憩いの場所
都内某所、入り組んだ道を抜けて、地下階段を下った先には、大人の楽園がある。
道は迷路の如くうねり、地下への降下は大口を開けた獣が如く、だがその先は、今までの息苦しさとは打って変わって、とても落ち着いた、雰囲気の良いバーがある。
壁面にあるアンティーク調の豪奢な木棚には、年代物の酒類が綺麗に配列され、取り出し手口はガラスに覆われていた。種類も多岐にわたり、焼酎からワインまで、端にある酒樽には蛇口がついており、回せばビールが出てくる。まさに如何にもな地下バーだ。
雰囲気も相まって、蛍光灯から降り注ぐ薄紫の光子が、どこか暖色の空気をまとっていた。
そんなクールでアダルティックな領域では、一人の大男が盛り上がりを見せている。
その相手は、画面の中にいた。
『みーんーなー!今日はあずにゃんの配信に来てくれてありがとうーーー!』
「Foooooッ!」
開店前の地下バー、《Bar MIKE》。
『今日限りの限定ライブ!みんなで命いっぱいたのしんでいこうねーーー!』
「Yeaaaaaahhhhッ!」
店の大画面で、映し出される映像に歓声をあげる大男が一人。
このバーの店主である、マイク・アザエル。
金髪のロン毛で、頭にバンダナを巻いたアメリカンな偉丈夫、口元から顎にかけての髭を蓄えて、サングラスをかけている。革ジャンを羽織って、ダメージジーンズを履いている。なんだか、広大な草原で牛を放牧してるのが思い浮ぶ見た目だ。
画面ではメタバース的なライブ会場が映し出されて、その中央でうさ耳にメイド服を着た美少女3Dキャラが動いていた。それに合わせて、偉丈夫は躍動する。
『じゃあ、まずはあずにゃんの代表曲、『AzunyanTheOrigin』を歌います!みんなーーーー!あずにゃんコール!よーろーしーくーねーーー!」
「I gotcha!UOOOOOOOOOOッ!」
男は、一糸乱れぬ動きで、即座に構えを取った。もう何十回やったかもわからない動きだ。この男自身、間違えるはずがなかった。
そうして画面の中のキャラモデルが動き始めた。
両手で猫の手を作って、きゃぴきゃぴ、ぴょんぴょん跳ねる。
その一つ一つの動作でも、ウィンクひとつ欠かさない。
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
それは、まさに、なんというか、これといって、いや、でも、けれど。
客観的に見て、地獄のような光景だった。
地下のバースタジオ、その大画面の前で、天上のミラーボールから乱反射するピンク色の極光の中を(わざわざつけた)、大の男が跳ねていた。開店前の店の中でだ。
曲が歌に入り、1小節を回った。そうしてまた、あの個性の塊のようなコールに戻る。
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
「・・・・・・・」
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
「・・・・・・・・・」
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU—————————あっ・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
マイクはここでようやく気が付いた。
自身の背後、歌の中でその足音を揉み消しながらも、裏口から帰ってきていた愛娘である南明日華がいたことを。
絶凍のような沈黙が落ちた、マイク自身、潜り抜けた修羅場は数知れず、いまだかつてこれほどまでに命とはまた別の危機を感じたことはあっただろうか・・・。
「違う、誤解なんだマイドーターよ。これには訳がある・・・」
何はともあれ、話し合いから入ろうとしたマイク。だが愛娘の反応はない。
「・・・・・・・」
「マ、マイドーター?」
マイクは、娘である明日華の表情に困惑していた。
その表情には、何もなかった。ただ無表情で、これといって何か侮蔑の感情を向けるわけではない。けれど・・・・・・。
「マ、マイドーター?・・・き、聞こえてるか?」
「・・・・・・・・」
けれど、それは決して父親に向けるものではなかった。つまり他人になった。
明日華は無言で、受付に置いてあった、マイクのスマホを取った。画面とスマホはワイヤレスでつながっており、そこではライブに熱狂するファンのコメントが、押し寄せるように流れていた。
明日華はそこに高速で文字を打ち込んで連投する。
それはR-18用語だったり、誹謗中傷だったり、罵詈雑言だったり。
とても公衆にお見せできる文面ではなかった。
そうして程なくして、マイクのアカウントはキックされた。
画面がぶつりと消える。
「とりあえずアカウントキックされておいたから」
「NOOOOOOOッ!なんてことするんだ!?」
必死にスマホを取り上げたマイク、試みるも、アカウントの復帰は絶望的だった。
その仕打ちに、マイクは愛娘に抗議の視線を送る。
「〝よじごじ〟のあずにゃんには無限の可能性があるんだぞ?!彼女の才は多種多様で、この前はふんどし姿で男の歌を歌った!しかも男の声に変えてだ!声変わりだってお手のものなんだぞ!そんなの他にできる奴がいるのか!?」
父はそう言うが、いやそれってただ単に中身が男なのでは?
