scean28 彼女の絶望は
幼子が見える。
優しげな父母に抱き抱えられて、嬉しそうに笑む。
けれどその娘には隠し事がある。
強い感情が引き金になって機能してしまう『氷の魔眼』だ。
一家の周りで不可思議なことが次々に起こる。
夏だというのに霜柱が立つ、井戸が凍りつく、草花が枯れる――。
村人がこれに気付き始めると、魔女と謗られた。
石が飛んできた。
しかしこの父母は、娘のせいだと露見せぬように、ひた隠しにした。
村人達には直接に害のないことだったし、魔女狩りが起こる程ではなかった。
けれど、ある年に飢饉が起こった。
数十年間欧州を襲う寒波にやられて、作物が不作――これがこの家の近辺で起きる『氷の怪異』と結びつけられて、冷害は彼ら一家のせいだと言い立てるものが現れ始めた。
石が投げられた。
村の蓄えを分けて貰えずに、両親は飢えに苦しみ、最期は衰弱し、果てた。
残った娘は教会の庇護を受けることになり、神父が養い親を申し出た。
娘も成長してくるにつれて、魔眼の秘密は隠すべきという認識は出来た。
交わりを避けて、心に大きな動きがないよう、息を潜めつつ生活していた。
しかしその内に、氷の魔眼の他の側面が顔を表した。即ち――『魅了』だ。
元々器量のよい娘である。隠れて見に来る男達もいた。
その彼らがみな――魅了の効果に捕らわれてしまう。
そうなれば村の他の娘から嫉妬されるのは、無理からぬことだ。
彼女らが次にしたことと言えば、娘を魔女だと糾弾すること。
――石が降ってきた。
養い親たる神父は薄々、彼女の力に気付いてはいたが、見ぬ振りを決めて積極的には責め立てなかった。
だが日毎に増す投石や罵声――娘の心が耐えられなかった。
気持ちが高ぶり、氷の魔眼が作用してしまう。
神父は思った。これを庇っては我が身が危ない。だから率先し、審問官へと告発したのだ。
魔女裁判にて拷問を受けて、耐えかね自ら魔女だと認める――よくある光景。
この時代にあり、こんな出来事はよくあったことで、珍しくもない。
磔にされて火炙りに遭って、石を投げられる。
――石を、投げられる。
クロムは我が身が傷だらけになる事に構わずに、氷の柱の欠片を見つめた。
「……これがフィオナの絶望なのか……」
『否である』
猛吹雪の中、風の音などに負けぬ、よく通る声が鳴り響く。クロムは面を上げて声がする方に目を向けた。遠くに、柱が規則性を持ち立ち並ぶ場所が、ぼんやりと見えた。雪のせいでよく見えないが、それは現実世界でバロールが座する神殿に近い様相であった。
足下の雪を踏み固めながら、その神殿へと進み行くクロム。
そこは現実の世界で見たあの神殿と比べ、随分作りがしっかりしていた。『神殿に見える』などととは言うまい。そこは本物の神殿であった。無数の柱は、装飾のされた立派なものだし、上部は覆いで守られ、中では風雪をしのぐことさえかなった。
祭壇はまさに、神に供犠などを捧げ奉るために、威厳ある模様で飾られ、玉座も王者が座るに適した荘重な出来だ。
そしてその前に――その場に不似合いなほどに、体を縮めてしゃがんだフィオナの姿が――
『この娘子の真の嘆きは過去にはあらじ』
フィオナの体に、絡みつく黒い靄のようなもの――声の主はこの靄に相違ない。
すなわち、これこそバロールであった。
『見よ』
バロールの声に呼応するように、氷の柱がクロムの眼前、一足の距離に生え、屹立した。
そこに映るのは、クロムやモニカがフィオナを助けた時の状況だ。
「あ……」
クロムは氷に手を付き、映った像を凝視した。
火刑を免れ、救われた後の状況が映る。
外出が出来ず落胆している。
何度も何度も自分の目玉を抉り出そうとし、出来ず、諦める。
ゲルトルートから研究材料扱いをされて、傷つく表情。
そしてクロムとの会話の様子が――
『人形のことは差し置くとしても、実際、なにかの手を打たなければ……君の状態は非常に危険だ』
『そうか……私……危険……なんだ……』
フィオナの見ているクロムの姿が、ぐにゃりと歪んだ。氷の柱が砕けて、クロムの体を切り裂く。クロムのこの身は魂だったが、傷から真っ赤な血が滴り落つ。
『この娘子の嘆きは小僧――そなたであるぞ』
靄は顔らしき部分を歪めて、嘲り笑いの形を作った。