俺の全てはその歌に。
俺、安藤康人には、二人の幼馴染がいる。
佐々木亜美、地毛の茶髪は、風が吹けばはらりと舞う長髪で、女にしては不愛想にうつる切れ長の瞳は、持ち前の愛嬌でカバーしている女の子だ。昔から歌うことが大好きで、暇があれば歌っていたのをよく覚えている。
長谷川海里、俺たち二人とはひとつ抜けて背が高く、幼少より柔道に邁進しているためか一回り肩幅が大きかった。スポーツマンらしい短髪に反比例して、スポーツマンらしからぬ甘い顔を持つ彼は、長い付き合いになるが、女にモテてないときなどなかった。
対する俺は、いつも周囲からは、良くは思われていなかったと思う。二人と比べて、誇れるモノなど、何一つなかったのだ。
そんな俺でも二人と関わることが出来たのは、小学校の頃の、ちょっと特殊な関係があったからだ。
「康人ー。宿題見せてー」
同じ家に住む亜美が、俺の部屋に入ってきて、そんなことを言った。しかもギター片手にジャンジャカジャンと、そんな小うるさい女の子の家に、俺は居候させてもらっている。
父親は海外赴任、母親は自宅からの距離を考えて会社近くの賃貸を借りていた。
そんな俺を一人暮らしさせるのも心配だったから、こうして佐々木家にお世話になっている。元々安藤家と佐々木家は、親同士で仲が良かった。
そんなある日だ・・・,大好きな祖母が亡くなった。
せっかくの家族水入らず、顔をあわせたのは、大切な人がなくなったお葬式だった。普段は笑顔を絶やさない母も、どこか浮かない顔をしていて、父にいたっては目の端に涙をためていた。俺はというと、ただ現実を受け入れられずに呆然としていた。葬式を終えて、両親に抱きしめられてもなおだ。
そうして両親が、亜美の両親に俺を預けて、また元の生活に戻った。
「うっ・・・うぅ・・・・・」
葬式から三日を越えた晩だったか、俺はベッドで泣いた。現実として浮き彫りになってきた死という事実を、今になってようやく実感できたのだ。
思い出がよみがえる、祖母の家は赴きだった民家で、木造りの、とてもらしい作りだ。
夏の日、訪れる祖母の家は、夏の日差しに照らされて、天上の黒い瓦が光っていたから、車の中で覗く俺にとっては、その反射がいつも目印だった。
家の柱に掘った、俺の身長。何度も穴をあけた、襖の引き戸。傍から聞けば、じじ臭い、ばば臭いと言われるだろう匂いが、俺は大好きだった。
けれど思い出す香りは、その残り香で、まるで目から零れる涙が、本当の匂いを落としているみたいだった。
「康人・・・?・・・大丈夫?」
突然開かれた扉から、亜美の声が聞こえて、俺は慌てて毛布を頭からかぶった。涙で濡れた顔を、隠したかったのだ。
「壁が薄いから、聞こえてたよ」
俺の悲しみは、どうやら隠せていなかったらしい。
男の子だったから、泣くことに気恥ずかしさを憶えていた俺は、必死に問題ないと、彼女から背を向けた。とても見せられる顔ではなかったのだ。
俺のくぐもった声に、唇を噛みしめた亜美は、意を決して部屋に入った。
そうして背を向けて寝転ぶ俺の肩に触れて、優しく撫でたのだ。
「La——————————」
それは耳心地の良い子守歌だった。
普段はポップな曲調が好きな彼女、だが今、彼女の口元から奏でられているのは、悼むような、祈るような、そんな願いだった。
それは、誰かの声に似ていて、俺は少しして、ようやく思い出すことが出来た。
「LaLaLa——————La———」
昼下がりに、おばあちゃんが謳ってくれた子守歌。
どうして忘れていたんだろう・・・・。
いっぺんに溢れた記憶に、俺は声も押し殺すことが出来ずに、声をあげて泣いてしまった。
「わたしね・・・歌手になりたいんだ」
俺が泣き止んだ頃に、彼女が言ったのだ。
