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1-2:獣人少年リオと無口魔術師ノエル

 森の奥深く、木々が光を遮るその場所で、一つの騒動が起きていた。


 木々を揺らす激しい足音。枝をかき分け、地面を裂くような勢いで走る影が二つ。


 ひとりは、犬のような耳としっぽをもつ獣人の少年、リオ・ブラウン。もうひとりは、黒のローブをまとった寡黙な魔術師、ノエル・ヴァレンティア。


 二人は森の中を必死に駆けていた。後ろには、一体の魔物が迫っていた。


 それは漆黒の毛並みをもつ四足の魔獣だった。人間の腰ほどの体高で深紅の瞳をぎらつかせ、唸り声を上げながら地を蹴る。その姿は、獲物を逃がすまいとする狩人のようだった。


「っ! リオ、こっちだ」


 ノエルが低く短い指示を飛ばす。リオは即座に反応した。


 二人は茂みを抜け、一本の細い小道に飛び出す。そこは、木漏れ日の差す静かな場所だった。その穏やかな風景とは裏腹に、獣の荒い息づかいが空気を張りつめさせた。


「ノエル、来てる……!」


 リオの犬耳がぴくりと動き、しっぽが強張る。彼の嗅覚と聴覚は、魔物の接近を確かに捉えていた。


「わかってる。走れ」


 ノエルの言葉に従い、ふたたび足を踏み出そうとしたときだった。

 草を割って、魔物が姿を現す。赤い瞳がぎらつき、牙が陽光にきらめく。


「グガアアアッ!」


 咆哮とともに、魔物は二人に向かって襲いかかった。

 ──その瞬間だった。

 “ばちん”という乾いた音とともに、魔物の体が空中で弾き返される。まるで目に見えぬ壁にぶつかったかのように、空中でバウンドし、地面に叩きつけられた。

 土煙が舞い上がり、静寂が訪れる。


 リオとノエルは足を止め、その場で動けずにいた。


「なに、これ……?」


 リオが目を丸くする。ノエルはわずかに目を細め、静かに呟いた。


「結界……か」


 魔物はなおも唸り声を上げていたが、それ以上こちらに近づこうとはしなかった。何かに阻まれているように、足を一歩も前に出せない。


 そして二人の視界に、一軒の建物が姿を現す。

 ──《ヒヨリ亭》。


 木造の温かな風合い。そこには不思議と心がほどけるような安らぎがあった。


 ほどなくして、店の扉が静かに開かれる。


「大丈夫!? 怪我してない? こっちへ入って!」


 そこに立っていたのは、一人の少女だった。

 黒髪をポニーテールに結び、エプロンを身につけている。穏やかながら、芯の強さを感じさせる黒い瞳の持ち主──この店の主、一ノ瀬ひよりである。


 二人は顔を見合わせた。まだ警戒の色は拭えなかったが、彼女の差し伸べた手と、結界の安心感に背を押されるように、足を踏み入れる。


 ──こうして、《ヒヨリ亭》に最初の客がやってきた。

 扉が閉じる音とともに、魔物の唸り声も、遠くへと消えていった。


 店内は静かで、あたたかかった。

 ノエルは警戒を解かぬまま椅子に腰を下ろし、リオはきょろきょろと辺りを見回す。


「ふわあ……なんか、あったかい匂い……すごい、安心する……」


 その耳がぴくぴく動き、しっぽがふわりと揺れる。その仕草は、どこか幼さを残した無邪気さがあった。


「よかったら、お水でも飲んで」


 ひよりが差し出した氷水に、リオの顔がぱっと明るくなる。


「ありがとう、お姉さん!」


「私は一ノ瀬ひより。このお店の……まあ、店主みたいなものかな」


「ぼく、リオ・ブラウン! こっちはノエル・ヴァレンティア!」


 にこにこと自己紹介するリオの横で、ノエルは軽く会釈するだけだった。しかし、その視線は静かに、ひよりを観察するように見つめていた。

 不器用な青年──それがひよりの最初の印象だった。


 やがて、ひよりがキッチンに戻ると、ぽん太が湯気を立てる鍋を覗き込んでいた。


「にゃはー、最初のお客さんとの出会いは運命的だにゃ」


「茶化さないで。ちゃんとおもてなし、しないと」


 そう言ってひよりが運んできたのは、あたたかなキッシュと根菜のスープ、そして琥珀色のハーブティー。


 キッシュの断面からはとろけたチーズが顔を覗かせ、スープからは野菜とベーコンのやさしい香りが立ちのぼる。ハーブティーには、ほんのりレモンと蜂蜜の香りが漂っていた。


「初めてのお客さんへのサービス。もしよかったら、食べてみて。」


 ひよりが出した皿を見て、リオの瞳がきらきらと輝いた。


「うわぁ……!」


 リオは目を見開き、ひとくち口にすると──


「……うまっ! これ、すっごく美味しい!」


 その率直な喜びに、ひよりの胸の奥がほんのりと温かくなる。

 ノエルもまた、静かにスプーンを持ち、スープをひと口。何も言わずに、ただ一度だけ、小さくうなずいた。


 時間が経つにつれ、ノエルの肩から少しずつ緊張が抜けていくのがわかった。彼の視線は店内をゆっくりと巡り、やがて窓の外へと流れる。


 その静かな眼差しの奥にも、言葉にできない何かがあるのだろう。ひよりはそう感じていた。


 そしてリオは、少し頬を赤らめながら、ちらちらとひよりを見ている。


「あの……ひよりさんって、すっごく優しいし、料理上手だし、きれいで……」


「えっ、なにそれ、いきなり?」


「う、ううんっ! なんでもない、なーんでもないっ!」


 しっぽをぶんぶん振って慌てるその姿に、思わず店内に笑いがこぼれる。


 ──こうして、《ヒヨリ亭》の物語は動き出した。

 まだ見ぬ誰かを迎えるための扉は、やさしく、静かに、開かれていた。

 


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