赤い髪の女①
誤字報告ありがとうございます。
※ゼルド・グローリー公爵(メリイの父)視点。
時々夢に出る。赤いドレスの女が泣いている。
涙がパーティ会場の灯りでキラキラと光っている。
――ずっと、ずっと貴方が好きだったの。
それだけなの。
ぽろぽろ、ぽろぽろと涙が落ちていく。
真珠の粒の様だ。
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貴族の結婚は契約だ。
惚れたはれたの世界では、ないんだ。
早めに生涯の伴侶が決まってしまえば楽だ。
私は学園に入る前に侯爵家の娘を紹介された。
栗色の髪をふんわりと巻いた色白で小柄の娘。
悪くない、と思った。
健康そうで可愛らしい。頭も悪く無さそうだし口数も少ないけど余計な事も言わなそうだ。
そして青く透き通る瞳が意志の強さをたたえていた。
これ以上を望んでも仕方ないし、迷っているうちに他の候補者に取られるかもしれない。
それに結婚相手を探すという時間と手間から解放されるのだ。決めてしまえば後は気楽だ。
ゆっくりと親交を深めていけば情も湧いてくる。
激流のような感情はないが、この穏やかに流れるせせらぎのような関係に満足していた。
学園に入ったら友人達は色恋沙汰で忙しかった。
私は婚約者マリーと穏やかな日常を過ごした。
ダンスやパーティー、学園行事のたびにパートナーが決まっているのは楽で良いものだ。
私には親友がいた。隣の領地の伯爵家の三男だ。
子供の頃から二人で野原を駆けずり回って遊んだ。二匹の子犬がじゃれてるようだと良く言われた。
とても幸せな子供時代だった。
何の損得もなく付き合ったのは彼だけだ。
学園に入ったら彼、ハルトは子爵家の三女に恋をした。
「婿入りするんだ。彼女と生涯を共にしたい。」
…その通りになった。彼らは馬車の事故で死ぬ時まで一緒だった。
ルートの両親だ。
学園時代、私とマリーとハルトとその彼女はいつも一緒にいた。
入学した時の夏、一人の女生徒が噂になっているのを知った。
赤い髪の美貌の女だ。さる高貴な方の落とし子かも、と言うウワサもあって、みんなが注目した。
彼女は、どこかオドオドして自信なさげで。
金色にも見える橙色の瞳はいつも潤んでいて。
豊かな胸に細い腰。危機感のない行動。
誰かに手折られるを待っているような女だと言われていた。
そして高位の貴族の子息達が群がった。
学園時代だけの恋人にしたいのだろう。あまり誠実な言い寄り方ではないようだった。
次の年の春。
また彼女のウワサを聞いた。
二つ上の兄が学園にいるウチは良かったが、卒業したとたん、砂糖に群がるアリの様に寄って来たのだそうだ。
ハルトとその彼女は憤慨した。
「僕らと一緒に居るといいよ。」
ある伯爵子息に追いかけまわされて、涙目になった彼女を連れてきた。
涙でうるんだ瞳が上眼使いでコチラを見たとき、
胸を衝かれたような気がした。
「僕もそうだがね、ゼルドも婚約者以外は目に入らないんだよ、ねっ。」
ハルトはコチラを見て笑った。
私は頭を下げて同意した。
私は人に後ろ指をさされることはしたくない。
だから不貞はしないと決めている。
それからその女、バーバラは私達と行動を共にするようになった。
そう、ロージイの叔母だ。
その日五月の中庭には赤い薔薇が咲いていた。
薔薇の様な女だなと思ったのを覚えている。
学園で、私は自分でも女性にそっけなくしていた自覚はある。
婚約者がいるから、他の女性は要らないのだ。
好意を寄せられることがあったが、鬱陶しいだけだ。
バーバラの兄と結婚したあの女もまとわりついてきたな。
キッパリと拒絶したが、私のことを石や氷で出来ているのか、人の気持ちがわからない朴念仁だの散々罵られた。
「貴方は私に自分から何も話しかけてこない。安心します。」
あの女、バーバラから言われた言葉だ。
その評価は私を良い気持ちにさせた。
それから、彼女を目で追うことがあった。
くるくる変わる表情。
大きな目は長いまつ毛で縁取られていて、唇はルージュを塗っていないのに赤い。
声は鈴を転がすかのようで、心の奥が揺さぶられる。
「貴方といると安らげます。」
彼女の言葉に、そうか、と、返した。
潤んだ瞳が私を見ていた。
彼女はいつもフワフワして危なっかしかった。
強い風に飛ばされそうな。
強く迫られたら断れずに流されそうな。
強引な男との間に入って、追い払ったことは何度もある。
「ありがとうございます。」
か細い声でお礼を言って、じっと上目遣いで見てくる。
その度に胸の奥が熱くなる。
三年生になった夏の日のことだ。
ある日、婚約者のマリーに呼びとめられた。
学園の中庭にはひまわりが咲いていて、噴水の水は勢い良く吹き出していた。
「バーバラのことが気になるのですね。」
「そんな事はない。」
「ずっと目で追ってらっしゃるのに気づいて無いのですか。」
「そんなつもりはない。珍しい花や蝶のようで目が引かれたんだ。」
そこでマリーはため息をついた。
「今なら間に合いますわ。私と婚約破棄なさって、
彼女を妻にお迎えになっては。」
頭を殴られたような気がした。
「君は、私が心変わりをして婚約を破棄するような人間だと思っているのか?
