度々ドハッと日本語でデレる隣のアリナさん
すみません……
「また?!」
「……」
七時間目の授業が始まる3分前。
間違えて一年生の教科書を持ってきてしまうというドジをしてしまった僕を見て、隣の席に座る西川有里奈さんがそう言った。
「机くっつけていいよ。私の教科書見せてあげる」
「ご、ごめん。……あと、ありがとう」
「どういたしまして!」
「……」
高校2年生の、夏が始まろうとしている時期に、僕はあろうことか西川さんの隣の席という、他の男子達からは恨まれるような、しかし僕にとっては凄く困った席になってしまった。
先に言っておくが、西川さんはとても優しいし、僕が忘れ物をしたときだって嫌な顔一つせずに助けてくれる。
だから、嫌いという訳ではけしてない。
それを踏まえた上で、何が困りごとなのかと言うと……
「谷口君て、真面目なんだけど、たまに抜けてるとこあるよね」
「……よく言われるよ」
「まぁ、そんなところがかわいいんだけどっ」
「?!」
これだ。
西川さんは、僕にだけデレてくる。
しかも日本語で。
当然、僕は日本人なわけで、当然、だから日本語だって分かる。
そのことを彼女は知っているし、彼女も伝えるつもりで僕に言っているのだ。
「あのね、何度も言ってるけど、そういうことは日本語以外の言語で伝えるのが今の流行りなんだよ」
例えば、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語とかね。つまりロシア語とか。
「うーん。でも私、外国語とか苦手だし……」
西川さんは困ったような顔をする。それから何か確信にでも気付いたのか、ニマっと笑った。
「それだと谷口君にも伝わらないじゃん」
「伝わらないのがいいんだよ」
「えー。私には分からないなー」
そう言って、またニヤッと笑う。
「へ〜い。じゃあ今日も授業始めるぞ〜」
しばらくして教室前方の扉から、気だるそうな声を上げて先生が入ってきた。
僕たちは起立して、礼と挨拶を交わしてからつつがなく授業が始まった。
「えーと、それじゃあこの問題分かるやついるかー?」
この先生の授業は、初見の問題はなるべく生徒に解かせるというスタイルだ。
簡単な問題なので予習していれば十分に答えられる。
しかしながら、消極的な人間が多い日本において、上のような質問をしたところで、手を上げて答えようとする人はいない。先生も、それを分かった上で一応聞いているのだ。
そして、大体の場合、今日の日付から生徒を一人指名するのだが……
ふと、そこで隣に座る彼女の予習ノートに何も書かれていないことに気がついた。
珍しく、西川さんは予習を忘れていた。
それから、今日の日付を思い出す。
「じゃあ今日は20日だから出席番号20番の西か―――」
「せ、先生!」
先生が途中まで言いかけたところで僕は勢いよく手を挙げた。
「な、なんだ……谷口、分かるのか? なら解いてみろ」
「はい」
前に行って黒板に書かれた問題を解き、静かに着席した。
隣を見るとまた彼女はニヤニヤと笑っていた。ノートにはしっかり予習がしてあった。
「ノートがいっぱいになったから、新しいの持ってきたんだ〜」
そ、そうだったのか。
勝手に彼女を助けた気になっていた僕ってはずかしいやつじゃん……
西川さんはいたずらを企てている小学生みたいに笑っている。
「ねぇ。なんで私の代わりに答えてくれたの?」
「べ、別に……ただの気の迷いかな」
「いつもはそんなことしてないじゃん」
「みんなに僕がちゃんと予習してあるってところを見せつけたかっただけだよ」
「ふーん」
全てを見透かされているようだった。僕は恥ずかしくなって彼女の方から目を背けた。
「ま、かっこよかったけど!」
「?!」
だ、だから!
今は授業中で、みんなにも聞こえてるんだって!