「今は難しいかもしれないけど、いつか必ず、康人の心を癒せる、そんな歌手になりたい」
自信なさげに言葉を並べる亜美を、俺は肯定するとともに、それは違うな、と自身の言葉を否定して、その代わりに宣言した。
「俺が必ず、亜美を歌手にする」
その時の俺の顔は、とてもではないが、恰好はついていなったと思う。
腫れぼったくなった目元、涙の跡の残った頬、そして鼻声。
客観的に見れば、すごくかっこ悪い。
「・・・そういうの・・・なんて言うんだっけ?」
俺の言葉がすごく嬉しかったのか、満面の笑みでそう挑発する。
その顔に、言葉を間違えたと理解した。
ここではもっと〝らしい〟言葉がある。
「今日から俺は、亜美のプロデューサーだ」
次の日から、俺は必死に亜美を売り込む手段を探した。
町内イベントのステージ参加、その他、多様なボイストレーニング法をネットから引っ張り、公式サイトを設立。その他複数のSNSのアカウントを作成、同時運営した。
それでも、中学目前の、それも設立直後の反応は、見て居られるものではなかった。
幼馴染を売り込むと意気込んだものの、視聴されるほうが珍しいという状況だったのだ。
あまりの反応の無さに気恥ずかしくなったのか、亜美が何度もやめようと言ったが、それでも今はまだ下積みの時期だからと、あの手この手で誤魔化しやって来た。そうやって言いくるめられながらも、亜美も存外に、真面目にやっていた。彼女にとっても、それはしっかりと夢だったのだ。
一番手ごたえが良かったのは、全国で開催されるのど自慢大会だった。
「この路線で行こう。亜美」
大会を基軸にその他賞金イベントに参加、各種動画サイトやSNSも、先の大会で運営に頼んで行った宣伝が功を奏したのか、少しの盛り上がりを見せた。
それでも吹けば消えてしまうような視聴数だったが・・・。
だからだろう、中学に上ってすぐには、冷やかしも受けはした。
「ねえ、最近亜美、調子にのってない?」
「見てよこれ、超下手くそだよ。これならわたしがやったほうが良くない?」
「出来もしないくせに夢見ちゃって、ほんとうにバカだよね。可哀想」
そんな周囲との隔絶にも屈することなく継続できたのは、長谷川海里の存在が大きかった。
「おい、お前ら。亜美になんか文句でもあんのか?俺は陰口を言うような性格のひん曲がった女はキライだぞ」
甘い顔から、鋭い視線と言葉が飛ぶ。その言下を追って、少女二人が弁明する。
「は、長谷川くん。そんなんじゃないよ。ね?」
「う、うん。わたしたち、亜美ちゃんのこと大好きだから。冗談だよ、冗談・・・・だからキライにならないでね?」
そうやって俺たちの壁になってくれたから、俺たちはただ努力することができた。
亜美が地方ブロックの代表になった時には、イベントで獲得した賞金を資金源にして、スタジオを借りた。受験を考える頃には軌道に乗って、それなりの知名度を得ていた。
「すごいじゃん、亜美!今度テレビ出るんだって?!」
「応援するよ!亜美ならきっと優勝できるって、わたしたち信じてる!」
教室の反対側でもみくちゃにされる亜美をしり目に、俺と海里は窓際でそれを見ていた。
「けっ!都合のいい奴らだぜ。二年も前だったら、亜美のこと見向きもしなかったくせによ」
「気にする必要はないよ。いいじゃないか、今が平和なら。それも亜美の努力の成果だ。元々才能はあったんだよ。それにお前が守ってくれたからだよ、海里。これからも頼りにしてるぜ、ボディーガード」
「うるせえ、8年間もおもりさせやがってこの野郎」
だけれど、そうして得た平穏は一時で、次には新たな苦難が待ち受けていた。
それは高校受験だ。
「康人は一般だよね。勉強、頑張って」
「いや、俺も一芸だ」
俺たちの通おうとしている高校は、少し特殊で、一芸入試なるものがある。
