愚者。
誤字報告ありがとうございました。
ルート・カドック視点。(三月十日)
腫れた顔のまま寮にもどったら寮長が待っていた。
「ルートさん、学園長からの呼び出しです。すぐお行きなさい。」
もう春季休暇に入ってたから、あまり生徒は残っていなかった。
だが、すれ違った時俺の腫れた頬を見て、忍び笑いを漏らす奴もいた。
「ああ、随分と腫れているな。」
学園長は、濡れたタオルを用意してくれた。
「レプトン君かね?殴ったのは。」
「…はい。」
「まあ、気持ちはわかるがね、かけたまえ。」
何を言われるのだろうか。
ため息をついて学園長が言った。
「君の学費と寮費は公爵が払っておられる。
まずこれに君は感謝しなくてはならないよ。」
―だって、約束したじゃないか。学校卒業までは援助するって。
「いいかね。君には後一年頑張って、王宮の文官か騎士になるのが最善の道だ。わかるね。」
「あの、今度15日に話しあいがあるって聞きました。」
「らしいね。」
「そこで謝れば、きっと!」
「…何を言ってるのだね?謝って?ロージイ嬢と別れると?」
「いや、それは。」
「もうそんな段階じゃないんだよ。いいかね。
まず、あの場に王太子様がおられた。
あの方が婚約破棄を認め、更に公爵家にはなんの瑕疵もない、と認められた。
…と言うことは、もう破談は決定だ。
誰が慰謝料をメリイ嬢に払うんだ?キミたちだよね。」
「そんな、慰謝料だなんて、大袈裟です。ただ結婚相手を代えただけなんです。」
「大袈裟かねえ。公爵家の縁談なんだよ。知ってるかね?公爵夫人が倒れたことを。」
「―え?」
「彼女は君を可愛がっていただろ?
君の親が、残した屋敷の管理をしていた。家具を揃えて使用人を置いて。
君たちが結婚したらすぐ、そこで新婚生活を送れるように。
まさかねえ。他の女との逢瀬に使われるとはね。
裏切られた気持ちでいっぱいなんだろうよ。」
「倒れたって、そんな。」
「メリイさんのために最高級品の絹を織らせていた。やっと出来上がったのに。それをウェディングドレスにするつもりだったのに。
もちろんキャンセルだよ?いくらの損失だと思うのかい?
もちろん他にもいろんな準備をしていた。招待客への手紙や会場や教会の予約なんかも。
ああ、楽団もね。すべてキャンセルだ。
費用もだが彼女の気持ちを踏みにじったんだ。」
「…頼んでませんよ!ドレス?会場?楽団?
なんでそんな事で責められるですか?
では!心を殺してメリイと結婚すればよかったんですか!?」
学園長は、はーっとため息をついた。
「良いかね、王宮勤めしかないと言ったのは、
一応受験の時、私生活で差別はしないことになってるからだ。
学生結婚をした生徒も、駆け落ちして戻ってきた生徒も受験は出来た。
先ほどね、ロージイ嬢とも話したがね。彼女の方がよっぽどわかっていたよ。
来年女官試験を受けるらしい。」
「ろ、ロージイはどうしてますか!」
学園長は、立ち上がり窓側に行った。
「女子寮にいたけど、先ほど御実家に帰った。
兄君が迎えにきてね。
彼女はちゃんと慰謝料を払わなければならない場合を考えていた。
…君には資産がないよね?
多分、彼女の家が被るんだろう。」
状況が呑み込めない。なんでそんなことになるんだ?
それよりも、おばさんが倒れた??
「あの!おばさんは大丈夫なんですか?倒れたって、そんな。」
ふ、と学園長の視線がやわらいだ。
「公爵夫人と呼びたまえ。そうか、キミにも彼女を心配する心は残っていたのだな。良かった。
それも無ければキミを見限るところだったよ。
知っているかね。彼女は私の従姉妹なんだ。」
「え?」
「何も気がついていなかったんたな。
隠していないから耳をすませていれば、わかったはずだ。
いいかね、貴族社会は、いや、貴族と言わず世の中は狭いんだ。
常に情報収集につとめたまえ。高位の貴族の姻戚関係なんか基本だよ。」
「そんなの、誰も教えてくれませんでした。情報収集が必要だなんて。
ただ、勉強だけしてればいいと!」
「だから今教えている!ギリギリ間に合うようにな!これは私の教育者としての良心だ。
いいか、公爵は優しいんだ。本当ならキミを、即日無一文で、ほうりだしても誰もせめないんだ。
キミの親との約束だって書面に残ってるわけじゃない。面子を潰された彼がキミをどう扱おうと誰も文句言わない。
しかもね、もっと人が良いレプトン君が君に助け舟を出した。あの場でかばってくれたんだよ。
わざわざ学費の事を念押ししてくれただろう。
アレが無ければどうなっていたか。」
「でも殴られたんですが!」
何でアイツが良い奴なんだ?
「それはそうだろう。可愛い妹を馬鹿にされたんだ。みんな聞いていたんだ。
キミが綺麗な女と結婚したい。と言ったことを。
そしてもう広めてる。良いスキャンダルだ。
私がキミは王宮に勤めるしかない、と言ったのはキミの評判は地に落ちているからだ。
キミを雇いたいものなどいないんだ。
もちろん、愛娘を馬鹿にされた公爵が一番だろうよ!