そんな不誠実な人間だと。
君とはそれなりに交流も重ねて、お互いを理解し合えて来たじゃないか。
君以上、私の配偶者に相応しい女性はいないと思っている。
信じてくれ、私は不貞はしない。
これまでも、これからも。」
マリーの目は潤んで今にも泣き出しそうだった。
「考えてみてくれ。私は公爵家の後継者だ。
あんな子爵令嬢なんか妻に出来るものか。
それに成績だって悪いし。下から数えた方が早い位だ。礼儀作法だって出来てない、あんな女を妻にしたら恥をかく。」
「でも、貴方の親友のハルトさんは、家を出て子爵令嬢と結婚なさるのでしょう?」
「アイツは伯爵家でも三男だから。
背負ってるものが違うんだ。それに、みんな夢をみてるんだよ、アイツに。」
「夢?」
「そう、綺麗なお伽話を読むようなね。身分差がある二人が結婚して幸せになりました、メデタシメデタシってね。
アイツだって婿入り先はもっと高位の家から沢山あったんだよ。だけど彼女を選んだ。
私には出来ないね。結婚は釣り合いが必要だよ、そうだろう?」
「貴方の考え方は分かりましたわ。」
それで終わった話だと思っていた。
それから、私はバーバラを避けた。
「何故、避けるのですか。私が何か失礼な事をしましたか。」
涙目で私に問う。
「何でもない。忙しいだけだ。」
彼女には縁談が決まりつつあると聞いた。
「相談に乗って欲しいのです。」
「私には関係ない。」
そして卒業式の日を迎えた。会場を出ようとマリーを探していたら、バーバラに呼び止められた。
「待って。話を聞いて下さい。もう、お別れなんですから。
―ずっと、貴方が好きでした。それだけなんです。」
彼女の目から涙が溢れていた。
ポロポロと。
思わず手を伸ばした。
ああ、早く涙を止めなければ。
「何をなさっているの?」
マリーの声が私を現実に引き戻す。
「バーバラさん?お兄様が貴女を迎えに来て、探してらしたわよ。」
「バーバラ!どうした?コイツに何かされたのか?」
「いいえ!いいえ!」
「ふん、どうだかな。アイツの話では血も涙もない冷血感だと言うしな。
さ、帰るぞ!」
兄に乱暴に手を引かれたバーバラは、泣きながら振り返りながら去って行った。
「さようなら、…さよう…なら。」
途切れ途切れに聞こえた、彼女の声。
生きている彼女を見たのはそれが最後だった。
バーバラは押し付けられた結婚が嫌で、家を飛び出して女優になった。
それから、つまらない男に引っかかったと聞く。
そして搾取されて病気になって早死にした。
ハルトが劇場に売られていたバーバラのブロマイドを見て、彼女を見つけて病院に入れたのだが、
もう手遅れだったと聞く。
彼女の兄、例のカドック子爵だが大層ハルトに感謝したらしい。
そして、私はハルトの死後ルートを引き取った。
形見のアルバムのことは忘れていた。
そしてあの日。幼いルートが私の部屋で、親の形見のアルバムを見ていた。
それはまだいい。
問題はルートがじっと持って見つめていた、ブロマイドだ。
息が止まるかと思った。
―バーバラ!
彼女を探した時に使ったブロマイドか!
アルバムに挟んであったのか。
食い入るように、魅入られるように見つめているルート。
その手からすっと、取り上げた。
「ご両親の形見のアルバムはおじさんが預かっておくよ。」
グズグズと泣くルートに、ハルト夫妻の写真を一枚与えて黙らせた。
それから何年も経った。子供達は学園に入学した。
―そして、ロージイという女が現れた。
バーバラにそっくりの顔をして。
強かで、頭も良くて、立ち回りも上手い、憎らしい女が。
ルートはその女に誑かされて、メリイを紙屑の様に捨てた。
私たち家族の今までの愛情や教育や何もかも。
簡単に捨てて、あの赤毛の女を選んだ。
…許せるものか。二人とも。
あの女は哀れなバーバラでは無い。
現実を見てもらおう。
あの女の家には慰謝料を請求してやる。
あの女には女官試験を受けさせる。
合格させて、あの女の兄を失職させる。
金に困っていて、しかもあの女の兄、ケイジに嫉妬しているボーモンという事務官を抱き込んだ。
ロージイには、女官になるという夢を見させて、その後叩き落とす。
そのためにボーモンには、侍女達を味方につけて嫌がらせをしてもらった。
―何、君が退職したあとは面倒を見るよ、あの女狐に城勤めの厳しさを教えてやってくれ。と。
女狐よ。城から出たあとはどこへでも行け。
もう表舞台に出てくるな。
ルートにはそのうち騎士団に入ってもらう。
そしてそのまま帰ってくるな。
二人とも私の前から消えてくれ。
この話でも、タイトルを回収しました。




