scean4 魔女狩り
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話は三年前に遡る。
季節は十月、冬はもう少し先だと言うのに、その森の木々は霜が下りたかのように凍り付き、空気も冷たく、人の吐く息は白くなっている。氷が大地を飾るにはやけに早すぎる時期だ。
夜の闇の中、神殿の柱さながらに見える葉の落ちた樹木。数エーカーほど広がった白い神殿であるが、この壮麗なる景色が一人の人物が生んだものだと言っても、誰も信じまい。
――それが出来るなら、人間ではない。神か化物だ。
暗い森の中、十字架が燃える。目隠しをされた少女が縛られ、磔になって泣き喚いている。
それを取り囲む人垣の中で、ほくそ笑んでいた白髪の少女――ターヤが叫んだ。
「見届けなさい、氷の魔女はここに滅ぶわ。主の名において、脅威は去った!」
歓声が上がり、苦しみに喘ぐ少女の叫びをかき消してしまう。
その時、何かが薪の火の中に飛び込んでいった。
人垣が騒ぐ最中で、突然轟音が響く。崩れて飛び散る火刑台の薪。
「いったい何ごと!」
ターヤの叫びに応えるものなど誰もいなかった。突然夜闇に包まれたことで、騒がしい声は水を打つように静まり返った。闇に目が慣れず、混乱したのだ。ターヤはすぐさま松明をかざし、音のした方を照らし、確かめた。
人影が四人、男と少女がそれぞれ二人と、巨大な体躯の狼一匹。この内二人はクロム、リズである。その奥に銃を構えて眼帯をつけた男と、一番手前に金髪の少女。
金色の髪の少女を見るなり、ターヤは叫んだ。
「閃光の魔女モニカ! またしても邪魔立てを!」
「主の名において、『殺すなかれ』はどうなってんの?」
モニカと呼ばれた『魔女』は金髪を耳のやや下の長さで揃えて、まるで道化とも見紛う衣装を身に纏っている。肩が膨らんだ、臙脂の上着は裾が臍上の長さしかない。腿の上までの短い脚衣に、真っ黒なショース。ショースはぴったり脚に張り付いて、腿から脛まで、筋肉が隆起している様子がはっきりと分かる。冬に纏うにはやや頼りなさを感じる姿だ。
奇妙な姿に反して、表情は真剣な様子――青い瞳には怒りが滲んでいるように見える。
「クロム、その子は無事?」
「いいや、モニカ……衰弱して意識がない。魂まで潜ってくる」
「それは禁呪にされてなかった?」
「やらなければこの子が死ぬ。時間稼ぎ頼む」
「任せといて! リズとヴァイス、援護してね!」
ヴァイスと呼ばれた、鳶色の髪で毛皮の衣の眼帯男は、短銃を構え空に向けて撃つ。リズは闇色の巨狼に跨がり、遠吠えをさせる。高い破裂音、野太い低温――暗闇の中でその音を聞いた群衆は騒ぎ、散り散りになって逃げ出し始める。残るはターヤと、その手勢である修道衣を着た男が数人。モニカは笑って呪文を唱える。
「それじゃ遠慮なく……『我は瞬く 閃光なれば その駆ける様 火花の如し』!」
モニカの体が淡く光りだす。二、三度跳ねると、地を蹴り、走った。あまりの速さに修道士達は反応出来ない。蹴りの一撃で宙に飛んでいく。
三人が敵を相手取る最中、クロムは少女の胸に手を当てた。独特に響く呪文を唱える。
『――昏き灘泳ぐ煢独な魚よ
呼声を喰らいて晻がりを出でよ
拝謁を阻む櫃の蓋を開け
遥けし秘蘊の魄霊を晒せ――
――心臓を喰らう水の王』
呪文が完成したのと同時に、クロムの体は水中に沈む。クロムの他には見えてすらいない、精神世界が感じさせる海。
クロムの体は形を失い、光る塊に変化してしまう。海中を泳ぐ魚のようにも見えるその姿。
深く潜るたび、通り過ぎる泡。幾つもの泡は過去の象徴だ。内部に記憶が垣間見えてくる。
――少女は生来、見たものを氷漬けにしてしまう能力があった――
――強い感情が引き金になって、『氷の魔眼』が機能してしまう――
――両親はそれを隠して娘を大事に育てた――
――だが飢饉が起き、両親が死ぬと、これが露見して村八分に遭う――
――石を投げられるようにさえなった――
――その内飢饉も娘のせいだと言うことになって、何度も何度も石を投げられる――
泡の奥の奥、小さな魚が沈むのが見える。
クロムの身体が人型に戻り、そっと小魚を両手で包んだ。
「ああ、つらかったね――」
◆◇◆
夜明けの光が森を照らし出し、凍った樹木がきらきらと光る。美しい景色と言ってよかった。
森の中心に残った燃え滓。その前に立って灰を蹴り飛ばす、忌々しそうな表情のターヤ。
「逃げられた……」
少女を助けたクロムらはその後、一晩戦い続けてターヤとその仲間たちを足止めし続け、ついには夜闇に姿をくらませ、逃げおおせたのだ。
ターヤは憤怒し、大声を上げて、修道衣を着た手勢に対して司令を発する。
「ドミニコ裁定修道会士が、異端審問で魔女を取り逃がし、教皇庁に戻る事は出来ないわ。草の根分けても見つけ出しなさい!」