イヤーエステ60分コース アンナ1
アンナは十八才のお姫様である。
見目麗しく、家臣に優しく、いつもふんわり微笑んでいる。
お花のような女の子だった。そんな彼女は今、ものすごく悩んでいる。
(どうしよう。耳の奥がすごく痒いわ……)
アンナは、人に耳を触られるのが怖かった。イヤリングなどの装飾品も自分でつける。
小さな頃に医者が金属の棒で耳の穴を触った時、怖くて動いてしまって、痛い思いをしたからだ。
今までも痒い事はあったけど、誰も見てない所でこっそり小指を突っ込で、尖った爪先でカリカリひっかいていた。
でも、今回はもっと奥。指では届かないほど奥が痒い。
(ああ! 耳の穴を裏返して、お水でジャブジャブ洗いたいわ)
そんな風にもどかしく思いながら、礼拝堂で朝のお祈りを捧げていると、パアッと光に包まれて、アンナは見知らぬ場所にいた。
せまっ苦しい場所だった。後ろには鉄の扉があり、目の前にはガラスの扉があった。どちらも両開きでピッタリ閉まっており、ノブは見当たらない。
ガラスの向こうは白い壁とカウンターで、白衣の女性が一人いた。
しばらく戸惑っていたアンナだったが、意を決してガラスの扉を叩こうとする。
するとガラスはひとりでに、スーッと開いた。
カウンターの向こうの女性が、ニッコリと微笑む。
「いらっしゃいませ! リラクゼーションサロン高天原にようこそ。ご予約のお客様ですか?」
「……予約?」
「はい。当店は完全予約制となっておりますので。お名前を伺っても?」
「ええと。わたくしの名前は、アンナです」
「庵野様。ああ、ご予約がみつかりました」
「えっ? 予約が……あるですって?」
「はい。神様というお方が、庵野様名義でインターネット予約をしておりますね。料金も前払いで頂いております。イヤーエステ六十分コースですね。こちらへどうぞ」
白衣の女性に促されるまま、アンナは部屋に通されてゆったりとした椅子に座らされる。
すると今度は、薄いブルーの服を着た男性がやってきた。
「よろしくお願いします。今日、担当させていただく江戸川と申します。それでは失礼いたします」
そう言うと彼は、布でアンナの耳を拭こうとした。
アンナは思わず手で耳を抑える。
「ひゃんっ!? あ、あの……エドガーさん。わたくし、他人に耳を触られるのが怖いんです。小さな頃に痛い思いをしたことがあって……!」
「そうなんですか。では、ゆっくり、優しくやりますね。痛かったり怖かったらすぐ止めますので、おっしゃってください」
男の物腰は丁寧だった。小さな頃に怖かった、老医者とは違う。
まだ恐れはあったが、アンナはそっと手を放して、彼に耳を委ねてみた。
布は厚手でほどよく湿り、人肌に温かく柔らかだ。
男は耳介と穴の周囲をグルリと拭うと、黒い棒をアンナの耳へと近づける。
それから何やら肌色の洞窟みたいなものが描かれた板を、アンナの前に動かして見せた。
「これはイヤースコープです。今、画面に出ているのが庵野様の耳の穴になります」
「嘘っ……? こ、これ……! わたくしの耳の穴なんですかっ!?」
男が棒を動かすと、板の絵も姿を変える。
白くて短い毛がたくさん生えていて、ボワボワしててみっともない。
「は、恥ずかしい……! 見ないでください……」
顔を抑えて赤面するアンナに、男は安心させるように言った。
「大丈夫ですよ、庵野様。僕らはプロですから、耳の穴は見慣れています。まずは、ハサミで毛をカットしましょう」
「刃物を入れるんですか!? それはちょっと……」
「刃先は、このように丸まっております。どうしても怖ければ、カットは無しにしましょう」
言いながら男は、丸まったハサミの先を指の腹で押して見せた。
その動作よりも、アンナは男の指にハッとした。
(えっ!? 男の人の指って、こんなに長くてしなやかで綺麗なものなの……?)
お城にいる男たちの手は、もっと無骨でゴツゴツしている。文官の手だって、指先が荒れてガサガサしてた。
なのに、今小さなハサミを操る指は白くて傷ひとつなくて、爪も綺麗に手入れされてる。
驚くほど美しく滑らかな肌なのに、女のそれとはキメが違う。
大きさや、骨の太さも男のそれだ。
不思議な気持ちで見つめていると、手はスッと引っ込んだ。
「大丈夫そうですか? それでは、カットさせていただきます」
チョキョチョキ……ショキショキ……。
やっぱり耳のすぐそばで鳴る金属音は恐くって、アンナは身をすくませる。
でも目をギュッとつぶって耐えていると、カットはすぐに終わった。
さきほどの湿った布でまた軽く拭われる。
「次は、穴の中のお掃除です」
板の絵が動き、穴の奥を映し出した。
中には薄黄色い垢がビッシリ張り付いてて、アンナは背筋がゾッとした。
「ええっ! わたくしの耳の中、こんなに汚れてたんですか!?」
「ああ、これは良くありませんね。耳垢が押し込まれて固まっています。これでは、自然には出てきません」
男が真っ白な綿が張り付いた棒を、耳の中へと入れた。
ゾリゾリ、ズリズリ……ズグゴォ、そんな音がして、垢の一部がポロリと剥がれる。
それを何度か繰り返して、ようやく入り口付近の垢はなくなった。
けれど奥を覗いてみると、上半分を覆い隠すように、濃い茶色の垢がベッタリと張り付いている。
「鼓膜に耳垢がくっついていますね。できるだけ綿棒で、頑張ってみます」
男は『綿棒』で、茶色い耳垢を擦りだした。
ザリッザリ……ズゾッゾ……ズズズ、ズズゥ……。
台風の夜みたいな大きな音が、耳の中で鳴り響く。
だけど茶色い耳垢はガッチリと肌にへばりつき、柔らかな綿球ではいくら擦っても埒が明かない。
弄られているアンナも、壁を一枚隔てた場所を摩擦されているような、なんとももどかしい気持ちになる。
(あぁ……。たぶん、痒いところはすぐ下なのに!)
男はしばらく綿棒を動かしていたが、諦めたような声を出した。
「庵野様。固まってしまって、どうやら綿棒では取り切れないようです。耳かきを使ってもよろしいですか?」
次の更新は三時間後です。
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