scean8 逃亡
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昼間だというにも関わらず、空の暗さは日暮れに近い。厚い雲から今にも雨が落ちてきそうな気配さえする。
天気のせいで視界の悪い街道上に、馬を急がす馬車が一台。馬車にはクロム、フィオナとモニカ、ヴァイスとリズが乗り込んでいる。ヴァイスが御者を、監視のために後方を見るモニカは荷台、クロムとリズは怯え震えるフィオナのそばに。
フィオナの顔は蒼白だった。
「クロム、私は、一体何を……」
「君は邪眼に取り憑かれてる。アイルランドの伝説にある魔神族の将、バロールの邪眼。あらゆるものを石化する眼だ。僕が密かに研究のため管理していた……。憑依によって、君は一つの神秘になった。世界にとって脅威でもある。ヘルメス院はきっと、邪眼を君ごと封じ、研究素材として扱う。或いは魔術災害であるとみなされれば――『魔王』指定をされた場合は、討伐される対象になる」
クロムは黒い外套を着て、そっとフィオナを支え、魔眼に処置をしながら、淡々と言う。
リズが話に割り込んできて、少しでも場を和ませるため、可能な限り明るく話す。
「ウチの実家が貿易商で、船、使えるの。海の向こうに逃げるってわけ。アイルランドにアルトス院て所があって……ちょっと変わった魔術学院。そこならきっと助けてくれる」
リズの話にモニカも混ざる。
「わたしアルトスの所属なんだけど、他の学院と全然違うの。神秘の力を持て余しちゃって魔女狩りに遭った子どもたちだとか、戦災孤児とか引き取ってるんだ。別名『ヴァルプルギス孤児院』ね。かく言うわたしもお世話になってさ……絶対よくしてくれるはずだから」
ヴァイスが御者をしながら苦笑して振り向いた。
「その慈善事業やるために手段選ばなさすぎて、魔術をバンバン使うもんだから、学院が作る『魔術師連合』には目をつけられ、不穏分子って扱いだけどな……」
「ちょっとヴァイス、危ないから前向いてよ」
「はいよ、すまんね」
前に注意を向けた瞬間、ヴァイスの顔が引きつり、歪む。
馬を止めんと手綱を強く手元に引くと、馬車は大きく揺れ、跳ね上がる。
「接敵するぞ、審問官だ!」
道の先には黒い修道服を着込んだ男数人。その後ろには小柄な少女――長い白髪――ターヤの姿。風に煽られ、黒衣が踊る。
「ようやく会えた。二年も外に出ないのだもの、待ち疲れたわ」
その顔を見て、モニカは眉をしかめ、嫌悪の表情になる。
「キミも執念深いね、ターヤ……『我は瞬く 閃光なれば その駆ける様 火花の如し』!」
モニカは馬車を飛び降りざまに呪文を唱え、爆発的に走り始める。彼女の術は身体強化――膂力に加え、反射速度も数倍にする。目にも止まらぬ動きから、その二つ名こそは『閃光』である。
しかし――モニカは数歩走った所で足がもつれて転ぶ。突如体の軽さが消えて、急に減速したからである。数度転がり、金の髪まで土にまみれたモニカは、顔を上げて叫んだ。
「クロム、やられた! 『聖句結界』張られたみたい!」
ターヤが薄く、嘲るように笑みを浮かべる。
「魔術が如き奇跡の偽造、『本物』である主の御業には通用しない。これで貴方は足をもがれているも同然!」
魔術師達が究めんとする魔術とはこれ即ち、神の御業とされる『奇跡』を人の身でも使えるように解析、体系化した『模造』であった。他方、ターヤが使う結界――彼らが言うに、これは神から恩寵として与えられたというものであり、真実ならば奇跡そのもの。神秘の強度からして違う。聖句結界――これは他宗を完全否定する奇跡だが、この範囲では、神の奇跡の他はいかなる神秘も全て無効化される。
二人の声を聞いてクロムは、詠唱中の呪文を止めた。
代わりにリズとヴァイスが前に飛び出してきた。
「モニカは下がれ、こういう時のために俺達『杖』がいるんだ」
ヴァイスがリズに目で合図する。
リズの影から、這い出るように黒い巨狼が現れ出でた。狼に乗り、赤毛を風になびかせながら、審問官に飛びかかるリズ。
さらにヴァイスが小さな樽を取り出し、高く放り投げると、短銃を抜きそれを撃ち抜く。片目ながらも見事な射撃。少し間を置き、轟音が鳴る。樽が爆発。審問官が怯んだ隙に、狼がその鋭い牙で足に噛みつき引きずり倒す。
「生憎俺は信心深い方じゃなくてな。魔術じゃなけりゃ効くはずだろう?」