scean5 庇護
◆◇◆
朝日を浴びて起きた少女は、その状況に戸惑っていた。見たことのない部屋のベッドに寝ていたことにまず驚いて、部屋の汚さにも驚いた。壁には棚が据えられていて、そこに書巻や本がぎっしり詰められており、入り切らないものが床にも転がっている。床に積まれた本はベッドと同じ高さで、白くホコリが積もって見えた。
(私は確か――この眼のせいで――魔女裁判に――)
足の火傷は手当をされて、包帯により覆われている。拷問により体のあちらこちらに酷い怪我をしていたはずだが、それも全て治療を済まされている。
何が起きたか思い出そうと頭を振ったまさにその時、軋んだ音を立てて扉がゆっくり開く。
思い出される、酷い拷問。その恐怖から、少女は叫ぶ。
青い光を放つ右の目。
金属を掻くような怪音。
瞬きの間に凍りつく部屋。
ドアの向こうで、悲鳴があがる。
「落ち着いてくれ、僕らは味方、怖がらないで。君と同じで魔女狩りに遭う方の立場だ。僕はこれでも、ヘルメス魔術学院という場所で魔術を研究してる魔術師なんだ」
モニカと共にドアに隠れて、顔だけを出すクロムが言った。
少女はキッと彼を睨んで、シーツを抱いた。怯えきった目。
「嘘よ、私に味方だなんて――いるはずないわ!」
その顔を見て、モニカはそっと両手を広げ、部屋に入った。
「ホントにキミを助けたいんだ。魔眼の事で辛かったよね。ええと――この人、専門家なの。クロム=アクアリオ。わたしはモニカ。モニカ=ヴァルプルガ」
モニカに腕を引かれるクロム。部屋に入ると、衣服の裾が凍って割れた。
「君に魔術の手ほどきをする。魔眼を制御できれば、いつか、普通に生きていけるはずだよ」
クロムがそっと差し出した手は、すぐに魔眼で凍ってしまう。クロムは顔を歪めはしたが、出した右手を引き戻さない。
「っ……ロンドンにいれば、審問官には手を出されにくい。新教側が多いこの地では、旧教側である彼等は仇敵、むしろ弾圧の対象だからね。そして現状で、魔術学院は王室の庇護下――君が魔眼持ちだという理由で、すぐに火炙りになることはないよ」
手首や腕も凍り始める。しかしそれでも、手を引くことはしようとしない。吐息が白く見えているので、息を荒げて耐えているのはすぐに分かった。
「なんで……」
「――君の名前を、教えてくれる?」
少女は彼をじっと見つめて、おずおず彼の右手に触れた。
「私は……フィオナ」
クロムは、ふっ、と優しく笑い「よろしくフィオナ」と言うとすぐさま顔を青くし、後ろを向いた。
「なあモニカ……お湯を……沸かしてくれないか……?」
手当てを終えて、クロムはすぐにフィオナの魔眼、これを封じる策を講じた。直線的な記号を書いた眼帯をその右眼に着ける。魔術工芸品――魔法を帯びた特殊な道具。
「一時的には有効だけど、長く保たないから気をつけて」
部屋の端から、ヴァイスが「俺とお揃いだな」と、声を投げかけ、自分の右の目の眼帯を叩いて見せた。
「あの……いいですか? なんで私を助けたんです?」
「わたしは自分の信じるところに従ったまでね。『ヴァルプルギス』なら、理不尽に遭った者を見過ごせはしないものなんだ。魔女狩りは特に大っ嫌いなの。端っから異端審問官とは敵同士だしね」
「僕は……なんだろう、君を見捨てたら僕の人生が嘘になるから、と……そんなところかな」
フィオナは、部屋の端で巨狼の毛皮に埋もれくつろぐリズと、銃の手入れを入念にするヴァイスに向けて疑問を投げた。
「貴方達は?」
「あたしはリズね。リーズカッセ=ドラコ。この狼は相棒の『リル』。本当の名は『フェンリル』だけど、この名を聞くと、魔術師たちはなんか微妙な顔をするから、『リル』って呼んで。貴女を助けたのはそうだね……あたし、モニカの『杖』だからだね!」
「説明雑だな! あー、ヴァイス=イェーガーだ。魔術学院に籍を置いてても、魔術ができない奴等もいるんだ。俺達みたいに。そういう奴等は魔術に関わるために、信条が近い魔術師について侍従する。正式に呼ぶと『魔術師の守護者』だが、守護者達は自分らを単に『杖』と呼んでいる。これは一口に説明するのは難しいんだが……親子なんかより深い繋がりになることもあるな」
「モニカがあなたを助けると言えば、あたしもあなたを助けるってこと!」
「あんまり恩には着なくてもいいぞ。魔女の濡れ衣を着せられた奴を助けるのなんて、こいつらにとっちゃ日課同然だ」
「ふうん……」
◆◇◆
冬が終わって花が開いた。
花が終わって、緑が茂る。
緑はいつか赤く色づく。
赤い葉は散り、また冬が来る。
フィオナの怪我が癒えるのを待ち、クロムは空いた時間を使い、フィオナに基礎の魔術を教え、フィオナの方も、それを次第に学んでいった。しかし、フィオナが人目につくと、審問官に見つかるかもと、外に出してはもらえなかった。それが不満でフィオナは部屋でむくれてばかり。ドアの内からクロムの事を見送るだけの、迎えるだけの、日々が続いた。
フィオナが覗く窓の外では、季節に応じ、木立の色が変化していき――
――クロムと過ごす冬も三度目。
フィオナの服が小さくなって、袖から腕が見えだした頃、彼女の顔が曇り始めた。
ある夜、クロムの書斎を訪ね、フィオナは胸の内を吐露した。
「クロム、私……外に出たいんです……」
蝋燭の火が震えるためか、うつむいたその面持ちからは感情が読み取りにくかった。
「まだ早いかな。君も相当魔術の基礎は固まったけど、僕のルーンの助けがないと、魔眼を制御できないだろう?」
フィオナは彼の言葉を聞くと、頭を上げて目を見開いた。固く拳を握って、胸に大きく息を吸い込み、叫ぶ。
「とうに二年経つんですよ!」
瞬時に凍り、割れる眼帯。ある程度まで魔眼を抑え減衰させることはできるが、爆発的な感情により発現された強い力に曝されたなら、周囲に余波を広げぬ代わり、すぐに凍って砕けてしまう。
ガラスの破片のようになったそれを、クロムはそっと拾ってフィオナに見せた。
「君の安全を確保するためだ。辛抱してくれ」
フィオナは服の裾を握って、悔しげに泣く。
涙はこぼれた端から凍って、床石に落ちて、音立て、転がる。