scean9 変貌
◆◇◆
爆音が止んだ街道沿いでは、ヴァイスがターヤを縛りつけていた。
「他の審問官は逃げたか……可哀想にな、見捨てられたぞ?」
ターヤの衣服は焼け焦げ、火薬の臭いが漂う。火薬と獣で修道士たちの士気は崩壊し、ターヤを残して逃げ去っていった。ターヤは一人で粘ってはいたが、彼女の力は戦闘向きではないため、結局人数差により戦況を押され、捕縛されたのだ。
「ドミニコ裁定修道会へ報告をしに帰っただけよ。増援を呼び、戻ってくるわ」
「そりゃ面倒だ……おいモニカ、この女どうする? ここに放っておいていいのか?」
ヴァイスはモニカに問うたが、モニカは来た道の方を凝視し、無言だ。
「モニカ? 何か見えてるのか?」
「ごめん、知覚強化魔術使えなくて探知出来なかった……後ろからも面倒なの来たよ! 騎馬が十騎! 馬を出して、早く!」
ターヤを放置し、慌てて全員馬車に乗り込んだ。馬に鞭を当て、急がせるヴァイス。
だが、馬車の前の地面が隆起し、壁のようになり、進路が塞がる。巻き上がる砂が視界を塞いだ。壁は次々に地面から生えて、横並びになり、迂回することも難しくなった。
更に地中から鎖が飛び出て馬車に絡みつく。モニカが拳で払い落としたが、次から次へと飛び出す鎖が、車体を地面に縫い止めてしまう。
鎖の太さは人の腕ほどで、石で出来ている。モニカが拳で破壊しようにも、数が多すぎた。
クロムは下車して、壁に手を触れて詳しく調べた。
「石で出来てる……地中の石を変成したか? この水準の地の魔術なら……ゲルトルートか」
ナイフを取り出し壁の表面に文字列を刻む。それが発光し、壁と鎖とは砂粒と化した。
クロムはヴァイスに合図を送るが、既に後ろから騎馬の一団がそこまで来ていた。栗色の馬に跨がって、黒いローブを纏って暗い顔をした男達である。
先頭の者は身なりが異なり、ローブに刺繍が施されている。
「やあクロム。大変な事態だね。父君の遺された宝物の封印が解けたかな?」
「ゲルトルート……父の遺産のこと、知っていたんですか」
灰色の髪の男は馬から降りると、右手をクロムに差し伸べ、笑いを浮かべた。
「逃亡などと愚かな真似はやめておくのだ。戒律派から裁かれかねん」
「まだ裁かれていない――と言った口ぶりですね」
「私が止めてやっているのだ。私と君の共同研究、ふいになっては私が困る」
共同研究と聞いて、クロムはゲルトルートから視線をそらした。
ゲルトルートは肩をすくめると、フィオナに視線を向けて、微笑んだ。
「その眼帯は……ルーン魔術か。なるほど、君が憑依されたか」
フィオナの体がびくりと震える。
「クロム、君なら分かっていよう。逃げてこの子を連れまわしても、何も解決しないどころか、事態は悪化していくのだよ?」
その言葉を聞き、フィオナの血の気は、一息に引いた。絞り出すように疑問を発する。
「どういうこと……ですか……?」
「まだ教えられていなかったのかね? 憑依状態が長引くと、まずは意識の混濁、精神崩壊などが始まって、最終的には人格が変わる可能性もある。人の霊体の憑依によっても、これだけのことが起こり得るのだよ。魔神の御霊となれば尚更だ」
フィオナは青ざめ、口を震わせる。
「そこで我々の研究が生きる。君の、魂を操る魔術で、その子の魂だけ人形に移してしまおう。魔神の魂などに触れるより、確実で、しかも安全な道だ」
黒衣の一人が大きな袋の中から、あたかも生きているように精巧にできた人形を出した。
「……人形に移しても、精神の変容を回避する方法はないでしょう。結局は自らの器ではありません」
「ではアルトスに渡れば、それが解決するとでも言うのかね。ヴァルプルギスの魔女とてこれは手に余ろうよ。或いは旅の途中、どこかで手遅れになるかもしれないぞ。人格変化してしまおうと、魔神と混ざるほどに危険はないと思うが」
クロムは俯き、骨が軋むほど拳を握った。
「それにだよ、クロム、この子を研究材料にすれば、君の亡き父の名誉を回復出来るかもしれん。君の長年の悲願なのだろう?」
ゲルトルートから発せられるその言葉に我慢が出来ずに、モニカは、クロムの背中を左手で叩く。
「今のってフィオナには酷じゃない? 体ごとバロールを捨てるって事だよね。悩むことなんてない、こいつらは今ここで黙らせる」
モニカの言葉を、馬車を降りてきたヴァイスが遮る。
「待てよ、追手はこいつが止めているわけだろう? ここで逃げればそれがなくなる……ヘルメスからの追っ手がかかる。それにこいつと争ってたら、その隙にあの審問官の増援だってあるかもしれん。冷静になれ」
フィオナは顔面蒼白になって、クロムの手首にしかと縋りつく。止まらない震え。
「ねえ、皆何を言ってるんですか? 私を人形になんてしたりは……しない……ですよね?」
クロムは額に手を当てて、眉を歪めながら、言う。
「人形のことは差し置くとしても、実際、なにかの手を打たなければ……君の状態は非常に危険だ」
「そうか……私……危険……なんだ……」
フィオナの脳裏で、魔女裁判での記憶が弾けた。村人たちから浴びせられる声。
――お前は悪魔と契りを結んだ。――消えろ、この魔女め。――お前は危険だ。
それらの記憶をかき消して、低く重厚な声が頭に響いた。
『ようく見るのだ、これがやつばらめ等のやり口。そなたも我と同じ扱い。なんのかんのと言いくるめられ、封印されてそれで終いよ』
フィオナの左の目が黒く光る。苦痛に耐えかね、表情を歪め、その場に屈んだ。
「どうせ私は――どこまでも、魔女なんだ!」
溢れる黒光。フィオナの姿が変貌していく。
伸びるクロムの手。
拒絶するフィオナ。怒りとも言えぬ、悲しみでもない、複雑な顔で言葉を発した。
「貴方は違うと思っていたのに」