通常の受験とは違い、並外れた身体能力と運動センス、もしくは、桁外れな才能を持つ者を発掘する競争型のテストだ。もちろん海里は身体テスト、まあ、あいつなら問題ないだろう。亜美も今の知名度と、投稿している動画、過去の実績を上げれば申し分ない。
「え?でも康人、なんかあんの?」
だから彼女にとって、俺もそこを受けるのは、予想外だったのだ。
「まあ、なんとかするよ」
そう、何とはなしに答えた。
それに、手を打たないわけにもいかなかった。
一応の安全策、滑り止めも準備しておかなければ。
そうして来たる受験日に、幼馴染三人が校門の前で集まり、俺たちはそれぞれの会場に向かった。
◇ ◇ ◇
「初めてだよ。まさか自分ではなく他人をプロデュースした受験生は」
俺の前でそう言ったのは、贅を尽くしたような、恰幅の良い男だった。
細めた目線は眉尻を上げて、凝らすようにこちらを伺う。
男の言葉の端々には、こちらを値踏みするような思惑が見え隠れし、気の置けぬ重苦しい空気が流れていた。
「うちは私立、生徒を集めてなんぼの学校だ。そこへ来て、君の紹介文ときた。正直、世迷言と斬り捨てても良かったが・・・」
皮張りの豪奢な机に背を持たれさせ、辟易としているよ、と言う風に告げた。
「他の量産型よりかは幾ばくかマシだったよ」と、きざな動作で言い終えたが、その言下には、「他よりはよかった」などと、とてもそのような物言いの評価は感じられなかった。
「佐々木くんが本当に歌手になれるのなら、我が校としても箔が点く。まあ、てっとり早い話、知名度が欲しい」
時計の針音が、こちらの動作を書き記すタイピングライターのような気がしてならなかった。
その頃には、俺はこの理事長の人間性を理解した。
偉く強欲で、向上心がある御人なのだ。それでいて、失敗は絶対に許せないタイプ。
スポーツでそれなりに名を馳せているだろうに、もっと上を目指すと言っている。
「・・・はじめに書類でご説明した通り宣伝は欠かせません。ですがあくまで彼女の扱いは、わたしに帰属するという形で、そこは犯してはなりません」
「いいのかね?わたしに任せれば良いと思うがね?」
「ようは名を広めれば良いのでしょう?それなら誰がやろうとも結果は同じだ。それにここまで二人三脚でやって来たんです。相互理解においては、わたしの方が適任です。・・・違いますか?」
「ふむ・・・、一理はある、だが全てではない。・・・が、最近は娘が反抗期でね、あの年頃の扱いは難しいので、まあ良いだろう。では、結果が伴わなければ、即刻辞退するという形で手を打とう」
「・・・精進します」
下手をすれば壊されるまでこき使われることになるので、手綱は、しっかりと握らなければ・・・。
◇ ◇ ◇
次の日には、海里の合格も知らされた。なんとぶっちぎり1位の成績で。
当の本人に聞けば、ほとんど遊びに近かったと言うのだから、末恐ろしい。
当然、亜美も合格したのだが・・・、
「康人どうやったの?!」
場所は亜美の部屋、そこには海里もいて、腕を組んで胡坐をかきながら、俺に視線を投げていた。
「ほら、普段は亜美の動画を編集してるだろ?その編集技術をアピールしたんだ。それが良かったのかもしれない。学校のホームページの運営も任されたのが、その証拠だよ」
実際、後者の方も本当で、合格させる条件に加えていた。
正直、無編集で工夫する気などさらさらなかったが、華やかなモノを期待しているよ、とタヌキ顔の高慢ちきな、あの理事長に釘をさされたので、業務が増えたのが気に入らないが。
「これで三人、また一緒だね!」
「ああ、良かったよ。それじゃあこれからも頼りにしてるよ、お兄ちゃん」
「うるせぇ・・・と言いたいところだが、頼られてやるよ。これまでずっと守ってきたんだ。今なら軍人が十人来たって負ける気がしねえ!」
