長い長い想いにさよならを。
目の前で寄り添って話している男女。とても幸せそうだ。
男生徒は黒目黒髪。女生徒は派手な大輪のバラのような少女だ。燃える様な赤い髪。トパーズのような淡い黄色の瞳は煌めいている。
「もし良ければ、卒業したら俺と結婚してください。ロージイ。」
「ええ!ええ、ルート!私で良ければ。」
学園の中庭。噴水の前。
とても、とてもとても、美しい光景だ。
――ただ問題は、男性の方は私の婚約者だった。
12年前。私と双子の兄、レプトンが5つの時。
彼はうちに来た。お父様は言った。
「メリイ。彼はお父さんの友達の息子だ。今日からここで暮らすんだよ。お前たちと同じ5つだ。」
ビクビクしていた同じ歳の男の子。
「もう、大丈夫。ここで暮らしましょう。ずっと。」
抱きしめて慰めた。腕の中でわんわん泣く、小さな男の子の温かい涙が、私の腕の薄いブラウスの袖を通して染みてきた。
彼は事故で両親を亡くしたばかりなのだ。
名前をルートと言った。
彼を見た瞬間。洪水のように押し寄せてくる記憶。
桜の季節。校舎の窓。降りそそぐ花びら。
ひまわりの夏。プールの塩素の匂い。入道雲。
文化祭の準備。どこからか聞こえる演劇部の発声練習。
地を這うような吹奏楽部の音色。
クラス展示の看板。ペンキの匂い。
銀杏の並木。色づく紅葉。
霜柱を踏んでの登校。白い息。
冬の日。空からの風花。商店街のイルミネーション。クリスマスツリー。
それをずっと、貴方と見ていて、同じ時間を過ごした。
それが前世の記憶と気がついたのはまもなくだった。
私と同じ前世持ちの人は何人かいたらしい。
ここはグランディ王国の学園。貴族が通う学校だ。
学園に入ったら王妃様が前世持ちだと知った。見慣れた日本食がどんどん流通していった。
学園に入学するまでにはルートは私の婚約者になっていた。12歳の頃だ。
彼の父と私の父は親友で、亡くなる直前に、
「息子を頼む。」と言った。
父は承知した。父はうちの兄達と同じようにルートを育てた。
教育も。食べるものも、着るものも。
「可愛いウチの娘を頼むよ。ルート。何、外に出したくないんだ。これからも一緒に仲良く暮らそう。」
父も母も上機嫌だった。
ルートもにこやかにしていた。
「おじさん、おばさん、それに二人の兄貴。家族でいられて嬉しいです。」
ルートには前世の記憶はないのだろうか。
彼ではないのだろうか?
前世で私が普通の高校生だった時。
同じ中学から来て、同じ部活―――化学部に入ったのは彼だけだった。
同じ方向だから帰りは一緒になる事は多かった。
それまでは顔を知ってる程度だったけど、話してみると、好きな本や映画やら食べ物とか共通点も多かった。
少し口が悪くて斜に構えたところがあったけど、根は素直で優しい人だった。
下校中、泣いている迷子に優しく声をかけて保護したことがあった。ちゃんと膝をおって目を合わせていた。
振り返って私に、
「一ノ瀬がいてくれて良かった。オレひとりじゃ不審者になるところだったよ。」
目を糸みたいに細くして、へらりと笑った。
そのうち二人で誘いあって映画にいったり、喫茶店に入ったりした。
二年生になった春。映画の帰りに通りかかった公園で。
もう桜の季節は終わっていたのに、公園の奥にひとつだけ咲いた桜の木があった。
日当たりの関係だろう、時期が遅れた桜。
みんなお花見シーズンが終わって、もう桜は来年の気分になっているんだろう。
そこだけぽっかりと薄紅色に霞んでいた。
忘れられた桜は風が吹くたびにハラハラと花びらを散らした。
「綺麗だね。」
「ああ、綺麗だ。」
そこのベンチに夕方までいて、取り留めない話をして、そっと手をつないだ。
想いを伝えたいような、伝えたらこの関係が終わってしまうというもどかしさ。
明るい月を見て帰った。その時の手の温かさと、
春の蒼い美しい月を覚えている。
「また、来たいね。」
「うん、また来年来よう。」
来年桜が咲く時にはもう卒業している。
それが何かの答えのような気がしていた。
2人とも地元の大学を志願していた。
桜の花びらを踏んで帰った。
かすかな恋だった。その時月を見ていた彼の横顔を忘れられない。肩についた桜の花びらも。
会うたびに嬉しいけれど、わかれるときは2倍さびしくなる。
その頃流行っていた歌だ。その歌詞をずっと噛み締めていた。
来年は来れなかった。彼はその夏、帰らぬ人となった。
中央線をこえたトラックが彼の命を刈り取った。
あれほど好きになった人はいない。
最初で最後の恋だった。
私はそのまま進学して就職して、思わぬ病にかかって、入退院を繰り返して30代で没した。
病室で繰り返し思い出したのは彼だった。
桜の花を、病室の窓からずっと見ていた。
ルートを初めて見た時、彼だと思った。