そんな疑念を抱くが、その夢を壊すほど関わりたくなかったので、言わないことにした。
その代わりに出てきたのは、母親への尊敬と憐れみの念だ。
「お母さんに拾ってもらって本当に良かったね。お父さん」
明日華の母は会社を経営し、社長を務めている。
社長になって間もない頃に出会ったのがマイクだ。
当時に父は、バンドマンだったらしい。
「お父さん今日何してたの?」
「寝てた」
「お父さんの勤務時間は?」
「夜の8時から深夜2時、合計6時間」
「休憩時間は?」
「1時間」
「それ以外は?」
「寝てた」
「働けクソ親父」
お母さんにばっか苦労かけさせやがって。
そんな悪態をついていた明日華。
そこで店の扉が開いた。
そこには悲痛に顔を歪めた遥斗の姿があった。
◇ ◇ ◇
遥斗が姉から逃げたさきは、この都内にある地下スタジオだった。
落ち着きを取り戻した遥斗は、視線をテーブルの上で組んだ手のひらへと落とす。
座高の高い回転イスに腰掛けた彼は、
「その、悪かった」
突然押しかけた、それもただならぬ雰囲気をまとわせてだ。実際、二人はかなり焦った。
だが、そんなことは、長い付き合いである二人は気にしなかった。
「そりゃあ、店の入り口で泣かれちゃあね」
どこか悟った様子でカウンターでグラスを磨くのは、
さっぱりとしたボブカットが特徴的な南明日華。
落ち着いた性格とダメージパンプスというパンクな服装からも、クールな清楚ギャルという言葉がぴったりだ。
「お得意様はご贔屓に、うちのお店の特徴じゃん?」
ことりと、水を注いだグラスを差し出す明日華。
薄暗い、柔らかな暗色の蛍光に照らされたそれを、一口にあおる。
「発散したいからここに来たんでしょ?じゃあ、使っていきなよ」
「今なら開いてるよ」と言って、
じゃらりとアメコミのストラップがついた鍵を渡してきた。
遥斗は「ありがとう」と言って、ぶら下がったアイアンマンを掴んだ。
◇ ◇ ◇
併設されたダンススタジオの端にリュックを置く。
「さてと・・・・・・」
まずは軽く柔軟を済ませた遥斗。
ことりと乾いた音を立てたそれを持って、一面ガラスの前に立った。
立ち方も特徴的で、命いっぱいではあるが、
力が最大限は発揮できる程度に足を広げる。
そして、覚えたての動きをなぞるように、ゆっくりと動き始めた。
広げた両手を、孤を描くように振って、顔の横で打ち付ける、そして反対側へ反復。その繰り返しだ。
それは、いわゆる〝ヲタ芸〟というもので、常人《普通》が蔑むニッチな趣味だ。
遥斗は体、肩回りを重点的にほぐしていく。
特に肩の柔軟は丁重に行う。
動きを表現する最大の器官だ。怪我をさせるわけにはいかない。
道具の煌びやかさはどうとでもなるが、肉体的な運動の美しさは、練習しなければ手に入らないのだ。
一通りの動きをなぞった遥斗は、そこから本格的に練習を始めた。
◇ ◇ ◇
練習を終えた頃には、明日華も機材を持ってスタジオに訪れていた。
コードがパソコンとカメラを繋ぎ、映像がリアルタイムで映し出される。
「じゃあ始めるよー」
「ああ、いつでもいいぞ」
練習着から着替えた遥斗、今の彼の装いは、《《空間に溶けていた》》。
明かりを消したスタジオの光源は、明日華の周りに点灯した濃い緑色のLEDライトが数個と、壁の一面鏡の下部に、残り火のように薄く灯ったオレンジの足下光だけ。
思わず目前を手探るほどの闇には、パソコンのディスプレで不気味に照らされる明日華の顔と、それとは別に、もうひとつの人間ではない顔があった。
それは動物の顔だった。
目を凝らせばなんとか見えるこのスタジオ内で、白と赤を基調とした狐の面が、空中でのっぺりと浮かび上がっている。
その狐の面をつけているのは、遥斗である。
彼の趣味は、〝ヲタ芸〟 である。
幼少より、その曲芸に魅せられて、自身もそれを趣味にしている。
そう、趣味。だが————————。