「こらそこ、イチャイチャするんじゃない」
先生の注意も、『くすくす』というクラスメイト達の笑い声も彼女は気にしていなさそうだ。
僕だけが顔を赤らめていた。
この奇妙な関係が始まったのは、僕が西川さんと同じクラスになって半年ほどたった時からだ。特に何か大きなきっかけがあったわけではないと思う。
ただ、気づいた時には西川さんは日本語で、僕にだけデレ始めるようになっていた。
普通の高校生なら、そういう気持ちは思っていても心の奥にしまっておくものだろうが、彼女は違うらしい。
曰く、
『心の奥にしまっておくなんてできないよ。私は今すぐ伝えたいの。それに、好意的な言葉を嫌がる人なんていないでしょ?』
ということらしい。
別に人の考え方を否定する気はないが、僕の身にでもなってみてほしい。
こんな美少女に毎日デレられては心臓に悪い。毎回毎回、デレられる度に心臓が、ドキッと、飛び跳ねてしまうのだ。もしかしたら、それが原因で早死するかもしれない。流石にいやだな、死因が『美少女による言葉責め』なんてことになったら。
それに、他の男子達からの視線も痛いのだ。『なんだあいつ』とか『調子に乗り上がって』とか、そういう視線が。
だが、この問題は最近は解決しつつある。なんだかクラス全員が『もうお前ら付き合っちゃえよ』という空気感になっているのだ。それはそれで問題ありなのだが、この件は一旦置いておこう。
「手、止まってるよ」
「……ちょっと考え事してて」
黒板の方を向くと、教科書の新しいページの内容に入っていた。僕は急いでノートをとる。
「何考えてたの?」
「別に……なんでもない」
「へー、もしかして、私のこと?」
「ち、違うよ」
「残念」
西川さんは依然、僕の方を見ていた。ちらりと、そちらに目を向けると、西川さんは人なつっこい野良猫みたいににんまりと笑っていた。
「私は、君のこと考えてたけどねっ」
「?!」
また、心臓が一回飛び上がる。
会話が終了した思われたところに、彼女の不意打ちが飛んできて、僕は隙をつかれた。
日焼けした直後みたいに顔が赤くなるのを、ふー、と深呼吸して心を落ち着かせてから、何事もなかったかのように再びペンを走らせる。
ダメだ。
いちいち彼女のデレに反応していては、身が持たない。
僕には屈強な精神力が必要だ。
まずは精神トレーニングからだな……
新たな課題が見つかった所で、その日の授業は無事終了したのだった。
ホームルームが終わると、僕は足早に帰宅した。学校から家までは自転車で十分ほどだ。
家につくと真っ先に、自室に走り、ラノベに手を伸ばした。いつものルーティン。今日読むのは昨日発売したばかりの新作だ。アニメ化も大成功で今注目の一冊である。
「おっと、」
その前に、先に宿題を片付けてしまおうと、僕は机に向かった。僕は楽しみは後にとっておくタイプなのだ。明日の英語の予習を進めようと、カバンを開けたのだが……
「あ」
学校に教科書を忘れてきてしまった。
どうも今日は忘れ物が多い1日だ。英語の先生は宿題を忘れるとうるさいし、朝早く登校して終わる量でもない。
面倒だが仕方がないので、もう一度学校まで取りに行くことにした。
放課後の学校にはトランペットの甲高い音色が心地よく響いていた。帰宅部の僕にとって、それは放課後の新しい一面のようで、僕はなんだかいい気分になって教室の扉を開けたのだった。
「……」
が。
放課後、誰もいないと思われた教室には西川有里奈さんがただ一人ですやすやと眠っていた。
完全に予想外だ。
僕は西川さんを起こさないように自分の席に足を運ぶ。机の中から教科書を取り出してカバンにしまったところで、ちらっと西川さんの方を見た。
彼女は気持ちよさそうに眠っている。
僕は、なんとなく椅子に座ってみた。
彼女の寝顔を横からまじまじと見るのは今日が初めてだった。
僕たち二人きりなのに、こんな静寂が流れるのも、今日が初めてだった。いつも彼女が喋ってくる。
だからなのか、気持ちよさそうに眠っている彼女を見ていると何だか僕の方が恥ずかしくなってきた。
だ、ダメだ。
これしきのことで恥ずかしがっていては、西川さんのデレに対応できない。
僕は克服するんだ。
しばらくしぼーっとしていたところで、僕は妙案を思いついた。
そうだ。
思えば僕はいつも彼女に顔を赤くさせられている。西川さんが照れているところなんて見たことがない。
だから彼女にも、僕と同じ思いをさせてやろう。
幸いにも、教室には僕達の他には誰もいないのだ。
今がチャンスだと、僕は西川さんが目を覚ますのを静かに待っていた。
―――――――――
「……んぅ……んうっん……」
「おはよう、西川さん」
「……ん、おはよ……って、谷口くん?」
「ちょっと英語の教科書を取りに来たんだ」
ふふっと、そこで彼女は笑った。
「私の寝顔、どうだった?」
寝起きでいつもよりふわふわとしている西川さんは、返答に困るであろう質問を僕に投げ掛ける。
しかし。
今の僕は一味違う。
彼女がデレる前に、僕が、先にデレてやるのだ!
