空に染まる
いつだったか。彼女は僕に「空」を教えてくれた。
「空はね。高くて、広くて。すっきりと青いの」
僕にはよく分からなかったけど。
その言葉は、僕の白く無機質な空に色を付けた。
ある日。部屋のロックが動いてないことに気付いた。
あんなに厳重で重たかったドアは、軽く押すだけであっけなく開いた。
外には誰も居なかった。
埃の溜まった長く白い廊下。階段。踏み散らかされたデータ。草木が好き放題伸びたエントランス。
ドアを押し開ける。光が目を刺し、少し冷たい風が髪をすり抜けていった。
目を開けると、乱立する傾いだ直方体の隙間に、高くすっきりと抜けるような青があった。
直線的な影に切り取られて、広くはないけど。
白い何か――雲といった気がする――が流れる空は。
手を伸ばしても届かない、淡く綺麗な青だった。
「いつか、本物を見せてあげたいなあ」
記憶のどこかに残っていた声が、耳の奥で蘇った。
彼女の声が、僕を染めていく。
無機質な白を塗っただけの青ではない。
高く。広く。すっきりとした青――空色に。
「ああ、なるほど。これが……」
今、この世界で僕だけが見上げているこの色を、ようやく理解できた気がした。
生命維持研究所・被検体 S01-a(通称:ソラ)