…私からキミへ忠告することは二つ。
学業や剣の稽古に励むこと。
それから部屋を替わることだ。」
あまりの言い分に頭の中が追いつかない。
みんな婚約者を軽く下げて愚痴を言ってるじゃないか。甘やかしたらツケあがるって。
「別にメリイを不細工だと言ったわけではなく、
好みの女性と結婚したいと言っただけなんです、
何故、そんなに悪く取るんでしょうか。」
知らず知らずに涙が流れてきた。
悔しくて。
学園長はため息をついた。
「いいかね。世間は引っ張り合いなんだよ。
今までは公爵家の保護があったし、学園の中だから穏便に済まされてきた。多少の軽口はね。
だけどね、第三者がいたんだよ。卒業式だからね!まったくそんな事もわからないとは。」
ジワジワと恐ろしくなってきた。俺はとんでもないことをしたのか?
「あの、それよりおばさん、いや、公爵夫人の具合はどうなんですか。」
「ああ、まだ心配はしてくれてたんだね。
彼女は冬の始めに倒れたよ。
キミがロージイ嬢と、とても親密な関係になった、と聞いてね。」
え…すぐにバレていたのか?
流石に息が止まった。
「ああ、今は回復している。しばらくは起き上がれなかったが。今はキミに対する怒りで一杯で、もう会いたくないそうだ。」
あの優しかったおばさん。
怖い夢を見た時は抱きしめてくれた。
美味しいパンケーキや、クッキーを作ってくれて、
いつも温かい目で、微笑んでくれた。
大好きだった。本当の母だと思ってくれと言ってくれた。
レプトンやサードとケンカした時も、ちゃんと言い分を聞いてくれた。
あちらが実子だからって、ひいきすることもなく。
分けへだてなく育ててくれて、
死んだ母を懐かしむこともほとんどなかった。
―俺に対する怒りで倒れた?
「なあ、なぜ公爵からの手紙を無視したんだ?
最後はメリイ嬢が手渡しに行ったんだろ?」
「…怒られると思ったからです。」
「公爵はキミを呼び出そうとしていた。
そこで誠心誠意謝っておけばまだ、道はあったのに。楽な方に逃げたんだな。」
言い返せない。彼女に浮かれていて、怖かった。
最初はちょっとした夢だと思っていた。
そのうち子爵をついで、彼女と慎ましくこの屋敷で暮らすのも良いなと思い始めた。
王宮に勤めて、あの田舎の領地には帰らない。
あちらには洒落た店もない。彼女を輝かせるドレスだって手に入らない。
ここで暮らそう。ロージイさえいれば何もいらない。
二人で朝を迎えた時、こんな幸せがあるのかと思った。彼女に会う為に生まれてきたと感じた。
…執事が俺を殺しそうな目で見た。
公爵からの手紙がすぐに寮の部屋に届いた。
開けて見る勇気がなく、そのまま別邸に戻った。
「…ところで何故寮の部屋を替わるんですか?」
「キミは今特別室に入っている。公爵の身内扱いだったからだ。」
「ではもう、安い部屋の寮費しか出さないと?」
「それが公爵の凄いところでね、そのままでいいと。だけどね、安い部屋に替わると費用が浮く。
これからのために貯めておきたまえ、という私のアドバイスだ。」
「そこまで、ですか。そんな。惨めな。みんなが私を馬鹿にするじゃないですか。
貴族には面子が必要だとおっしゃったでしょ。」
学園長が心底あきれた、という顔をした。
「そんなものとっくにないだろ。キミの名誉も面子も。キミはな、学園始まって以来の恥さらしと恩知らずと言われているよ。
私はな、キミをあえて、同じ子爵家の子息たちと同室にしようと思う。
それから身の振り方や自分の立場を考えたまえ。
高位の子息と同室にでもなってみたら下男の代わりに使われるよ。あちらが爵位が上なんだからね。
キミはいままで公爵家にいたが、ただの子爵令息なんだよ。
――下手したら貴族でいられないかも知れないんだからな。」
え?
「一度聞いておきたかった。キミはどうするつもりだった?
ロージイ嬢を秘密の恋人にして通うつもりだったのかね。」
「それは考えてませんでした。ただ、彼女と結婚して、王都で暮らすつもりでした。」
「仕事は?霞を食べて生きて行けると?」
「おじさん、いえ、公爵家の商会を任せて貰えると思っていて、王都の支店だと。
あの家から通いやすいところの支店だと…そういう話だったから。」
そうか。俺は間違えたのか。
王都の支店はメリイとセットだったのか。
「ああ、本当にキミは花嫁の交換だけで済むと思っていたんだね。」
学園長の目は憐れんでいた。
「―はい。外国語も三カ国語は話せますし、算術や経済や歴史も成績は良かったから。
仕事も手伝っていたからある程度は流れもわかりますし、わざわざ別の人を雇う必要はないと思って。」
そうだろ?俺の方が気心が知れているし。
「うん、わかった。キミは馬鹿だったんだな。
幾ら成績がよくても、人の心がわからないんだ。」
学園長は扉を指差して退室をうながした。
「優秀と思っているかもしれないがね。
あの二人は飛び級で卒業した。キミは違うだろ。」
そして扉を閉められた。