「うん。いつもの明るい顔も素敵だけど、子猫みたいな寝顔も可愛かったな〜」
「…………え?」
西川さんは状況が理解できていないのか、素っ頓狂にそう声を上げた。
それから数回目をパチパチさせ、夢ではないのかと目を擦ってから、やっぱり僕の方を見る。
「え?、ちょ、……えぇ!?」
よし!
作戦成功だ!
まさかいつも消極的な僕が、そんなセリフを言ってくるとは思わなかっただろう?
西川さんは、それで完全に自分のペースを崩したのかみるみる顔が赤くなっていく。
僕はこの機会を逃すまいと思い、次々と、いつぞや見た映画のセリフを立て続けに言い放つ。
「今日も有里奈さんが可愛すぎて、授業中胸がドキドキして止まらなかったんだ」
「ちょっ……!?……ぁ…え!?」
「有里奈さんの笑顔を見ると自然に幸せな気持ちになれるんだ。だから、いつもありがとう」
「ぅぅ……ぁぇぇ?!?!?!」
「有里奈さんと出会う前はこんなに誰かを大切に思うなんて想像もしてなかったな。今は有里奈さんが僕の世界の中心だよ」
「!?!?!????!?!」
どんどん、りんごみたいに顔を真っ赤にしていく西川さん。目も泳いでいる。
「これからも、ずっと一緒にいたいな」
それが、決め手となった。
「も、もう!!!!!!!!!」
彼女はぎゅっと目をつむったまま夕陽にも負けないくらい赤くなった顔を隠しながら、椅子をガタンと後ろに倒して勢いよく立ち上がった。
フッフ。
これで彼女もこりただろう?
僕の気持ちが分かって少しでも反省して……
「わ、私も!!!!」
「……?」
「私も、涼介君を見ると胸がぎゅってなるし、涼介君の笑顔を見ると自分も幸せになったような気分になるし、涼介君と出会ってから学校がとっっっても楽しくなったんだけど!!!」
あ、あれ?
「さり気なく、肩に付いてたゴミを取ってくれたり、他の人の仕事とか陰ながらサポートしてるの知ってるし、文化祭の時だって、クラスをまとめてたの涼介君だったって分かってるよ」
「いや……」
「そこに惚れたんだから」
否定しようとした僕を、有無を言わせぬような強い視線で真っ直ぐに見つめてくる。
「あらためて言うよ。大好き」
「……?!」
一瞬だけ、周りの景色が違って見えた。それは、いつも言われている『好き』とは明らかに重さが違ったからだ。茶化さず、ストレートに飛んできたその言葉に僕は戸惑った。
正直、女の子からこんなふうに告白されるのは初めてだったからだ。
彼女は僕を好きと言ってくれた。じゃあ僕は、彼女のことをどう思っているのだろうか?それは今までずっと逃げていたことだった。
「少し……時間をくれないか?」
彼女は小さくコクリと頷く。
それから僕は西川さんと初めて話した時から、今までのことを、順番に振り返っていった。
体育祭や文化祭なんて、ほとんど覚えていないにも関わらず、彼女との出来事はどんな些細なことでも深く脳裏に焼き付いていた。
ああ。
こたえなんて、もうとっくに決まっていたんだ。
僕に必要だったのは時間や精神力などではなく、ほんの少しの勇気だ。
カッコつけて、子供みたいに、素直に、嬉しく、深く、とにかくいろんな感情を込めて、僕は笑って言った。
「初デートは、どこにする?」
放課後の教室には、窓から流れ込むトランペットの音が僕たちを祝福しているみたいに鳴っていた。