がははは、と豪快に笑った海里は、そのまま俺たちの頭を二の腕で掴み、「俺が守ってぜー!」と言いながら、優しく振り回す。
そのじゃれつきに、高校生になる時分だと言うのに、年甲斐もなくはしゃいでしまった俺と亜美。本当に嬉しかったのだ。
まあ、亜美に対する力加減はソフトタッチで、俺に対するモノは結構強めだったので、守るどころか殺されそうになったが・・・。
◇ ◇ ◇
入学後に、亜美は引っ張りだこだった。
元々、テレビに出ていることもあり、知ってる人が多かったのだ。
彼らの期待と羨望が、幼馴染に集まるのは、どこか誇らしくもある。
海里も即戦力として、柔道部で活躍していた。
春の新人大会でも、文字通り、ちぎっては投げ、という状態だったらしい。
対する俺はというと、あのタヌキじじいに駆り出されて、忙しい日々が続いた。
まずは学校ホームページの、各種記事の更新だ。それも膨大な量の。
「む~り~」
「うわあ、大変だねー・・・」
ひたすらに地獄の日々だった。そんな俺の積まれる仕事の数に、傍らで顔を顰める亜美。
「でも良いじゃん。こんな教室、プレゼントされて、コーヒーメーカー、仮眠室、学校の貸し出しパソコン編集ソフト込み、なんでもござれだ」
「編集ソフトに至っては、俺が持ってる奴の方が新しいんだけどな」
良い出来のモノを期待するのなら、せめて最新のモノが欲しかったが・・・。
そんな順風満帆とはいかなくとも、それなりに充実した日々。
海里も目覚ましい活躍を見せたし、亜美も昨日の音楽イベントで会場を沸かせた。その動画は、これまでの再生数で、一番の伸びがあった。
二人は瞬く間に、高校の二大巨頭に。
そうなれば、浮ついた噂も出てくる。
「ねえ、知ってた?長谷川くんと亜美って、幼馴染なんだって」
「うん、この前聞いた。なんでも長谷川くん、小学校の時から亜美のこと護ってたんだって」
「実はね、付き合ってるらしいよ」
一月もしない間に、彼らの中でそれは決定事項になり、二人を見れば、黄色い目線と小さな歓声が、並んで歩む亜美と海里を包んだ。スクールカーストの本能が、皆にそう理解させてしまうのだ。
そこまでは良かったのだが・・・。
「あのさ、佐々木って、裏ではヤリまくってるらしいよ」
「当然だよね。性格悪そうだもん」
その会話は、海里のファンクラブのモノだった。
「長谷川くん、騙されてるんだよ」
「どうにかならないかな、あのクソビッチ」
全体を見れば、恐ろしく少ないものではあったが、理事長との契約の手前、俺はそれを無視することもできなかった。
「古市さん・・・・だよね?」
俺はある日、そのでたらめな悪評の出所である、古市美恵利と図書室で接触した。彼女は図書委員だったので、消息を掴むのは容易だった。
こちらを警戒した様子で、敵愾心を秘めた瞳が、俺を貫いた。
「本を借りたくて」
「・・・・じゃあ、わざわざ名前を呼ぶ必要ないじゃん。置いてくれればリーダー通したよ」
彼女は図書委員の席にあるスキャナーを持ち上げて、避難するような顔で言った。
「・・・その本、面白そうだね」
俺は毎日、古市美恵利を、思ってもいない賛辞で唆した。嫌がろうとも、彼女を肯定し、褒めたたえ、時に甘い言葉で惑わし、心にもない行動で、ひたすらに尽くした。亜美のうわさを流すたびにだ。
俺は、亜美を守るためならどんなことだってするし、どんな嘘だってつく。
平気で他人を騙すし、傷つける。
そうだ、俺は・・・・・。
お前が望むなら、俺は〝悪〟にすらなってやれる。
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次回『そうして少年は、人を操ることを覚え、他人を壊した』