れ落ちる甘えた声音に、本当に彼が大好きなのだと実感してしまう。


「そうだな。か弱いお前にずいぶんと無理をさせてしまった。――私たちは帰宅する。後は任せた」

「畏まりました!!」


 少々過保護な言葉ではあったが、労わられて悪い気はしない。

 後を騎士たちに任せて、二人は悠然とその場を後にした。






 屋敷に戻ったエレオノーラは、アルバンという婚約者を得てからは立ち入りが禁止されていたクラウディオの自室に招かれた。


 豪華なソファに腰を下ろして、二人並んで座る。

 こうしていると、幼い日を思い出して懐かしい。先ほどまでの騒動で冷えていた胸が暖かくなる。


「すまない、エレオノーラ。お前を餌にしてしまった」

「気になさらないで、お義兄様。陛下かお父様のご指示でしょう?」

「お前は賢いな」


 小さく口角を上げた兄の表情と言葉から正解だと理解する。

 にこりと家族にだけ向ける裏表のない笑顔を浮かべて、彼女はクラウディオの肩に寄り掛かった。


「……ここだけの話なんだが」

「はい」

「ジョエル殿下から、王になった暁には褒美を頂ける」

「まぁ」


 ジョエル・ファイエッティはアルバンの弟で、第二王子だ。

 今回の騒ぎで失脚することが確実のアルバンの代わりに王太子になるジョエルから、褒美を下賜されるというのはめでたい話だった。


 だというのに、クラウディオの言葉はどこか固い。

 不思議に思って見上げると、彼は普段はクールな瞳をでろでろに溶かして、熱のこもった眼差しをエレオノーラに注いでいる。


「それで、私は願いを一つ伝えてある」

「お義兄様のお願い、気になります」


 公爵令息であり、将来は父の後を継いで宰相の地位が約束されている彼が、未来の王に願うこと。

 それは『王』という立場でなければ、実現不可能な願望であるということだ。


「私は……」


 ごくり、クラウディオがつばを飲み込む音がやけに生生しく響く。

 一拍おいて、彼は緊張した面持ちで、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「エレオノーラが欲しい、と願った」


 かすれた声音で吐き出された言葉に、思わず目を見張る。

 ゆっくりと甘えていた体を起こして正面からクラウディオに向き合うと、彼はらしくなく緊張して死にそうだ、と表情で伝えてくる。


「もちろん、お前の意思が最優先だ。私の元に縛るつもりもない。だが、この先望まぬ結婚を強いられる可能性がなくなるから」


 言い訳のように――事実、言い訳であるのだろう。

 早口に並べたてられる言葉たちに、彼女はくすりと笑った。

 くすくすと、口元に手を当てて笑うエレオノーラに、クラウディオの言葉が止まる。


「エレオノーラ、私は」

「お義兄様、ありがとうございます」


 そっと、義兄の手をとる。白い手袋に包まれた指先は、布越しでもわかるほどに冷えている。

 体温を分け与えるように握って、彼女は笑み崩れる。


「わたくし、昔からお義兄様が大好きでした。ぜひ、お義兄様のお嫁さんにしてください」

「っ」


 クラウディオが息を飲む。そして、ゆるゆると口元を緩めた。

 緊張で固まっていた表情が朱に染まり、喜びを如実に伝えてくる。


「エレオノーラ……!」

「きゃっ」


 勢いよく抱き着いてきたクラウディオに、思わず声がでた。

 だが、欠片も嫌ではない。


 彼の腕の中にぎゅうぎゅうと抱きしめられて、少し息苦しいけれど、幸せだった。

 言葉はない。だが、言葉以上に雄弁に喜びを伝えるクラウディオの背に、そっと手を添える。


(ずっと、諦めていたの)


 義兄だから、血は繋がらないけれど、『兄』だから。


 隣には立てないと思っていた。色んな理由をつけて――自分は『悪役令嬢』だから、と彼を見ないようにしていた。


 幸せを願うなんて方便で、本当は彼女自身が彼の隣にいたかった。


(でも、諦める必要はなかったのね)


 こんなエンドを迎えるなら。

 悪役令嬢も悪くない。断罪されかけた意味もあった。

 そう思ってしまう。


(ああ、恋で暗愚になった殿下を笑えないわ)


 だって、いま。

 世界で一番、恋によって幸せをかみしめているのはエレオノーラであるから!!





読んでいただき、ありがとうございます!


『悪役令嬢の最推しは『氷の貴公子』のお義兄様!!』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?


面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも


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