scean39 忘れたヴァイス
◆◇◆
フィオナがクロムと生活していた彼の工房に、荷物は一切、見あたらなかった。家具の類すら全てがなくなり、まるで初めから無人だったよう。当然、魔神を封印していた水瓶は欠片すら見つからない。
リズは工房の中をうろうろと物色しながら、フィオナに尋ねた。
「ある意味キレイと言えるのかなコレ。クロムって人は、異常に片付け上手かったのかな?」
真っ青な顔でフィオナが呟く。
「いいえ、クロムは、『いつか使う』と言って何にも捨てない人で……片付けなんかできない人で……あんなにあった資料の山が……そんな……どうしてなんにもないの?」
「やっぱりフィオナ、悪い魔法にかかってるんじゃ?」
「違います! かかってはいましたが、それはもう解けてるの!」
混乱の色を隠せぬフィオナの背中を、モニカが二、三度、叩いた。
モニカは呪文を唱えて、自分のまぶたに触れると、室内を歩き、様々な場所を改めはじめた。
「あの……何を……?」
「千里眼って、遠くの物を見る以外にも、ふつう見えないような細かい物を見るってこともできるの。床の傷とか見れば何かが分かるかもって……んー、ここに棚? 机はここか」
モニカはフィオナに家具の配置など、物の置き場所を聞いては確かめ、フィオナの記憶が正しいかどうか、照合していく。
「なるほど、フィオナがここを知ってるというのは本当のことみたいだね。だけどこの床は、なんだか変だね。物を引きずった傷がほぼないの。家具はあったはず。片づけたならば、誰かが魔術を使ってどうにかした感じかなあ。これ以上はもう、なにも分からない」
フィオナは頭を抱えて、必死にクロムに繋がる記憶を探った。
「そうだ……ヴァイスが何か覚えてくれているかも! クロムの『杖』と名乗ってました!」
「ヴァイスが? アイツは仕えてた魔術師が亡くなって、今はフリーのはずだよ」
◆◇◆
居酒屋へと呼ばれたヴァイスは、モニカに奢ってもらった麦酒で、干し肉を喉に流し込んでいた。しばらくまともな食事にありつけなかったと言って、全く遠慮をしないで追加の料理も頼んだ。混み合う時間はまだ先のようで、薄暗い店の中にはそれほど客はいなかった。
「奢ってもらって今更なんだが、クロムだとか言う奴は知らないな」
「そんな……」
「フィオナの話が本当だとして、俺にとってみりゃ、結局仕える相手が消えたと、そこは同じだな。なあモニカ、俺を雇う気はないか?」
「女三人の部屋に居座って何をするつもり?」
「まぁそうなるよな……。それはそれとして、フィオナの話じゃ、クロムは達人だって言うんだろ? なら推挙をした上位の魔術師とかいるはずじゃないか?」
「心当たりはあるんですけど……あまり会いたくないって言うか……」
「ああ、分かる分かる。達人位階の魔術師はクセが強いんだ。高慢だったり、強情だったり、変態だったり……クロムって奴もそうだったろうぜ」
「……クロムはとても誠実でした。確かに少し頑固なところ……自分の意志を貫き通す人でしたけど、それは周りの人を大事にしているからで……」
「ふうん、なるほど。そりゃあ出世はできんタイプだ。嫌いじゃないが、魔術師ってやつは、最後まで我を通すやつほど偉くなるんだ」
「そうなんでしょうね。クロムも自分を推挙してくれた人に、研究を横取りされたりしたみたいですし」
「そいつだ、そいつに話を聞きゃいい」
そこでモニカが、ヴァイスに更に料理を寄越す。
「じゃあヴァイス君、それお願いね!」
「はぁ? 何で俺が!」
「ヴァルプルギスのわたしが行くと門前払いされそうだしね。何なら仕事もらってきたら?」
「あのな、『杖』っていうのは、そんな軽いもんじゃあないんだからな。相性がある。信条がある。そもそも『杖』は、仕える魔術師を自分で選ぶ。人の研究、掠めとったりする奴なんか、性に合わんな」
「『罠を張らせたら天下一品』のヴァイスに、相性いいと思うけど」
「なんか馬鹿にされてないか?」
「そんなことないよ。仕事云々は冗談にしても、ちょっとカマかけてみてほしいわけよ」
眼帯の下が蒸れでもするのか、ヴァイスは右手で目の下をかいた。
「気が進まないな」
「これだけ飲み食いしててそう言うの? 文無しヴァイスに奢ってくれたの、誰だったかなあ。君の信条はこういう時には働かないんだ?」
「……ヴァルプルギスの禁戒は強請りを許してるのか?」
「流血殺傷御法度だけどね、強請っちゃいけない決まりはないかな」
ヴァイスはあきらめたような目をして、鳶色の髪をかきむしり――そして、出された料理を全て平らげた。