だから記憶が戻ったのだと。
ルートは日本人を思わせる黒い髪と目の色で、とても彼に似ていた。
つい何度もリュウジと呼びかけて、ルートだよ、と膨れっ面で訂正された。
来年、卒業したら私たちは結婚する事になる。
父が領地を分けてくれて、商会の支店をひとつ任せてくれることになっている。
今年も去年も夏の休暇には父の仕事の手伝いをした。父は大きな商会を経営している。
「良い婿さんが来て安心ですな、旦那。
何、ルート坊は子供の頃から知ってまさあ。
立派になって。亡くなったご両親も喜んでおられるだろうよ。」
父の取引き先の大商人、ダイシ商会のダンさんはルートの背中をビシビシ叩いて笑った。
何の心配もないと思っていた。
今年の秋には入った頃から、ルートがわたし達と行動を共にしなくなった。
知らない店で買ったものを身につけていたりした。
胸騒ぎがした。
冬になったら私と二人でいると不機嫌になるようになった。
兄や父といる時は取り繕うので最初は気のせいか、と思った。
そのうち、彼と親しい女生徒の噂を聞いた。
露骨に私を避けるようになった。
「ルート!」
「なんだよ、メリイ。」
「父からの手紙を預かってきたわ。寮に寄りつかないでどこにいるの?」
「…どこでもいいだろ。」
ルートの父は絵に描いたような没落貴族だった。
馬車の事故で亡くなったがその頃にはもう資産なんかほとんどなかった。
だけど王都の別邸だけは残っている。
ルートは、そこに今住んでいて、あのバラのような女と逢瀬を繰り返しているのだ。
何故、気がつかないのか。
そこの、邸の管理費、使用人の給料を一体誰が出しているのか。
何故、真新しい家具があるのか。
もう、見限ることにしたよ。
父はわたしに言った、おまえも腹をくくりなさい。
そうね、お父様。その前に確かめなければ。
「ルート!桜の花を知っている?
高校の化学部ってわかる?
いえ、それより日本にある、S県の○○高校って、記憶に、ない?」
ルートはポカンとした。
「何を言ってるんだ?またお前の妄想か?前世の記憶があるって?
はあー、付き合いきれねえよ。」
そのまま足早に去っていった。父からの手紙も受けとらずに。
私の胸の中から何かが、崩れて落ちた。
父は戻ってきた手紙を見て、
「そうか。」
と一言言った。目を上げた時には冷徹な貴族の顔になっていた。
そして冒頭の場面だ。
手紙の日から一月後だ。私が最近いつも物思いにふけっているベンチ。
昼下がりの中庭。
そこに彼等がやってきた。私は物陰に隠れた。
そしての求婚のシーン。
流石に膝が震えた。早く立ち去ってくれ。
熱い接吻をかわして、幸せな足取りで去っていく。
その時、ロージイの目が周りを見回した。
そして茂みに隠れている私のワンピースと靴先を見つけたらしい。
ニヤリ。
そして出ていった。
わざとだ。ああこれは、わざとだ。
そのまま半刻ほど立てなかった。涙が溢れてとまらなかった。
「ご令嬢。そろそろいいんじゃないか。気持ちはお察しするが。」
私に手を差し伸べてベンチに座らせてくれたのは、
黒い服を着た男の人だ。
「貴女の兄上には連絡しておいた。まもなく来られるだろう。」
その服装で影とかお庭番という人だと言うことはわかった。
「あ、あなたは。」
「私は王太子アラン様に仕える影だ。アラン様が来週の卒業式で祝辞を述べに来られるから、下見に来ていた。それであの痴れ者どもを見た。」
「影って。あの三羽烏のアンディ様みたいな?」
「あの方には、遠く及ばないがね。
――ほら、兄上が来られた。」
ひとつ上の兄、サードが走って現れた。
「メリイ!――ああ、シンゴ殿。ありがとうございます。」
シンゴと呼ばれた人は片手を振って消えた。
「あの方は前世待ちなの?あのお名前。」
「いや?王妃様がご改名されたらしいよ。名前を賜るのはお気に入りの印だと聞いている。」
黒い髪で黒い目の、目付きが鋭い彼は私の心に深い印象を残した。
「お前は前世待ちだったな。アンディ殿の奥方もそうだ。リード様のお妃選びで王妃様に見出された。
あのクズと婚約してなかったら、おまえもお妃選びに加われたものを。」
「サード兄さん、リード王子様のお妃はあのご麗人ヴィヴィアンナさまよ。とっくに決まっていた出来レースだったと聞いたわ。」
それで決心がついた。
「兄さん、私も卒業する。そして、エリーフラワー様の研究所のドアを叩くわ。
あちらは人手不足らしいから。学校に求人が来ていたわ。」
「おまえは女生徒の中ではいつも首席だった。
きっと上手くいくだろうよ。」
エリーフラワー様。才女として有名だ。
王都とブルーウォーター公国内に研究所がある。
王都から離れよう。
もう、私が愛した少年はどこにもいないのだ。
――さよなら。ルート。
そして、リュウジ。