その趣味が、趣味の範疇を超えている。
彼、浅井遥斗の正体、それは、高度な技巧と多種多様なパフォーマンス、狐の覆面で素性を隠したミステリアス性を売りにした、大人気ヲタ芸動画投稿者「Haru」として、人々を魅了していた。
流行曲に乗った寄生虫、そう揶揄されることもあるが、彼には確かに実力があった。彼のチャンネル登録者数と各種SNSのフォロー数が、それを確かに指示している。
一見スポーツマンに見えるこの装いこそが、彼の「Haru」としての姿である。
「3・・・2・・・・1・・・・・」
明日華のカウントダウンから、スタジオに重低音曲の導入が流れだす。
そうして遥斗は、両手に持っていた光源を、目を焼くように点灯させた。
光が曲に乗って回転する。
それは曲が鳴りやむまで続いた。
・・・・・・・・・・・・。
「あのさ、本当にどうしたの?」
撮影はひどいモノだった。
普段はパフォーマンスに口は出さない明日華だが、今回は彼女ですら口を出すほどに、今までもよりも明らかに見劣りするモノだった。
「動きが曲とずれまくってる。いき急ぎすぎだよ。まあ、わたしの担当だしなんとかするけどさ、編集するこっちの身にもなってよ。本当に何があったの?正直、次もこれならわたし困るよ?」
事前に打ち合わせも済ませて、繰り出す技の手順すら考えていた。
なのに、出てきたのはワンテンポ遅れた、もしくは早いものだった。
今までの遥斗からは考えられないほどに、曲に乗れていなかった。
傍から見てる明日華にとっても、曲に耳を澄ませて気分を乗らせるが、視界に映りこむ遥斗の動きがずれていることによって、何度も躓くような印象を受けた。
ようは、耳には、すん、と流れるのだが、目では何度も引っかかる印象だったのだ。
「それは・・・・」
それは遥斗の心情を表していたようで、彼から言葉が出てくることはなかった。
程なくして、本日の撮影は解散となった。
◇ ◇ ◇
さっきまでとはまた違った沈黙の落ちたスタジオで、遥斗を見送った明日華が機材を片付けていた。
そんな静寂を破るように、スタジオの扉が乱暴に開く。
「ヘイ!マイドーター!遥斗は・・・帰ったのか?」
「もうとっくに帰ったよ、お父さん」
貸し出し用のダンススタジオに顔を出したのは、明日華の父だった。
彼はスタジオを見回して遥斗がいなくなったことを確認すると、顎から垂れる髭と、それのついた頭を落として、目に見えて落胆した。
「なんだよ、顔出したなら見たかったのにな~、ジャパニーズオタク文化」
そう愚痴をこぼして、悔しさすら吹き飛ばすように、偉丈夫は瓶を空けて飲み干した。
「ちょっと売り物・・・」
本来なら製品棚に並ぶべき商品を、大男が、かしゅりっ、とこ気味の良い音で開けたので、たまらず指摘する。
だが当の本人は、酒瓶の底を左右に振って中身を、ちゃぽちゃぽ、と鳴らして諫めたのだ。
「細かい事は気にするな。どうせ売れ残る不人気商品だ」
「じゃあ売れるように努力しなよ。つうか発注すんなし」
「それは困る、俺が飲めなくなる」
「・・・赤字になったらお父さんのせいだかんね」
ハハハ、と野太く笑った偉丈夫は、瓶の中身を飲み干して、ぷは~、と一言。
口元を拭った後に、
「はあ~。遥斗も面倒だろうに、わざわざ電車使ってこっち来て」
そして、ニヤリとした顔で、横にいる娘の明日華を見て、
「うちならいつでも大歓迎だ。ちょうど娘に婿が欲しかったところだ」
「・・・・・そんなこと言ってないで働け、飲んだくれ」
「ぐえっ・・・汚ネッ!ぺっ、ぺっ・・・おい!」
「じゃあ、あとはよろしく~」
明日華は偉丈夫に向けて、持っていたモップを押しつけて黙らせた。
そして自分はそのまま店の受付へと向かっていった。
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次回『手に入れた大切なもの。』